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古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

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2018/12/14

死者を送る。

きのうは、7日に亡くなったギンちゃんの葬式に行った。

小田急線千歳船橋から10分ほど歩いたところのホールで9時半に始まるというので、ラッシュのピークを避けるため東大宮7時20分ごろの電車に乗った。8時10分すぎに新宿に着き、東口のベルクへ。生ビールとホットドッグ、生ビールおかわり。演奏のバンドは知らないが、BGMにロック調の「インターナショナル」が流れた。

立て~飢えたるものよ~、ああ、いま立ってドッグを食べてビールを飲んでいます。しかし、この曲、これから葬式のギンちゃんにピッタリな感じがした。彼女は左翼ではなかったが、ウッドストックにいてもおかしくない感じだった。それにしても、朝からインターは、左翼なんか知らなくても、調子が出る。

会場に着いたら9時半を少しまわり、式は始まっていた。ギンちゃんは、もともとキチンとした計画的な人という評価が高かったが、葬式についても全部決めておいた。それに従い、無宗教、戒名なし、香典のたぐいお断り、家族と親しかったものたちばかりで静かに営まれた。

「あの当時」の関係者は、おれのほかはRちゃんとなお女のみ。高山のSさんがいたのには、おどろいた。ギンちゃんとは、かなり以前から仕事をしていたとか。おれはあまり付き合いがいいほうじゃないせいもあるが、そういう情報に疎い。なお女とSさんは火葬場まで行ったが、おれとRちゃんは葬列を見送り、お別れにした。

見送って、「ああ、いっちゃった」とつぶやいた。

おれとRちゃんがそのまま帰るはずもなく、すっかり冷えたし、蕎麦で燗酒を飲みたいねえと千歳船橋駅周辺を探したが見つからず、祖師谷大蔵なら駅近くに蕎麦屋があったと一駅乗る。だが、そこは牛丼チェーン店になっていた。ま、ここでいいかと入ったのが、日高屋。11時半近くだった。それから13時すぎまで、よく飲んだ。

「あの時代」というのは、70年代後半から80年代前半、あの会社でおれが経営権を握っていた数年間のことで、管轄下に彼らがいた。おれが一番年上で、いまは75歳、その次がRちゃんで70歳。Rちゃんがいうには、若死にが多いという。おれより数年年上だったクリさんは1980年代に49歳で亡くなった。あとえーと、ビンシュ、カミヤマ、アンザイ、カトウ、若いうちに亡くなり。事務所に何か悪霊でも棲みついていたか。そういえば自殺もあったな。ここ数年で亡くなったのは、クニコさん74歳、ミトメ60歳ぐらい、カツカワ70歳ぐらい、そしてギンちゃん69歳、というぐあいにあげて、それぞれの思い出を話したり。

ってえと、残っているのは、はーすけ、マコト、ノムラ、ユウタ、ヨネさん、なお女…みんな、いちおう、60代にはなった。あと…、ショウジさんどうした、カムラさんやポンさんは生きているか。ポンさんとイワノが殴り合ったのが懐かしい。

さらに、「あの時代」以前の、おれより一回り以上年上の人たちの話になった。この3人はクセモノだ、かなりヤバイ背景を持っている。話しながら忘れていたことまで思い出した。大陸にあった実質スパイ養成学校の某学院の関係者だった某、朝鮮戦争当時の共産党の地方幹部だった某と某、それに某研究所の某、半島を舞台にした人脈と某はいつから極右につながったか。ようするに「右」「左」などは、そんなにキレイにわかれているわけじゃない、二重三重に立場が入れ替わる。

てな、アノ人コノ人たちの話をしながら、ビールをぐいぐい飲み、笑う。ま、みんな知らないうちに、そういうヤバイ関係の重なりのなかで生きているのさ。自分だけは政治と関係ない、無色だ、と思いながら。そういえば、Mなどは、ずいぶん口の軽いスパイだったな、某CIAに取り入ったときのことをペラペラしゃべったり。でも、肝心なことはしゃべらなかったよ、そこがアノ人たちらしさなんだな。

