庖丁の「魔力」にとりつかれた日本料理
四条流、四条園流、四条園部流、四条真流、京都四条流、大草流、進士流……、いくつあるのかわからない。ネットの検索で簡単に拾い出せるが、どれも古式ゆかしき「庖丁式」なるものを語るだけで、それぞれがどういう料理と味覚の特徴をもって分かれているのか、明快な説明はない。詳しい本を読んでもそうなのである。なぜかれらは自分たちの料理だけが「日本料理」だというようなことを言い張ってきたのだろうか。どうも「庖丁」が関係するようなのだ。
『小説 料理の鉄人4』(小山薫堂著、扶桑社)「第一章神田川道場」は、このように始まる。
「さて、どうや」
道場には、神棚があった。そして、床の間に「盤鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」と書かれた掛け軸が吊るしてあった。それは、千数百年の歴史をもつ庖丁人という職種の、主護神(原文ママ)でもあった。
さて、どうや、といったのは、床の間を背負って座る、一人の男であった。(略)
道場主、神田川俊郎である。
テナことで、その「さて、どうや」は、ヒラメの刺身を前にの「勉強会」の場面である。花戸という男がいる。かれは、こういう男である。
古式庖丁道の大派、四条流の免許皆伝の腕の持ち主であり、伊勢神宮奉納式庖丁で庖丁人をつとめる。神田川との付き合いは、もう10年になる。神田川の右腕だ。
テナぐあいに「四条流」は使われる。そして、こう書かれている。
勉強会の、今日の課題は、新しく開発されたセラミック庖丁の研究であった。
日本料理の庖丁は、玄人が使うものは、炭素の含有量の多い鉄、すなわち鋼の刃をもつ。世界でも独特の片刃の庖丁が、日本独自の調理法である刺し身を可能にする。日本料理で、「庖丁の冴え」という。庖丁さばきひとつで、味もかわる。それが日本料理の哲学だ。
「庖丁の冴え」よく耳にする言葉だと思うが、それで説明されるのが、かれらの「日本料理」である。
ちなみに、中国料理やフランス料理などは、ナントカ地方の料理、あるいはナントカ地方風の味、という表現で分類される。それで料理と味覚が説明される体系がある。「四川料理」なら四川地方の料理と味覚。家庭料理という言われ方をしても、それぞれが、そこにおさまる体系である。だが日本料理の場合は、日本料理が「上」と家庭料理が「下」という「二重構造」になっている、その境に「庖丁という伝統」があるのだ。
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それゆけ30~50点人生。
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