新刊。お知らせ。

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2016/12/01

得難い、ささやかな満足。

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86歳のママが調子悪そうだったからと行ってみたら、客が注いでくれるビールも飲んで、血色もよく「健診受けたけどどこも悪くなかった。心臓がちょっとぐあい悪いだけ」と。

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あったかい煮物の付きだしで燗酒、テーブルの下には火鉢。靴をのっけたら底が焦げちゃいます。カウンターの中のおでん鍋から湯気も出て、室内はしっとりなあたたかさ、古い木造家屋のすきま風がほろ酔いの顔にあたって心地よい。

一人の客がたたみいわしを「うまいから食べてみて」とすすめてくれた。「では遠慮なくいただきます」。うーん、炙り加減といい、燗酒にぴったりだ。そうでしょと無言の笑顔のお客さん。お馴染みさんばかりで一日のしめくくりが過ぎてゆき、ささやかな満足がただよう。

ママさんが30歳のとき開業し、56年たった。56年前というと、1960年だ。いまじゃ73歳のおれだが、まだ新潟の田舎の高校生。終戦のときは数えで16歳だったそうだ。父親は明治24年生まれとか。近代を溜めこんだ空間には、おだやかでゆっくりした時が流れていた。

小さくても店を一軒持って、金を払ってでも会いに来てくれる友達のような客に囲まれて商売できるのは、幸せだなあ。おれにはもうできないし、ヘタに長生きすることになったら大変だと思いながら泥酔したのでした。

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2016/11/30

今年一番の面白さ、「途中でやめる」の山下陽光さんのトークと「新しい骨董」。

今日で11月は終わり。
終わる前に、これだけは書いておこう、去る11月20日(日)のことだ。ぐいぐいとエネルギーを注入された日だった。

朝9時半ごろ牧野さんから電話があった。九州にいるといった。その夜、九州で牧野さんとトークをしてきたという人と同じ飲み会の席にいた。まったく偶然、思いがけないこと。そういうことになったのは、「みちくさ市トーク=連続講座『作品と商品』のあいだ」に出席したからだ。

トークは13時半からだった。早目に家を出て、赤羽で腹ごしらえというか一杯ひっかけて、みちくさ市古本フリマをのぞく。近頃は、ここぐらいでしか顔を合わせない塩爺を見て、まだくたばっていないかと安堵もせず(考えたら、やつはおれより一回り以上若いのだった)、最近よく古本フリマに出店しているみどりさんに挨拶のちトークの会場、雑司が谷地域文化創造館へ。

連続講座8回目のゲストは、「途中でやめる」デザイナーの山下陽光さん。この「途中でやめる」ってのが、近著『理解フノー』にも書いたように家庭や職業ほか諸々なんでも途中で投げ出してきたおれとしては気になっていた。

トークの案内によれば、「途中でやめる」は服のリメイクブランドらしい。すでに有名で、おれが知らなかっただけだが。しかも、「「途中でやめる」の服はなぜハンドメイドでありながら低価格で提供しているのか。今この時代の仕事の在り方も含めお話していただきます」というのだ。

トークの始まる前、会場にいた男の人から挨拶された。見たことがあるようなその人は、北浦和の居酒屋ちどり(かつての「クークーバード」)で会っているという。そばにいたミヤモトくんが、その人と会場のあたりをぐるっと手で指してまわして、このあたりの人たちと浦和あたりでモニョモニョという。よくわからないけど、そういうことか。

トークは、まいどのように、中野達仁さんと武田俊さんの司会で始まった。

ついでに、初回からのゲストをメモしておこう。みちくさ市サイトからの引用だ。第1回:ゲストなし/第2回:澤部渡さん(スカート)/第3回:桑島十和子さん(美術監督「下妻物語」「告白」他)/第4回:森山裕之さん(元クイックジャパン編集長)/第5回:タブレット純さん(歌手・お笑い芸人)/第6回:高橋靖子さん(スタイリスト)/第7回:真利子哲也さん(映画監督)。おれは、4回の森山さんと7回の真利子さんのときに出席している。

山下さんの話は、服にたどり着くまで、渋谷パルコでブレイクしてから、現在のやり方や考えていることなどだったが、いやあ、面白かった。面白いだけじゃなく、いまおれがやりたいことに、ずいぶん示唆的な内容だった。

服にたどりつくまでというけど、中学生の頃から縫物をしていた。それも、2歳上の兄貴のパンクの影響を受けて、パンクの人たちが着るものに改造や装飾を加えるアレだ。そして、この「パンク」が、その感覚というか思想というか、パンクなそういうものが、彼の在り方ややり方やデザインなどに深く関わっているところを見ると、お兄さんの影響は大きかったようだ。

とにかく山下さんは東京へ出たくて、東京の服装学校に入学。だけど、オシャレが大嫌い。原宿のようなオシャレが大嫌い。3年間ぐらいグレーの上下で通したとか。ファンッションデザインでありながらオシャレを嫌う、これ、カウンターカルチャーとかパンクとかに通じる必然か。

