« 2003年3月 | トップページ | 2003年5月 »

2003/04/30

買い物におけるフシギ

「あああ、ところで、生タラコを買うときですが。スーパーだと小さなトレーに入ったのが並んでますね。いくつも並んでますね。だから、どれがいいか見比べるわけですよ。同じ値段なら少しでも大きい方をとか、カタチが崩れてなくてうまそうなのとか。だけどね、そんなに決定的な差がないのです、でも懸命に見比べるのです」

「うひゃひゃ、そうそう、そういうの女に多いよね。タラコにかぎらず、両手に同じ商品を持ったまま、右を見て左を見て、けっこう長い時間やっているんだな。そんなに長い時間ナニを見比べているのかと思ってしまうぜ」

「あああ、このあいだなんか、あのウドンの玉がありますが、あの一個一個袋に入っているウドンの玉。あれを、こう片手にのせましてね、重さをはかるように軽く手のひらの上で躍らせてはジッと見て、なにが気に入らんのか、モノを変えては繰り返している主婦がいましたよ。私も、ときどき比べることをしますが、最初は、こうなんか、ここはどうかなと問題意識を持っているようだけど、そのうちもう、ただバクゼンと見ているだけという状態のことがよくありますです。フト、見入って忘我状態の自分に気づいて苦笑するってことがありますね」

「うひゃひゃ、加工食品なんか原材料が印刷されているね、いろいろ添加物などはわからん名前があるから、ついつい見てしまうよね、だけどいくら見てもわからんのさ、だけど見る」

「あああ、私の場合、添加物などはまったく気にしないですよ、どうせ表示してあってもあてにならないから、でも、タラコなんかは、どれがイチバン安全そうか、なーんて色の具合とか見比べているということがありますね、どうせわかりっこないけど」

「うひゃひゃ、そうだ、ショクドー、そういう主婦をつかまえて、ナニを見比べているかナニを考えているか取材してこい。男もスーパーで買い物するのがふつうになったけど、まだまだ主婦がそういうことをしている姿を知らない男はいるぞ」

「あああ、たしかにおもしろそうですね。みんなナニを考えているのでしょうか。でも、それはフツウのメシの追求というテーマと関係あるのでしょうか」
「うひゃひゃ、どうかわからんから、聞いてみるってことさ。フツウのメシはフツウの買い物にやどる、という言葉があるだろ、そういうフツウの買い物状態におけるフシギを取材しろ」
「あああ、そんな言葉ありましたか?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/29

メシにおける普遍的相対性原理に関する対話

「あああ、私は生タラコしかくったことはありません。私が生まれたころには、タラコといえば生タラコだったと思います。コンビニのオニギリのタラコは、焼いてありますが、そういうプツプツ感もないし、ヘンな小さなかたまりが入っているだけで、うまくないですよね」

「うひゃひゃ、タラコはな、焼きたてのアチチがいいのさ。焼きたてはね、外側の皮がぷっくらとふくらんでパリッとしていて、それを噛み切るときの歯ごたえがいいな。パリッと噛み切ると、なかからフワッと熱い湯気がでるぐらいの感じ。だけど芯のほうは半生でね、するといろいろに味が楽しめるのさ」

「あああ、オニギリでは、その感触はないですね。第一、焼きタラコのオニギリは、けっきょくタラコとメシの味がお互いにまざりあうという感じがないまま、じつにつまらなくタラコはタラコ、メシはメシでおわってしまうというのが、おもしろくないですね。焼きタラコをほぐしてメシとまぜてあれば違うかなと思いますが。オニギリはやはり、具がてきとうな汁気を含み、それが食べるときにメシと混ざり合うという仕組みが必要ですね」

「うひゃひゃ、それでな、焼きタラコを最初ひとくちパリッと噛むだろ、それで感触を楽しむね、で、ハシにつまんで残っているほうをメシにのせてね、それをグッとメシのなかに突っ込む要領でほぐすんだな。そのとき、つまり芯が半生だと汁気があるわけだから、それをハシの先でメシとまぜまぜしながら食べると、これがうまいんだよね」

「あああ、けっきょく、コメのメシが汁気と混ざりあうことでうまくなるというのは、メシにおける普遍的な相対性原理であって、ぶっかけめしの本質でもあるわけですが、汁気とメシの融合による味の飛躍ですね。梅干の場合もですよ、けっこう汁気を含んでいますよね、あの皮というか実のところをめしとまぜまぜしながら食べるとうまいし、ニギリメシの場合は口のなかで噛みながらまぜまぜしているわけですよ、梅干とメシがまざりあったところがうまいのであって、梅干は梅干、メシはメシじゃつまらんわけですよ。ところが焼きタラコのニギリメシの場合は、どうもその融合がうまくいかず、タラコはタラコ、メシはメシのままにおわってしまう、そこがイマイチ面白くないですね」

「うひゃひゃ、そりゃ、そこにはやはりメシは、塩気によって味がひきたつという関係もあるんだろうね」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/28

生タラコ、おかわり

はーて、これはファンタジーの続きなのか、それともファンタジーはやめたのか。ユビがキーを叩くまま成り行きまかせでいきましょか。

新聞というと一面は決まって、新聞社が大事件と考える記事と政治や政治的なデキゴトでニギニギしいが、アヤシゲ新聞は違う。その一面に、このような記事が載った。もちろんショクドー君が書いたのだ。

あああ、昨夜午後7時30分、東京都荒川区三河島5631-34-24にあるアタリマエ食堂において、会社員の林ウルドーさんが、めしのオカズに生タラコを食べていたが「うまい! おかわり」といい、計二皿食べた。生タラコはアタリマエ食堂が近所の食品店から買って小皿にのせて出すだけの、どこにでもあるものです。それをウルドーさんが「うまい! おかわり」とやったのです。アタリマエ食堂の店主の話では、約50年この商売をやっているが生タラコのおかわりは初めてだそうです。ウルドーさんは、鉄鋼大手のA社の部長職で接待などで高級料亭を利用することもあるグルメですが、つぎのように語りました。「いや、そのとき本当にうまいと思ったから、おかわりをしたのです。近所の店から買ってきたものかどうかなんて関係ないですよ、食べるときの自分の感覚に素直になることです。だいたいね、よく築地で仕入れてきたから、などと旨そうに偉そうにするところがありますが、築地ってのはピンからキリまであるのですよ、わたしがアタリマエ食堂で食べた生タラコにしても、もとは築地でしょう。もっともらしいウンチクにまどわされてアタマで食べるようになったら、人間おしまいです。食べたとき自分の感覚がうまいと思うかどうかですよ。それに素直にしたがうことです」

アヤシゲ新聞社の社長モクドーが、その記事を見てショクドー君にいいました。「うひゃひゃ、おお、いいじゃないか、その調子。だけど、生タラコで思い出したが、あれを生で食べるようになったのは、いつごろからかね、むかしはたしか、焼いて食べるのがフツウだったよね。焼くとね、焼きすぎるといけないんだけど、芯が半生ぐらいに焼くとね、タラコの粒々が膨らんで固くなる、それをプツプツとかむ感触も、なかなかよくて、めしがもう一杯よけいに食べられたなあ。うひゃひゃ、今晩ヨメに焼いてもらお」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/27

