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2017/09/20

「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話~」

去る17日の、みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話」の最終回総集編のこと。

いつもは、武田俊さんと中野達仁さんが司会で、ゲストが登場してのトークだが、今回は、ゲストのかわりに、この企画のプロデューサー役をしている、みちくさ市運営団体「わめぞ」代表にして古書現世の店主、向井透史さんが登場した。

最終回総集編なのに、武田俊さんは仕事で韓国出張中。で、司会席にiPadを立て、ネット中継での司会になった。こういうのは初めてなので興味津々だった。

ソウルと東京は時差はないが、音声には少しタイムラグがある。武田さんの背景には、韓国らしい特徴がない、日本のビル街と同じだ。ほんとうに韓国にいるの?という冗談がとび、武田さんがハングル文字の看板を写す。というぐあいに始まった。

これまでのゲストは、以下の通り。

第1回:ゲストなし/第2回:澤部渡さん(スカート)/第3回:桑島十和子さん(美術監督「下妻物語」「告白」他)/第4回:森山裕之さん(元クイックジャパン編集長)/第5回:タブレット純さん(歌手・お笑い芸人)/第6回:高橋靖子さん(スタイリスト)/第7回:真利子哲也さん(映画監督)/第8回:山下陽光さん(「途中でやめる」デザイナー)/第9回:姫乃たまさん(地下アイドル)/第10回:牧野伊三夫さん(画家)

ゲストは、武田さん、中野さん、向井さんが相談しながら決めていたようだ。今回この話はなかったが、以前、どんなゲストを招きどんなトークにしたいかという話があり、とかくありがちな、人を集めやすい有名人を呼んで、有名人と名刺交換したい人たちが集まって、話を聞いてオシマイ、という感じのものにはしたくない、ということだった。

おれは、森山裕之さん、真利子哲也さん、山下陽光さん、牧野伊三夫さんの回に参加している。毎回、トークのあとの、打ち上げ懇親飲みがたのしかった。中野さんや武田さんなどは、普段は会う可能性すらない人たちだったし、ほかにもそういう人たちがいた。

そうそう、中野さんと武田さんのプロフィールは、こんなぐあいだ。

中野達仁(なかの・たつひと)
1964年、福岡生まれ。(株)東北新社・CMディレクター。主な仕事はベネッセ ”たまひよ“シリーズ、YKK AP、三井住友銀行、グリコ、ホクトのきのこなど。MVではGOING UNDER GROUND「トワイライト」「同じ月を見てた」、コーヒーカラー「人生に乾杯を!~別れの曲~」などがある。

武田俊(たけだ・しゅん)
1986年、名古屋市生まれ。編集者、メディアプロデューサー。lute編集長、roomie編集長、元KAI-YOU, LLC代表、元TOweb編集長。NHK「ニッポンのジレンマ」に出演ほか、講演、イベント出演も多数。

中野さんのCMディレクターという仕事は、むかしマーケティング屋の仕事をしていたときに、何度かCM制作に外側から関わることがあって、だいたいどんな仕事をしているかわかるが、武田さんの仕事は、多面的でもあり、いまどきのメディアの新しい動きについていけてないこともあって、まったく把握しきれていない。いったい、どんなふうに仕事をして、どんなふうに稼いでいるのか、見当もつかない。とにかく、武田さんからは、メディアの世界は、おれなんかもう想像がつかないぐらい変化しているし、もっと変化するんだなという強い印象を得ただけでもめっけものだった。

総集編だから、それぞれのゲストの回をふりかえりながらだった。その個別のことはカットさせてもらう。ようするに、ゲストに招いて話をしたら、スゴイ人ばかりだった、スゴイ人ばかりすぎたのではないかという感じもあったが、自分はちっぽけな存在なんだということを自覚することにもなって、よかったではないか。という話はよかった。とかく、スゴイ人と会ったり話したりしていると、自分も同じレベルになったと錯覚しちゃう人も少なくないのだが。

むかし、「日本人はケンキョを美徳にしているようだけど、ケンキョを覚えるより、自分を相対化する方法を身につけたほうがよいよ」と、なんでも方法で解決しようとするアメリカ野郎にいわれたことを思い出した。

