新刊。お知らせ。

001003_2発売中、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

◆HP「ザ大衆食」はこちら…クリック地獄
◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

通常のエントリーは、この下↓からになります。

|

2019/03/20

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」77回目、佐竹・武井。

20190215

先月の第3金曜日、15日に掲載の分だ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019021502000192.html

Dscn9971 武井のある場所は、住所表示では台東区の「台東」だが、最近は御徒町地域に含まれることが多いようだ。かつては、というのは80年代ぐらいまでか、このあたりは「佐竹」で通じた。70年代が絶好調だったのではないかと記憶するが、賑わっていた「佐竹商店街」が、このあたりの地名を代表していたのだろう。都電が廃止されるまでは、清洲橋通りに「竹町」という停留所があって、土地のひとは、その「竹町」を、このあたりの呼び名にしていたらしい。伊東四朗が竹町の出身といういわれかたをする「竹町」はこのあたりのことだ。

 おれの記憶では、そういうこと。

とにかく、都電が廃止されても、まだ賑やかだった70年代、JR御徒町駅から徒歩10分ぐらいの佐竹商店街を通りぬけ清洲橋通りを渡り、「おかず横丁」とよばれるようになった鳥越の商店街をぶらぶらし浅草橋駅へ出るというのが、おれの仕事をかねた散歩コースだった。

90年代の後半、つまり『大衆食堂の研究』を出したあと、佐竹商店街へ行ったのだが、あまりのさびれように驚いた。繁栄の象徴だった、東京では珍しいアーケードが、かえって仇になった感じで、暗い大きな廃屋になりかかっている印象だった。

2000年に、佐竹商店街の北側の入り口そばに都営地下鉄大江戸線新御徒町駅が開業し、2005年にはつくばエクスプレスが開業し乗り換え駅になった。そのおかげだろう、人通りが多くなり、まだかつてほどではないが、アーケードに人通りと明るさと活気がもどった。

いわゆる「下町商店街」の昔が偲ばれる商店と、ベーカリーなど新しくできた商店が混在しているのも面白い。

武井は、佐竹商店街ではあるけど、アーケードを南側へぬけたばかりのところにある。じつは、『大衆食堂の研究』を書いたころ、ここにあるのを気づいていなかった。ちょっとした視線の関係だと思うが、アーケードを南側へぬけると、すぐ左側が清洲橋通りでそちらへ向かったからだろう。武井は、アーケードを抜けた位置から、すぐ右前にあるのだ。モノゴトは、少しの視線のズレで、見えたり見えなかったりする。

食堂でドライカレーを食べたのは、ずいぶん久しぶりだ。おれがこれを初めてつくったのは中学3年か高校生のころだが、いまでも一年に何回かは家でつくる。割と好きなんだが、食堂に入ると、おかずとめしになることが多い。それに、ドライカレーがメニューにあるかないか、よく確かめたことがない。

武井のメニューは、シンプルでわかりやすい。壁面の二枚の板に書かれてあり、一目で、全メニューがわかる。そこにドライカレーがあった、すぐ、懐かしさもあってこれにした。

Dscn9973

おれが食べだすと、あとから体格のよい若い男が入ってきて、ドライカレーとハムエッグを注文した。その声をきいて、そういえば、ドライカレーに目玉焼きをのせて混ぜながら食べるとうまいんだよな~と思い出した。

ドライカレーは、焼きめしのカレー味のようなものだから、めし粒についたカレー粉の粒粒が、熱に解け切らずに残留し、それが舌にあたったときのピリッとした味わいがよい。これと目玉焼きの味がミックスされるとうまさが広がる。

こんど食堂ではドライカレーがあるかどうかメニューをよく見ることにしよう。あったら注文し、一緒に目玉焼きかハムエッグを注文しよう。

Dscn9976001

|

2019/03/15

「おかず」の世界観…地味でも、ひとりでも、幸せになれます!