初心に帰ろうか

「げっ、『東京裏路地<懐>食紀行』はね、ちょっと違うんだなあ。レトロと間違われやすいし、よく間違われるけど、あれはねロマンチックな言い方をすれば”ジャンク道”ってものだろうねえ。つまり、レトロなひとというのは実際に昔のその時代が好きなわけじゃないし、仮にその時代に生きることになったら逃げ出したいと思うひとたちだね。テーマパークで遊ぶように昭和や戦後を観念的に懐かしがるだけ。だけど、あの著者の2人、誰だっけ?」
「あああ、藤木TDCさんとブラボー川上さんです」
「げっ、そうそうあの2人はね、皮膚感覚的にあの時代を求めているし、あの時代に生きられる連中なのだよ、逆にいえばイマの表層のメジャー文化が肌にあわないということになるかもな。そういう文化というか感覚の系譜があるんだな。これは日本の表文化と表裏の裏文化なのさ」
「あああ、あのコキタナイのが好きな、メシドーとかもですね」
「げっ、漫画家の東陽片岡さんもね。ある種、人間の肉体や欲望についてまわる猥雑なものへの好悪の文化が関係している」
「あああ、それと、おふくろの味と、どういう関係があるのでしょう」
「げっ、おーいオヤジ、帰るぞ、勘定してくれ、こいつが払うから」
「あああ……」

……シーチキンの缶詰を買うときはノンオイルにするのよ、いいわねあなた、ノンオイルよ、ノンオイル……
耳元でささやく声が遠ざかり、女の柔らかい身体が離れた。
目が覚めた。メシドーは舌打ちしながら、ごろ寝の畳から起きた。なにがノンオイルだ、料理一つ作れなかったくせに。料理はおれが教えてやった、その料理を別の男に作ってやった。

しかし、なんで、こんなことを書くことになったのかねえ。そう思って、日記の最初の日を見たら「これはある種の備忘録である」と書いてあるぞ。なーんで、こうなったのか、ずいぶん転々としたが、明日からファンタジーはやめて、初心に帰り備忘録にもどろうかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/26

その5 おふくろの味って

「げっ、”いつごろから使われだした言葉”でしょうという発想がいけないんだよ。すぐルーツの話にする。問題は、どうして”おふくろの味”が、取り沙汰されるようになったか、だろ。とりざたされるようになったから、”いつごろから”なんて考えるようになったんじゃないか。言葉なんてのは次々に生まれ次々に死んでいくんだ、使われなくなったらオシマイ。イツ生まれたかより、ナゼドウ使われてきたかで、そういうことでいえば、1970年代だと思うよ。”おふくろの味””ふるさとの味”が街頭の景色にまでなったのは」
「あああ、街頭の景色というと……」
「げっ、そういう文句の看板が東京の街で目立つようになって、おふくろの味がウリになるほど、美化されるようになったってこと。その前は、おふくろの味というと貧乏くさいイメージだったぞ。それがさ、懐かしいプラスイメージになったのは、おふくろの味ってのが縁遠くなったのと、縁遠くした、つまりだな、おふくろの味と自分とのあいだを隔てた現実、それに対する不安が強まったからさ。70年代というのは、それまでイケイケドンドンできた高度経済成長の先がみえなくなって不確実性の時代という言葉が流行ったり、オイルショックがあったり、あと公害やなんかで工業化に疑問がわいたりね。現実と未来に対する不安が高まった、そしたら、おふくろの味がとてもよいものに思えてきたというところかな。ま、それに、東京は田舎者で膨張している最中だったし、それやこれや」
グィッとグラスのビールをあけるサギドー。ビールの銘柄は古い大衆酒場が惰性か頑固か偏屈で、昔のまま置いているサッポロラガー。

「あああ、ところで、このタマネギのフライは、おふくろの味なのでしょうか」
「げっ、てめえはどう思うんだよ」
と、すかさずカウンターの中から、「それはウチの味」とオヤジの声。
「あああ、なるほど」
「げっ、頭でっかちのおめえみたいな男より、ここのオヤジのほうが正しいや。しかし、タマネギの天ぷらはよく食べたけど、フライってのはめずらしいやね」
「あああ、このタマネギのフライの話が『東京裏路地<懐>食紀行』にありましたね。まぼろし闇市をゆくというサブタイトルで、戦後の闇市を知らない2人が闇市のあとを訪ねては闇市を幻想する。いまもまた先の見えない不安な時代だから、おふくろの味や戦後が懐かしく美化されるのでしょうか」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/25

その4、ニセモノとホンモノ

「ようするに、ホンモノかニセモノかの尺度しかない。本来、スペシャルつまり特別なものか、スタンダードつまり普通といいますか標準といいますか、そういう尺度で考えるべきものまで、ホンモノかニセモノかにしてしまう。リーズナブル、ま、適正といいましょうか、そういう価値基準もないのです。これを日本の歴史を縦に流れる文化としてみると、とても面白いと思うのですが。南北新聞文化部記者の山岡司郎という男は、その典型みたいなものでしょう。彼のような人間からすれば、われわれ日本人が普段たべている普通の食品は、ほとんどニセモノになるし、それを売っている者も買う者も、ココロがないフマジメな人間、ということになるでしょう。そういう考えがナゼ存在するかというのは、とても面白いと思うのです」

2人の間のテーブルには、”食コミック”の草分けといわれる『美味しんぼ』がおいてあった。

「うひゃひゃ、で、アヤシゲ新聞で、フツウを追求する連載を組もうということですね。南北新聞のような大新聞を相手に、この吹けば飛ぶようなミニコミ紙のような弱小新聞社が闘いを挑むということですね」

「ま、闘いというと大げさですが、どうせ中央に座れない小新聞だからできるのですよ。それに、いずれ誰かがやることになりますよ。私の情報では、あのエンテツ大飯神のとこのサギドーなんかは、資料をコツコツためて、かなり意欲を燃やしているとか」

「うひゃひゃ、サギドーがねえ、やりそうですねえ。ま、ゾウに刺さるトゲにもならんでしょうが、やってみますかね」

2人の姿は、はたしてどちらがホンモノで、どちらがニセモノなのか、見分けがつかない、どこから見ても2人ともアヤシゲ新聞社の社長モクドーだった。なんと、モクドーには影武者がいたのである。

そして、ショクドー君がフツウの食を追求する連載の担当になったのだが、山岡記者と比べると、なんとも心もとない。大丈夫かいな。
「あああ、おふくろの味というのは、いつごろから使われだした言葉でしょうねえ」
今日も赤羽駅前の大衆酒場まるよしでサギドーと昼酒をやっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/24

ファンタジー、フツウのメシ 3夜

ショクドー君は、おどろいてオヤジの顔を見た。
「あああ、みんな??? ここにおふくろの味があったのか」
食堂の名前、嘘や食堂。
店主は妻をふりかえり「なあ、このあいだテレビの連中が取材にきて、みんなおふくろの味だと言っていたよな」
妻は迷い戸惑いこたえる。
「そうねえ、そう言っていたけど…そうねえ、わたしがつくっているのは半分ぐらいで、トシだからねえ腰痛がひどくてねえ、半分は近所で買ってきたものを温めて出すかそのまま出すだけなのだけど…そうねえ、おいしいおいしい、これがおふくろの味だと言っていたわねえ」
店主は大きな目をグリグリ大きく開いて、ホラどうだという顔でショクドー君を見る。

