新刊。お知らせ。

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

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◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆『大衆食堂パラダイス!』ちくま文庫も、よろしく~。…クリック地獄
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◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

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2016/07/30

東京新聞「大衆食堂ランチ」45回目、ときわ台・キッチン ときわ。

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梅雨が明けて暑さが厳しいけど、梅雨の最中も何度か暑い日があった。ときわ台の「キッチン ときわ」へ行ったのは、7月6日、暑い日だった。

ときわ台は、ひさしぶりだった。かれこれ20年前ぐらいになるか、知人がときわ台駅北口から10分ほどのところにあるマンションに住んでいて、そこにおれの荷物を預かってもらっていたから、ときどき訪ねることがあった。

なので、この食堂や、SB通り(昔からカレーのSBの工場があったので、こう呼ばれているらしい)にあった大衆食堂(すでにない)のことは、入ったことはなかったが、存在は知っていた。

ときわ台は、庶民のイメージの板橋にありながら、「北の田園調布」といわれたりするらしい。北口の改札を出ると、木の茂る植え込みがあるロータリーから、放射状に道路がのびているからだろうか。

ただ、田園調布の駅は高台の底のほうにあり、放射状の道路は高台へ向かって登っているが、こちらは駅が高台にあり、駅近くの「キッチン ときわ」の前の道路は、しだいにSB通りへ向かって下り坂になっている。

この地形が、「キッチン ときわ」やSB通りの大衆食堂の、かつての繁盛と大いに関係があったと見ることができる。つまり、ときわ台駅がある台地から下ったほうには工場がたくさんあり、そこの労働者が、出前を含め、多く利用していたからだ。

ご多分にもれず、宅地化が進み工場はマンションになり、ときわ台は、落ち着いた住宅街の雰囲気になった。

003001キッチンときわは、1962年に、当時新築のこの建物で始まった。1962年は、おれが上京した年だ。店主夫妻は、新婚でここを始めたのだから、もちろんおれより年上になる。

笹塚の常盤食堂は、たしか1964年に建て替えだけど、ここの建物と外観の仕上げが似通っている。当時、流行りだったらしい。その比較は、そのうち写真でやってみたい。常盤食堂は和風を基本にしているが、こちらは、「洋食・中華・喫茶」の店という違いが、建物にもある。

サンプルショーウインドーまわりなどは、なにもかも手仕事だった時代の、あのころの特徴を、切ないぐらいよく残している。しかも、よく手入れして、使い込んでいる。店内の天井は高いし、とても落ち着くのだ。

当時のこういう食堂では、喫茶メニューのコーヒー(インスタントが普通だった)やコカコーラが、ハイカラ気分を盛り上げていた。この店でも、たぶんそうだったのではないかと想像した。

それはともかく、この日は、暑かったこともあり、また外のサインボードに書かれた「当店人気自家製スープ 冷し中華ソバ」が、その文字のシッカリぐあいからして気になったので、これを注文した。

すでに、東京新聞のサイトに本文が掲載になっているので、こちらからご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016071502000154.html

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2016/07/24

新潟日報、獅子文六と枝豆。

001とりあえずビールと枝豆、という季節ですなあ。

7月18日の新潟日報が届いた。「にいがた食ひと紀行」の26回目が「獅子文六と枝豆」なのだ。少し前に、担当の文化部の記者の方が、取材で東京に来られたときに会った。おれが獅子文六の『食味歳時記』(中公文庫)の解説を書いている関係で、獅子文六のことや枝豆のことなどを話した。そのときのおれのコメントがちょっとだけ載っている。

「にいがた食ひと紀行」は、新潟日報メディアシップ5階にあるという「にいがた文化の記憶館」と連携した企画らしいが、新潟の食とゆかりのある著名人のエピソードや著作などをもとに、そのひとと新潟の食を紹介している。大活字の全5段を使った、いい企画。

『食味歳時記』では、9月にあたる「今朝の秋」に枝豆が登場する。獅子文六も枝豆は夏のものだと思っていたし、東京あたりではそう思っている人が多いだろうけど、ちがうのだ。6月ぐらいからわせが始まり、これから9月中頃までが、いわゆる「旬」なのだ。

獅子文六は、「関東産の枝豆を、美味なものと、思ってたが、近年になって、その誤りを知った。/枝豆は、越後とか、庄内平野のものが、ウマいのである」「新潟のも、酒田のも、実がマルマルと肥えて、見るからに立派だったが、食べる時に、オナラの臭いがするのも、同一だった。最初は辟易したが、そんな臭いがすることが、豆の味のウマさと、密接な関係があるらしく、しまいには、それが魅力となった」と書いている。