Dscn0164

料理にも世界観がある。

いわゆる「日本料理」に世界観があるように「おかず」にも世界観がある。

ただ「おかず」の世界観は無名の無数の人たちによって成り立っているから、「どんな」といわれても、なかなかとらえどこがないと思っていた。

ま、じつは、あまり真剣に考えたわけじゃないのだが。

ところが、最近「おかず」について考えているうちにひらめいた。

というのも、ある高名な雑誌の編集者から、生活のなかにある料理というところをもっと現実的に見つめたいと思うが、「欲望を満たすゴチソウ料理のほうが、どうしても華があり」、編集はそちらに傾いてしまうという話を聞いたからだ。

それは、いまどきの世間の余裕ある「読者階級」の関心や思想の反映でもあるだろうけど、おれは、そういえば日々の暮らしのおかずには楽しみはあっても「華」がないかもなあ、たとえ「華」があっても料理そのものというより「食事」の興奮だろう、大衆食堂のおかずは地味だしねえと思ったのだった。

その瞬間、頭のなかに「津村記久子」がひらめいた。地味といえば津村記久子、ってわけじゃないが。

津村記久子の作品のなにかに、「おかず」の世界観に近いものがあったような気がして、本を引っ張り出してみたら、簡単に見つかった。

津村記久子の『二度寝とは、遠くにありて想うもの』(講談社)の帯にあったのだ。

「地味でも、ひとりでも、幸せになれます!」と。

これは編集者がつくったコピーかもしれないが、そのまま「おかず」の世界観ではないか。

だいたい、これまで津村記久子の作品を読んだところでは、その世界観は「おかず」に近いし。

しかし、「地味でも、ひとりでも、幸せになれます!」を、そのまま「おかず」の世界観をあらわすキャッチフレーズに使うわけにはいかない、困ったなあ、と思っているのが、今日なのだ。

思案しながら、当ブログで、『二度寝とは、遠くにありて想うもの』にふれたエントリーを検索してみたら、過去4回あった。「津村記久子」への言及は、もっと多い。津村記久子に惚れているからね。

「おかず」の世界観に最も関係ありそうなことは、このエントリーでふれていた。

2015/10/05
「数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向。」

これは、2019/03/01「「下手味」と「下手糞」。」にも関係あるね。


ほか「二度寝」関連。

2015/06/21
「生活の底」と「労働の底」。

2015/06/22
津村記久子が気になっている。

2015/08/02
「川の東京学」メモ 大衆食堂から見たなくなったもの。

|

2019/03/14

おかずをパンにはさんで食べる。

Dscn0160

おかずをパンにはさんで食べるということは普通にやられている。ただ「洋風」のおかずが多いようだ。「サンドイッチ」という呼び名が「洋風」だからだろうか。

やきそばは、コッペにはさんで「やきそばサンド」になるが、あれは「何風」なのだ。

林真理子の『食べるたびに、哀しくって…』には、たしか、ひそかにあこがれていたか尊敬していた美人の女性が、納豆を食パンにはさんで食べるのを見て失望した、というような話があった。

「和風」の納豆をパンにはんさで食べるのは、おれは昔、そうだねえ高校のころからやっているが、うまい。バターをぬったトーストにはさんだり、マヨネーズをちょっとたらすのもいいね。いろいろなものを一緒にあわせられる。

なんでもパンにはさんで食べられる。切干大根の煮物だって、糠漬けだって。

ただ、ごはんを食べるために作られたおかずは、パンにはさむには味付けが濃すぎることが多いから、ほかに野菜などを合わせて塩味加減を調節する工夫が必要だ。

糠漬けと生野菜にオリーブオイルをたらしたりするのもいいね。

とにかく、「和風」「洋風」なんか関係ない。たいがいのおかずは、ごはんでもパンでも一緒に食べられる。そこがまたおかずのよさだ。さば味噌煮サンドなんか、缶詰でもいいが、いい酒のつまみにもなる。タレまでパンにつけて食べる。

もっと自由にやって、普通からの逸脱を楽しむのもいい。そこからまた何か開ける。

てなことを話していた。

おかずの世界は、作るのも食べるのも、自由で広い。それを生かし切っているだろうか。へんな観念にとらわれていないか。

サンドイッチ食べながら味噌汁飲むのもいいさ。

Dscn0159

|

«おかず、普通と普通からの逸脱が普通である状態。