新刊。お知らせ。

001003_2発売中、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

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◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

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2019/07/18

スリリングな読書と分解脳。

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最近、スリリングな読書を楽しんでいる。

始まりは4月18日だった。見沼たんぼ農園ほかで、主には飲みながら何かとお付き合いさせてもらっている猪瀬浩平さんの新著『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院)を、大宮ジュンク堂で買い、近くのいづみや本店でビールを飲みながら読みだしたら止まらなくなり、とはいえ読み続けるわけにもいかず、家に帰ってパソコンに向かいメールを開けたら、『現代思想』の編集さんから初めてのメールで、「食の考現学」について原稿の依頼があった。

んで、何日かしたころ、以前から何かとおれのことを気にかけてくださっているようだが諸般の事情で仕事にはなっていない編集さんから、『フードスタディーズ・ガイドブック』(ナカニシヤ出版)という本に『大衆食堂の研究』が載っていますよ、というメールがあったので、早速またもや大宮ジュンク堂へ行って買い、またもやいづみや本店でビールを飲みながら『大衆食堂の研究』の評のところだけ読んだ。

その後、まずは『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』を一回読み切った。以前に、このブログにも書いたし四月と十月文庫『理解フノー』にも登場する「ダンゴムシ論」の根っこになることが書かれている。「理解フノー」の段階では「分解者=ダンゴムシ」について十分に理解してなかったところが見えて、興味深いのだけど、なかなか重い内容が含まれているから、おれのような雑な人間には十分受け止めきれた自信がない。とりあえず5月2日に、概要だけ、ツイッターで紹介した。

『フードスタディーズ・ガイドブック』のほうは、パラパラ見たら、いま読むと、これから書かなくてはならない「食の考現学」の原稿が影響を受けそうだから、原稿を書き終えてから読むことにした。原稿の締め切りは6月5日だった。それから読んだ。

『大衆食堂の研究』の評者は、藤原辰史さんだ。この方のことは、昨年夏ごろだったかな、『[決定版]ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(共和国)で知った。なんだか、すごいパワーの人があらわれたなあ、「食」に関する著者にこんな人はいなかったよ、と、ビックリボーゼンとした。いったい何者ゾと思ったのだが、そのままだった。そのうち、『トラクターの世界史』(中公新書)や『給食の歴史』など、気になるタイトルの本が並んだが、おれにはナチスのキッチンで十分だと思っていた。

しかし、『大衆食堂の研究』の評が、すごくおもしろい。とにかく、「食の話」というと「食べ物」に偏りがちだけど、藤原さんは、そうではない。

全体を見渡し、視野が広いし学識が厚いだけでなく、この人の専門は何かというぐらい、縦横無尽に越境する視線がおもしろいのだ。京都大学の教員で専門は「歴史学」のようだが、かなりジャンル横断的かつ上下縦断的に、四方八方目配りも学知も豊富で、軽やかに越境しながら真実に迫っていく。そう、そこが、スリリングなのね。越境は、スリリングだ。ハエを追いかけていたら蚊になり蚊を追いかけていたら鷲になり鷲を追いかけていたらワニになりワニを追いかけていたらバラになり…てなぐあいに世界や人間どもが見えてくる、という感じかな。

『大衆食堂の研究』について、最初の方で、こんなふうに書いている。「文章のなかに散りばめられている罵詈雑言も強烈であり、著者自身もジャンクな本でよいと考えている節があるが、そう読むだけではもったいない。そう読んでも十分に楽しめる本なのだけれども、本書の到達した食の理論から目をそらすことになる」

こうして、大衆食堂の研究に書かれた「生簀文化論」や「「ロクデナシ」の食い方」や「大衆食堂は家庭的ではない」「食の自立性」「味覚の民主化」などが料理される。

で、藤原さんの新著の『食べることはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』(農文協2019年3月)が、気になった。「食べることはどういうことか」と、真正面からの切り込みだ。ナチスのキッチンのタイトルにも、「食べること」とある。

おれは、このブログでも何度か「食べ物」と「食べること」の話の混乱についてふれてきたが、ようするに、「食べ物」の話ばかりに偏っていて、「食べること」については、あまり考えられていないのだ。

「食の話」というと、おいしい楽しい食べ物の話が好まれる風潮、それをまた押す風潮(なぜなら、食べる飲むの商売と直結する人が多いからね)。「食べること」が好きな人は「食べること」を考えるより、話題になる食べ物に群がる、という風潮が、あれやこれやのメディアと周辺にマンエンし続けている。

その兆候は、すでに『大衆食堂の研究』を書いていた1993年頃にあった。おれは、「あとがき」でこう書いている。「この本でくそまじめに食生活を考えてほしい、といったら笑われるだろうか。/でもおれはくそまじめにくうことを考えていた」

