新刊。お知らせ。

001003_210月3日新発売、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

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◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
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2017/08/14

有効微生物群(EM)の初期の資料。

004古い袋をあけたら、こんなものが出てきた。近年なにかと世間を騒がせている「有効微生物群(EM)」の資料だ。

これはたしか、1989年か90年に、JAC(ジャパン アグリカルチャー コミュニィティ株式会社)を訪ねたときにもらったものだ。

その頃はバブルの最中で、おれはそのアブク銭を使って、新しいコセンプトの事業を立ち上げるプランニングに関わっていた。その事業の中核の一つが、農業生産法人の設立だった。

その準備のかたわら、九州の山地の農林業の地域の事務所で、地域の農家の方々と協力しあいながら産品の販売を手伝ったり、主に自然農法や無農薬・有機栽培の農業と流通の調査をしていた。

1980年代は、農業をめぐる大きな変化がいろいろあって、農家以外の農業参入への道がゆるくなったり、国の農業政策上は「枠外」にあった、いわゆる自然農法や有機農法などが農水省の政策に組み込まれる方向へ動いていた。

JAC(ジャック)は、そうした動きのなかで、主に「無添加健康食品」や有機農法などによる野菜や果物の流通を担い、発展していた。

自然農法や有機農法については、いろいろな流れや言い方があって、けっこうややこしいのだが、とりあえず自然農法や有機農法という言い方にしておくが、その分野でJACはけっこう知られている存在だった。

それで、訪ねて話を聞いたのだが、そのとき渡された資料のなかに、これがあった。

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一つは、1988年4月に、ジャックが編集し発行した、「有効微生物群(EM)参考資料」であり、ワープロ原稿をそのまま版下にしたらしい簡易印刷で本文20ページのものだ。

収録の項目は、「自然農法の沿革」「世界有機農業会議に参加して 比嘉照夫」「自然農法と有効微生物群(EM)活用について 比嘉照夫」「有効微生物群応用マニュアル (財)自然農法国際研究開発センター」「有効微生物群(EM)資材の説明」「当初の実施作業プロセス」となっている。

もう一つの「新世紀の農業 公開講座雑感」は、文庫よりひとまわり大きいサイズで本文12ページ。これは啓蒙パンフとでもいえるだろう、「琉球大学農学部教授 比嘉照夫」による、「新世紀の農業」と、琉球大学公開講座の雑感となっている。

1988年11月の発行で、発行は「宗教法人 世界救世教」だ。

あまりあてにならないウイキペディアには、「有用微生物群」の項に、「1986年頃、サン興産業が同社の農業用微生物資材である『サイオン』の効果確認・使用方法の確立を琉球大学の比嘉照夫に依頼。1994年、比嘉はEM(有用微生物群)なる概念を発表した」とあるが、1994年以前から、比嘉はこのように「有効微生物群(EM)」という表現を使って活動している。

とにかく、この資料は、EMのごく初期のものであり、近年「ニセ科学」と批判されるEMのような、神がかった話は一つもない。

比嘉も、「世界有機農業会議に参加して」では、「旧態依然としたおそまつでありました」「発表を聞いても昔の農業に戻れといっているような範囲のものが多く、農業生産よりも社会運動の一つとして位置づけておる例が多数発表されていました」と批判的な言い方もしている。

002が、しかし、そのころすでに比嘉は、世界救世教と関係を持っていた。「自然農法と有効微生物群(EM)活用について」の比嘉の肩書は、「財団法人 自然農法国際研究開発センター理事」「琉球大学農学部教授」「農学博士」となっている。

自然農法国際研究開発センターは、世界救世教の関連団体であり、世界救世教は開祖・岡田茂吉が提唱する「救世自然農法」を推進している。

救世自然農法は、世界救世教の宗教運動の一つとして位置づけられているといっても過言ではない。そのことについて比嘉は、どう考えているかわからないが、外から眺めていると、宗教運動としての「救世自然農法」に比嘉は「科学的根拠」を与えながら、その宗教にからめとられたと見えなくはない。

といったことをぼんやり考えた。

あのころ、おれの周辺の自然農法や有機農法の界隈でも、EMはほとんど知られていなかった。おれも耳にはしていたが、このような資料を手にしたのは初めてだった。

自然農法やEM、この界隈は複雑だ。これに「原発/反原発」がからんで、さらに複雑になっている。

それは「科学的」ということが、必ずしも明快ではないことも関係しているからだと思う。

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2017/07/30

東京新聞「大衆食堂ランチ」57回目、赤羽・暖母(ダンボ)。

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この店には、おどろいた。

外観、店内とも、かつての「純喫茶」仕様なのだが、メニューの豊富さは洋食堂としても居酒屋としても十分であり、しかも安くてボリュームもある。もちろん、味も、安定のうまさ。