うへへへと、話はアメリカへとんで、某氏がCIAのリストに載っていて嘘だと怒っているが、どうやらその噂を流したのは「あの時代」のMらしいぞ。あの頃、アメリカで一儲けできるところだったのになあ。ま、食べ物の話をしているぐらいが、いちばん無難かもしれないねえ。なんの進歩もないけどね。彼らから見たら、日本人は大甘ってことだろうし、たしかにおれたちは幼稚な大甘の日本人だけど、それを自覚していればいいんじゃないの、そうすればへんなところに首を突っ込まなくてすむんだが。やたら大人ぶるやつがいてね。大甘は増長しやすいから。がはははは。

そうして、最後はギンちゃんの話になり、あいつはほんとうに楽しいやつだった。深刻なヤバイことでも、あいつが話すと笑い話になっちゃうんだよなあ。ほんと、ほんと。

シングルマザーのまま、この妊娠だけは計画的でなかったにちがいない、生まれた子を育てあげた。その赤ん坊が生まれたあと、ギンちゃんは何度か背負って出社したのだが、それからこの子を見ていないおれは、この日初めて、喪主を務める成長した彼を見たのだった。

ギンちゃんのおかげ、といっちゃなんだが、こうして会っておもしろい話もできたし。じゃ、また誰かが死んだときに会って飲もう。おお、そうしよう。

で、祖師谷大蔵駅で、Rちゃんは下り電車に乗るし、おれは上りで新宿へ出るので別れたが、考えてみると、おれとRちゃんが年齢的には次に死ぬ確率が高いのだった。ほかの誰かが死んで、二人で飲める機会があるのだろうか。

当ブログ関連
2018/12/08
ギンちゃんが亡くなった。

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2018/12/11

『ハックルベリイ・フィンの冒険』の一大事。

『ハックルベリイ・フィンの冒険』は、ときどきパラパラ見たり、何度かはシッカリ全部読んだりしている。『トム・ソーヤの冒険』もいいが、ハックのほうが、おもしろいだけじゃなく、なんてのかな、あの開放的な自由の思想ってのかなあ、それがいいドラッグになってカツが入るのだ。

ところがだ、そうまで入れ込んでいたのに、といってもおれの「入れ込み」ぐあいはネチネチが嫌いだからテキトーなんだが、テキトーだから、いろいろ見逃している。

今回、おれにとっては一大事を見逃していたのに気がついた。だから、こうして書いている。

それは、新潮文庫版の33刷(1982年6月)だと、本文が始まってすぐ、2ページ目にあるのだ。

ハックが几帳面で上品で堅苦しいダグラス未亡人のもとを一度は逃げ出し、そしてトム・ソーヤに捜し出され連れ戻されたあと。

「またもや、元の通りのことが始まった。未亡人が夕食の鐘を鳴らすと、時間どおりに行かねばならず、食卓についてもすぐ食べてはいけない。未亡人が頭を垂れて食べもののことをくどくど言うのを待たねばならないのだ。別に食べものがどうかなっているわけじゃないのに、――ただ、なにもかも別々に料理してあるというだけのことだ。これが残飯桶の中だと話がちがう。いろんなものが一緒くたになり汁がまざり合ってずっと味がいいのだ。」

これはもう、ハックというより作者のマーク・トウェインに拍手喝采を送るべきだな。

別々に料理し別々の皿にもった、単品単一型の美味追求より、残飯桶の中で「いろんなものが一緒くたになり汁がまざり合ってずっと味がいいのだ」と、複合融合型美味追求のぶっかけめし・汁かけめしを語っている。

これをよろこばずにいられるか。

しかし、なんで、ここんとこを見逃していたんだろう。『ぶっかけめしの悦楽』(1999年)を書いたときも、『汁かけめし快食學』(2004年)を書いたときも、気が付いていなかったのか。気が付いていたら、ゼッタイ引用したもんな。どこに目をつけて読んでいたんだ。

ま、おれの頭も目もザルだけどさ。

いやあ、さすが「現代アメリカ文学の源泉」といわれるこの作品だ、と、こういうとこで評価したいね。書かれた、ふだんの食事にあらわれる思想は、その文学や文化の本質だ。

と考えると、夏目漱石だの森鴎外だのを奉り、文学というと上品に気取って人びとの上にそびえようという日本の近現代文学そしてその影響下のテキストどもは……おっと、これ以上はやめておこう。

