スイトン
「すいとん」というと、戦後の食糧難の時代の代用食と覚えているひとが多いはずだ。たとえば、スイトンを語るときは、「戦時中の食糧不足を補う代用食としてごはん代わりに食べさせられた」といったりするのが普通なんだなあ。
スイトンを食べて戦後の苦しかった時代を思い出して、贅沢をつつしみましょう、ってな感じのイベントもあるし。
それが惰性になっている。ま、おれも、長いあいだ、スイトンなんてのは、どん底食糧難のときか、どん底貧乏人が食べるものだと思っていたわ。このことの意味は大きく重い。いつどうして、そのような認識が普通になったのか。
このことの意味を、一つあげると、いまの戦後の日本人のあいだには、贅沢か節約、美食か粗食という両極端の認識法しかなく、スタンダードつまり標準な認識がだね、ナイということなのだ。ウマイマズイをいうが、標準がない、普通のうまさがはっきりしてない、でもウマイマズイをいう。
それから、もう一つあげると、スタンダードつまり標準な普通の歴史認識が欠落しているってことだね。でも、自分たちの食の歴史については、あたかも自明のようなウンチクがはびこっている。
めんどうな言い回しは、やめよう。スイトンは、江戸後期には振り売りのスイトン売りがいたほど、普通の庶民の食べ物だった。もちろん、食糧難かどうかに関係なく、スイトンを食べ続けていた地域もある。それがいつどうして、「貧乏食」のようにいわれるようになったかは、じつに興味のあることだ。
とにかく、スイトンを貧乏食とみるような頭、たぶん偏見の一種だと思うが、そんな頭で日本食の歴史や味覚を語っても、根本のところで、おかしいってことさ。惰性ってのはいいものだけど、どうも惰性のままの知ったかぶりはいかんねえ。
ううううう、王子の大衆酒場・大久保のスイトンを思い出してしまった。くいてえ~。
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