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2003/04/16

うるさいうるさい日本料理の行方

安曇氏は中央政界では失脚したけど、「早くより東方に進出し、安曇・厚見・渥美・安積などの地名は同氏の発展居住した跡を示すものとされる」。高橋氏は膳氏を改姓したものといわれているが、高橋は地名とのこと。この「氏」は大和朝廷の氏姓制度の氏で、氏族であって、のちの「家」とはちがう。安曇氏は皇室と連合し支配階級を形成する大豪族だった、膳氏は皇室の官僚を勤める小豪族だったとみられているね。

んで、いわゆる大化の変から天智系天武系の争いを経て皇室の支配が強化され、氏姓制から律令制へ移行する政治闘争のなかで、中臣氏(のちの藤原氏)などの皇室の官僚をつとめていた氏が勢力を伸ばし、多くの古い大豪族は倒されたり弱体化を余儀なくされるが、安曇氏は生き残り膳氏と内膳司の長官をつとめることになる。

このムリのある体制が、どうしてできちゃったのかというと、やはり安曇氏の支配する海人族の力を、とくに朝鮮半島との関係で無視できなかったのと、彼らの海系生産力が皇室にとっては必要だったからだろう。だけど、朝鮮半島とのトラブルもなくなり、中央官僚制度が整い藤原氏のような皇室の官僚が国の実権を握るようになって事情は変わった。

とにかく、近代では「天皇の料理番」というと「ああ料理人ね」という感じだが、かつては料理というか食事は、重要な政治儀式だった。もちろん、とくに支配階級においてだが。「食べる」より「政治儀式」としての意味のほうが強かったといえる。それは、食べ物が産物として価値あるものだったからにほかならないが、力の弱いものが力の強いものに「ごちそう」をするというカタチで服従を表現していた。

つまり饗応は服従の儀式なのだ。日本書紀の初代天皇神武が、九州の一隅の田舎から東方遠征にたち、さっそく大分県宇佐市あたりの豪族から饗応を受けているし、東上し奈良県宇陀郡あたりの豪族からは、ナナント、牛と酒で饗応を受けている。また皇室の主な祭も神に食べ物を献じ天皇が神と供食する行事だ。

そういうぐあいに、いまの日本の国土のアチコチに料理はあったはずなのだが、日本料理となると儀式料理の天皇家の料理の系譜がつくられ君臨することになる。これはもう「食べる」ことより上下服従関係の形式が重要だから、食事や料理の本質と関係ない方向へ、どんどん仔細に瑣末にうるさくなっていくんだなあ。ってことで、また

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