と、ガラリと戸が開いて「よぉスッ、おやじ」と勢いよく入ってきたワイシャツにネクタイの男、「サバの味噌煮と漬物、メシ、味噌汁」と言いながら腰をかけた。
店主、さっとお茶をだす。
ショクドー君、顔をポッと赤らめ、目は充血、男の向かい側に席を移す。
「あああ、ヘドーさん……」
「ななななんだおまえか、そんな目でおれを見つめるなって言ってるだろ、なんだ」
「あああ、ヘドーさん、ここはおふくろの味ですか」
「そりゃきまってるだろ」
「あああ、なぜですか」
「なぜって、そりゃおめぇ、ここが料亭の味か? レストランの味か? 旅館の味か? なあおやじ、ここには板前はいないしよ、そんな高級なものじゃねえだろ、だけどこれでいいんだよな、これが」
店主は言う。
「そうさ、みんなウチの家族が食べているものと同じものを出しているんだよ。買ってくるものだって、ウチも近所のひとも買って食べているのと同じものだよ。ウチにはすし屋の職人だって食べに来るよ。すし屋の職人だって、めしどきにはフツウのメシを食べるのさ、いつも大トロやウニを食べているわけじゃないのさ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/23

ファンタジー、フツウのメシ

「あああ、もしもし、おふくろの味というと、やはりオンナの味でしょうか」
いきなりショクドー君の頭を竹のモノサシが襲った。「おまえにオンナの味がわかるか」竹のモノサシを持ってショクドー君の後に立っているのは、総務の局モクドーのヨメだった。ショクドー君はホモなのである。

痛さをこらえショクドー君は電話にむかう。「あああ、もしもし、アヤシゲ新聞社のショクドーです。おふくろの味というのは、エンテツ大飯神によれば、子供の頃の記憶にある味、ということになるそうですが」

「ででで、あんなインチキ野郎のいうことなんぞどうでもええ、あんたはどう考えるんじゃ、ででで」

「あああ、そうですねえ、ま、家庭料理ということになるんじゃないかと思いますが。家庭料理というのは母親つまり女がつくってきたからおふくろの味、ということになるのとはちがいますかあ」

「ででで、じゃぁ男のワシがつくるとおふくろの味じゃないんじゃな、ででで」

「あああ、そういうことじゃなくて、おふくろの味がするかしないか、ということじゃないかと……」

「ででで、うるへぇ、だから、おふくろの味は、どんな味じゃ!そんな味があるのかあ」

突如、メシドーは怒り出した。世間では隠者というと何があっても動じない達観したノンビリ爺と思われているようだが、隠者の実体は必ずしもそうではない。ワガママ身勝手で社会適応が困難なために隠者生活を余儀なくされたものがほとんどなのである。

「ででで、こりゃあ、おふくろの味とは、どんな味だあああああ、言ってみろおおお」

電話のむこうの怒鳴り声を聞きながらショクドー君は電話を切り、近所の大衆食堂にむかった。

そして食堂のオヤジに言った。「あああ、おふくろの味の定食お願いね」
すると食堂のオヤジは言った。「ウチは、みんなおふくろの味だよ」
ショクドー君は、おどろいてオヤジの顔を見た。「あああ、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/22

ファンタジーのはじまり

とつぜんだが、ファンタジーを書くことにした。

とつぜんだが、アヤシゲ新聞社の記者ショクドー君が運命に導かれ「フツウのめし」を求めて旅に出たのである。アヤシゲ新聞社の社長はモクドー、専務はセドドー、総務の局はモクドーのヨメ、ほかにどんな社員がいるか、新聞社のことは、おいおい書くとしよう。

いまやフツウのめしは「幻のめし」といってよいほど、姿を消しつつある。その元凶はなにか、そしてどこにフツウのめしがあるのか。そうだ、そうなのだ、このファンタジーは「究極」だの「至高」だのといった偉そうだが中味のない暗黒の言葉の彼方にフツウのめしを追いやった元凶を、安酒場の昼酒のコップのなかにさらし、そしてフツウのめしの復権をはかるフツウ・ファンタジーなのだ。

ともあれ、ショクドー君は北方のボロ木造アパートに住み着いている、かつてフツウのめしのために女房子供を捨て、というか、「究極」と「至高」のグルメに走った女房子供に捨てられた隠者メシドーに電話をした。

「あああ、もしもし、アヤシゲ新聞社のショクドーと申します。きのうのザ大衆食のサイトの日記ごらんになりましたでしょうか。あの文脈ですと、コメのメシ、おふくろの味が衰退した原因は男の料理のプロの料理の日本料理にあるということになると思いますが、どう思われますか」

「ででで、で、答えたらナニくれるの。酒一升かい。なにしろねえ近頃はテレビだ新聞だのと、そういう看板だせばタダでコメントや情報をもらえると思ってなああんあん。そりゃいいよ、そりゃいいんだが、勝手に自分たちのストーリー、つまりだな、アホバカ貧乏B級グルメが喜びそうに変えてだな、利用するのが気に入らんのよ。おまえはなんだあ、その一味か、だいたいアヤシゲ新聞社なんて聞いたことないぞ」

「あああ、もしもし、アヤシゲ新聞社のショクドーと申します。当社は創業2000年の由緒正しい新聞社で、名前はアヤシゲですが、創業以来フツウのひとによるフツウのひとのためのフツウの新聞をめざしていまして、で、ようするに今回はフツウのめしとおふくろの味の関係について記事にしたいと思っています」

「ででで、で、あのザ大衆食の日記に書いてあることは6割ぐらいは正解だじょおおお。だいたいな”おふくろの味”というのなんだと思う、”おふくろの味”なんていう味はあるのか、ででで」

「そりゃ、おふくろの味というと

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/21

メシは難しい

ま、とにかく、おれの場合、ウチにコメが有るとアンシンなのだけど、そして今夜は煮込みウドンか鍋をやってウドンで仕上げ、というときでも一応コメを炊いておく。たとえパンは買ってきてあってもだ。コメさえあればなんとかなるし、うまいメシが食えるのさの気分が日本人かなあ、と思う。

しかし、一昨日の続きだけど「男の料理」というのは、メシとオカズじゃないんだなあ。男の料理からすれば、家庭料理であるオカズは料理じゃない、料理とオカズは区別されてきた。男の料理の本質は儀式や宴会の料理であり、つまり酒の肴なのだ。一品一品を、これはね、どこそこのなになにで、それをかように料理しましてな、ってなぐあいに食べるもので、メシをガツンガツン食べる歴史でも伝統でもない。

