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2003/06/12

山菜をくらふのこと

昨日は、無理矢理、満足泥酔紀行を終らせた。一回の量も多かったし、それをウダウダ6回もなんて、われながらウンザリ。読んでいる方は、もっとウンザリだろうなと思った。嫌われて読者に逃げられないうちに終らせた。なーんてね。

しかし、おもふに、コチラじゃ山菜というと特別のものなのに、そしてたいがい品種のかぎられた養殖モノなのに、アチラじゃ季節の野菜として当然な状態が続いている。山菜を採って歩くのは年寄りの仕事で、それが減ってきているとのことだが、コチラと比べると店頭を見ても豊富だ。

山菜というのは、かなり独自な味覚で、とくにグルメたちによってフツウ「雑味」といって否定されるような感じの味が、むしろ持ち味になっている。いわゆる「アク」だって、それを完全にぬいてしまったら、山菜ではなくなってしまう。それから、あのシャキシャキショリショリ感だって、かなり独自である。おれはガキのころ、そういうものを大量に食べて育ったわけだが、これを大量に食べて育ったかそうでないかによって、だいぶ味覚が違ってくるのではないかと思った。

とにかく、山菜を食べる量は、いまとケタちがいに違った。今回も越前屋旅館の朝食で、味噌汁の具がワラビで、おひたしもワラビだったが、ワラビのシーズンになれば、それは毎日のようにあたりまえだったのだから。それも、たとえばワラビのおひたしにしろ、木の芽(アケビの芽)のおひたしにしろ、朝からどんぶり山盛り食べたのだ。まさに毎日毎日、山の草を山のように食べてすごすようなアンバイだった。ウシみたいじゃなあ。そういうことを思い出した。

ま、まだまだ大衆食の世界では、バラエティに富んだ味覚があるのだ。もちろん、その結果のウンコもだいぶ違うのである。

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