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2019/08/23

薄気味悪い「距離感」と「大人」。

なにかというと「大人」をつけたがる傾向は、あいかわらずのようだ。このあいだ上野駅で時間つぶしに本屋に入って見たら、本のタイトルにも雑誌の見出しにも、「大人のナントカ」とあるのが、簡単にいくつも目にとまった。

「大人のナントカ」という言い方が、プラスイメージで流行るようになったのは、いつごろからだったか、チョイと遡って調べてみた。といっても、そんなに真剣に調べてみたわけではないのだが、1995年発行の拙著『大衆食堂の研究』では、「自立編※食堂利用の心得の条 オトナの道」という章をたて、けっこう書いている。そこに「オトナ」とカタカナにしたのは、当時、すでに「大人」が流行っていて、それがけっこうオカシイものだったので、「大人」に揶揄をこめて「オトナ」にしたのだった。

おれの記憶では、「大人」が流行り始めたのはバブル後期のような気がするので、その頃を調べている。

いまのところ「ここからだ」という感じのことは見つかってない。

ただ、1990年に、永谷園の「おとなのふりかけ」がヒットしている。

あてにならないウィキペディアによると、1989年10月に販売されたもので、「当時のふりかけ消費者が12歳を境に急激に減少するというデータをヒントとして、大人にも満足できるふりかけをというコンセプトのもとに開発された商品」だそうで、「1991年(平成3年)には日本食糧新聞社が主催する「食品ヒット大賞」の優秀ヒット賞を受賞」するなどして、ロングセラー商品となった。

この「おとな」は、ちゃんと「こども」に対してのもので、「おとなのおもちゃ」という表現と同種のものだから、それほどおかしなものじゃない。

ただ、何かヒットすると、われもわれもと群がる子供っぽい大人が多いのも事実で、これが流行をプッシュした可能性がある。

おれの記憶にある、おかしな「大人」のブームは、そんなの何もわざわざ「大人」を強調することではなく「大人」のことだろ、というものにわざわざ「大人」をつけ、こういうことをやるのが大人だ、こういうものをもつのが大人だ、こういうよさがわかるのが大人だ、という感じで、たとえば「大人のワイン」とか、バブルで盛り上がった、とてもスノッブな傾向に「大人」をつけた感じだった。

いずれにしても、それらは「大人感」のある消費のことで、たいがい「高級」や「高感度」といったイメージの消費につながっていた。それまでは儲からないといわれていた、文化や芸術などが、その重要なアイテムになった。つまり、スノッブな文化や芸術の香りと高級感を手にすることが、「大人感」だったといえる。

「大人の自立」とは何も関係なく、かえって、これを持っているから大人、こんなことをしているから大人といった、幼稚な権威主義が見られるだけだった。いろいろなモノやコトが、「大人」がつくことで、大人ブランド化した。

そこで、おれは、1980年代以後の消費社会の消費に溺れ、自立を忘れた大人に向かって、「自立編※食堂利用の心得の条 オトナの道」では、自立のための「オトナへの三段階」を書いたのだった。

しかし、ますます、幼稚な大人がはびこった。幼稚な大人がはびこりやすい社会になったというべきか。業的能力と消費能力だけが評価されるようになり、自立の理論や思想や方法などは、どうでもよくなった。

そして、ついに、自立をリードする立場のはずの、政界から報道界から言論文学界からあらゆる分野、その中心は、大人げない幼稚なふるまいと言動ばかりしている人たちがあふれるようになったのだった。いいトシこいた大人が、もう、目も当てられないが、これがもたらしたカオスとアナーキーな状況は、おれは嫌いじゃない。

とはいえ、これはまあ、大人の自立として公共性を担保する能力が問われなくなった社会の、「現代の大人の怪談」ですな。

その怪談が、ますます気味悪く面白くなってきたのは、「大人の距離感」なーんていう言い方が、なんの疑問符もつかないまま、大人の皆さまの世界で普通に使われていることだ。そう、彼ら大人は、いまや、これが大人の距離感というものだよね、うんうんとうなずきあい大人ごっこをしている。距離感というけど仲間内ではベタベタの、「なかよし」だけに通じる、とても微笑ましい大人の関係だ。

それで近頃気になる「距離感」という言葉の使い方や、その態度あるいは思想?のことを書きたかったのだが、用ができたので、またの機会にする。

公共性を担保することを考えない大人たちの「距離感」とは、なんなのだあ。

これは、いうまでもなく、めしの食い方に関係するのだ。

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2019/08/22

来週27日オープン、有山達也展「音のかたち」、面白そ~。

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このあいだ、有山達也さんから展覧会のDMが届いたのだけど、こういう封筒の使い方は初めて見た。表側に告知のデザイン、裏側に宛名と切手とメッセージ。へえ~、こういうやり方もあるんだ。同じ82円。