だから日本の主食はコメというけど、日本料理でコメのメシをうまく食べる食事なんていうことがテーマになったことはないのさ。ウソのようだけど本当なのだなあ。そこにすでに日本は「コメが主食」のあやうさがあったとみてよいと思うね。もちろん文化的な意味においてだけど。なにしろ四條流のように庖丁儀式が君臨しているなんて象徴的で、それは肴崇拝のあらわれだろう、そしてもちろんコメは主食だという、これは男の料理のイチバン不思議なところなのさ。

で、そういう男の料理が見下すところの家庭料理でメシとオカズというカタチが守られてきた。「おふくろの味」というときは、そこに必ずメシがあるのであり、メシとオカズは切り離しがたく一体だった。

しかしアレだよねえ。メシとオカズの大衆食堂、定食屋と言ったりするけど、それはラーメンやそばやうどんの店にくらべると、原価が3倍近くかかる。ラーメンなら定食の3分の一ぐらいの原価でショーバイできてしまう。大衆食堂と居酒屋は接近あるいは重なっているところがあるけど、やはりメシを食べることをメインにしたオカズか、酒と酒の肴としてのオカズで稼ぐのかとではビミョーに原価構成が違ってきて、とにかくメシとオカズの商売は難しい。ということも、ラーメン屋ばかりやたら増えて、まっとうなメシを食えるところが少なくなっていくことにも関係するし、男どもがこうもラーメンや居酒屋に熱中するのは、男の料理である日本料理の文化的深層心理的影響といえなくもない。オカズのメシは「下」と見下ろしてきた男の料理の歴史を見落としてはならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/20

本日

休み。昨夜、祖師谷組で飲みすぎ。ビール、サングリア、ワイン、日本酒4種類、ウゲゲゲゲゲゲゲゲ、よく飲んだ。夜中に、このサイトにアクセスできなかったようですね、たぶんプロバイダーがのんだくれていたのでしょう。おれの酒のせいじゃないよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/19

男と男の料理の不思議

「男の料理」という言葉は70年代後半に、男子厨房に入ろう会ができて「男の料理」が話題になり、週刊ポストが「男の料理」という連載を始めたころから注目されたように記憶している。

しかし、「日本料理」はもともと男の料理なのであって、女の料理であったことはないね。すでに何度か述べたように、この場合の「日本料理」は家庭料理を見下してきた四條流などの「プロ」の料理のことだけど。日本における、料理に関する記述も、近代になるまでは、100パーセント男の手になる。日本の女は何をしていたのだ、料理をつくらなかったのか。と、言いたくなるぐらい、近代以前は、料理に関しては、作る方も食べる方も男の記述だよ。それが徹底している。源氏物語なんぞは、こいつらメシくってないのかと思うぐらい色事だけ。枕草紙だって食の風景が出てきはするが、それはまさに風景の一部のように登場するだけだ。

文字を使う女は料理から遠かったのだろうか。むかしの韓国は、すごい封建的な国のようにいわれているが、中世の女性の手になる料理の本があるのと比較すると、とにかく文字の上では、日本は「男の料理」に偏向していたといえるよ。

で、その男の料理は、プロの職業としての報酬や身分が関係するそれ、あるいは食べる方は道楽としてのそれなのだ。とりあえず、その料理の特徴を簡単にいってしまえば、生きる料理、生活の料理ではないところに特徴がある。

先日、ある居酒屋ファンのあいだでは有名なトコで飲んでいたら、隣に座った男が話しかけてきた。かなりの居酒屋ファンのようで、東京で3指に入るのはドコで、5指になるとどうのこうの、と、たいがい本や雑誌に載っている、おれもほとんど知っている店だった。テキトウに相槌を打っていると、「○○の掟」を知っているかと、3指に入る居酒屋の名前をあげた。おれはそんなもの知らないし関心がないから「知らん」といった。すると、ここぞとばかりに、うれしそうに話すのである。それは店が客に強制しているところの瑣末な「掟」であって、その「掟」を知っていることが、その店の「通」である条件らしいのだ。男は自分がそれを知っていて、それに唯々諾々と従っていることを誉れであり喜びであるようだった。おれは、その居酒屋には二度といくまいと思いながら、そういうことを喜んでいる居酒屋ファンを眺めながら、どうして男はこうなったのだろうねと、文字制限

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/18

チンと観念的味覚

きのう書いた「ブデナベ」は「ブデチゲ」というのが正しいようだ。とにかく、うちにはチンがない。欲しいのだが、ナントナク、どうしても欲しいということにならない。電子レンジ売り場で見ているうちに「ま、すぐには、いらんね、それよっか酒のもっか」で終ってしまうことが繰り返されている。電子レンジを使うのはイケナイなんて思ってない。

大衆食堂では、作りおきのオカズをチンして出すところがある。それをイケナイことのようにいう傾向が一部にある。ちゃんと、できたてを出して欲しいなあ、という気持はわかるが、チンを使うのを良心がない根性の腐った怠慢のようにいい、またチンをイケナイとするのが「通」「グルメ」「プロ」なのよねという感じで思い上がる傾向は問題アリだと思う。

大衆食堂がチンを導入したのは、それ以前の歴史からすれば「進歩」だという側面を見落としてはいけないだろう。つまり、かつては作りおきのオカズを、そのまま出し食べるのがフツウだったのである。そういう大衆食堂がカネを投じてチンできるようにしたのは「サービスの向上」であるわけだし、客にとってもありがたいことだったのだ。だけど、そのころは大衆食堂など見向きもしなかったものが、いま昭和を懐かしがり、そう、懐かしがるためにだけ来て、たびたび利用するわけでもなし、ましてやライター稼業の人間は書くときだけ来て、「チンがいけない」と書くのである。昭和のころは人情があって、なんでも心をこめた手づくりで作りたてのうまいものを食べていたハズ、だから昭和のレトロの大衆食堂がチンを使うのはオカシイ、そういう思い込みで評価を下す。そういう態度こそ、流れを調べない即席な、チンを使うのと同じだと思わないのだろうか。昭和には、ずいぶん冷え切ったものをくっていたよ。チンなんか夢のようにありがたい道具なのさ。

つまり、なんの話かというと、味覚が「観念的」だということ。とりわけオトコの方が観念的であるといえるだろう。「プロ」のやりかただからウマイ、由緒ある昔ながらの方法だからヨイ、という、これは味覚の評価と関係ないにも関わらず、そのような観念に支配されているジブンがいる。チンしたもの食べて、その味は、具体的にどうだったのか、チンするところ見て、あっ、こりゃダメと判断をくだしてないか。そういうことに関わる「観念的味覚」、これは日本料理の歴史と関係あるね。ってことで続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/17

ブデナベ

今日はチト忙しいので、昨日初めて食べた「ブデナベ」について。これは「デブ」を逆さまにして食べるナベである。なーんて、ちがうぜ、セドリのセドロー。

マイホーム駅、北浦和駅西口からほんの数分のところに、韓国亭という韓国家庭料理屋がある。そこにブデナベがあるのだ。チゲの一種だが、中身が、なんと、魚肉ソーセージと魚肉ハムがたっぷりの、それにトック、トーフ、タマネギ、ピーマン、ニンジンなどに、春雨、これはおどろきインスタントラーメンの麺つまりラーメンの乾麺だね、これらなのだ。ようするに大衆的な安物しか入ってない。だけど、ここのキムチはとてもうまいし、だからだろうとにかく味がよいからガンガン食べられるのだよね。韓国ラーメンまで食べた気分になれて、2500円。店の人は2人前といったけど、3人前タップリあった。最後にメシを入れて食べるとうまそうだったけど、腹いっぱいでやれなかった。

