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2003/10/11

あなたもグルメ評論家!騒動記3

ノートには、こうある。
………

「グルメ評論家」というと、すぐ食べ歩いたり、料理をつくったり、そして書いたりテレビに出演したりということを想像すると思うが間違いだ。

まずは普通に食べる、しかし、ただ食べるだけではなく、「問題を発見し、整理し、理論づければよい」のである。つまり川添登さんが、かつて生活学について書いているが、「誰でも、どこででも、身近なもののなかから問題を発見し、整理し、理論づければよい」ということなのである。

食事や料理については、誰でも語ることができる。生活の分野でも衣服や住宅についてと較べると、料理の作り方や味覚については語ることが簡単である。つまり、食は身近なことであり、誰でも一過言あっても不思議ではないし、また一過言ある人が多い。

そして、「料理評論家」という肩書は、山本益博さんしか使っているのを見たことはないが、大衆食だのなんだの細々やっている遠藤哲夫だの、カレーライスだのラーメンだのと騒いでいる小野ナントカにしても、あるいは「フードライター」という肩書のナントカだの、いろいろいるが、みんな専門的な勉強を積んできたわけではなく、食べ歩いて原稿を書いて雑誌に発表したり本にしたりしているうちに「専門的」になっただけなのだ。だからこそ、「私は何軒くいたおした」ということを権威のごとく、実績として強調するのである。

が、評論の本質は、何軒くいたおしたか、あるいは料理をうまくつくれるかどうかにあるのではない。必要なことは、「問題を発見し、整理し、理論づける」ことなのである。

評論家かどうかは、ただ食べる、あるいは作るだけではなく、「問題を発見し、整理し、理論づける」かどうかなのである。料理に関していえば、日本の料理は異常に経験主義だから、それはまた評論をするものが「何軒くいたおした」「おれは食べ歩いているだけじゃなく、食べたものを自分で作れる」といった、評論の本質に関係ないことを自慢することにもあらわれている。

カンジンなことは、「問題を発見し、整理し、理論づける」なのだ。日々、食べ、あるいは料理をしているなら、こういう評論を心がければ、食生活は向上することにもなるだろう。またインチキな評論を見破る知識もつくだろう。

その結果、食べ歩いたり、料理をつくったり、そして書いたり、テレビに出演したりということになるかもしれない。

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