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2016/08/06

歌舞伎町 つるかめ食堂60周年。

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去る3日(水)は、新宿・歌舞伎町のつるかめ食堂で撮影だった。インタビューはなく、おれがひたすら飲んでいるところを撮るという、めったにないありがたいこと。

なので、15時に食堂で待ち合わせだったが、ウォーミングアップにベルクで一杯ひっかけていった。

撮影では、おかずをアテにサッポロラガーを飲むのだが、コップに泡の確保のために、飲んでは注ぎしているうちにけっこう飲んだようだ。

さらに、撮影は一時間ちょっとで終わって、それからが本当の飲みになった。

その飲んでいる最中に、この写真を撮った。少しブレたのかピンボケなのかという感じだが、トイレのドアにあった、「寿 六十周年」の手書きポスターだ。

「創業昭和三十一年二月 一九五六年」

はあ、おれが上京したのは1962年春で、上京してから割りと早くこの前を通っていて、その暗い怪しげな佇まいは目に焼き付いている。といっても、当時は歌舞伎町の大部分が暗い怪しげなところだったのだが。

「大衆食堂 つるかめ食堂」の文字のそばには、「前田政明パパさん、雅子ママさん」という書き込みがある。とてもチャーミングなパパさんとママさんは、やはり人気なのだな。

「六十周年」の文字のそばには、「全面禁煙になりました うれしい!」の書き込みが。

昨年末12月に発売の『dancyu』1月号は、創刊25周年記念特別号で「いい店って、なんだ?」特集だったのだが、おれはこの食堂を取材させてもらって書いた。そのときはまだ一部喫煙可だった。

60周年を期に禁煙にしたということか。店舗の建替えをのぞけば、開店以来の大変革。まあ、しかし、喫煙者は客の1割ぐらいになっているのだから、仕方のない成り行き。

なにがともあれ、60周年、めでたい。

思い出横丁のつるかめ食堂も健在。

どちらも建て替わり、代も変わり、「昭和」とか「レトロ」とかではなく、「いま」を生きている。

当ブログ関連
2015/12/11
『dancyu』1月号、特集「いい店って、なんだ?」に、歌舞伎町のつるかめ食堂を書いた。

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2016/08/05

「流れなきゃ」。

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月に一度の連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」が載った第三金曜日の東京新聞が、掲載紙として送られてくる。

それをためておいてはたまにパラパラ見るのだが、4月15日の「私の東京物語」に能町みね子さんが書いていることがおもしろい。

「流れなきゃ」のタイトル、写真は神田川の大曲のあたり。

「自分が選んだ大学はイマイチだったけど、流れのまま上京したこと自体は楽しかった。自分で選んだ仕事もいつもイマイチだったけど……このあと、流れで社員さんにデザイナーさんを紹介され、私は楽しい仕事にありつくようになっていく」と書き出す。

そして、デザイナーになるつもりで、住んでいた大曲の近くのデザイナーさんの会社の仕事を手伝っているうちに、「「ブログ」というものを勧められ」それがキッカケで「当初自分が狙っていたデザイナーでもなんでもない今のような職業になっていく」。

能町さんの肩書は、文筆業・イラストレーター。

で、最後がおもしろい。

「東京は思った通りに事が運ばないところだけれど、流れのままにたゆっているといろんなものに偶然ぶつかって、それがだんだんおもしろくなってゆく、そんな街。狙っちゃダメなんだ、流れなきゃ」

ま、流れても、「東京は思った通りに事が運ばないところ」だから、うまくいくとはかぎらないだろうけど、この「流れなきゃ」という感覚は、いいな、と思う。

まず、たいがい、こういう感覚の人は、狙っている人より、はるかにおもしろい。能町さんの書く文章がおもしろいのも、このへんのことがあるからだろう。

これは「川の東京学」に関係あるかどうかわからないけど、「流れなきゃ」というのは、多分に「低地的」な感覚だと思う。

逆に、「台地的」な感覚というのは、わかりやすい言葉でいえば、長い間いわゆる「勝ち組」の人たちが住みついて積み上げてきた、狙っちゃう人たちの文化が背景にあるようだ。権力主義的、権威主義的な階段を狙って昇ろうとしている感じが、言葉のはしはしや文章などにも表れる。