考えることはスリリングだけど、そんなスリルより、誰かさんが押す食べ物や「みんな」が話題にする食べ物を期待している人たちが大勢だ。ワタシ押す人、ボク群がる人。その立場は入れ替わりながら、消費のコンテンツは花盛りだが、「考える種」は育たない。

しかし、真正面から「食べることはどういうことか」だから、この本は買った。

京大のフジワラ先生と12歳から18歳の8名の中高生による「ゼミ」をまとめたものだ。ほかの厚くて細かい字のアカデミックな言葉の本と比べると、この本はおれのようなジジイにとっては文字も大きくなんと読みやすくわかりやすいことか。ってのは、どうでもよいことで、フジワラ先生は、生徒たちに三つの質問を発し討議する。

1、いままで食べたなかで一番おいしかったものは?
2、「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?
3、「食べること」はこれからどうなるか?

1番目は、うまいってなんだ、ってことに関わる質問ともいえる。

あいだにフジワラ先生の解説やコラムが入ったりするのだが、「対話 『食の哲学』という本をみんなで書くとしたら?」なーんてのもあって、みんなで『食の哲学』の目次までつくっちゃうのだ。

これまで、食に関心を持ったらまず読む本のオススメの決定打がなかったが、これからはこれだ。

討議のあと、フジワラ先生は、今日の議論には答えはない、「答えを探すことが目的ではなくて、みんなに「考える種をまく」というのが今日の目的だった」という。そして、「あたりまえのことを問い続けるスリリングさ」ということで、哲学ってのは無味乾燥でメンドウなものでなく、「スリリングな知的エンターテイメントなんだ」という。

なるほどね~、おれももっと見習おう。あと「身体感覚を伴う問いの大切さ」についてふれているが、おれはもともと大学で学知なるものを身につけていないこともあって、体験や体感をもとに考えるのだが、近頃は、SNSの普及もあって、とくに「身体感覚を伴う問いの大切さ」について痛感している。

『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』と『フードスタディーズ・ガイドブック』と『食べることはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』については、もっとよく読みこなしてから、このブログに紹介するツモリだ。

ところが、まだあった。

『現代思想』7月号が出来あがって、発売日は6月28日だったのだが、その前夜、編集さんが届けてくれるというので大宮で会った。ま、もちろん、いづみやへも行ったのだけどね。そのとき、フジワラ先生の新著も持って来てくださったのだ。そのタイトルが、『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』だ。

これは『現代思想』に連載のものに加筆してまとめたものだ。いただいて、パラパラ見て、おお、またもや超越境の書ではないか、それに「生産者・消費者・分解者」など、猪瀬さんの『分解者たち』と深くリンクする内容のようだ。どうやら、「分解」は、近代の桎梏を超える(分解する)何かのようで気になる、と思ったまま、トシのせいもあるだろう、越境するスリルが続くとくたびれるから、少し休もうとほってあるのだ。

いやいや、しかし、近頃めったにないオベンキョウをしている。そして、おれの脳は、ゆるやかに分解している、か。

『現代思想』の件については、すでに雑誌も出来あがり、このブログで紹介済みだ。
2019/07/02
『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-624cb2.html

『フードスタディーズ・ガイドブック』の件についても、すでにこのブログに書いている。
2019/05/13
自分の本が載っているからではない、食の「知」のための一歩、『フードスタディーズ・ガイドブック』。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-0aa567.html

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2019/07/14

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」81回目、綾瀬・味安。

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先月21日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019062102000188.html

味安へは、2017年4月に野暮な人に連れられて行った。なかなかよかったので、いつかこの連載で紹介したいと思っていた。綾瀬には、ときわ食堂もある。ここもなかなかよいわけで、こういうときは、どちらを先にするか迷うが、まずは駅から遠い方からというリクツをつけて、こちらが先になった。

 綾瀬駅から10分少々歩く距離だ。2車線だがクルマの通りの多い街道沿いにあって駐車場も備えているから、「ロードサイド型」といえなくはないが、間口はとくに広くはない。

しかし、なかに入ると、外からはうかがいしれない、入れ込みの座敷の広い店内で、たくましく飲み食いする人びとの熱気があふれているし、その人たちがお目当てにしているらしいとり唐揚げが、たくましい食欲にこたえるようにデカイ、うまい。

本文にも書いたが、これだけ広い入れ込みの座敷の食堂は、いまでは珍しい。座敷に腰をおろしあぐらを組んだり膝を崩したりすると、なんだかチマチマした抑圧から解放されたくつろいだ気分になるのだろう、周囲の目など気にすることなく、みんな素のままのエネルギーを発散させている。ああ、いいねえ、これだよコレ。

