新刊。お知らせ。

001003_210月3日新発売、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

◆HP「ザ大衆食」はこちら…クリック地獄
◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

通常のエントリーは、この下↓からになります。

|

2018/01/18

齋藤圭吾写真集『針と溝』発行と写真展3ヵ所同時開催。

北九州市の『雲のうえ』などで一緒に仕事をしているカメラマンの齋藤圭吾さんの写真集『針と溝』が、本の雑誌社から発行になります(1月23日ごろ)。

同時に、明日19日(金)から、吉祥寺の「キチム」で写真展も開催。この本をデザインした『雲のうえ』編集委員でもある有山達也さんとの楽しいトークなどもあります。

よろしくね。

おれは、目下、3月に発行予定の仕事を齋藤さんや有山さんとやっているのだけど、齋藤さんは、少し照れながら「じつは、いわゆるオーディオマニアっていうのかな、あれなんだよね」とか言っていた。ま、カメラマンにはメカ好きや凝り性が多いから、おれは驚かなかったけど、この写真には、ビックリですよ。

本の雑誌社のサイトにある案内、写真も載っています。
http://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114094.html

息をのむ美しさ、音が生まれる瞬間──

「ダイヤモンドというと心がときめく女性と違って、レコード好きの男は「針」を連想しますね。この針と溝の写真集はマニアを通り越したものですが、特にレコードの溝を接写レンズで撮った写真はどきどきするほど美しいです。」(ピーター・バラカン)

レコード盤に針を落とす。盤が回り、針が溝に刻まれたジグザグをなぞると、音が生まれる。始めから終わりまで、一本の溝を針は走り、リズムやメロディーを奏でる。線路を走る列車のように。

ダイヤモンドやサファイアから成るレコード針(stylus)と、様々なジャンルの音楽が刻まれたレコードの溝(groove)。

宝石が溝に触れ、なぞる、擦る、震える。

官能的な音が生まれる瞬間をマクロ撮影。
聴くでもなく語るでもない、肉眼では見えないはずの音を見てみようと試みた前代未聞の写真集。

以上。


齋藤さんは、ほかにも同時に、吉祥寺の本屋「一日」でも「百日」でも写真展を行います。

「一日」では、1月17日(水)~29日(月)、以前に清澄白河のギャラリーで開催したことのある写真展「melt saito keigo」。この写真集を手作業で製(つく)った、立花文穂さんと齋藤さんの「写真を撮る本を製(つく)る」というトークもあります。

「百年」では、1月17日(水)~2月5日(月)、「花暦 INTERVIEW WITH PLANTS」展。『花暦』は、『ボタニカ問答帖』(瀬尾英男・文/齋藤圭吾・写真、京阪神エルマガジン社)の続編だそうです。

詳しくは、それぞれのサイトをご覧ください。

まあ、しかし、こんなに一度に写真展をやって……けっこう、けっこう。

吉祥寺に出かけたときには、それぞれ近い場所だから、グルリまわって見るのもいいかも。

以前の「melt saito keigo」展は行って当ブログに紹介した。
2015/02/16
齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」。

|

2018/01/16

「四月と十月文庫をおおいに語る」トーク、盛況御礼。

1003

一昨日、下北沢の書店B&Bで行われた、『仕事場訪問』(牧野伊三夫、港の人・四月と十月文庫)刊行記念トーク「四月と十月文庫をおおいに語る」には、たくさんの方にお集りいただき、ありがとうございました。

トークのあとの打ち上げ参加者も多く、会場に入り切れない事態が発生、さらにそのあとにカラオケへ行った人たちもいたようだ。

とくに高邁な目的や結論があるわけじゃなし、役に立つ話など少しもなかったトークだったと思うが、楽しんでいただけたなら幸い。

港の人の社長、上野勇治さんの司会で始まり、まずは脱稿旗の返還と授与があった。

いつもなら、四月と十月の出版記念会で行われるのだが、牧野さんが二冊目ということもあり、この場を借りて「公開」で簡単に行うことになったもの。

前回7冊目『理解フノー』の著者であるおれのもとにあった脱稿旗を編集室に返還し、編集室から牧野さんへという儀式だ。しかし、気がついたら、おれの手元にあるはずの脱稿旗がない。そういえば、一昨年12月にあった『理解フノー』出版記念会で泥酔したおれは、脱稿旗を持ち帰らなかったのだ。