とにかく、ハックルベリイは何度読んでも、たのしい。

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2018/12/10

「細分化」はどこまでゆくのかねえ。こわいねえ。

平成のはじめごろ、「蛸壺化」なんてことが騒がれ、「セグメンテーション」が生き残り戦略のようにいわれることもあり、そのあたりが「オタク」などにとばっちりしながらぐちゃぐちゃ、とにかくやたら「細分化」が進んだ。平成は細分化の時代だった、といえそうだ。

産業社会のゆきづまりの結果の情報社会のせいなのか、もともと日本人は「蛸壺型」なのか。

どうだ、いまや、出版の飲食の分野を見ても、カレー、ラーメン、丼物、餃子をなどは涙がたれるほど懐かしい古典的なテーマになり、どんどん細分化され、さぬきうどん、やきそば、たこ焼き、お好み焼き…、ラー油や発酵やスープや塩など続々、それぞれに「我こそは」という感じの情報通がいらっしゃって、なかなか鼻息もあらい。

きのうの話の「ナポリタン」だって、いまや「日本ナポリタン学会」なるものもあり、1995年ごろには「絶滅品種」かと思われていたハムカツにも「ハムカツ太郎」なる人物が活躍している。

パフェだのコーヒーゼリーだのという本もたくさん、もっと細かくは、ドコソコの有名店が一冊の本になってしまうのが続々。

細分化は、テーマだけじゃなく切り口にまでおよんでいる。食う飲むの本などは、テーマ×切り口で、際限なく細分化がすすんでいる。「立ち飲み」「センベロ」「一人飲み」とかとか、そこに酒器だの作法だのが交差して。

情報過多のなか、細分化し、わかりやすく、消費しやすく。アメ横の割りばしを刺して売っているカットフルーツみたいだ。カットフルーツ山盛り。デカイまんまのスイカを手で割ってかじりつきたいんだよ、と思っても、それじゃ「文化」になりませんという感じで、やたら細分化しては小ぎれいにし、知的に文化を気取っている。ま、なかには「闇市派」のようにキタイナイ系もないではないが。

おれの肩書も、「大衆食堂の詩人」とかいう、いくらか細分化されたものになっているが、「大衆食」や「大衆食堂」なんていう分類は大きすぎてカワイイものだ。

「分類」と「比較」は、人類の文化的所業の根幹であるにはちがいないが、昨今の「細分化」はそれとはちがうようだ。やっぱり、薄気味悪い「蛸壺化」の進行が、ますます深まっているんだろうか。ニッポン・スゴイからオレサマ・スゴイまで、わっしょいワッショイ。細かく知ることが深く知ることと錯覚されたり、いろいろ認知が歪んできている感じもあるし、とにかく薄気味悪い。

このあいだ、やはりある細分化された分野で有名な方が、「化学調味料は簡便さという最大の特長があり、それはそれで堂々と使えばいいのであって、自然のものなら何でも上という意識は、かえって魑魅魍魎の棲家となる。もっとシンプルに自分にとっての心地よさをみんなが追求するとよいと思うな」と言っていて、エッと思った。そういう話なの?

でも、こういうわかりやすそうな例が、わかりやすいからこそか、けっこう受け入れられるんだなあ。

「化学調味料は簡便さという最大の特長があり、それはそれで堂々と使えばいい」「自然のものなら何でも上という意識は、かえって魑魅魍魎の棲家となる」「もっとシンプルに自分にとっての心地よさをみんなが追求するとよいと思うな」。まるで別のことが、みごとにつなぎあわされて、なんだか「正しそう」になっている。

そして、こんな考えのなか、「自分にとっての心地よさ」を求め、さらに細分化が進むのだろうな。

ちょいと考えてみれば、「もっとシンプルに自分にとっての心地よさをみんなが追求」したら、やっぱり魑魅魍魎の棲家になることぐらいわかりそうなものだが、細分化された明晰な頭脳は、なんだかとても歪んでいる。

こうして、どんどん歪んだ認知が広がるのだろうか。うへへへへ、こわいなあ。細分化された魑魅魍魎だらけ。

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