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2003/04/07

こりゃこりゃ安曇氏と高橋氏

この日記は資料を当たりなおしながらではなくて記憶で書いているから細部は、たとえば天皇が「言った」のか「命じた」のかなどの違いはあるかも知れないけど、だいたいのところはこんな話だよということだね。ま、一つの日本料理物語エピソードみたいなものさ。で、安曇氏と高橋氏とその祖先という膳氏(膳氏は持統天皇のころ高橋に改姓したことになっている)は、かなり素性が違う。

安曇氏は「イレズミモノ」つまり南洋からの渡来人とみられ、福岡市あたりを拠点にした豪族だったらしい。それもかなり古いことで、なにしろ神武が東征するときに、大分あたりで豪族を子分にしたのち、そのへんに立ち寄って、そこから一気に船で東へ向かうのだが、それと一緒に大和に来たと見られているぐらい古い。最初のころは神武とは主従関係というより「同志」だったのかもしれないぐらい天皇家とは古い仲だ。そして、朝鮮出兵で活躍したり、どちらかというと海を舞台にした武勇の関係という印象。とにかく「海」と関係が深く、西日本の海人(あま)を従える豪族になり、天皇家には海のものを献上していたことから、天皇家の料理に関係していたと思われるのだ。

一方の高橋氏は、イワカムツカリの前がよくわからないが、天皇家が大和で勢力を張ってからの天皇家の部民つまり私有民で天皇の側近くに仕え料理のことなどに関わっていたのだろうが、伝承にあるようにイワカムツカリのころに豪族の地位を得たと思われる。で、それ以後は、天皇の側近として、かなり勢力を蓄えたと思われるのだが、これが、その勢力というのが東日本、といっても当時は大和から関東あたりまでだろうが、その地域が中心で穀倉と関係が深い。

安曇氏=南洋渡来人=海の幸=西日本、高橋氏=大和人(朝鮮からの渡来人かもしれないが)=陸の幸=東日本。ま、高橋氏は海のものにも関係していたのだが、違いを整理すると、こうなるのだ。

で、ならば、どうして、イワカムツカリがカツオとハマグリの膾つまり刺身だね、それを千葉の海辺でだよ、天皇に献上したぐらいで天皇がよろこび、以後、天皇の飲食を司ってくれといったのかだね。だって、海のことは安曇氏のほうが得意のはずだし、天皇だって海のものの獲れたてを食べたのは、それが初めということじゃないだろうと思うんだなあ。ま、とにかく、これで刺身は、日本料理において特別の地位を獲得しちゃう……アン文字制限か

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