いやあ驚きでした。シタタカなナベです。魚肉ソーセージは、けっこう食べているけど魚肉ハムは何十年ぶり。それに乾麺が堂々と、そのままゴリッと入っていて、汁にひたし崩しながら混ぜて食べる。

で、デブナベ、じゃない、ブデナベの「ブデ」はどういう意味だと聞いたら、軍人とか軍隊の意味で、ブデナベはつまり「軍隊ナベ」のことで、韓国の軍隊で食べているナベなのだそうだ。かなり、納得した。こんど、韓国亭でキムチだけ買ってきてウチでやってみよ。

では、ほんじゃま。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/16

うるさいうるさい日本料理の行方

安曇氏は中央政界では失脚したけど、「早くより東方に進出し、安曇・厚見・渥美・安積などの地名は同氏の発展居住した跡を示すものとされる」。高橋氏は膳氏を改姓したものといわれているが、高橋は地名とのこと。この「氏」は大和朝廷の氏姓制度の氏で、氏族であって、のちの「家」とはちがう。安曇氏は皇室と連合し支配階級を形成する大豪族だった、膳氏は皇室の官僚を勤める小豪族だったとみられているね。

んで、いわゆる大化の変から天智系天武系の争いを経て皇室の支配が強化され、氏姓制から律令制へ移行する政治闘争のなかで、中臣氏(のちの藤原氏)などの皇室の官僚をつとめていた氏が勢力を伸ばし、多くの古い大豪族は倒されたり弱体化を余儀なくされるが、安曇氏は生き残り膳氏と内膳司の長官をつとめることになる。

このムリのある体制が、どうしてできちゃったのかというと、やはり安曇氏の支配する海人族の力を、とくに朝鮮半島との関係で無視できなかったのと、彼らの海系生産力が皇室にとっては必要だったからだろう。だけど、朝鮮半島とのトラブルもなくなり、中央官僚制度が整い藤原氏のような皇室の官僚が国の実権を握るようになって事情は変わった。

とにかく、近代では「天皇の料理番」というと「ああ料理人ね」という感じだが、かつては料理というか食事は、重要な政治儀式だった。もちろん、とくに支配階級においてだが。「食べる」より「政治儀式」としての意味のほうが強かったといえる。それは、食べ物が産物として価値あるものだったからにほかならないが、力の弱いものが力の強いものに「ごちそう」をするというカタチで服従を表現していた。

つまり饗応は服従の儀式なのだ。日本書紀の初代天皇神武が、九州の一隅の田舎から東方遠征にたち、さっそく大分県宇佐市あたりの豪族から饗応を受けているし、東上し奈良県宇陀郡あたりの豪族からは、ナナント、牛と酒で饗応を受けている。また皇室の主な祭も神に食べ物を献じ天皇が神と供食する行事だ。

そういうぐあいに、いまの日本の国土のアチコチに料理はあったはずなのだが、日本料理となると儀式料理の天皇家の料理の系譜がつくられ君臨することになる。これはもう「食べる」ことより上下服従関係の形式が重要だから、食事や料理の本質と関係ない方向へ、どんどん仔細に瑣末にうるさくなっていくんだなあ。ってことで、また

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/15

カツオの不思議

ヨッ、昨夜はヤドヤ系と中野の<力士>で、ガツンとちゃんこ鍋。最後は雑炊仕上げ。元気でるねえ。この店は4、5回目かな、元二子山部屋の力士がやっている。ちゃんこ鍋はアチコチあるけど、ここは大衆的な店で、値段がリーズナブルでうまい。ちゃんこ鍋は、いわば相撲界の家庭料理、日常料理なのだから、それが当然といえばとうぜん。んで、ほかにも、馬刺とカツオの刺身もくった。

そのカツオだが、千葉の海辺でイワカムツカリがハマグリと一緒に天皇に献上したね。だけど、日本書紀に載っているのは、「白蛤を膾につくりたてまつる」とハマグリだけなのだ。それなのに、なぜカツオとハマグリかというと、イワカムツカリを始祖とする高橋家の「高橋氏文」には、カツオとハマグリと書いてあるからだ。で、そのイワカムツカリから日本料理が始まったことになってしまったのだが、しかし、日本人の祖先が、南からの海流にのってくるカツオを食べだしたのは、かなり古い。そのことは、日本全国アチコチにある貝塚から漁具と共にカツオの骨が発見されていることからもわかる。貝塚は「縄文時代初期(約9千年前)から弥生時代中期(2千年前頃)の遺跡が多い」といわれる。ま、イワカムツカリ以前から日本人はくっていたのであって、カツオ料理は、イワカムツカリの発見でもなんでもない。

ここでチト不思議なのは、その貝塚の状況からするとカツオは相当食べられていたと推測できるのだが、日本書紀には登場しないとのことである。このイワカムツカリの件にしても、高橋氏文には、カツオは登場するが、日本書紀の方には登場しない。それから安曇氏のような南方からの渡来人は、南からの海流の魚を追って日本に来たと見られているから、だとすれば安曇氏の系譜のほうが、高橋氏の系譜よりカツオとの付き合いは深いハズだろう。

ま、とにかく、イワカムツカリを料理人の始祖として祭るのは勝手だけど、ここから日本料理が始まったとするのは、天皇家の料理人の歴史と日本料理の歴史を同一視するような混乱ゴチャゴチャでおかしい、ってことは誰もがわかるリクツだと思うのだが。

ま、そういうことで、カツオのうまいシーズンになった。というところで、また明日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/14

グッ安曇氏と高橋氏

そうそうそう、それで、安曇氏と高橋氏の争いだった。おれは、どうしても安曇氏に肩入れした見方をしたくなっちゃうんだよね。安曇氏は、なんだかワイルドでアクティブなイメージで、いくらアタマにきたとはいえ天皇の言うことも聞かずに、天皇が主宰する権威ある神事を蹴って退出してしまうなんて、いまの役人どもにはとても真似できない気骨というかバカというか、わけしり顔で常識人面している連中とは違う人間クサイ「熱気」を感じるんだなあ。

高橋氏は、一応、膳氏から改姓したことになっているけど、とても同じ系譜とは思えないぐらい、たいして活躍しない、ま、この安曇氏蹴落としで名を残したていどの、しかしそれなりに近畿圏に勢力を張った、どうも要領よく立ち回るだけしか能がない官僚という感じなのだ。

いろいろな「説」にもとづいて考えると、安曇氏と高橋氏が争った以前の、古代の「氏」は「氏族」であって「家族」の「家」とは違うらしい。いくつかの家族の連合のようなもので血縁関係とは限らない、ようするに「族」なのであって、「安曇族」ともいうべきものが存在していたようだ。しかも南方からの渡来とみられている。