もともと居酒屋と食堂のあいだはアイマイだし、蕎麦屋が食堂兼居酒屋化した例はけっこうあるが、純喫茶がここまでハイブリット化している例は、あまりないと思う。

純喫茶を軸に考えれば、喫茶にスパゲティのミートソースとナポリタン、サンドウィッチあたりの軽食までは、わりと普通のメニューだろう。そこに、ごはんものとして、ピラフ(焼き飯)ぐらいなら加わりやすい。

さらにカレーライスとなると、業務用を利用するのでなければ、仕込みの段取りが必要になる。厨房の構造も関係する。

とかく「進化」というと「純化」ばかりが高く評価されやすいが、この店のように雑多化ハイブリット化での進化もあるのだな。

たくさんのメニューにハヤシライスを見つけ、懐かしさもあって、これにした。かつて大衆食堂では定番のメニューだったが、かなり姿を消している。ファミレスあたりには、最初からないだろう。

ハヤシライスはカレーライスと同じぐらい人気があったのに、廃れるのが早かった。それは家庭に普及しにくかったということがあるだろう。「ハヤシライスの素」を使っても、なかなかうまくできない、というか、「わが家の味」までにはいたらず、「食堂の味」にゆずらざるをえなかった。それは、基本となるディミグラスソースが、日本の料理文化では難しかったからではないかと推測する。

ハヤシライスこそは、「昭和の味」のままといえるかもしれない。昭和の大衆食堂で定番だった、カレーライスとラーメンとハヤシライスの、平成になってからの「運命」を考えると、なんだかおもしろい。

このハヤシライスを食べて、ここのカレーライス食べてみたくなった。どちらも、味噌汁付だ。

以前この店の前は2度ほど通ったことがあるが、そのとき、「喫茶店」という印象を持ち思い込んだままだった。赤羽駅から、「朝から飲める街」を通りぬけた先にあるため、めったに前を通ることもない。そのままになっていた。

赤羽に住んでいる野暮な人から、「ダンボ、どうかね」と言われなかったら、そのままだったかもしれない。

赤羽だからね、酒の値段もリーズナブルで、昼から飲んでいる人もいる。脇では、所帯じみたおばちゃんたちが、コーヒーを何度もおかわりしながらおしゃべりに夢中だ。

東京新聞には、7月21日に掲載になった。すでに東京新聞のサイトでもご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017072102000196.html

店の外側は、いたるところメニューで一杯。

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シャンデリアもある店内は、かつての「純喫茶」仕様で、とても落ち着く。

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2017/07/19

台湾、思い出すね。

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光瀬憲子さんの『台湾グルメ350品食べ歩き事典』をいただいた。双葉文庫で三冊目。

お店のガイドではなく、台湾の人気料理や、これはというものを、事典風にまとめてある。パラパラ見ているだけでたのしい。ちょっと自分で作って見たくなるものもある。

1980年代に台湾へ行ったのを思い出し、あのときこれがあればなあと思うのだった。

「咖喱飯(ガーリーファン)」はカレーライスのことで、「懐かしい昭和カレーの味は台湾にあり」の見出しで、こう書いてある。

「日本が台湾の食文化にもたらした影響は計り知れないが、なかでも根強く台湾人の支持を集めているのがカレーライス。日本には見られなくなった昔懐かしい、マイルドな味の黄色いカレーライスに出合える。」

こういう料理についての短い解説と、「基隆の廟口夜市にあるカレーライスや、台北萬華の三水街市場に近い「阿偉正宗咖喱飯」のカレーライスは昔ながらの味を維持している。一方、日本のCoCo壱番屋などに習い、トッピングが豊富な今どきのカレーライスも増えている」と、簡単な案内がある。

おれが台湾へ行ったころは、まだ日本の大衆食堂でも、かろうじて、黄色いカレーライスを出しているところがあった。

おれが台湾へ行ったのは、80年代に3回で、1回目と2回目は仕事。某商社に依頼されての調査だったから、現地法人の日本語ペラペラの方が案内してくれた。1回目は台北中心で、2回目は台北から高尾へ飛び、高雄と台南で仕事、のち台中へ出て、鉄道で台北にもどり。というぐあいだった。いつだったか、もう正確に思い出せない。

