新刊。お知らせ。

001003_210月3日新発売、鎌倉のインディーズ出版社・港の人から四月と十月文庫7『理解フノー』…クリック地獄

古典的名著、獅子文六『食味歳時記』中公文庫から復刊。解説を書きました。…クリック地獄

◆HP「ザ大衆食」はこちら…クリック地獄
◆連載中 東京新聞、毎月第3金曜日、「エンテツの大衆食堂ランチ」…クリック地獄
◆連載中 美術同人誌『四月と十月』4月と10月発行、「理解フノー」…クリック地獄
004005◆『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』ちくま新書から発売中。よろしく~。もくじなどはこちら…クリック地獄
◆好評『SYNODOS-シノドス-』――『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている 五十嵐泰正×遠藤哲夫は、こちらでご覧いただける。…クリック地獄

通常のエントリーは、この下↓からになります。

|

2017/06/22

都議選。

おれは都民じゃないが、知り合いの都民が都議選のために忙しい思いをしている。選挙活動をしているわけじゃなく、本人の会社の仕事が、選挙になると忙しくなるのだ。ご苦労さま。選挙で儲けてください。

いつの都議選も政局と無関係ではないが、今回は、「ここで自民党が大敗すれば、安倍辞任の可能性があります」といったことを言っている人たちがいるように、かなり政局がらみではある。

「自民党が大敗すれば」というのは、どのていどの議席数が基準なのかわからないし、それを条件に「安倍辞任の可能性があります」と言われたところで、あまりピンとこない。

政局がらみではあるが、安倍辞任に追い込める可能性は、かなり低いのではないかと思う。

だから反安倍勢力を支持しても仕方がないという話ではないが、選挙は勝敗の結果だけであるにも関わらず、反安倍勢力が彼我の力関係を読み切った戦略を持っているようには見えない。

その戦略のなさ、あるいは戦略のマズさについては、森友問題でツイッター世間が騒がしいときに、このようにツイートしたことがある。森友問題については、これだけしかツイートしてない。加計問題についても同様だから、ツイッターでふれたことはない。

逃げ切ろうとする側の絵は見えてきたが、追い詰める側の詰めの絵は見えない。
0:50 - 2017年2月25日
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/835155051702276096

「アッキード事件」なんて言い方していて、詰め切れるのかなあ。
21:45 - 2017年3月2日
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/837282725136498688

ざっと思いつくだけでも、甘利の不正、防衛省日報問題、森友、家計など、安倍政権に不利な大きなジケンが続いても、安倍政権を詰め切れず逃げられてきた。最近、内閣支持率が下がっているが、その文脈と反安倍が支持を得るための文脈は違うはずだ。

ツイッターなど見ていると、この文脈の違いをわかっていない反安倍が多く、これまで何度も繰り返したように、最後は浮動票頼みの投票率アップ運動で終わるのではないか。

彼我の力関係を読み切らず、ツイッターなどネットに期待をかけすぎのようでもある。

四月と十月文庫『理解フノー』の「右と左」には、おれが関係した、1974年夏の「保革伯仲」下での参議院選挙のことを書いて、「熱い夏だった。この夏に保革逆転を許さなかった自民と、逆転できなかった「革新」の「差」は大きく、いまでも続いているようだ」と結んでいる。

そこには書いてないが、その選挙後も1980年に大平正芳が急逝する頃まで、いろいろ自民がらみの仕事をした。

その「差」は、依然として残っている。それは、一度自民党が下野して返り咲いたことで、さらに大きくなったようにも見える。

よほどの「想定外」のことがないかぎり、自民党が大敗し安倍辞任ということにならないだろう。現在のところ、そういう筋書きは、どこにも見えてない。

それにもかかわらず、「ここで自民党が大敗すれば、安倍辞任の可能性があります」というようなことを言っているようでは、いかにも苦しい。自信がないのだな、と、おれは思ってしまうね。