もちろん、低地に住んでいても台地的な人もいれば、その逆もある。それは、ある種の哲学や文化の問題だからだろう。

中沢新一さんの書くものは、用心しながら読む必要があると思っているが、けっこう話題になった『アースダイバー』(講談社、2005年)には、「東京低地の哲学」というのがある。そこで彼は、こう書く。

「人生が盤石の基礎の上に打ち立てられている、などという幻想を抱くことができるのは、堅い洪積地の台地の上に町をつくった、山の手の連中だけなのではないか」

「ところが低地でははじめから、人生は不確実なものだと、みんなが知っている。なにしろそこは沖積地の上に、暮らしが営まれているのだし、人の生存がもともと不確かなものであるという真実を隠すために、人が自分の身にまとおうとする権力やお金も、低地の世界にはあんまり縁がない」

「人生が不確実であるということは、逆に柔らかく動揺をくりかえす」「下町の哲学は実存主義である」

あーん、うーん……ま、そういう面もあるかもぐらいかな。でも、ちょっと単純すぎやしないか。地理のこともあるけど、権力や権威に盤石の基礎を求める人たちがいるわけで、それらが台地側の文化の中心を担ってきたともいえるだろう。

とにかく、「下町の哲学は実存主義である」なのだが、それより、能町さんの「東京は思った通りに事が運ばないところ」だから「流れなきゃ」のほうがピッタリくる。

「流れなきゃ」は、不安定を明るく積極的に生きる哲学というわけだ。うまくいくかどうかなんて、わからない、狙っちゃう人だって、同じこと。どうせなら、ガツガツ狙って何でも自分の思った通りにしたがる人間より、「流れなきゃ」の人のほうがおもしろい。

そういや、おれは、大衆食堂のめしは実存のめしだ、なーんて、どこかに書いたことがあるような気がする。

当ブログ関連
2016/07/31
「川の東京学」メモ、川本三郎『遠い声』から。

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2016/08/04

さらば、猫たちのマスター。

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昨日、今年になって初めて猫たちへ行ったら、いつものマスターとちがう人がカウンターの中にいた。マスターは亡くなったのだそうだ。

一昨年の11月、須田泰成さんとこのバーへ行ったとき、須田さんが撮影してくれた写真がある。ずっと取材拒否の店だし、貴重な写真だ。開店早々でほかに客がいなかったこともあり、マスターとこんなに話して笑ったのは初めてだった。だいたい、女客には機嫌よく愛相がよいが、男客には無愛想なほうだった。

70年代の中ごろから通い出したおれにとって、このマスターは二代目だったが、実際は三代目。すでに前のマスターも亡くなっている。みな少々偏屈者だった。薄暗く煙草の煙にかすむジャズバーのマスターが似合っていた。

店が続いてくれているだけ、ありがたい。新宿で70年代から通っているバーは、フロイデが昨年だったか閉店したので、もうここしか残っていない。

カウンターの中にいたのは、オーナーさんだった。ウワサに聞くだけだったが、初めて会った。この店はマスターにまかせていたので、これまでこの店に立ったことはなかったという。新宿には、ほかにも経営する店がある。

かなりのレコードマニアのようで、この店の棚にズラリ並ぶジャズ盤は、このオーナーの趣味の反映なのかと納得した。

マスターは、この店では、酒と曲と両方に精通してなきゃいけないし、お客の好みも両方しっていなくてはならないから大変なんだよ、常連はうるさいやつらばかりだしね、と言っていた。

ま、とにかく、マスター、楽しかった。ありがとう。

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«トワイライト。