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2002/12/26

2つの食べ方

メディアの情報に頼る。

自分の感覚に頼る。

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2002/12/25

タマネギ料理2

数日前、たまたま酒の席で聞いた話だ。その彼が貧乏学生をやっていた時代。酒が好きで、仲間が集まると、めしより酒だった。とはいえ若いから腹も一杯になりたい。

ある日、友人たちと、ないカネを出し合って飲むことになった。酒を買うと100円残る計算、それで何かを買ってツマミにしようということになった。たくさんあって、それなりに腹ごたえがあるものでなければならない。

ああだこうだの結果、タマネギを100円分買った。それをそのまま(油もないので)フライパンで炒めたり、スライスして水にさらしたりしてツマミにした。

80年代なかごろのことである。

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2002/12/24

タマネギ料理

江原恵さんは『実践講座 台所の美味学』(朝日新聞社、1983年)の「タマネギ」の項でいっている。「タマネギを主材料にした、まったく新しい料理を、一つでも編み出すことのできる人は、美味学に必要な想像力を、かなり豊にもっているひとである」本質をついた名言だと思う。

何軒くいたおしただの、本物の味を知っているがごとき言動は、およそグルメとは無縁のものだ。

食事や料理のたのしみは、食事や料理に対し、みずからの想像力を働かせることにある。タマネギを主材料にした新しい料理、考えてみよう。もちろんタマネギにかぎらず、ありふれた材料でよいのであるが。

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2002/12/23

ようするに

「グルメ」は台頭し大手をふっているのに、腐ってなければよいていどの食品(「工場生産」のような野菜や肉もこのたぐいだ)が日常になり、コンビニの店頭にグルメをリードしているらしい「有名人ブランド」や「有名店ブランド」のインスタント食品がならぶ景色は、なんとも奇怪である。いったい、食品を大事にしない土壌でのグルメとはなんなのか。

いやいや、すでに述べてきたように、そもそも食を大事にしない土壌に生まれたのがグルメなのだ。しかし、考えてみよう、なぜそのような状況が簡単に生まれたのか。「モノが豊になったけど心が失われた」などと、自分だけは「心」があるようなふりしているセリフでかたがつくのか。

そもそも「日本料理」にしてが、論者によってだいぶ違うが少なく見積もっても、数千年から数百年の歴史があるはずだ。それがかくも簡単に崩壊するとは、ナニゴトなのか。と、考えてみるのもよいのではないか。江原恵さんの『庖丁文化論』は、そのことの歴史的検討だともいえるのだ。

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2002/12/22

「反グルメ論」続

われわれ反グルメ人間は食べ物になんの魔力も感じない。

とボブ・グリーンさんは述べたあと、こう続けている。

人間と食べ物の関係は車とガソリンの関係だと思っている。空になれば、最寄りのスタンドへ行って、補給する。そしてまた空になるまで走りつづけ、空になったら、ふたたび都合のいいスタンドへ行って満タンにする。一時間十分もかけてある特定のガソリンスタンドまで出かけていくようなことは断じてない。同じようにわれわれは、同じ時間をかけて特定のレストランまで出かけていくこともない。5ドル分のレギュラー・ガソリンを入れて送り出してさえくれれば、それで十分なのだ。

と、ここまで読むと、さすがファーストフーズの国の売れっ子コラムニストだと思わなくもないが、かれは「”世界一のピザ”を食べてみないか、と何人かの人間に誘われ」「なにを血迷ったのか」車で一時間十分走ってそこへ行ったすえに、食べたかったペパローニがメニューになかったという体験をしたあとだということを、考慮にいれなくてはならない。

それにカンジンなことは、やはり「5ドル分のレギュラー・ガソリン」にありつけなくてはならないのである。そのガソリンが、水でうすまっていてはいけない。ボブさんは、こういいたいだけなのだ。

誤解しないでほしい。もちろん食べ物は人の味覚を満足させることもできる。だがそれは、大騒ぎするほどのことではない。

と。

ほとんどの料理や食事というのは、つまり大衆食というのは、そういうものであるはずなのだ。であるがゆえに、1980年代からの「グルメ」という大衆文化は、文化というにはお粗末な、何軒食べたと数を誇り、そのために遠くまで旅をし、その愚劣をごまかすために、大げさな表現で「料理の魔力」について述べなくてはならなくなった。それはまた「フレーバー系」料理や食品を、きらびやかな色と言葉で装飾する時代に対応している。

