おぎゃおぎゃ安曇氏と高橋氏
安曇氏と高橋氏の争いは「料理」のことではない。どちらが先に歩くかなんぞは、料理の本質に関係ないことだね。だけど、そのようなことで、「料理人」の先祖は争っていた。だが、彼らの料理においては、料理は儀式であり、サマツだが格式や品格に関わることが重要な意味をもったともいえる。問題は、のちに日本料理に関わるものが、そういう歴史を、どう克服し料理の本質に迫ったかだろう。でも、そこが、アヤシイのだなあ。
前にも登場している児玉定子さん、このひとは家政学系学会の重鎮で四條真流師範。著書『日本の食事様式 その伝統を見直す』では、こんなこと書いている。「日本の食事様式では、汁ものに箸をつけたあとは、めしと菜は交互に食べるというのが順序で、出されている料理を片づけ食いをすることは下品なこととされ、礼法に反することとされいて、汁→飯→菜→飯→汁→次の菜といった順序である。流派によっては、めしが第一の箸である」。ここで彼女は西洋料理の食べ方は「片づけ食い」だとも言いたいのだが。それが、「下品」「礼法に反する」そして「流派によっては」という、なんというサマツな流派だろう。これが1980年、しかも中公新書でだ。
こういうことは、いわゆるグルメが料理の本質と関係ないサマツなことを「オキテ」だの「秘伝」だの「究極」だのとありがたがる「文化」に深く関係する、それこそ伝統ではないかと思うのだが。
それはともかく、高橋氏の祖人、つまり単なる小さなー貴族が祖人と崇め奉る人物が、日本料理の神様だということで、神田川俊郎の神田川道場の床の間の掛け軸になっているわけだが。日本書紀では、こんなアンバイだ。ようするに千葉の海岸だね、そこで鳥の声が聞こえた、その鳥を見ようと思い海にでた。で、「白蛤(うむぎ=エンテツ注、ハマグリ)を得たまふ」そこで高橋氏の前の祖先の膳臣の遠い祖先のイワカムツカリが、「白蛤を膾(なます)につくって献上した。それゆえ、ムツカリの功を賞して、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を与えられた」
フツウ、膾は、のちの刺身という風に理解されている。もちろんイマの醤油で食べる刺身とは違う。日本書紀の編纂は、いつ始まったか不明だが、720年に完成。安曇氏の失脚は792年だ。つまり、日本書紀完成当時は、イワカムツカリは日本料理の祖神でもなんでもなく、ただの膳氏の遠祖だったにすぎない。
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それゆけ30~50点人生。
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