「国史大辞典」には、「なお海人族としての安曇氏について、その種族的源流を東南アジアからインドネシア方面に求める説がある。安曇氏に鯨面の風習(エンテツ注=目のふち、あるいは目じりに鯨の目のようなイレズミをすること)のあったことは「安曇目」の語によって知られ、『肥前国風土記』に値嘉島の海人について、(エンテツ略注=この島に住む男達は、容貌は隼人に似て、風俗言葉など俗人と異なる)、とあって、海人族が一般の日本人と異なっていた様子が窺われるとともに、隼人の間に親近性が認められ、また筑紫系民話に南方的要素がきわめて顕著であることから見て、十分考慮すべき問題である。このほかに、安曇族と隼人族の原住地を華南とする説もある」というぐあいだ。「隼人」は薩摩隼人が有名だが、そういや、九州のアノ連中、いまでもチト血気が違うなあ、という感じがしないでもないね。

その安曇氏が、神武とどちらが古いかわからんほど古いうえに、持統天皇の時代には18氏の有力な氏族の一つだった。んな、わけで、「律令制の成立以後は、永く海人部の」統率者として奉仕した経歴により、内膳司の長官に任じられることになったと思われるのだが……今日は、ここまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/13

本日は

休み。ま、浮世のめし新聞などごらんになってください。それから、大衆食の食卓のコーナーに、読者の方が送ってくれた、いまでも安曇氏が神主をつとめる、かつての安曇氏の本拠地だったあたりにある神社の写真があります。おどろいたね~、まだ系譜が残っているんだ。神社も渋いな~。では。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/12

そういうわけで

昨夜、アヤシゲ太目系と東日暮里の遠太で飲んだ。最後にヤキメシを食べた。で、「ヤキメシ論」になった。「ヤキメシ」と「チャーハン」は違うのか、である。そして「浮世のめし新聞」のコーナーでヤキメシをやると予告しっぱなしになっていることを思い出した。いま、その予告とともにある写真は遠太のヤキメシなのである。

だから、本日は、いろいろ忙しいのだが、あいまをぬって「浮世のめし新聞」の更新をすることにした。ヤキメシと魚肉ハムソーセージが登場する予定である。この2者は、おれにとっては関係があるのだ。

んなもんで、今日は、これにて。ついでに、忘れないように、一昨日の中野紀行を記しておこう。ヤドヤ系と味吉、クラシック、第二力。クラシックは初めて入った。驚いた。50年前の建物のままの音楽喫茶。五木寛之のエッセイなどに出てくる、おれが1962年に上京したころ入った音楽喫茶そのままのつくりで、つまり店の中心部が吹き抜けになっていて、2階の客席から下が見下ろせる。そして、古いから床はゆがみ波うち……なかなかなものである。写真を撮ってきたから、そのうち「昭和の鑑賞」のコーナーに載せませう。そいうこと。

ま、浮世のめし新聞の更新をお楽しみに。本日中にアップできるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/11

フン

きのう6月からの連載のために編集者と打ち合わせがあった。そこでの話題。これだけグルメ騒動が続いているのだが、日本人は本当にうまいもの好きなのだろうか、ただ食べ物のオシャベリが好きなだけなのではないか。というのも、最近スーパーで売っている日常的な生鮮モノが、品種が限られている上に、あまりにも品質が悪い。「もし日本人がうまいもの好きなら、許されないようなものばかりだね」「暴動がおきても不思議じゃない状態」「ナショナリストじゃなくても、日本はこれでいいのかと思いたくなる」

インド料理だイタリア料理だ韓国料理だラーメンだ、ああでもないこうでもない、そういうオシャベリをしているうちに、店頭の食品はどんどん「劣化」している。日常的な生鮮というと、促成栽培モノや促成栽培種、それと輸入モノだ。輸入モノだからイケナイというものではない、促成栽培モノだからイケナイというものではない。食材にあわせて料理法を進化させればよいのだから。実際、家庭にエスニック風や韓国風の味つけが浸透するワケは、生鮮モノの味が悪くなったことも関係するとも思う。しかし、そのコトを自覚しているのか。

現実は、食べ物に関するオシャベリほどは、うまいもの好きになっているわけではないのではないか。たとえば、野菜。最近のスーパーで売っているフツウのひとがフツウに利用するものは、ほとんど促成栽培モノか促成栽培品種である。以前とはまったく味のちがう種の、ま、うまくでもないものになっている。これは、かなり最近にフツウになったものもあるから、その前のマットウな味が記憶にあるひとが少なからずいるはずである。が、しかし、そのことが大問題になることはほとんどない。

雪印や日ハム問題では騒ぎ、ラーメンやカレーライスにおいては微妙な究極についてガンコにゆずらないものが、たぶん、たくさんいるはずだと思うのだが、どうしたことなのだ。繊細な味の日本そばを愛好するみなさん、国産のそば粉でなければ納得しないみなさん。あなたがたは、日常において、有機栽培や有機飼料のすぐれたうまいものを厳選して食べているのか。それは、ウソでしょう。生産量と需要と、なによりも家計とがつりあわないはずだ。では、なんのために「グルメ」なのか。日常を、ふつうをよくするためではないのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/10

どろんどろん安曇氏と高橋氏

日本書紀の記述では、イワカムツカリが天皇にハマグリの膾をつくって献上したふうに読み取れるが、高橋氏文ではハマグリとカツオを膾にして皇后に献上したことになっている。どちらでもいいけど、膾を献上したイワカムツカリが日本料理の祖神と崇められるようになったことは、のちに日本料理において刺身と庖丁が特別の権威的な位置を占めるようになったことに関係するとみてよいと思う。でも、それは、792年に安曇氏が失脚して、内膳司を高橋氏が独占するようになってからだと考えるのが自然だろう。

しかし、安曇氏は、なぜ失脚したのか。なにせ当時、内膳司の長官職にあった安曇継成は佐渡へ流されてしまうのだ。それは、高橋氏が自分がイワカムツカリの子孫として内膳司の長官をつとめるのは当然だという文章を出して、太政官がそれを認めたからだが。なにしろ継成は、三度の神事にわたって高橋氏と、どちらが先を歩くか争ったすえに、高橋氏が先と決められるや不満爆発、その神事を蹴って帰ってしまう。祭の主宰者たる天皇も困っただろう、なにしろ天皇が執り行う権威ある神事でのことだ。で、天皇は列に戻りなさいよと勅を宣したわけだが、継成は言うことを聞かず、それで佐渡へ流されたのだなあ。

ま、そういうことがあったりして、今日はチト忙しいから、ここまでよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/09

おぎゃおぎゃ安曇氏と高橋氏

安曇氏と高橋氏の争いは「料理」のことではない。どちらが先に歩くかなんぞは、料理の本質に関係ないことだね。だけど、そのようなことで、「料理人」の先祖は争っていた。だが、彼らの料理においては、料理は儀式であり、サマツだが格式や品格に関わることが重要な意味をもったともいえる。問題は、のちに日本料理に関わるものが、そういう歴史を、どう克服し料理の本質に迫ったかだろう。でも、そこが、アヤシイのだなあ。