「有名人ブランド」「有名店ブランド」のインスタントラーメンやレトルトカレーの登場は、その馬脚のあらわれともいえるだろう。しょせんインスタントでありレトルトであるものを「グルメ」な装いにして二百数十円で売るなんざ、水増しのガソリンと同じじゃないか。ボンカレーとチキンラーメンやチャルメラがあれば十分である。「グルメ」とは、そのていどのものだったのである。

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2002/12/21

「反グルメ論」

じつは、昨日の「日本料理はフレーバー系に敗北した」という断定ははやすぎる。日本料理はフレーバー系に「変容した」あるいは「進化した」と、いえるかもしれないからだ。

いずれにせよ、江原さんが「日本料理は敗北した」というときの「日本料理」は、大衆食堂にあるような料理ではなく、「日本料理屋」にあるような料理のことである。そのことはチョットおいといて、「反グルメ」を先にしよう。

ボブ・グリーンさんは、1985年の『チーズバーガーズ』で「反グルメ論」を書いている。ちょっと長くなるが引用する。翻訳は、1986年の井上一馬さんだ。

「断じて食べ物のために旅をしてはならない」この教訓は、かつて派手な装飾の仰々しい映画館を歓迎したときと同じようにレストランを歓迎するいまの社会、あるいはニーズにかなったレストランをタイミングよく出した実業家に莫大な財産をもたらす社会、さらにはレストラン批評家なるものが存在する社会では、奇異にさえ聞こえるかもしれない。すでにアメリカ人が、レストランに名誉を与え、その権威の前にひれ伏すばかりか、”本物の料理”を食べるためならどんなに遠くまでも出かけていくようになっていることはまぎれもない事実である。

と述べ。

だが、なかには私のように少しちがった考えかたをする人間もいる。われわれ反グルメ人間は食べ物になんの魔力も感じない。

といっている。

つまり、わが日本の「グルメ」なるものは、「アメリカ化」のあとに、じつにアメリカと酷似したかたちで始まったのだ。そして、おそらく、このサイトをごらんになっているかたのなかには、ボブ・グリーンさんのように、それとは「少しちがった考えかたをする」ひともいるはずだと思う。

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2002/12/20

フレーバー系

「日本料理は敗北した」と江原恵さんは、その著書『庖丁文化論』で述べた。1974年のことである。「外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している」

一面あたっているが、見落としていることがある。もっとも、それはもうちょっとあとにならないとわからないのだが。いまとなっては、はっきりしている。

1970年代は、まだ大衆食堂がたくさんあった。おれが仕事をしていた市ヶ谷の事務所の近所、五番町の交差点の近くにも、「ことぶき」や「すずめ」といった大衆食堂があって、昼も夜も利用していた。

そのころファミレスやマクドナルドやシェーキーズができて、ま、食品のマーケティングをオシゴトにしている関係もあって、ときどき食べにいった。そこには大衆食堂にはない味覚があった。

どれも、うまくはないのだが、まずいとは言い切れない。そういうものだった。これはいったいなんなのか。疑問におもった。その仲間にやがて、麻婆豆腐やエビチリなどが加わる。

しばらくしてから、80年ごろになってから気がついた、それは西洋料理でもなく中華料理でもなく、あえてカテゴライズするなら「フレーバー系料理」ともいうべきものだった。

それふうに、ある種のフレーバーを魅力にした料理群が、この時期に市場を拡大したとみると、じつにわかりやすい。やはり、おなじころから市場を拡大する、インスタント食品やスナック菓子も含めてみると、なおはっきりするだろう。

つまりはアジノモトをベースに、なんらかのフレーバーを効かしたというところに本質がある料理や食品である。そういうものが70年代から、どんどん市場を広げた。

そうみれば、こんにち、カレーやラーメンの分野で、グルメに支持されているらしい、「有名人ブランド」や「有名店ブランド」のインスタントモノが受け入れられる状況も理解できるし、また「有名人」や「有名店」が誇らしげに、そういうインスタントモノに手をだせる事情もわかる。

「日本料理はフレーバー系に敗北した」のである。

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2002/12/19

「グルメブーム」の特徴

1966年1月1日の読売新聞に「主婦の願いと現実」という記事がある。

「家族そろって月一回、一人当たり三百円の外食をしている」……。あなたのレジャーは?とたずねてみたら、こんな答えが一番多かった。

というものだ。さらに読売新聞は書く。

それにしても、主婦たちのレジャーが外食とは、なんとつましいことか。
アメリカではふつう一年間に、ドライブ二十一回、ハイキング十八回、海水浴六回、観光旅行六回など、平均して、九十二回のレジャーを楽しんでいるというデータがある。そして、現在、西暦二千年のレジャー計画をたて、着々と実践しつつある。