なんとなく瀬尾幸子さんが持って行ってくれたような気がしたので電話をするが通じない。とりあえず、脱稿旗が手元にない旨を牧野さんに知らせておこうと牧野さんに電話をした。そしたら、どういうわけか、牧野さんのところにあったのだ。

というわけで、一昨日は、牧野さんが持って来てくれた脱稿旗を受け取り、おれから牧野さんに返し、それを上野さんから牧野さんに授与するというややこしいことになった。

そのあとトークになり、まずは牧野さんとおれの出あいの話からスタート。牧野さんとおれが出あったのは、2001年の秋だった。あんなことがあったね、こんなことがあったねの話から、四月と十月のことや四月と十月文庫のことへ。

1冊目の『えびな書店店主の記』(蝦名則著)、2冊目『装幀のなかの絵』(有山達也著)、3冊目『ホロホロチョウのよる』(ミロコマチコ著)と、おれがツッコミ役で話を進めることになっていたので、テキトウに合いの手やツッコミを入れたりしていた。

かなりしてから(たぶん1時間は経過し、残り30分ぐらいになった頃)、牧野さんがスライドを作って来ていたことを思い出し投影、なーんだ、これを最初から使えばよかったのに、忘れるんじゃねえよ。いろいろボロが出る楽しみもあった。

いちおう、これまでの著者と著書について、あれこれ話したところで、カンジンの『仕事場訪問』については十分な時間もなくジ・エンド。

とくにまとまったイイ話はなかったけど、爆笑もあり、場の雰囲気は盛り上がりが持続して終わった。エンターテイメントとしては、上出来だったか。

15時スタートで16時半にトークは終わり、サイン会になった。牧野さんのところには、たくさん並び、おれは思いがけなく2冊が売れサインをした。

打ち上げは近くの中華料理店だった。18時からだったので、牧野さんと銭湯へ行くことにしていてタオルは持っていたのだが、会場でひさしぶりに会った人たちと立ち話などをしているうちに銭湯グループとは別れてしまい、京都から取材に見えた方と話しをしながら5人ほどで、晩杯屋へ。入ると、ほかにも2グループほどいるではないか。

打ち上げの席は足りなくなるのではないかと思っていたら、やっぱり20名以上の参加で、同じ会場に収まらず。

入れ替わり立ち替わり、あるいは立ったり、会場やテーブルを移動しながら、とにかく飲んで楽しくすごしていたが、なんだかトークで時間がなくなって話せなかったことが気になっていて、酔った頭で口にした。

それは、牧野さんが「画家の文章は面白い」と言っていたことについてだ。

おれも『四月と十月』本誌を読んでいつもそう思っていたし、近ごろはますます「文章家」の文章より画家や音楽家の文章が面白いと思っていたから、そのことに話をふったのだ。

牧野さんもおれも酔っていたが、そのやりとりをみんなが聞いていて、その話、トークのときにやればよかったのに~、という声もあったりした。すみませんねえ。

このことには、「画家的」や「画家的視点」ということや、牧野さんの考える「画家」について、それから「文章家」が文章家的視点より出版業的視点に陥りやすい事情などが関係しているようで、ツッコミどころはたくさんあって興味深いのだ。

21時すぎに解散。おれはスソさんと帰ったが、たいがいはカラオケへ行ったらしい。

体調を悪くし長いあいだ療養中だった言水ヘリオさんが姿を見せてくれたのがうれしかった。

当ブログ関連
2017/12/11
1月14日は、下北沢の本屋B&Bでトーク。

1005

|

2018/01/07

第一次世界大戦と「懐石とナショナリズム」や「黄色い本」。

「懐石とナショナリズム」は、近ごろ「相撲とナショナリズム」という言葉を見かけるので、それにあやかってみた。いやあ、2020年東京オリンピックに向かってますますイケイケの「おもてなし」の言動を眺めていると、「懐石とナショナリズム」もなかなかのものだ。

「黄色い本」は、最近読んだ、高野文子の『黄色い本』(講談社)のなかの「黄色い本」のことだ。

どちらも、第一次世界大戦とその後の世界と日本が関係する。ということに、いまハマっていて、あれこれ読んだり見たりしている。

2018年というと、ツイッターでも「マルクス生誕200年、明治維新150年、米騒動100年」などが喧伝されているが、「第一次世界大戦終結から100年」は見かけない。

