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2003/07/27

生業の輝き

きのう、”「生存の文化(生きぬく力)」「生業の戦略」「田舎者の根性」という視点”って、ことを書いているが、まさにそうなのだ。そして、グウゼンにも、きのう初めてこのサイトをご覧いただいた、このサイトに紹介をしているお店の娘さんから、つぎのようなメールをいただき、あらためて、この視点について考えることになった。

いただいたメールは、一部省略するが、こんな内容である。


こんばんわ。以前、載せて頂いた……の娘です。今日は隅田川の花火大会で実家に行き(今は世田谷に嫁いでます)このホームページのプリントを両親にうれしそうに見せられ、さっそく家に帰ってきて、実物を見させて頂きました。
もう二人とも年なので、早くやめたいがくちぐせでしたが、(特に母が父にゆっくりさせてあげたいみたいで)今日は二人とも誇らしげにプリントを見せてくれました。
私もとってもうれしくなり、メールを打つの初めてなんですけど、打ってみました。本当にありがとうございました。
……中学時代は、家が近かったので、男子にからかわれたり、出前にきた父に会ったりして、なんか恥ずかしくていやでしたが、今では、商売を続ける大変さがよく分かり尊敬しています。
両親の励みになったと思います。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。


どうです、よい話でしょう。こういうメールをいただくと、サイトをやっていてよかったなあと、シミジミ思うのであります。

『大衆食堂の研究』を読んだ方はわかると思うが、そもそもおれが関心のある大衆食堂というのは「生業の店」であり、そしてそのほとんどは現在のご主人は東京生まれだとしても、何代か遡れば田舎の出身の親があらわれるはずなのだ。

つまり、田舎では食べることができず徒手空拳で東京で食う道を探さなくてはならない者の文化の系譜である。そのパワーが東京の生業に息づいているし、それがかつては「職人」「町人」「下町」などといわれる東京の庶民文化の底流にある。そのことを自ら田舎者であるおれは、スルドク感じるのだ。

もっともっと「生業の輝き」を見直したい。それは「大都会で生きる」ということの意味の問いかけでもあるだろう。

ああ、すごいことを今日は書いたぞ。

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