読売新聞は、アメリカを持ち出して何をいいたかったのか、の検討はともかく、いまや外食は主婦たちのレジャーどころか、男のレジャーとしてもますます盛んであり、とりわけ「B級グルメ」にみられるように、つましいもつましい、つましさをこえて、「何軒くいたおした」かのゲームの様相すらみせて、なんとも涙ぐましい努力の奇怪である。

「食通の時代」のあとの「グルメの時代」の大きな特徴は、そのリーダー格のライターたちが、かならず「何軒」食べ歩いたかという数をほこることだ。

これは、50年代60年代のアジノモト全国制覇、70年代のアメリカナイズという均質化のあとに到来した「グルメブーム」としては、当然の成り行きだったのかもしれない。自らの美学や舌をストレートに主張しえなくなっていたゆえに「数」の勝負に出ざるを得なかった。そこまで味覚の価値判断は均質化していたといえる。もちろんほかにも事情はあるのだが。

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2002/12/18

ああ

連日連夜飲んで~飲んで~のみまくり~

忘年とは酒に浸ること

昼酒朝帰り終電車

サイトの日記より目の前のもう一杯

酒びたり年末だけのことじゃなし

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2002/12/16

「コメ離れ」といふこと

まだ昨日の「やよい食堂」のどんぶりめしのショックが残っている。最近の普通の食堂の倍の量はある。「半々ライス」というのがあるのもおかしいが、それが普通の半ライス相当、半ライスは並、並で大盛以上。

おもえば、とにかくむかしは、いまよりはるかに多量の米粒を食べていた。それはおれが若くてたくさん食べられただけではない、以前は普通の食堂で、並ライスはいまの大盛ぐらいはあったろう。とにかく同じ値段なら、めしの量の多い食堂へ自然と足がむいた。いまは、足をむけようにも、そういう食堂がめったにない。

そういえばむかしは、めしをたくさんガツンガツン食べるボクタチ若者を頼もしげに見る、食堂の優しいおばちゃんおじちゃんの目があったなあ。

それでふと思ったのだが、コメの消費は長期低落傾向で、一人当たりの消費量も低落しているようだが、コメをまったく食べなくなったというひとは、同じ率で増加しているわけではあるまいということだ。おれのようにむかしは大めしくえたのが、トシのせいで減った、だけどコメなしではすごせないというひとは、多く残存しているはずだと思う。

いったい「コメ離れ」というのは、なんなのだ? とふと思った。だからどうした? いえその、こう言いたいわけだ。国策として、うまいコメをもっと安く食べられるようにしろ、そうしたらもう茶碗一杯よけいに食べるかもしれない。コメをやめたわけじゃないのだから。

まだ昨日のめしのショックが残るエンテツでした。

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2002/12/15

お休み

今日は、めずらしく朝早くにウチを出て、千葉県野田市の「やよい食堂」へ行って、すばらしいジャンクなガツンガツンの食堂にであって、ひさしぶりに興奮して疲れた。

しかし、まさに日本の大衆食堂であった。ああいう食堂が残っているのだ。もっと、ああいう食堂があっていいはずだと思う。

トップページから「やよい食堂」をごらんください。

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2002/12/14

1970年代の事情

1970年代のフォークからニューミュージックの時代はまた、食品のマーケティングの世界では「横文字なら売れる」「カタカナじゃないと売れない」という時代の幕開けだった。

そしてそれは、70年代はアメリカ・イメージ、80年代はフランス・イメージ、イタリア・イメージ、90年代はエスニック・イメージという流れで展開する。そこには、それぞれ、ファースト・フードとファミレス、フラメシとイタメシ、無国籍料理にエスニック料理が対応している。

さすがに70年代のアメリカンフーズあるいはアメリカンスタイルの時代には「グルメ」とはいわなかった。かの国の食はグルメと対極にあるものね。そして、このサイトの「食文化本のドッ研究」の関川夏央さんの『水のように笑う』で引用している、「このところの日本の西洋料理ブームはなんだろう。流行に弱いというより、これはアメリカ化の果ての現象ではないだろうか。日本でもアメリカ並みにまずい食事がゆきわたった。その結果の小さなぜいたくが卑小な食い道楽だろう」という80年代のグルメブーム下での指摘は、まるで見当ちがいというわけではなかったのである。

いずれにせよ、そのような状況で70年代の江原さんの「日本料理は敗北」宣言だったのであるが、それは主に高級な「料理屋料理」の世界のことであり、大衆食堂はこの時代に最も成長する。そして、アメリカンフーズの氾濫にもかかわらず、カレーライスとラーメンは元気がよく(そういえば、これはカタカナ食品だね)、当時のファミレスでもカレーライスは健在であり、それだけはそのなかで、いかにも味覚のうえでも日本料理であった。

1970年代は、それまでの「食通の時代」から新しい「グルメの時代」への転換点だったといえるのだが、こうして、グルメ文化は食通文化の継承あるいは「食通の大衆化」ということではなく、アメリカンな荒野に咲いた花のように始まった。その花は食通文化の悪いとこだけを真似した、あだ花でもあった。

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2002/12/13

「日本料理は敗北した」か?

