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2003/04/08

なんでこうなるの安曇氏と高橋氏の続き

「回転寿司」と「すし」は同じ料理かというと、もちろん違うね。では「刺身」とスーパーの店頭に発泡スチーロールのトレーにのっている切り売りの「刺身」は同じ料理か、というと、違う、と「日本料理家」はいうだろう。でも、回転寿司であろうと切り売りの刺身だろうと、それをベチャベチャ醤油につけて食べようが、それを好きな子供が増えたというと、「子供にも伝統の和風料理がよろこばれている」ということになっちゃうんだな。

で、話はまったく違うようなのだけど、そのうち、あるいは、なにしろこれは日記で、原稿用紙300枚で完結と違うから、そのうち、あるいは、話は違わず関係あることになるかもしれないが、1973年12月、一人の有名人が自殺するのだよ。

彼の名前は、杉山登志。彼のことは知らなくても、彼の遺書は、円谷さんのように有名だから知っている人がいるかも知れない。とにかく、そのニュースを俺が知ったのは、73年の12月26日の朝日新聞で、そのころは12月20日すぎるとさっさと仕事を片付けスキー場か冬山へ行っていたもので、年があけてからの初出勤の日だった。

その朝日新聞の社会面に載った記事。見出しはこうだ。「『のんびり行こうよ』破産」「『夢がないのに夢売れぬ』と遺書」「テレビ広告映画のディレクター自殺」。本文は、こう。「一人の男が、自ら命をたった。…広告の世界、とりわけテレビCF(コマーシャル・フィルム)の世界で『鬼才』といわれた人だった。/杉山登志という。三十七歳だった。今月十三日の夕方、東京・赤坂のマンションの自室で、遺体となって見つかった。/机の上に、原稿用紙が一枚、さりげなく置いてあった。/リッチでないのに/リッチな世界などわかりません/ハッピーでないのに/ハッピーな世界などえがけません/『夢』をうることなどは……とても/嘘をついてもばれるものです……」資生堂の斬新なコマーシャルなどで有名になり、死んでのち、彼をモデルにした映画やテレビドラマが出来た。

1973年の年末、第4次中東戦争勃発で日本はオイルショックで大騒ぎだった。そのときすでに、日本の安い大衆的な食材は中東のオイルなしでは成り立たない状況にあった。つまり、すでに米英の石油メジャーに喉もとを押さえられていたのだ。給食のメルルーサ、あるいはマクドナルドのフィレオフイッシュバーガーのメルルーサを覚えているだろうか。あれは、文字制限

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