反安倍は、「アンチ」として存在していればマンゾクなのか。

|

2017/06/21

「働く人の店」

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」には、秋葉原の「かんだ食堂」が登場する。

そこにも書いたが、かんだ食堂の店主は、じつにキッパリとした口調で、「ここは、アキバで働く人の店」と言った。歯切れのよい爽やか口調だった。潔さが感じられた。

昨日書いた「作品」だろうと「商品」だろうと、「誰のために」というのがモンダイだろう。

本音をいえば「自分愛のため」というのは論外として、多くは「お客のため」というが、その「客」は誰か。たいがい多くは「働く人」ではないか。だが、そうはいわない。

「公共のため」という言い方もある。

昨年の『dancyu』2月号ラーメン特集で、おれは笹塚の「福寿」を取材したが、店主の「公共的な仕事をしていると思ってやっていた」という言葉を紹介し、「おれは驚いた。「ラーメンは芸術」より崇高な精神にふれたと思った。」と書いた。

「働く人の店」とか「公共的な仕事」など、飲食店の店主がポンと言うことなど、あまりない。

ま、取材する方のモンダイもあるのだが、出版の構造が「階級社会が固定化すると、底辺の人は知にアクセスできなくなってしまっている」という現状追認のもとで、売れるターゲットのために書き、市場で自分のイスを確保するために書く、ということになっているなかでは、仕方ないかなあという感じもある。

たいがいヒエラルキーに寄りかかって、エラそうな雛段を昇るしか道が見えない人たちもいる。バブルの頃からそうだけど、「いいものさえつくれば売れる」というのだけど、そういうあまり根拠のない全体像は根深く続いている。

ようするに、こういう現状追認のなかで、最初から「労働者」などの「底辺」は捨てられているのだ。

だけど、飲食業は、そうとは限らないのだなあ。

名のあるメディアに名をつらねる人たちに比べたら「しがない」存在と見られがちな、まちの飲食店の店主のこういう言葉は清々しいだけじゃなく、出版に関わるものも、どうしてこういう風に考えられないのかなと思う。

が、しかし、そうは簡単ではない。

おれは四月と十月文庫『理解フノー』の「気取るな! 力強くめしを食え!」に、「どのみち私は、労働者を貶めたり視野の外におく文化には、関わる気はないのだが」と書いていても、そのように生き抜くことが容易でないことは十分承知している。

それはともかく、今日、ネットで消費の全体像に関わる、おもしろい漫画を見た。

香山哲さんkayamatetsu.comの「紀行まんが」だが、その「(3)魚介類ですか」にあった。このまんが自体の世界もおもしろいのだが。

「どんな所得の人々が、どんなスピード、流量の消費をしてるか、そういう社会の設計の特徴がすごしやすさを決めている」と、絵で三つのパターンをあげている。
http://kayamatetsu.com/pagework/w13/p3.html

ターゲットが~とか、いいものつくっていれば~、などばかり言ってないで、もっと消費の全体像を考えながら、選択をしたいものだ。

やっぱり、自分もその一人である圧倒的多数の働く人たちの「すごしやすい」社会が必要だろう。そこに「読書」や本のマーケットが位置するとき、読書や本の未来が開けるのだと思う。そのためにコツコツやろう。

捨ててしまったら(視野の外においてしまったら)、捨てられた人は近づいてはこない。

当ブログ関連
2017/06/07
「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」
2016/01/15
発売中の『dancyu』2月号ラーメン特集に書きました。

|

2017/06/20

「時代」ってなんですかね。

002

一昨日の18日は、「鬼子母神通り みちくさ市」へ行った。

古本フリマをザッと見て一冊買い、13時半からのみちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ」の会場へ。

今回が10回目で、ゲストは、おれが「理解フノー」の連載をしている『四月と十月』の発行人であり『雲のうえ』編集委員などいろいろやっている、画家の牧野伊三夫さんだ。

この連続講座は、毎回おもしろい。「作品と商品のあいだ」というテーマの設定もよかったと思う。「あいだ」というのはわかりにくいものだ、だからそこを考える。わかりやすい結論などないことを考えてこそ「考える」ことであり、「知性」が育つ。なーんて。