「日本料理は敗北した」と江原恵さんは、その著書『庖丁文化論』で述べた。1974年のことである。「外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している」

当時、日本料理に対し疑問と危機感を抱いて江原さんと会ったおれは、たしかにそうだ、と思った。でも、まだ、カレーライスがあるラーメンがあるカツ丼があるサバ味噌煮定食だってあるじゃないか、とも思った。

つづいて江原さんは書く。「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド型の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態をうちこわして、根本的に作り変えることである。……料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう」

チト納得できないところもあるのだが、ま、おおむね了であり、つぎの提言には、文句なしに賛成だった。

「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題をとりあげてもいいのではないかと提言したい。」

あれから30年たとうとしている。すでにカレーライスまでがラーメンまでが、「通人ごっこ」の、いまふうには「グルメごっこ」ということになるだろうがその、餌食になってしまった。

「グルメ」とは、食や料理を「まじめ」に考えないひとのことだったのか?

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2002/12/12

ラーメンの真相

ラーメンは第何次かのブームだそうである。このブームは長い不況にささえられてのことだ。ラーメンがブームということは脱不況の見通しがないということであり、「ラーメン激戦地」とは不況で何をやってもダメという地域のことだ。いまやどん詰まりの商売は「ラーメンかヤキトリ」である。

よく知られていることだが、ラーメンは利益率がよい、しかも「名人」だか「達人」だかというひとをみてもわかるとおり、さほど熟練がいらないで、そこそこのものはできる。つまりいちばん高くつく人件費からみても、投資が少なく回収も早い。参入障壁は低く出店が容易。結果「激戦」「ブーム」状態が続く。

客にしても、1000円以内ぐらいで、「通」を気どることができる。ラーメンが800円だ900円だといってもおどろきはしないが、2000円3000円の食事はできない。そういうなかで「通」を競う。

ある種「だまし絵」の世界なのだ。そもそもこのラーメンの世界は、アジノモトという「だまし絵」材料で成り立ってきた。テイスティングということでは、もともと単調な分野だったのである。

だからこそ、スープまるごと飲める「上品なうす味」をよしとする単調な感覚がはびこりやすかったといえるだろう。また、「アジノモトを使わない」が簡単に売り文句になったり、それをやたらありがたがったりするのである。

たとえば、アジノモト以前から歴史のある、うどんやそばと比較してみればすぐわかることだが、ラーメンの味わいの文化は、じつに底があさい。それゆえ、アジノモト仕様のインスタント食品としてのマスマーケティングも容易で、簡単に「行列のできる店」や「東京で人気ナンバー1の店」のラーメンがスーパーの店頭にならぶ。そういうものなのだ。

果汁10パーセントのジュースを飲みながら、奥が深い究極のウンチクをたれているような気になれる世界で、たいへんけっこうな娯楽ではある。

スープまで飲める「上品なうす味」は、単に個性のないアジノモト的標準の「無難な味」を意味しているにすぎない。

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2002/12/11

サバの味噌煮の不幸

これは「日記」となっているけど、これだけは、なるべく日々更新していきたいという願望にすぎない。けっこう更新という作業は大変なのでレンタル日記を活用し、そのかわりほかのコーナーの更新は怠慢にしようというコンタンなのだ。

で、内容的には、おれは「プランナー」という肩書で、1971年の秋から「食品のマーケティング」という分野で仕事をしてきたわけだけど、その現場で見たこと感じたこと学んだことなどを、備忘録的に吐き出していこうかと……。でも、そうなるかどうかは、わからない。

で、サバの味噌煮なのだが、あれはどうしても「上品なうす味」にはならないわけだ。もしそうなったら、サバの味噌煮じゃなくなる。

で、そういうものは、小説の世界では、あまり好ましいものではないようだ。サバの味噌煮は、おかしな役回りで登場させられる。有名な渡辺淳一の『化身』では、サバの味噌煮を食べる女は美人でも田舎者あつかい。その田舎者を、サバの味噌煮なんか食べない「洗練された都会人」にする思い上がったバカな男のゲームだ。森鴎外の『雁』では、サバの味噌煮がおかずに出たおかげで、美男と美女がこころだか肉体だかを交わす、千載一遇のシアワセなチャンスを逃すクライマックスで幕になるというぐあいだ。