と、一人だからカウンターに座って、とり唐揚げ定食食べたいけど、近頃トシのせいか食が細っているから食べられるかなあと思案したのは一瞬で、空間にあふれる食欲に押されるように注文してしまっていた。

となりにおれより少し若い70歳ぐらいの男性が座った。お店の方の対応からすると常連さんのようだった。かれも、とり唐揚げ定食を頼んだ。かれは、定食が出てくると、まず、小鉢のひじき煮を丼めしにかけて、軽くまぜながら食べ始めた。手慣れたものだった。

なるほど~。そういえば、家じゃ、めしに納豆とひじきやきんぴらをのっけているのにと、思い出した。とり唐揚げに限らず、刺身や焼魚なども盛りがよいし、それに付いてくる、このひじき煮と漬物の小鉢が、けっこう量がある。おれは食べあぐね、しまいには丼めしが空になったあとも残ってしまい、これだけをせっせと食べていたのだ。バランスの悪いこと。70年以上も生きて、まだまだおれはダメだなあ。

それはともかく、綾瀬は、なかなかザラッとした猥雑味があって興味深い街だと、あらためて思った。以前は、たまに飲みに行ったのだが、よく感じとっていなかったようだ。綾瀬は足立区の南の端で、葛飾区と隣接しているわけだけど、足立の独自性が色濃いように思う。とにかく、おもしろい。だけど、もう足しげく通う元気がない。

そうそう味安さんに確認したいことがあって店へ電話をしたら、「本部へ」といわれ電話番号を教えてくれた。「本部」があるとは意外だったが、小さいながらもほかの飲食店や中古車センターなども手掛ける、地場の企業グループなのだ。地場の味わいが出ている。

当ブログ関連
2017/04/16
30年前のままの駅前酒場@綾瀬の短冊メニュー。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/30-2672.html

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2019/07/02

『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。

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去る6月28日発売の『現代思想』7月号は、「考現学とはなにか」という特集だ。

『現代思想』なんて、学者や研究者が、なんだか小難しそうなことを書いているぐらいのイメージしかなく、10年に1冊ぐらいしか買ったことも読んだこともない雑誌だった。

そういう雑誌の編集さんから、突然メールで原稿の依頼があったのは、4月の中頃だった。考現学特集をやるから、「食の考現学」ということで書いてもらえないかということだった。

え~、おれ、考現学なんか関係ないよ、だいたい「学」なんか縁がないし~と思ったが、編集さんは、おれの仕事を一ファンとして読んでいるというし(社交辞令だったかもしれないが)、大衆食を食べ歩き、採集し、歴史とも関連させていく試みは考現学を思想としてとらえていく方向性ともリンクしているかと考えているとかおっしゃるし、必ずしも今和次郎に言及する必要もなく「遠藤さま流の考現学的なるものを」というし、締め切りまでは一か月以上あるし、じゃあやってみるかという気になってしまった。

最初は、よーし、どうせやるなら「食の考現学」を真正面から論考してみようじゃないかと書きだしたが、たちまち自分の知識の無さに死にそうになり降参、エッセイに切り替え、おれ流の「おれの「食の考現学」」にしたら、割とスラスラ書けた。

これで考現学とリンクしているのかどうか判断がつかないほど、考現学については知識もなく、編集さんに原稿を送ったら、よろこんでもらえた。

まるで暗闇で鼻をつままれた感じだったが、掲載誌をいただいて見たら、諸先生方にまじって、それなりにうまいこと収まっているし、諸先生方が書いたものがすごくおもしろい。そうか、考現学とは、いま、こういうものかと、ガゼン興味がわいたのだった。

何度かこのブログでもふれてきたが、「食」をめっぐては、その言説も含め、ここ十年間ぐらい大きな変化の中にあると感じている。自分の仕事をふりかえりながら、自分の仕事と「食」の「いま」を考える、いい機会になった。

おれの文章は、「はじまり」「「食」と「考現学」の出あい」「料理は生活だ」「大衆食堂のメニューを集める、考える」「主張する個と生活」になっている。

実際のところ、とくにSNSの普及で、「主張する個と生活」は、すごいおもしろいことになっているが、いつものことで計画的に割り振って書いていないから、最後に簡単にまとめ的に書いただけになってしまった。さらに最後は、アジテーションみたいになっている。

とりあえず、そういうことです。

この特集のサブタイトルは、「今和次郎から路上観察学、そして<暮らし>の時代へ」になっている。そう、<暮らし>をめぐって、これからもっといろいろあると思う。目が離せない。

詳しい目次は、こちら青土社のサイトで。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3308

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