連続講座はみちくさ市と連動し、みちくさ市はわめぞと連動している。わめぞの最初の頃をすっかり忘れていたが、向井さんの話で思い出した。池袋の古書往来座の外側スペースを使って、古本の「外市」というのをやっていたのだ。

わめぞの動きについては、最初の頃から興味があった。それは、長く続いている「閉塞」、向井さんは同時に「たこつぼ」という言葉も使っていたが、そういう状態から、もっと混ざり合うことを目指していたからだ。経堂のさばのゆの店主、須田泰成さんの言葉では、「もっとシャッフル」ということになる。

A業界ではアタリマエのことが、B業界では笑い話になるぐらい、すぐ隣にいても離れている。そういう状態が、あちこちにある。そのあいだを少しでも埋めることになれば。

「作品と商品のあいだ」は、結論なんぞない。だけど、その「あいだ」を探ることで、自分と誰かさんの「あいだ」を探ることにもなるのだ。

いまでは、百万部以上売れている本の著者で、メジャーなテレビ番組に出演していても、なにソレだれ、ということになるのは珍しくない。その一方で、2万、3万売れたぐらいで「ブーム」といわれる。小さな「たこつぼ」のなかでエラそうにしている陳腐な光景もある。

おれも、いちおう「フリーライター」の肩書で「表現」なるものに関わっているが、「作品」とか「商品」については、あまり考えたことがない。すべて依頼があって成り立つ仕事だ。

そうそう、「作品と商品のあいだ」がテーマになったのは、向井さんが中野さんに、「スポンサーから金をもらって商品をつくっていて、ストレスがたまりませんか」というようなことをいったのが発端だったらしい。中野さんは、会社員でもある。

おれは、長いことサラリーマンをやったし、スポンサー稼業もやったが、ま、簡単にいってしまえば、自分にこだわることがないからか、上司やクライアントからいろいろ言われたり、商品をつくったり売ったりすることについて、「ストレス」というほどのものは感じたことはない。会社組織だろう個人事業だろうが、仕事は仕事だ。おれをクビにしようとガンバッテいた上司と酒を飲むのもたのしかった。あるいは、ストレスが襲ってきたら、「方法」で片づけてしまう。あまり器用ではなかったかもしれないが。表現の仕事だからといって特別視する気はない。

「作品と商品のあいだ」には、日本の困った道徳観から発する「金儲けは悪」という考えも影響しているようにみえる。作品=善、商品=悪、という感じの。食べるために働くことを蔑視したり、逆に仕事に「意味」を持たせすぎということもある。

それから、たとえば、「良書」といった言い方があって、「良書」を発行する出版社のイメージが高かったり、近頃は「良書」を選んで売る「セレクト・ショップ」みたいなものがチヤホヤもてはやされているけど、「良書」なんていうのは極めてアイマイな観念だ。かつて漫画が「悪」にされ「文学作品」が「良」とされた時代を、まんま引きずっているように見える。

「作品と商品のあいだ」から見えるのは、どっちが上か下かの上下関係や序列的な価値観や優劣観に位置付けようとする思想の悪癖でもある。そういうことにとらわれていないか。

そのあたりを破壊的に片づけて、この連続講座で最高に面白かったのが、第8回の山下陽光さんだった。10回目の牧野伊三夫さんのダメっぷりも破壊力があったが。

書くのがメンドウになったので、途中でやめる。

みちくさ市連続講座は、テーマを変えて続きます。古本フリマと合わせ、参加し、大いにシャッフルしましょうね。

当ブログ関連
2016/11/30
今年一番の面白さ、「途中でやめる」の山下陽光さんのトークと「新しい骨董」。
2017/09/18
「分断」からの脱却で連夜の酒。

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2017/09/19

毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

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9月17日(日曜日)、毎日新聞書評欄の「昨日読んだ文庫」に寄稿したものが掲載になった。絵は、舟橋全二さんです。

「私に料理の構造と機能を気づかせ、忘れられない衝撃と展望をもたらした2冊は中公文庫の現役で、鮮度も衰えていない」と登場するのは、玉村豊男『料理の四面体』と梅棹忠夫『文明の生態史観』だ。