前にも登場している児玉定子さん、このひとは家政学系学会の重鎮で四條真流師範。著書『日本の食事様式 その伝統を見直す』では、こんなこと書いている。「日本の食事様式では、汁ものに箸をつけたあとは、めしと菜は交互に食べるというのが順序で、出されている料理を片づけ食いをすることは下品なこととされ、礼法に反することとされいて、汁→飯→菜→飯→汁→次の菜といった順序である。流派によっては、めしが第一の箸である」。ここで彼女は西洋料理の食べ方は「片づけ食い」だとも言いたいのだが。それが、「下品」「礼法に反する」そして「流派によっては」という、なんというサマツな流派だろう。これが1980年、しかも中公新書でだ。

こういうことは、いわゆるグルメが料理の本質と関係ないサマツなことを「オキテ」だの「秘伝」だの「究極」だのとありがたがる「文化」に深く関係する、それこそ伝統ではないかと思うのだが。

それはともかく、高橋氏の祖人、つまり単なる小さなー貴族が祖人と崇め奉る人物が、日本料理の神様だということで、神田川俊郎の神田川道場の床の間の掛け軸になっているわけだが。日本書紀では、こんなアンバイだ。ようするに千葉の海岸だね、そこで鳥の声が聞こえた、その鳥を見ようと思い海にでた。で、「白蛤(うむぎ=エンテツ注、ハマグリ)を得たまふ」そこで高橋氏の前の祖先の膳臣の遠い祖先のイワカムツカリが、「白蛤を膾(なます)につくって献上した。それゆえ、ムツカリの功を賞して、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を与えられた」

フツウ、膾は、のちの刺身という風に理解されている。もちろんイマの醤油で食べる刺身とは違う。日本書紀の編纂は、いつ始まったか不明だが、720年に完成。安曇氏の失脚は792年だ。つまり、日本書紀完成当時は、イワカムツカリは日本料理の祖神でもなんでもなく、ただの膳氏の遠祖だったにすぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/08

なんでこうなるの安曇氏と高橋氏の続き

「回転寿司」と「すし」は同じ料理かというと、もちろん違うね。では「刺身」とスーパーの店頭に発泡スチーロールのトレーにのっている切り売りの「刺身」は同じ料理か、というと、違う、と「日本料理家」はいうだろう。でも、回転寿司であろうと切り売りの刺身だろうと、それをベチャベチャ醤油につけて食べようが、それを好きな子供が増えたというと、「子供にも伝統の和風料理がよろこばれている」ということになっちゃうんだな。

で、話はまったく違うようなのだけど、そのうち、あるいは、なにしろこれは日記で、原稿用紙300枚で完結と違うから、そのうち、あるいは、話は違わず関係あることになるかもしれないが、1973年12月、一人の有名人が自殺するのだよ。

彼の名前は、杉山登志。彼のことは知らなくても、彼の遺書は、円谷さんのように有名だから知っている人がいるかも知れない。とにかく、そのニュースを俺が知ったのは、73年の12月26日の朝日新聞で、そのころは12月20日すぎるとさっさと仕事を片付けスキー場か冬山へ行っていたもので、年があけてからの初出勤の日だった。

その朝日新聞の社会面に載った記事。見出しはこうだ。「『のんびり行こうよ』破産」「『夢がないのに夢売れぬ』と遺書」「テレビ広告映画のディレクター自殺」。本文は、こう。「一人の男が、自ら命をたった。…広告の世界、とりわけテレビCF(コマーシャル・フィルム)の世界で『鬼才』といわれた人だった。/杉山登志という。三十七歳だった。今月十三日の夕方、東京・赤坂のマンションの自室で、遺体となって見つかった。/机の上に、原稿用紙が一枚、さりげなく置いてあった。/リッチでないのに/リッチな世界などわかりません/ハッピーでないのに/ハッピーな世界などえがけません/『夢』をうることなどは……とても/嘘をついてもばれるものです……」資生堂の斬新なコマーシャルなどで有名になり、死んでのち、彼をモデルにした映画やテレビドラマが出来た。

1973年の年末、第4次中東戦争勃発で日本はオイルショックで大騒ぎだった。そのときすでに、日本の安い大衆的な食材は中東のオイルなしでは成り立たない状況にあった。つまり、すでに米英の石油メジャーに喉もとを押さえられていたのだ。給食のメルルーサ、あるいはマクドナルドのフィレオフイッシュバーガーのメルルーサを覚えているだろうか。あれは、文字制限

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/07

こりゃこりゃ安曇氏と高橋氏

この日記は資料を当たりなおしながらではなくて記憶で書いているから細部は、たとえば天皇が「言った」のか「命じた」のかなどの違いはあるかも知れないけど、だいたいのところはこんな話だよということだね。ま、一つの日本料理物語エピソードみたいなものさ。で、安曇氏と高橋氏とその祖先という膳氏(膳氏は持統天皇のころ高橋に改姓したことになっている)は、かなり素性が違う。

安曇氏は「イレズミモノ」つまり南洋からの渡来人とみられ、福岡市あたりを拠点にした豪族だったらしい。それもかなり古いことで、なにしろ神武が東征するときに、大分あたりで豪族を子分にしたのち、そのへんに立ち寄って、そこから一気に船で東へ向かうのだが、それと一緒に大和に来たと見られているぐらい古い。最初のころは神武とは主従関係というより「同志」だったのかもしれないぐらい天皇家とは古い仲だ。そして、朝鮮出兵で活躍したり、どちらかというと海を舞台にした武勇の関係という印象。とにかく「海」と関係が深く、西日本の海人(あま)を従える豪族になり、天皇家には海のものを献上していたことから、天皇家の料理に関係していたと思われるのだ。

一方の高橋氏は、イワカムツカリの前がよくわからないが、天皇家が大和で勢力を張ってからの天皇家の部民つまり私有民で天皇の側近くに仕え料理のことなどに関わっていたのだろうが、伝承にあるようにイワカムツカリのころに豪族の地位を得たと思われる。で、それ以後は、天皇の側近として、かなり勢力を蓄えたと思われるのだが、これが、その勢力というのが東日本、といっても当時は大和から関東あたりまでだろうが、その地域が中心で穀倉と関係が深い。

安曇氏=南洋渡来人=海の幸=西日本、高橋氏=大和人(朝鮮からの渡来人かもしれないが)=陸の幸=東日本。ま、高橋氏は海のものにも関係していたのだが、違いを整理すると、こうなるのだ。

で、ならば、どうして、イワカムツカリがカツオとハマグリの膾つまり刺身だね、それを千葉の海辺でだよ、天皇に献上したぐらいで天皇がよろこび、以後、天皇の飲食を司ってくれといったのかだね。だって、海のことは安曇氏のほうが得意のはずだし、天皇だって海のものの獲れたてを食べたのは、それが初めということじゃないだろうと思うんだなあ。ま、とにかく、これで刺身は、日本料理において特別の地位を獲得しちゃう……アン文字制限か

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/06

そもそも安曇氏と高橋氏

そうだ、安曇氏と高橋氏の内膳司をめぐる対立抗争だった。792年(延暦11)に太政官符という、きわめて上位の判断の結果、安曇氏の失脚が決定的になり高橋氏が、以後、天皇家の飲食を請け負う内膳司の長官職を独占することになる。