3回目は観光で、これはいつだったかよく覚えている。45歳の夏だから、1988年8月だ。台湾から帰って丁度ひと月後に、肝炎を発症し、台湾で食べたものが疑われた。このときは、ごく代表的な観光コースで、台北から花蓮(タロコ渓谷)、高雄、日月潭、台中とまわり台北。

とにかく激しく飲み食いした。が、記憶に残った食べ物がない。ま、どこへ行っても、ガツガツ食べ、ああうまいと思うのだが、名前までシッカリ覚えようという気がない。そのときうまければよい、という感じなのだ。魯肉飯(ルーローハン)だって、横浜の中華街で食べたとき、そういえばこれ台湾で食ったなと思いだした。

おれが行ったころの台湾は、けっこう困難な時代だった。1979年、アメリカは大陸の中国と国交を結び、台湾は「中国の一部である」ということになったからだ。台湾と大陸との緊張関係は高まり、花蓮の飛行場には偽装した格納庫が並び戦闘機がいつでも発進できる体制にあったし、主な駅の待合室には軍人が武装して目を光らせているコーナーがあった。

そういうところで経済がのびのび発展するのは難しく、街は活気があったが、生活はあまり余裕があるように見えなかった。日本企業と日本人は、何ランクも上という感じで、ま、夜のクラブやキャバレーなどへ行くとすぐわかるのだが、女性を何人もはべらせご主人様顔をしていた。まだ、台湾や韓国への「買春旅行」もあったと思う。

日本との関係をうまくやらなくては、という台湾の人たちの気持ちを、何度も味わった。

夜に連れて行かれたクラブやキャバレー以外は、大きな料理店には入ったことがなく、大衆食堂のようなところや屋台ばかりだったが、そのころは台湾にカレーライスがあるのも知らなかった。

とにかく麺類や魯肉飯のようなぶっかけめし、それにスープ類が多くて気になり、そのあたりばかり食べていた。そうそう、あと果物がうまく、これは気を付けたほうがよいと言われていたのだが、うまいから夜市などでもどんどん買って食べた。

夜市といえば、高雄の夜市で、通訳の湯(トウ)さんの知り合いの年配の方と一緒になり、そのころの台湾には日本占領下の教育を受けて日本語が話せる年配の人がまだけっこういたのだが、彼が少し酒が入ったとき日本の歌をうたってくれた。これが知らない歌だったけど、すごくよくて、手帳に歌詞を書いてきたのだが、手帳をなくしてしまった。

湯さんは、鄭成功のことを熱く語ってくれた。おれは鄭成功のことを知らなかった。つまり、台湾のことも台湾と日本のこともたいして知らなかったのだ。いまだって、たいして知らない。湯さん、どうしているかな。

台湾は九州ぐらいの大きさだが、多民族社会であり多文化社会だ。先住民、本省人、外省人、客家人、それぞれの食文化がある、それらが入り混じり、さらに日本、アメリカ、タイなど東南アジア諸国の文化が交差している。

この本に登場する一品一品にその歴史と文化があり、そこを光瀬さんは上手に短い文章にまとめる。読んでいるうちに多様で重層的な文化の構造が浮かんでくる。

そういえば、台北でタクシーに乗ったら、運転していたのはフィリピン人の出稼ぎで、英語でも中国語でもOKだった。日本では考えられないことだったが、いまでも日本はまんまだな。いいのかわるいのか知らないが、日本は多文化や多様性に揉まれてないのは確かだろう。「重国籍」で騒いでいる日本、大丈夫か。

この事典に、「棺材板(グァンツァイパン)」というのがある。「シチュー入りトースト」だそうだ。

「台湾名物、シチューの入ったトースト」

「「棺材」は棺を意味する言葉。いかにも縁起が悪そうだが、見た目が似ていることからこの名がついた。分厚い食パンを四角くくり抜いて、なかにクリームシチューを入れたもの。台南以外ではほとんどお目にかかれない料理。歴史は日本時代までさかのぼる。台南には「沙卡里巴(サカリバ/盛り場の意味)と呼ばれる夜市があった。今、この場所は唐樂市場という飲食店の集まる市場になっているが、ここに「赤崁」という店がある。1940年代に戦地から戻ったご主人が小吃の店を始め、米軍の到来とともに「何か洋風のものを」と考えたのがこのパン入りシチューだ。当初は鶏レバー炒めが入っていた」

と解説にあるのだが、この四角くくり抜いたパンは揚げてある。そこにシチューを入れ、揚げた平らのパンのふたをしてあるのだ。

これは台湾式洋風か。ロシアの壺料理みたいでもあるし、おもしろい。

さまざまな文化が混じり揉みあうところに新しいタフな文化が育つ。

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