どちらも、1980年代初頭に読んだのだが、『料理の四面体』は鎌倉書房の単行本、『文明の生態史観』は中公叢書だった。それから何度も読んでいる。

『料理の四面体』については、拙著でも『大衆めし 激動の戦後史』など、機会があるたびにプッシュしているが、『文明の生態史観』についてふれるのは、今回が初めてだ。

『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』は、『文明の生態史観』に書かれている系譜論と機能論の影響を強く受けていて、その両方の見方をからみあわせながら書いている。

『文明の生態史観』が中公叢書から出たのは1967年で、『料理の四面体』が鎌倉書房から出たのは1980年10月、どちらを先に読んだか覚えていないが、ほとんど同時期に読んだはずだ。

生態史観は1974年9月に中公文庫入りして、いまでも現役だ。すごいなあ、もう古典ですね。四面体のほうは、一時はどうなるかとおもうほど変転があってのち、2010年2月に中公文庫入りした。

料理からみれば、この2冊は、これからのほうが鮮度がよくなるとおもう。

というのも、日本の料理は、もう「和・洋・中」の観念では把握しきれないほどになっていることがある。それから、目的、要素、方法、手段などの組み合わせ(デザイン)で、生活や料理を考える流れが広がっているからだ。

料理や食べ物に関しては、系譜論にもとづく「うまいもの話」「いいもの話」や「職人論」あるいは「属人論」などが、あいかわらず惰性的に続くだろしにぎやかではあるけれど、もっと根本的なところで、系譜論をのりこえる流れも育ってきている。

しかし一方では、系譜論は、いまの日本で、いちばんやっかいな問題を生んでもいる。

『料理の四面体』と『文明の生態史観』が続いている背景には、そういうことがあるだろう。

『文明の生態史観』に収録されている「生態史観からみた日本」には、このようなことが書いている。

(日本の知識人諸氏は)「ほかの国のことが話題になっていても、それ自身としてはあまり興味をおぼえない。自分との比較、あるいは自分自身が直接の話題になったときだけ、心がうごく。あるいはまた、なにごとをいうにも自分を話題の中心にすえないではいられない、ということでしょうか。なんというナルシシズムかと、おどろくのであります」

昨日の「たこつぼ」問題とも関係することだ。系譜論にとりこまれると「たこつぼ」に落ちやすい。

当ブログ関連
2017/09/08
「書評のメルマガ」の『料理の四面体』。

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2017/09/18

「分断」からの脱却で連夜の酒。

一昨日は、アメ横の大橋タイショーの店で五十嵐さんと会って飲んだ。昨日は、雑司ヶ谷のみちくさ市の日で古本フリマは台風の影響で流れたが、連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編だからと出かけて行って、いつものように打ち上げまで飲んだ。

この2日の話題の共通点は、いわゆる「分断状況」に関わるものだった。そこから、どう脱却するか。

連続講座総集編のなかで、企画あんどプロデューサー役の向井さんが使っていた言葉を借りれば、「たこつぼ」「閉塞」から、横の壁を突き破って、どう「混ざり合う状況」を生んでいくか、といえるだろう。

五十嵐さんとの話は、そこに、放射能汚染をめぐる「風評被害」のことがからんでいた。

とくに「福島県」と「福島県産」をめぐっては、いろいろあるわけだけど、これまでおれはそのテの話には、このブログでもツイッターでも、ほとんど加わっていない。ま、おれの考えていることは、ツイッターなどで見られる話から、かけ離れすぎていて、話しに加われなかったといったほうがよいか。そのへん、いまの「福島県」と「福島県産」をめぐる議論には、それぞれのなんらかの事情がからむ「特殊な人たち」による偏りをかんじる。

そのあたりを五十嵐さんと話しあえてよかった。五十嵐さんは、最近、福島県産品の輸入を認めてない台湾、それからチェルノブイリのベラルーシへも行き、これからチェルノブイリ事故の影響が大きかったノルウエーにも行くなど、精力的に動きまわって、調べまくっている。その話もおもしろかったし、参考になった。

