新刊。お知らせ。

001003_210月3日新発売、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

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◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

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2018/02/20

「作品」という「症例」。

「作品」のことを「症例」といったのは、たしかナンシー関だったと思う。

あるいは「作品」を「症例」として見ることについてだったかも知れないが。

とくにエッセイや批評のたぐいは、症例として見た方が、はるかに理解がすすむような気がする。

小説もそうだな。

論文や論評や論考のたぐいは、もう症例そのものだ。

「作品」だとエラそうにしている「作品」などは、「症例」そのものだ。

人間のなすこと、すべて「症例」として見た方がわかりやすい。

もちろん、このブログに書いていることは、すべて「症例」だ。

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2018/02/18

「右と左」。

昨日「いまの日本じゃ「おれはおれでちゃんとやってきた」ぐらいじゃ、評価されないのさ」と書いたが、正確にいえば、「おれはおれでちゃんとやってきた」を評価する力があまり育っていないというのが、より現実に近いと思う。

全体的包括的視野と分析力に関わることだろうが、根底には消費主義に侵された消費文化の存在があり、権勢力のある消費主義的な言説に左右されやすい状態が続いていることが関係している、と、おれは「分析的」に考えている。

消費主義は、より高い意識の「正」の方を向いているだけで、「正」と表裏の関係にある「負」は、見ようとしない、視野に入れないか、否定や排除だ。

東電原発事故に端を発した「放射能と食」をめぐる動きや発言を眺めていて、ますますそういう考えを強くしている。

いま「放射能と食」をめぐる問題を考えるとき、1980年代からの消費主義の浸透がどういうものだったかは、一つの視点として必要だと思う。

自殺者まで出した「鳥インフル騒動」はなんだったのか、それから「BSE騒動」など、そこにある流れが「放射能問題」にもつながっている。と見るのは、食文化の視点からは、必要なことだろう。

それから、飲食をめぐる、消費文化の視点、生産文化(流通も含め)の視点、生活文化の視点を考えると、なんにつけ、消費文化の視点と生産文化の視点に傾斜しすぎているように思う。

ということではなかった、今日のタイトルは。

「右と左」というのは、四月と十月文庫『理解フノー』のなかにもあるタイトルだが、「放射能と食」をめぐっても、「右と左」というぐあいにわけて見る傾向が強い。それを「切り口」に全体像を探ろうということならまだしも、「放射能」や「食」を政治的なレイヤーで見て、そこで激突している。

ややこしいことに、そこに「右でも左でもない」という、もう一つの「正しい極論」が存在する。「右でも左でもない」ということで、自分は客観的で正しいとする。

しかし、現代において、「右と左」に分別して見ることに、どれほどの意味があるだろう。

もともと、「右翼」とか「左翼」とか「中道」とかは観念的な分類にすぎない。

そもそも、「右」を理解しているのか、「左」を理解しているのか。「中立」や「客観」ってなんだ。

だいたい、「放射能と食」は、政治的なレイヤーだけの問題じゃないだろう。

これだけ飲食の話があふれているのに。

今日のかんじんなことは、これだ。

五十嵐泰正さんの新刊が、中公新書から発売になる。『原発事故と「食」 市場・コミュニケーション・差別』。

去年、いつだったかな、お会いしたときに、いろいろ話を聞いて、おもしろそう~と思っていた。

中公新書の案内によれば。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/02/102474.html

農水産物の一大供給地であった福島は、3・11以後、現在にいたるまで、「デマ」や風評が飛び交い、苦しい状況に追い込まれている。一方で、原発事故と震災の忘却は着実に進行している。本書は、流通や市場の課題、消費者とのコミュニケーション、差別の問題などから、「食」について多面的に論じる。「食」を通して、あの事故がもたらした分断を乗り越えられるのか――。これからの社会を考える試み。

ということだ。

2月22日発売。

大いに期待。


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2018/02/17

おれはおれでちゃんとやってきた。

「おれはおれでちゃんとやってきた。仕事のことだがな」
酒場のあるじがいうのだ。
「ここにはここの商売のやり方があるのさ。東京の一等地で成功しているからといって、ここでうまくやれるとはかぎらないぜ。商売ってのは、そういうもんだろ」

彼は、ある雑誌の記事が気にくわない。
「ここらあたりじゃ、仕入れられるものも限られる。赤字になるほど金を出せば別だが、それは商売とはいわないだろ。商売度外視で、いいものだけ仕入れるなんてありえないよ。そうだろ。商売度外視でいいものを仕入れるのが職人魂だなんて、どこの世界のことだい。その職人魂より、うちは悪い商売をしているというのかい」

「だいたいさ、どこどこのだれそれさんが作った材料を使っていれば、うまくて良心的で真面目な店だってことは、普通に流通しているものを使っている店の立場は、どうなるの。ダメな店か。そういうことだろ」

いや、そういうことじゃないと思うが、そういう風潮もあるな、いまの日本じゃ「おれはおれでちゃんとやってきた」ぐらいじゃ、評価されないのさ。おれはそう思いながら、黙って聞いていた。

自分の書いているものは、どうだろうか、と考えた。

ときどき、同じような場面にぶつかる。

「うちには、何もないよ」

半世紀も飲食店を続けてきた彼がそう思うようになったのは、なぜか考える。

メディアとそれに関わる者の責任が少なからずあるだろう。

おれはおれでちゃんとやってきたささやかな人生を「何もないよ」にしてしまう驕りがないとはいえない。

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