新刊。お知らせ。

001003_2発売中、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

◆HP「ザ大衆食」はこちら…クリック地獄

◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄

◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄 004005

◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄

◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

通常のエントリーは、この下↓からになります。

|

2020/01/22

元旦、西日本新聞、北九州食堂物語のスタート。

Cimg4898

2019/12/02
5年ぶりの北九州。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/12/post-6d6cf4.html

に書いた、昨年11月28日29日の北九州は、このためだった。

元旦の西日本新聞に、カラー見開きで「北九州食堂物語」が載っている。これは、3日から始まる連載「北九州食堂物語」の一回目。その左端に「遠藤哲夫さんと食べ歩き」の記事があり、おれが登場しているというわけなのだ。

「西日本新聞北九州本社です。北九州市の食堂にまつわる記事を発信したく考えております。その取材過程で、遠藤哲夫様の著書を読み大変感動しました」という連絡をいただいたのは、11月13日のことだった。

北九州市のPR誌『雲のうえ』5号「食堂特集」は、もう10年以上前のこと、2007年10月の発行で、おれは文を担当しているのだが、それをご覧になった記者さんから。

連載のスタートにあたっておれに登場してほしい、ついては北九州に来て、一緒に食堂をまわってもらえないかと。

最終的に、『雲のうえ』に掲載の食堂の中から、北九州の食堂の特徴を語りやすい「まんなおし食堂」と「赤ちゃん食堂」選び、それに、気になっていた若い人が始めた新しい「水玉食堂」を訪ねることにして出かけたのだった。

おれは食べ飲み、しゃべるだけ。記事は、担当の27歳の記者の方が書いてくれた。

まんなおし食堂も赤ちゃん食堂も、まったく変わることなく健在だ。水玉食堂には、若い力の可能性を感じた。変わらない力、変わる力、どちらも必要なのだ。

カンジンの「食堂物語」は、黒崎の「エビス屋昼夜食堂」が大きく載っている。かつて労働者の街として繁栄した黒崎、24時間営業の背景には三交代勤務が普通だった街の歴史がある。いまでは、寂しすぎるほど衰退しているが、街が終わっているわけではない。そこには働き生きる人びとがいるし、24時間営業の食堂も続いている。

24時間のルポ。テレビなら「密着ルポ」とか大げさに打ち出すだろう。時間帯によって、お客さんが変わる。お客さんが語る言葉から、この街や人びとの暮らしと歴史が浮かび上がる。

ひとや何かを指して「おわった」「おわっている」などと簡単に決めつけて、何者かになったつもりらしい評論家的な傾向があるが、たいがい光のあてかたが間違っているのだ。モノゴトを見えなくするだけだ。

むしろ、そこに一人でも生きている人がいるかぎり、何もおわってはいないという視点が必要なのではないか。そのことで、見方や考え方が磨かれ、可能性が開ける。

ネタになりにくい、「とるに足らない」とされた存在。いつもは新聞や雑誌などで話題にされることがない「地味な存在」。話題になるときはエンターテイメントな消費か負の語りにしかならない、そういうふうにパターンにはめられ色付けされてしまった。しかしそれですましてはいけない街や人びとの生きる姿が、ここにはある。

「食べること」から見える真実。

若い記者の取り組みに、大いに期待。

|

2020/01/19

守り。

一昨日17日の金曜日は、今年初めて東京へ行った。石田千さんと牧野伊三夫さんのトークのために、10年に一度行くか行かないかの神田の東京堂書店へ行ったのだ。

『窓辺のこと』(港の人)の出版記念トークで、石田千さんが著者で牧野伊三夫さんが表紙の絵と挿画を担当している。会場には来ていなかったが、有山達也さんが装幀で、港の人の上野さんが最後のあいさつで言っていったように、3人の友情が詰まった本ということだ。本は会場で買った。

都内へ行くのは億劫になっているし、おれは文学だの文芸だのという場に馴染みがないし(東京堂書店も敷居が高くて近寄りがたい)、パスしようかなと思っていたのだが、昨年末のHBギャラリーでの牧野さんの個展のとき、上野さんが(参加者が集まるかどうか不安らしく)心細そうに何度も「来てね、来てね」というもので、ま、数のうちと思って参加した。

19時からだったが、どうせ東京へ行くのだからと、アメ横で立ち飲みを二軒はしご。冷え込んでいたので、二軒目で熱燗コップで二杯も飲んでしまって、すっかりいい気分で会場に着いた。