いわゆる「分断」は、東日本大震災以前からあったわけで、さかのぼれば、80年代中頃の「たこつぼ」「閉塞」から続いているのだし、深刻化している。それが、放射能汚染問題をめぐって、鋭く噴出した。と考えれば、放射能に関する正確な情報や科学的知識などだけでは片づく問題ではないのだな。

自分の「たこつぼ」の中にいたほうが安全だし安心だとおもっている人が、かなりいる。その「たこつぼ」で、自分が食べて行けたり、成功したりの道があるなら、なおのこと、「たこつぼ」にこだわる。そういう自分の気持ちのおさまりのよさが身についてしまうと、自分の気持ちのおさまりのよいほうへばかりに寄り添っていき、「たこつぼ」の外は自分を不安定にするものであり、なかなか受け入れがたいことになる。

「たこつぼ」には、大きな「業界たこつぼ」もあれば「会社たこつぼ」もあれば、可愛い「自分のたこつぼ」もある。

向井さんは、連続講座を通して、「不安」だか「不安定」に馴れたようなことをいっていた。「不安」や「不安定」を排除することばかりしていては、「多文化共生社会」なんて育たない。

「分断」は、なかなか手ごわい問題だ。

それでも、やはり社会的に食っているのだから、ま、日本の社会は危うい状態にあるにせよ社会は崩壊しきったわけではないから、そこにあるていど「合意形成」が必要になる。コンセンサス、ね。

これがまたメンドウなのだ。「分断」と「コンセンサス」の試練は、まだまだ続く。

「福島県産」について、とりあえず、自分のことだけを書いておこう。

おれはもともと、産地や産地ブランドを気にしたことがない。だから、放射能問題以前も、福島県産を選んで買うこともなかったかわりに、その後も、選ぶ意識も避ける意識もない。そして、「買って応援したいから」福島県産を置くよう、スーパーなどにお願いしたこともない。あるものを買う。

おれは、日本のコモディティなシステムについては、あるていど信頼を置いている。電車を利用するように、安心して利用している。少なくとも、いまの政治家どもよりは、安心して利用できるシステムだ。ま、この安心があるから、いまのお粗末な政治家どもでも務まっているのかもしれない。

つまり、おれは、福島県産と向かい合いながら暮らしているわけではなく、大半はコモディティなシステムと向かい合って暮らしている。

自分では、これが普通なのではないかなとおもっていたので、「風評被害騒動」は、とても奇異に見えていた。

なにか大きなジケンがあれば、食品の需給関係は乱れる。放射能問題であれば、大きく乱れるのは当然だろう。それでも暮らしが維持できるのは、コモディティなシステムへの信頼があるからだろう。これが崩れるようなことを、そのシステムが選ぶはずはない。放射能に関する一般的な無知と不安を考慮に入れれば、「風評被害」というのは言いすぎではないかとおもわれるかんじもあった。

だいたい、東電の責任追及より「風評被害」のほうが大きく問題になるなど、なんだかオカシイかんじもあった。政府の対策より、一人ひとりの被災者への「おもい」の在り方が問われるというのも、違和感があった。

この件に関して発言している人たちは、なんらかのバイアスが加わっている傾向は、ほとんどだったのではないか。

それは、もしかして、「たこつぼ」のバイアスなのかもしれない。政策的な充実や解決ではなく、自分の気持ちのおさまりを求めての。

ま、これぐらいにしておこう。来年の春ごろには、もうちょっとまとまった考えを述べられるはずだ。

みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」の最終回総集編は、なかなかおもしろかった。今日は、もう書くのがメンドウになったから、明日か明後日か、その後か、にしよう。

一昨日、16日は、アメ横で二軒はしごして、けっこう酔っ払って帰ったのに、いや、酔っ払って帰ったからだ、東大宮に着いてもう一軒行ったのが失敗だった。このクセを直したいのだが、なにしろ酔ってしまうとわからなくなるのだから、どうしようもない。泥酔記憶喪失帰宅で、17日は二日酔いが残ったまま雑司ヶ谷へ行き、打ち上げでまた飲んで、ヨレヨレ帰宅だった。たのしかったけど。

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