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2003/10/05

クセといふこと

ちょっと前、大学生と話したときのことだ。大学生たちは、大戸屋ならどんなものを食べさせられるかわかっているから安心して入れるが、普通の個人の大衆食堂は不安で入れないと言った。

なるほどね~、おれの場合は、大戸屋は入る前からもう味から何もかも想像つくから食欲が減退する、できたら個人営業の大衆食堂に入りたいと思うといった。

かりに、そこの味が自分にあわなくても、それは店の個性とおれの個性の違いというものだ。違う個性の出会いこそ人生だと思う。個性というのは、いってみればクセであり、クセが強いほど個性的というものだろう。自分が個性的でありたければ、ほかの個性も尊重しなくてはならない、クセのあるものが多いほど、世の中だって街だって面白いのだ。それはクセが味わいになるからで、なんでもよく食べ味わってみればよいのだ。というふうに、アタマではわかっても、カラダがそうはいかないのが、いまの大学生なのだろうか。

というと、「いまの若い者は」話になってしまうが、こういう流れは70年代から80年代につくられたと思う。あのころマスコミが騒いだ、「マニュアル文化」「カタログ文化」というもので、それに飼いならされた結果ではないか。そういうふうに若者を飼いならし、それは一方では楽して若者を操ることだったが、摩擦や抵抗がない関係をヨシとしながら、いまの若者は「指示まち人間」で個性がないとオジイサンやオジサンたちはいうわけである。

それはともかく、そのような文化的環境と、味覚の問題は関係がある。個性的な味より均一化された味に安心する味覚が蔓延した。しかし、自分が均一化状態にあるということは、個性的である人間としては非常に面白くないがゆえに、上下をつける。レベルが高いだの低いだのは、一つのモノサシに均一化されているからこそ比較し上下をつけやすい。

幸か不幸か、ついこのあいだ戦後しばらくたっても色濃い全体主義的均一文化の下で、人間はもちろん何にでも上下の等級をつける文化や習慣があった。そして戦後の工業化社会に新しい機械的な均一化が進んだ。だから、そういうことは手馴れたものであり抵抗はない。

そして、味覚は個性化へ向かうことなく、均一化と上下関係のクモの糸へ向かったのである。ああ。地域性も個性も瀕死状態のなかで、生業の大衆食堂はクセがある存在ですなあ。どこをとりあげても、「Only One」だね。

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