でも彼はファッションデザイナー。とにかく作る。古着の使えないところをカットして縫い合わせて新しいデザインの服にしてしまう。あれ、ポルトガルだかスペインの刑務所で受刑者が始めたブランド、なんといったか思い出せない、あれみたいだ。しかし、高円寺の素人の乱の店で作って並べるが売れない。

その売れない服を買って着た客が渋谷のパルコへ行ってウロウロ、それがパルコのバイヤーの目に止まった。そこからブレイクが始まる。「売る場所が変わったら売れた」

ブランド名など必要ないと思っていた、いらないのに作るブランドだから「途中でやめる」にした。途中でやめるかも知れないのは、本当だ。つぎは、みやげやか。

この日、みちくさ市の本部のガレージでも、「途中でやめる」の服を売っていたから、トークへ行く前にチョイとのぞいて見た。欲しくなるデザインがあった、どうせ高くて手が出ないだろうと値札を見た。3800円!想像の半値以下。トークの会場へ急ぐ必要がなかったら、買ったに違いない。

売り方は、このように固定店舗を持たない、イベント出店とインターネットの直販。イベント出店は、この日は南浦和でもやっていたが、中心から外したところでやる。もう名前が知られているから、開店前から行列とか。なにしろ、どれもこの世に一つしかないデザインだ。ほとんど在庫が残らない、回転率がいい、これもコストを低く抑えられる要因のようだ。

自分が欲しいものを自分が買いたい値段で売る。この仕組み、これ重要。安いが、単なる安売りではない。つまり、買いたい値段におさまるように、よりよく作るのだ。もちろんデザインも含めて。低価格競争とは違う。

インターネットは「平等」の可能性をもたらした。必要な人に必要なものを必要な値段でつなげる仕組み。それを活用するかしないかの違い。

故郷の長崎に住んで長崎で作っている。仕入れは、長崎の大きな古着チェーン店で、さらに売れ残った山積みから買ったりする。人気のおかげで生産量が増えているから、全部を自分で作るわけにはいかない、近所の人たちにやってもらっている。そのままでは売れないものもできてくる、手直しする。

手仕事が利益を生む仕組みだから、量産化が難しい。その仕組みのことは、自分の在り方とやり方から考える。どうやら、その「在り方」が絡むところが、山下さんらしいところのようだ。それはデザインのことでもあるだろうけど。普通は、利益だけを考え「やり方」で勝負していく。

「途中でやめる」の価格と仕組みは、いまどきのファッション業界の「在り方」と「やり方」への挑戦あるいはカウンターでもあるだろう。

だけど、カウンターの「在り方」から「やり方」がうまくいくと、さらに成功者の「在り方」と「やり方」が見えてくる。さて、どうするか、成功者のほうへ傾くか。成功者のほうへ傾かずに、途中でやめるかも知れない。このこだわらない自然体がいい、仮に成功者へ傾いても、これまでと違う「新しい成功」の姿が期待できそうだと思った。

トークは15時過ぎに終わり、おれは打ち上げに参加の人たちと、会場の「ふくろ」へ行った。そこで、トークのときにも名前が出ていた「新しい骨董」の正体がわかったのだった。山下さんも、そのメンバーで、その活動の痕跡は浦和あたりにもあり、トークが始まる前におれが挨拶された男の人やミヤモトくんのモニョモニョも関係しているのだった。

このトークの前、北浦和の居酒屋ちどりへ行ったとき、便所に「URAWA BOTTLE KEEP MAP」ってのが貼ってあった。なんだかあやしげで、なんじゃコリャと思っていたら、この人たちの仕業とわかった。地図にある店に行けば、「新しい骨董」の名でボトルキープがしてあって誰でも飲める。飲みほしたら必ず続けてボトルを入れておく。という仕組みで、ある種のコンセプチュアルアートの活動でもあるのだ。ほかにも「裏輪呑み」なることも展開している。面白い。

この「新しい骨董」のメンバーの一人である影山裕樹さんが打ち上げの会場にいた。景山さんは、11月11日に福岡で、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)刊行記念として、「『雲のうえ』『飛騨』……ローカルメディアの最前線」牧野伊三夫×影山裕樹×内沼晋太郎」ってのをやってきたあとだったこともあって、いろいろ親しく話をさせてもらった。

「ふくろ」のあとは、いつものように「サン浜名」へ移動、どんどん酔いがまわり泥酔帰宅。

「新しい骨董」は、すごく面白いことをやっている。「ゲストハウス」「旅人文化」などとも関係しそうだ。「旅人文化」は在り方であり、「ゲストハウス」はやり方の一つなのだから、ほかにもやり方があるはずだ。

おれとしては、このあいだから、「コモディティ」のことが気になっていて、これまで「コモディティ」というと、「量産廉価」という「やり方」の図式があった。低価格競争に陥りやすい。だけど、これからは、そうではないやり方も広がっていくだろうし、いかざるを得ないと思っていた。