トークのあとは、アンチヘブリガンで打ち上げ。千さん差し入れの「菊姫」がうまく飲みすぎ、かなりひさしぶりで終電にギリギリ間に合って帰って来た。

そーいうことをしてしまったので、昨日はグッタリ。はあ、トシだねえ。今日は、今年一回目のわめぞみちくさ市で、行くつもりでいたのだが、疲れがとれず、パスしてしまった。情けねえ~。そういう「守り」の日々が多くなるのだろう。

|

2020/01/17

この世にいるついでに、メシを食っている。

拙著『ぶっかけめしの悦楽』と『汁かけめし快食學』の表紙と本文扉のイラストを描いていただいている、東陽片岡さんの漫画は、おれの愛読書であり数少ない教養書だ。ときどき書棚からテキトーに取り出して読んでいる。

繰り返し読んでいると、以前は読み過ごしていた、なかなか含蓄のあるフレーズに気が付き、そこから想像が広がることがある。

たとえば、これだ。

「この世にいるついでに、メシを食っているような奴だからな」

これは、お東陽片岡先生6年ぶりの新刊『ワシらにも愛をくだせぇ~っ!!』(青林堂工藝舎2018年9月)の、「お茶漬けメイトのブルース」にある。

万年アルバイトの山下則夫の勤め先、しがない零細企業の小口製本の面々が、社長のおごりで生まれて初めてかもしれない一生に一度かもしれない特上カルビを食っている。(おれはまだ特上カルビというものを食べたことがないのだが。誰か、おごってくれ~)

その場に山下はいない。一人の男が「俺たち社員だけが、こうして特上カルビにありつけてだ。/さすらいのアルバイターの山下さんは、家でお茶漬けって訳ですよ」という。社長は「いやいや、彼も誘うと思ったんだけど、もう帰っちゃった後だったんだ」と。

女がいう「山下さん、料金滞納で電気止められてるらしいわよ。/毎日暗い部屋に一人で、かわいそうね」。社長「彼は酒もバクチもやらないし、経済的な人間なんだけどねぇ」男「まったくソープぐせさえなけりゃ、家の一軒も買えてるよ」と、あれやこれやの山下や貧乏をめぐる話の後、女が「山下さん、今頃暗い部屋でお茶漬けすすってるのかしらね?」というと、男が、こういうのだ。

「大丈夫だよあいつは。この世にいるついでに、メシを食ってるような奴だから」

月に一度のソープランド以外はお茶漬けとオナニーの毎日で、その「ブレのなさは、政治家も見習うべきだよな」というものだが、社長は「結局山下君はさ、山下君なりに幸せなんだね、きっと」

幸福感は相対的なものだという真理に到達する。「食べる」から得られる幸福感も、そういうものなのだ。「この世にいるついでに、めしを食っている」というのは、なかなか深い。

この世に生まれたついでに生き、生きているついでにメシを食う、というのは人生の基層をなすのではないか。

そして、そこにとどまる人もいれば、どうせ食うなら、自分で好きなものをつくろうとか、自分なりに楽しい何か工夫をしてみようとか、いろいろな展開につながる人もいるだろう。

だけど、あくまでも、どうせ生まれたついで、「この世にいるついで」なのだ。それぐらいがよい。しかし、それが、さまざまな教育や知識によって、ゆがむ現実がある。

ほかの人よりうまいもの、とか、ほかの人よりいいもの、とか、究極だのなんだのかんだの序列をつけ上に立とうとしたり、たかが飲食のことでえらそうにしたり、バカにしたり、人間や人種に優劣をつけたり、おかしくなる。

いまや飲食の話があふれているけど、たかが食べ物のことです、この世にいるついでです、自分なりに楽しめばよい、という思想になかなか立てない人も少なくないようだ。

それはまあ、「競争社会」に飼いならされた結果であるのだろうけど、東陽片岡さんの漫画は、そういうことに対する批評でもあり、教養になるのだな。

おれは「ザ大衆食」のホームページに、「気取るな、力強くめしを食え!」と共に、「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」というオコトバを掲げているのだが、「この世にいるついでに、メシを食っている」という思想に通じるものがあると思ったのだった。


当ブログ関連
2018/10/09
ワシらにも愛をくだせぇ~っ!!
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/10/post-0e61.html

|

«小正月。出足不調?