そのへんからして、近代日本を考えるうえでの大きな欠落があるように感じていて、それはもちろん食文化や大衆食にも関係することだ。

だいたい、大衆食堂や大衆食の成り立ちは、第一次世界大戦と大いに関係があるにも関わらず、おれは自分の著書では、そのことにふれてない。第一次世界大戦は、まったく視野に入っていなかったといってよいほどだったのだなあ。

当ブログ、2017/12/21「ライター稼業にとって「丁寧」な仕事とは。」でも、書いている。

第一次世界大戦のことで思い出したのは、レマルクの『西部戦線異状なし』であり、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』だった。

『西部戦線異状なし』は高校生のとき読み、『チボー家の人々』は高校卒業したばかりのころ読んだ。ずいぶん昔のことだ。

高野文子の「黄色い本」には、「ジャック・チボーという名の友人」という副題がついている。

あまりあてにならないウィキペディアには、「「黄色い本」(1999年)は、青年誌『月刊アフタヌーン』に掲載された72頁の読み切り作品である。雪国を舞台に、作者と同世代の少女が学校に通いながら5巻本の『チボー家の人々』をゆっくりと読み進めていく様を描いたもので、執筆開始から完成まで3年の月日が費やされている」とある。

おれが『チボー家の人々』を知ったのは、『西部戦線異状なし』を読んだころだった。

おれには母の姉の娘である6歳上の従姉がいて、彼女は父親とは生き別れ母親とは死に別れで、戸籍上は母の母の娘(つまりおれの母の妹)となり、実際はおれの家で一緒に姉弟のように育ったのだが、彼女の恋人のち結婚相手が、この本を持っていた。これを、おれは大学合格祝いにせしめ、その春に読んだのだった。

全5冊、黄色い表紙にパラフィン紙のカバーがされ、灰色の薄いボール紙の箱に入っていた。

このあいだ第一次世界大戦を調べていたら、クレマンソーやポアンカレが出てきて、おおこの名前は聞いたことがあるぞ、『チボー家の人々』によく登場していたなと、この本を思い出したのだった。

しかし、もう一度読みかえす気はしない。なにしろ、全5冊のうえ、2段組みだった。

読みかえす気はしないが、ほとんど忘れている内容を少しは思い出したいと調べていると、「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」にゆきあたったのだ。

ジャックのことは、もちろん覚えている。そうそう、かれは「インターナショナリスト」になったのだった。

「インターナショナリスト」と「ナショナリスト」の観念が育ったのは、第一次世界大戦が契機だった。第一次世界大戦の西部戦線で戦った国々と、その戦場から遠く離れていて、しかも後進国の出自を抱えながら戦勝国になった日本では、「インターナショナリズム」と「ナショナリズム」の育ち方は、かなりちがっているようだ。

そこに、前にも少し書いたが、懐石(と茶道)が関係する。このへんは、いまのところあるていど根拠のある「仮説」ていどで、「懐石とナショナリズム」ということでは、大衆的レベルで大活躍し多筆だった辻嘉一の本を読みあさっているところ。

「食育」やユネスコ無形文化遺産の「和食」でうるさくいわれた「一汁三菜」だが、近ごろは「一汁一菜」ということを言い出す料理の先生もいて、「一汁一菜でいいんだよ」という話だけならよいのに、しかし、どちらも「日本料理の頂点、懐石料理の原点」を持ちだし、その背後には「日本の精神」やら「日本の美」やらが、あやしくたちこめている。

「一汁一菜」を持ちだした料理の先生は、先代から「家庭料理」を謳っていたのであり、いまさら懐石の概念ではないだろうと思うのだが、やはり、懐石を錦の御旗にしないとダメな事情でもあるのか。

「一汁三菜」に対し「一汁一菜」の構図を、うがった下衆な見方でたのしんでながむれば、そこには昔から繰り返されている日本料理の頂点をめざす派閥争いや、関西料理の京都対大阪の遺恨?あるいは、ホレ服部さんの跡ねらいか、と、いろいろおもしろや。

2020年東京オリンピックめざして、育ちの悪かったナショナリズムとインターナショナリズムが、いろいろな分野でしのぎを削り、まだまだこうるさいことになりそうだ。改憲論議もあるしなあ。

ま、時流に流されず、じっくり、第一次世界大戦のころから掘りかえしていこう。

話がそれたのかそれてないのかわからなくなったから、このへんでオシマイ。

|

«『ユリイカ』1月臨時増刊号、遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から