「オナラの臭いがする」には、オナラだっていろいろな臭いがあるから見当がつかないが、とくに茹でたては独特の臭いがするのは確かだ。

これは、山形産の「だだ茶豆」で有名になった茶豆の種類らしいのだが、新潟でも庄内と同じ茶豆を作っているし、味も甲乙つけがたい。記事によれば、新潟市西区黒埼地区のものが「黒埼茶豆」として、よろこばれ賞味されているとか。その生産者も取材している。「茶豆の里」というJA越後中央の農産物直売所もある。

山形の庄内というと酒田や鶴岡が中心だが、そこの「だだ茶豆」と「黒埼茶豆」のつながりを追いかけたのち、最後にこう書いている。

「つながりが深い「黒埼茶豆」と「だだ茶豆」だが、山形大学農学部の江頭宏昌教授(51)は「鶴岡は間食文化。女性や子供が小腹を満たすのに、甘みが強いものが好まれる。新潟の人たちは酒のあて。甘みより、うまみ重視する」と説明、風土や食文化が品種改良に反映されているのが興味深い」

ほんと、なかなか興味深い。

ってことは、酒のつまみには新潟の茶豆のほうがよさそうだが、新潟県人も大人にかぎらず枝豆をよく食べる。関東とは一度に食べる量からしてちがう。どこの家でも、ザルに山盛り茹で、大量に食うのだ。「酒のつまみ」といった優雅な食べ方ではない。おれが子供の頃からそうだったが、いまでも変わらないらしい。

じつは、新潟県は枝豆の作付面積は全国一なのだが、出荷量の順位は下がるのは、県内消費が多いからだ。県民の経済や文化などの「格差」に関係なく、枝豆の季節になると県民こぞって賞味するのは、食文化としては素晴らしいことだ。作付面積全国一と共に、「枝豆王国」は、虚構ではない。

しかし、食文化としては豊かで素晴らしいが自家消費は「経済」にならない。そこが悩ましいところだ。

この記事は文化のことなので、経済にはふれてないが、いまや東京市場でブランドになれるかどうかによって、地方の「経済」は左右される。そして、東京市場でブランドになることは、選択肢の多い東京人の消費の気まぐれに左右されながら、地元の消費が流通量や値段などで圧迫を受ける関係にもなるのだ。つまり地域の食文化は面倒を抱えることになる。それで地域の食文化が危機に瀕したり、変わる例もある。そのへんは、なんでもいいものは東京に集まるのがトウゼンと思っている東京人階層は気づきにくい大きな矛盾だろう。

それはともかく、この記事の冒頭に、獅子文六の息子さんが登場する。文六が還暦の年に生まれ、16歳で死別、現在62歳だ。記者はその方まで取材している。おれはその帰りに、大宮で会った。

一地方紙、がんばっている、なかなかの力作。

当ブログ関連。
2016/04/21
解説を書いた獅子文六『食味歳時記』中公文庫復刊が今日から発売。

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2016/07/18

日本の変わり目。

酒と肝臓のことを考えているうちに、昨日書いたような、身体や健康やバランスのことを考えることになり、今日は日本の変わり目と身体や健康や病気のことを考えるようになった。

体験的にふりかえってみると、戦後から高度経済成長期の入口ぐらいまで、ま、感じとしては1955年ぐらいまでは、社会が病気や病人を抱えているのは普通という状態だったと思う。人間あるいは人間の社会は、病いを抱えて生きているものだという認識があった。

それが高度経済成長期を通じて変わっていった。これが最初の変わり目。

つまり病気や病人がマイナスの存在であるという認識が、この時期に広がった。それは、片方に生産に貢献するほどよい人間という、これは以前からあった考えだろうけど、とくに戦後の時代にはそれほど支配的ではなかったものが、表に出てきた感じと言えるか。

「能率」という言葉がはやり、やがてどれだけの技術や能力を持ち、どれだけの経済効果を産み出したかで人間がはかられるのが普通、という認識がマンエンした。

そして高度経済成長期が終わると、消費が経済成長に貢献するものになり、生産だけでなく消費の面でも優れているかどうかが問われることになった。

これは、経済効果で人間をはかる延長線だろうけど、優れた消費者としての感性やら知識やらがチヤホヤされる状態が生まれたという意味で、文化的には大きな変わり目だったといえるだろう。

生産にどれだけ貢献するかというなかでは、病気や病人はマイナスだったが、消費の面から見ると、必ずしもそうではない。そういうことで、健康増進法まで突き進んだ。このあたりが次の変わり目か。

では、人間あるいは人間の社会は、病いを抱えて生きているものだという認識があるかというと、そうではない。

優れていなくてはならない、健康でなくてはならない、病気はマイナス、さまざまな意味で劣っているのはマイナス、という認識のうえに健康増進法は成り立っているのだ。

ってことで、時間がなくなったので、ここまで。

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