なんだか、ある種の優劣観がただよっている。とにかく、世間には、「上品なうす味」ではないものを、うまいうまいと食べている現実があるのに、それを鑑賞もしくは探求しようとしないで、バカにする傾向が「グルメ」にはあるようだ。

だが、サバの味噌煮は、そのような不幸な星のもとにあって、なおかつ愛されている。ちゃーんと、大戸屋にもある。

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2002/12/10

「グルメ」といふこと

「グルメ」という言葉は、実際にはいろいろに使われている。単純には「美食」であり、「食べ歩き」もおおいようだ。「グルメ(食べる)」というふうな例もある。

それは共通項として「料理鑑賞」というぐあいに置き換えることができるのではないか。で、そう置き換えたとき、やはり人間の感覚器官を使って行う「絵画鑑賞」や「演劇鑑賞」や「音楽鑑賞」などと、きわだった違いが、ひとつあるように思う。

「究極の美味」なる言葉を、いとも平気で使うということだ。「鑑賞者」にかぎらず「作者」である「料理人」についてもいえる。「究極」がエラそうにしているのだ。ほかの鑑賞の世界では、あまり見かけないことである。そしてその「究極の美味」としての「上品なうす味」が語られたりする。まるでルノアールの絵以外は絵ではないとでもいうように。

そういうグルメは、1970年の「アンノン族」の出現とも関係ありそうだと、おれは記憶している。つまり、「グルメ以前」の「食通」は、ごく限られた男の文化だったが、マスマーケットになった「グルメ」は女性がリードするかたちで出現した。そこに、「上品なうす味」がよしとされる、もうひとつの背景があったように思う。

1970年「anan」創刊。1971年「non・no」創刊。誌面に登場した飲食店はアンノン族で混雑した。女にもてたいためか、アンノンの飲食店情報をチェックする若い男は、少なからずいた。ま、おれのまわりでは、おれも仲間だったが、アンノンを見て食べに行くことは、けっこう日常的だった。森下町のケトバシの[みのや]などは、アンアンかノンノを見て初めて行った記憶がある。

それが1980年代の「グルメ騒動」をリードする「hanako」さんたちと彼女らをめぐる男たちへバブルした、とみることができるだろう。そのなかで「上品なうす味」は一気に浮上した。

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2002/12/09

テイスティングの後退

「上品なうす味」「淡麗辛口」をよしとする傾向は、いつどのように始まりマンエンしたかの詳しい歴史はともかく、とくに1980年代以後の「グルメブーム」のもたらした悪しき食習慣あるいは食思想が深く関与していることは間違いない。

こんにちまで続くこのグルメブームには、それ以前の「食通時代」と比較すると、いくつかの特徴がある。大雑把にいえば、ひとつは、工業社会がもたらした「標準化」の思想と方法であり、もうひとつは、その適用がなんの疑念もなく普及する環境として、味覚の「アジノモト化」という標準化が全国津々浦々まで浸透していたことだ。

じつに、この「上品なうす味」「淡麗辛口」をよしとする単一の基準は、工業化の時代、それと密接にリンクした「アジノモト化」という、「味覚破壊」の時代のあとにマンエンしたのである。

そのため、とくに皮肉なことに「B級グルメ」ほど、その特徴は顕著であり、あらゆる食の場面で、「テイスティング」とでも表現すべき、味覚の楽しみは大きく後退した。

そういうこと。

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2002/12/08

はじまり

ま、ようするに、これはある種の備忘録である。このサイトには「エンテツの発作なお言葉」なるものがあるのだが、チト大層なもので、もっと気軽に思いついたことを、忘れないように書いておきたい。ただ、それだけ。ようするにトシのせいか、忘れやすくなったのね。

それで何が気になっているかというと、「上品なうす味がよい」とか「上品なうす味だからよい」というような、「うす味=上品=よい」という言い方があって、けっこうマンエンしている。これは、なんでもかんでもそういうことになるのは、おかしいのではないかと思う。とくにラーメンやおでんといった大衆食までそうなるのは、大衆の多様性の無理解や否定のようでもありおかしい。もっと味覚の表現のしようがあるだろうと思う。

そして、そのおかしいことが、いつごろどう始まったのか気になって、いまいろいろ調べているのであるよ。いつごろ始まったかは、まだ突き止めてないけど、こういう言い方がマンエンするのは、比較的新しいことだけは、わかった。

そういうこと。

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