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2003/11/23

食文化3

ちょっとウロオボエなのだが、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉があったと思う。そのあとだが、「されど、天の青さをを知る」か「天の深さを知る」というふうに続くはずだったと思うが、前のほうだけが一人歩きしたのはナゼなのかと思う。

ま、とにかく「井の中の蛙大海を知らず」強迫観念症候群が、とくに顕著になったのは、一般人の海外観光渡航が自由になった東京オリンピックを境にしていると思う。

多くのひとが忘れてしまっているが、そのとき航空会社や旅行社がお客のターゲットとしてねらったのが、ノーキョーである。そして大挙して、日本の田舎者が海外へ渡航しては、ノーキョーの悪名を流した。

そのころ田舎へ行くと、ジョニ黒を農家の床の間に飾ってある家がたくさんあって、田んぼとにらっめこしてきたオヤジが、急に国際人の物知り顔で、「日本人はダメだね……」とか「ハワイじゃね…」とか「ヨーロッパじゃね…」とかやるのだった。

ま、そういうひとばかりじゃなくて、「どこへ行っても人間の営みは同じさ」という感じで、ゆうゆうと前と同じ感じで田んぼに向かうひともいたが、ごくマレだった。

そうして60年代後半は、とにかく、日本人と日本食は悪者になった。百姓は、よろこんで田んぼを捨て、「外国」のような生活スタイルを進歩として受け入れた。

見聞を広めるのはよいことだと思うが、数見ればよいというものじゃないだろうし、優劣の序列をつけるなんて、いかにも見識に欠けるように思う。それは聖徳太子の施策以来に関係すると思うのだが、そういう連綿と続く文化のなかで自分は育っている自覚というか自己認識がない。そのまま海外の文化と接し、おれは世界を知ったぞ、人間を知ったぞと、「どちらが上で、どちらが下か」の序列をつける。

ま、なにが言いたいかというと、文字数の制限があるので話は一挙に飛躍するが、食べること、味覚は、自己認識と社会認識のあいだに成り立っている。食べることは批評であるという意味は、そこに成り立つのだ。ということ。だが、そういうことは無関係に、世界いくつの国を食べ歩いたとか、世界を見なきゃダメだ、ってことになるのだなあ。根本が間違っているよ。

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