やどやゲストハウスは「安宿」としてやってきて、これからもその路線だけど、一貫して低価格競争には加わっていない。この仕組みはインターネットのことも含め、「途中でやめる」の仕組みと重なる。

そういうこともあって、ヒントになることが多いトークだった。いろいろアイデアがわき、何かエネルギーが注入された感じだ。一昨日は中野へ行って、ゲストハウスのメンバーと飲んであれこれ話しあったのだった。

とにかく大事なのは、「在り方」と「やり方」だ。

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2016/11/19

状態と言葉。

少し前だが、ある人と「業態」と「名称」の話になった。

「大衆食堂」を定義するのは難しい。おれは定義をしないで、原型を「大衆食堂」という言葉が生まれた時代の大衆食堂において、その前と後の流れを見ることで、大衆食堂という業態を把握しようとしてきた。

何度か書いているように「食堂」という言葉は明治からであり、「大衆」という言葉は、大正期後半から昭和の初めにかけて生まれ流行した。これは割りとはっきりしている。

「食堂」も「大衆」も、もとは仏教業界の言葉だったが、そこでは、食堂は「じきどう」であり、大衆は「だいしゅ」と読んでいた。

食堂は、「じきどう」から「しょくどう」になっても根本は変わっていないといえるだろう。だけど、「大衆」は、「だいしゅ」と「たいしゅう」では、根本からちがう。

だからか、尾崎秀樹は、「大衆(たいしゅう)」は造語だといっている。その尾崎の書によると、白井喬二が「大衆(たいしゅう)」という言葉を使い始めたテナことを白井自身がいっているとのことだが、尾崎は白井のいうことをそのまま信用していない。だけど、白井が使い始めたといっている頃から「大衆」という言葉が広がり始めたと考えている。いま、その尾崎の書を貸してあるので、記憶になるが、それはたしか大正10年頃からだったと思う。

そして昭和の初めに「大衆」という言葉が流行語になる頃、その大衆が利用していたさまざまな業態の食堂や飲食店が、「進化」というのか「変態」というのか、状態を変えながら「大衆食堂」になっていった。

ま、そんな話をしながら、「市民酒場」の「市民」や、「国民と大衆」などについて、あれこれ突っ込んだ話をして面白かった。

「ファミリーレストラン」という言葉が一般化する前の「コーヒーショップ」やら、日本には江戸期からある「屋台そば」や「屋台すし」などに対する「ファストフードショップ」に該当する言葉がなく、後づけで「江戸のファストフード」と呼んだりするのは、なぜなのかなど、なかなか面白いことが含まれている。

業態というのは状態をさす。日本語は、状態にヨワイようだ。それは、日本人は状態に対して関心が低かったり興味が低いあらわれかもしれない。とかく私的体験が先走り、状態が欠落しやすい様々にもあらわれているようだ。

これ、『理解フノー』に書いた、金銭出納帳的思考と複式簿記的思考も関係しているように思う。

そのように、グワーっと妄想が拡散するのであった。

そして思いついてツイートしておいたことからメモ。

カオスやゴミを引き受けるところがあるから、こぎれいに気取っていられるところがあるのよ。
15:04 - 2016年11月8日

「差別」ってのは、何を貶めるかだけではなく、何を称賛するかによっても存在する。そのことに思いを馳せられるかどうか。
13:49 - 2016年11月11日

もともと日本は人格と職能がまぜこぜに語られることが多かったのだけど、近年は職能だけで人間を評価する傾向が強いように思う。職能が第一で、職能が優れていれば人間としても優れているかのような。そこには新自由主義の影響もあるような気がする。
1:01 - 2016年11月13日

みな状態と言葉が関係する。

話は変わるが11月の何日かに、アメリカ大統領の選挙があった。なんだか日本の国政選挙並の騒ぎだった。とくにトランプが当選したことで、さらに「トランプ・ショック」ともいえる現象が続いている。トランプの当選で「民主主義は終わった」なーんてことをいうひとも少なくなく、おれは次のようにツイートしておいた。

けっこう「トランプ・ショック」があるようなので驚いた。トランプぐらいで終わったりする民主主義なら終わってもよいんじゃない。とか、思った。
17:43 - 2016年11月10日

おれが驚いたのは、ニューヨークタイムズなどが、出口調査にもとづきクリントン圧勝かという感じの予測を出し、大外れだったことだ。「私」と「状態」の隔たりを認識し、状態を読むことについては比較的長けているし、調査分析法も進んでいるはずなのに、これは面白い現象だった。

もっとも、予測の大外れは、これまでも何度かあったようで、そのたびに調査分析法を修正してきているらしいから、さらに精密な技法を開発するのだろう。だけど、外れがなくなっていくのはツマラナイな。予測されざる埒外の人間どもの奮起が必要か。

『理解フノー』の歌、最初の出だしだけだったが、牧野さんから全部を完成させよといわれ、作った。それは先月末のことだけど。

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