このジケンは直接的には、当時の高橋氏と安曇氏が、新嘗祭のときの行列で、どちらが先に歩くかの順番をめぐる争いから始まっているようだが、そのいきさつはとにかく、庖丁儀式がなければ成り立たないような「日本料理」の背骨となる思想「割主烹従」の出現と大いに関係すると思われるし、その時期が、天皇家を血縁関係で乗っ取ったようなカタチの藤原氏が実権を握っていたなど、さまざまな背景を考えると、ほかにも日本の料理や食の歴史に関係する、いろいろなことが推測できてオモシロイのだ。

安曇氏の「失脚」というが、安曇氏に格別の落ち度があったわけではない。安曇氏と高橋氏が内膳司の長官を務めることについて、とくに高橋氏からは不満があって、たびたび安曇氏を失脚させる運動があったと思われるのだが。残っている「高橋氏文」によれば、高橋氏の祖イワカムツカリが景行天皇の東国行幸についていったとき、いまの千葉県津田沼だったか幕張のあたりでだったと思うが、カツオとハマグリを獲って膾(なます)にして献上したら天皇がよろこんで「膳臣」の姓と大伴部つまり「部民」という私有民を与えた、そしてさらにイワカムツカリが死んだとき天皇は悲しみ、ワシの膳職のことは末永く膳臣の子孫にまかせるよ、と言った。という趣旨の文を提出し、高橋氏こそ内膳司の長官にふさわしいのであるという主張をしていた、その主張が792年(延暦11)太政官によって認められたということなのさ。

イワカムツカリが景行天皇についていった年というのは、景行天皇53年。西暦に対応してみると、123年だね。この景行天皇の東国行幸というのは、景行天皇のムスコのヤマトタケルが東国平定をやったあとを見てこようと出かけたらしいのだが、なにしろ、この天皇は西暦に対応させると190年に107歳で死んだことになっているよ。邪馬台国のヒミコの時代より古いやね。ま、そもそも、この天皇に関する記述は、年齢からしてくいちがいがあっておかしいのだが、この際そういうことは、どうでもヨシとしよう。

問題は、この安曇氏と高橋氏、なにから何まで正反対なのだ。ウギョ文字制限

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/05

むかしの喫茶

『東京横浜おいしい喫茶と甘党の店』という古本、1966年の発行で、著者はダークダックス。有名人が書いた「東京横浜」がタイトルにつくガイドブックがヒットをとばしていた時代だ。66年といえば、おれが上京したのが62年だから、知っている店も現存している店もあるね。

その半分ぐらいが喫茶。これが「コーヒー」「紅茶」「名曲喫茶」「モダン・ジャズ喫茶」「シャンソン喫茶」「ムード喫茶」「美人喫茶」「歌声喫茶」という分類だ。うーむ、「純喫茶」がないが「コーヒー」や「紅茶」がそのかわりか、「同伴喫茶」がないのは「おいしい喫茶」とは関係ないからかな、でも「美人喫茶」は載っているぞ、一店だけだ。これはたぶん登場したばかりのころで、このころから70年代前半ぐらいまで何かと話題になり、そのうち「ノーパン喫茶」なんてのまでできたが。しかし、「ムード喫茶」とは当時も知らんかったなあ、よくわからんぞ「ムード喫茶」は、それに渋谷・宮益坂のトップが入っている、あそこは「コーヒー」だろうと思うが、ふーむ、あのころは「ムード音楽」やら「ムード」がはやっていたからなあ、なんだろう「ムード」って。などと見ているとなかなか面白い。

「コーヒーショップ」という言葉が、「喫茶店」という意味でちょっとだけ登場する。「ブレンド」はなくて「ミックス」だ。それが80円か90円が普通かな。60円だと安い。

おお、モーニングサービス。大衆食堂で朝食も食べたが、そうだ、新宿のションベン横丁の朝食タイムはすごい混雑していたが、喫茶店でモーニングもやりましたなあ。コーヒーにユデタマゴにトーストが一般的だったと思うが、この本を見ると、コーヒーにサンドイッチというのもけっこうあるね。モーニングは、喫茶店によって工夫があったね。厚切りトーストだったり。バターとジャムがついていたり。トーストにバターをぬって、砂糖をタップリのせて食べて腹の足しにするなんてやったりしたね。新聞を読みながらね。そういえば、いつごろだったか、たしかスクランブルエッグを初めて食べたのは、喫茶店のモーニングだぞ。

しかし、この本、店ごとにフリーハンドで描いた地図が入っているのだが、チンチン電車やトロリーバスが走っているよ。「トロリー通り」もあるぞ。ああ、レトロしてしまった。まだ、モチツキの筋肉痛がとれないや。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/04/04

モチツキ

「モチつきをやるから来ない?」と誘われて「いきますいきます」と気軽に応じた。いまでは田舎でもモチつきをやる家が少なくなった、しかも旧正月にあわせた1ヵ月遅れの節句でモチをつくのだ、この際ビデオに記録しておこうというコンタンもあって出かけた。

ちょうど、というか、ちょっとモチにするには葉が育ちすぎたものが多く、若い柔らかい葉のものをとりそろえるのに面倒だったそうだが、ヨモギのシーズンでもあり、普通のモチと草モチをつく。

前夜からバケツ2つに2升5合ぐらいづつのモチゴメに水をたっぷり入れてふやかす。外のカマドで釜に湯をわかし、湯が沸いたところで、バケツのモチゴメをザルにあけ水を切り蒸し器に移し、釜にのせる。そして時間をかけて蒸すのだが、このとき使用する薪は杉や桧のように、ペラペラとすぐ燃え上がるようなものでは、温度が十分高く上がらないからダメで、ほかのじっくり燃え一見火は弱そうに見えるが実は力のある薪を使う。

で、草モチの場合、コメが蒸しあがったころを見計らって、別にゆでておいたヨモギをコメの上にまんべんなく置き、もう一度ふたをして蒸す。

んで、あとはウスに蒸しあがったコメを移しツクのである。ひとりは、普通は男が、キネを持ち、そばに置いたバケツの水でキネをぬらし、ウスの周りをめぐりながら、コメをおしつぶす。いきなりつき始めると、コメがばらばらに飛び散るからだ。で、ツキはじめたら、これは女性がやることが多いのだが、「かえし」といって、バケツの水に手をつけては、その手でモチの下側を上にひっぱりあげるようにしてかえす、そのひっぱりあげたところをねらってキネをふり下ろすということをやる。このとき、かえしをやるひとは、かえしたらパッと手をひかないと、当然アブナイことになる。

つきあがったら、ノシ台の上にタップリの片栗粉を広げて、その上に移し、外側を水で濡れた手でならして、ちょっとほっておくと外側に薄い乾いた膜ができる、そこに片栗粉をかけ、麺棒でのすわけだ。約1センチぐらいの均等の厚さにするのがコツ。

ま、そういうわけで、ようするに俺は、もう昨夜から腰が痛くて痛くて痛くて、寝返りもうてない痛さで、やっと動いているのであるよ。ああ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2003年3月 | トップページ | 2003年5月 »