今回が少し異色なのは、コーディネーターというか司会の中野達仁さんと武田俊さんのうち中野さんが、牧野さんと小倉高校の同期生で3年生のときは同級だったということだ。

牧野さんは、北九州市の、中野さん牧野さん「ゆかり」の場所を描き込んだ大きな絵地図を用意し、トークが始まった。

高校時代から進学、上京、学生時代は同じアパートに住んでいたこともあった。中野さんは、すんなりと現在の東北新社に就職、牧野さんはあれこれあってサン・アドへ。東北新社もサン・アドも広告クリエイティブ業界のエリートであり大手だ。

牧野さんのサン・アド時代の「ダメ社員」ぶりは何度か話には聞いていたが、ちょっと並はずれている。とにかく、サン・アドの4年間が、いろいろな意味で、牧野さんの大きな財産になっているようだ。というか、財産にしたのだな。ダメ社員でも、会社辞めたあとに、それを財産にできる。

中野さんは広告クリエイティブ業界の現役として活躍している。牧野さんは「元」だけど、画家であり広告クリエイティブ業界や出版業界や、なんだかわからんほど「業」をこえた幅広い活動をしている。

広告クリエイティブは、モロ、「商品」の世界だ。おれも以前はプランナー稼業で、電通や博報堂や広告クリエイティブの人たちとも仕事をしていたし、いまでも端っこの付き合いはあるから、この界隈のことはおおよそは知っている。

トークを聞きながら気がついたのだが、牧野さんの仕事のやり方は、『雲のうえ』のような出版物の編集でも、広告クリエイティブと同じチームワークの方法でやっているということだ。だいたい、『雲のうえ』には編集長がいない。

出版業界と広告クリエイティブ業界では、制作の方法が違う。それは「チームワーク」の概念そのものから違っている。

おれが『理解フノー』に、「成り行きで転がったついでに「フリーライター」という肩書を使い、出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった」と書いた、出版業界に感じた違和感は、この「チームワーク」とも関係する。

出版業界には、「組織」はあっても「チームワーク」はないか未熟だ。でも、それを「チームワーク」と思っている人も少なくないようだ。

広告クリエイティブは、一つのプロジェクトに大勢の専門分野の人たちがかかわり、もちろんスポンサーもいて、顧客もいて、階層構造もあり、かなり複雑な条件のなかで「チームワーク」が行われる。チームワークだが、個人の責任も非常に重い。結果がハッキリ出る。

商品開発でも、同じことが言える。

と、考えると、「商品」はチームワークから生まれる公共性の高いものであり、「作品」は極めて個人的なもので公共性は低い、ともいえそうなのだが、作品でも公共性の高いものとそうでないものもある。

と書いていると長くなる。

トークの最後に「時代」の話になった。この「時代」は、「学生時代」「青春時代」のそれではなく、イマという時代、あるいはこれからの時代というもので、マーケティングにはつきまとうが、「時代」ほど観念的でうさんくさいものはない。

よく「これからはナニナニの時代だ」とか「ナニナニからナニナニの時代へ」と時代が語られる。おれは、そういう主張をする人そのものも、ペテン師のように怪しいと思っている。ま、おれもプランナー稼業の頃は、そういうことを言って「ペテン師」呼ばわりされたりしたが、その通りだと思っている。

こういうことを言う商売は、嘘だろうがなんだろうが、ひとを乗せたほうが勝ちになる。マスコミや出版などでは、こういう人たちが活躍する。いまどきの「ジャーナリスト」や「評論家」などはそういうものだ。「作家」だって怪しいぞ。

だけど、「時代」ってなんだろう、と考える人は少ない。

これからどんな時代になるでしょうね、いまの時代をどう考えますか。と聞かれたりすれば、自分はそれを語る資格があるとカンチガイし、エラそうな知ったかぶりでアレコレもっともらしく述べる。

なんのことはない、いろいろなことを自分に都合のよいように解釈し「時代」という観念をかぶせるだけなのだ。そのへんのタワゴトを見抜ける人が、もっといてもよいと思う。

で、トークの最後に「時代」のことになったとき。牧野さんは、なんと言ったか。

「時代ねえ、時代ってなんですかね」と言ったのだ。

いかにも牧野さんらしい。こういうときに人柄や理念が出るんだなと思った。

これでトークが終わり、あとは飲み会へ雪崩れ込み。ふくろからいつものサン浜名、泥酔記憶喪失帰宅だった。

|

«生活はホビー?