この有山さんのデザイン、フライヤーも含め、いつものコマーシャルベースのデザインとチョイとちがって、いい。なんていうのかな、「猥雑感」「猥雑味」があるというか。こういうデザインを、おれは「生成系」に対して「分解系」と呼ぼうかなと思っている。(目下、藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社)の影響を受けまくっているからね)

有山さん東京初の個展だそうだ。

有山さんは、去年発売の齋藤圭吾さんがレコードの溝と針などを撮った写真集『針と溝』(本の雑誌社)のデザインを担当したし、かなりのレコード&ヴィンテージオーディオマニアで、かつ最近はどうかな?やっているのかな?バンドを組んでライブもしていた、「音好き」「音楽好き」。

ってこともあってか「音」がテーマの個展だ。

「今回の展覧会で有山は、齋藤との協働による、『針と溝』の世界をさらに進化させたヴィジュアル表現や、レコードの音を作り出すカッティングエンジニアやオーディオ機器を作っている人たちへの取材を通し、「音」の可視化に取り組みます」とのこと。

8月27日からの一か月近い会期のあいだに、トークイベントも3回ほどあり、前回おれも行った、斎藤圭吾さんの『針と溝』展のとき行われた、有山&齋藤の「針と溝をとっかえひっ会」のPart2もある。これは楽しみだ。

『針と溝』といい、「音」の可視化、面白い。

新宿ベルクの副店長、迫川尚子をインタビューした『味の形』(ferment books)という本があるけど、味にも形がある(と、迫川さんは言う)。

そのうち、「味」と「音」が「形」でつながることを、おれは夢見ている。近年のカレーブームとロックのあたりを眺めていると、そんなに夢ではないかも知れない。

「音のかたち」展の詳しい案内は、こちら。
http://rcc.recruit.co.jp/…/exhibition/201908-3/201908-3.html

 

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2019/08/21

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」82回目、立川市・ふじみ食堂

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先月19日掲載の分。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019071902000187.html

今回は、この連載では初めての「ロードサイド型」の食堂だ。それに、立川市の食堂も初めてだし、さらにJR立川駅から多摩モノレール(は乗ったことがあるけど)柴崎体育館駅に降りるのも初めてだ。まったく土地勘のない郊外。

ここを教えてくれた知人は、以前日野市に住んでいて、ときどきクルマで新奥多摩街道を走ったときに寄っていたそうだが、徒歩だとけっこう歩く。もともと「ロードサイド型」というのは、クルマの客が中心の立地であり店舗だから、当然のことだ。

「ロードサイド型」というのは、あまり一般的な用語ではなく、マーケティング屋などが使っていた呼称だと思う。だいたい「立地」をさしていた。

一般的には「ドライブイン」と呼ばれる業態があって、その定義があるわけではないが、ロードサイドでも、店舗の間口が広く、敷地も広く、大型のトラックやバスなども駐車できるスペースがあるイメージだ。

ふじみ食堂のばあい、駐車スペースが乗用車10台分ぐらいが線引きしてあって、大型トラックやバスは止まれない。なので、「ロードサイド型」の食堂と書いた。

しかも、この食堂の周辺だけは、大きなマンションや団地それにスーパーなど建ち並び、駅からの途中の荒っぽい景色と比べ、整った住宅地の「町」のカタチを成しているのだ。近隣の客も多いのだろう、メニューは酒とつまみも充実していた。中華と洋食が中心の食堂で、ガッチリ食べたい客が多いのか、800円台のセットメニューが豊富だった。こざっぱりとした味付けで、ラーメンも食べてみたくなったが、簡単には行けない。

というわけで、駐車場完備以外は、とくに「ロードサイド型」の特徴はない。1965年頃の開店だから、モータリゼーション真っ盛りが進行中であり、鉄とコンクリートの「都市化」のため、東京郊外の幹線道路は建築関係のトラックなどが横行していた時期だ。まもなく「ニューファミリー」市場が成長し、ドライブがレジャーの憧れのアイテムになる。人びとの移動も鉄道からクルマへシフト、郊外の「都市化」がすすみ人口が増える。そういう波の中で、さまざまな「ロードサイド・ビジネス」が成長した。

ふじみ食堂までの新奥多摩街道沿いには、大小さまざまなロードサイド・ビジネスが見られ雑然とした荒っぽい景色をつくっていたが、「マッサージ店」まであって驚いた。

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