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2003/11/03

六日町の万盛庵

一昨日の1日に故郷の六日町へ行って今朝帰ってきた。高山の紅葉は終っていたが低山は真っ盛りで六日町盆地は赤と黄色に染まっていた。もちろん、新米も食べ、酒も飲み、ドンチャン騒ぎもしたが、ちゃんとカンジンな話もきいてきた。

このサイトでも紹介している、六日町の大衆食堂的蕎麦屋「万盛庵」の始まりは約70年前、普通の食堂、ま、簡単なお茶屋のような一膳飯屋のようなアンバイだったのだ。

上越線が開通する前、当時の六日町は万盛庵の裏を流れている、信濃川につながる魚野川の利用が活発だった。万盛庵の裏や周辺には、いまでも残っているが、魚野川の本流から分かれて入る石垣でつくった水路があり、船着場が並んでいて、たくさんの船頭がいた。

万盛庵の、現在の当主の祖父にあたるひとも、その川船頭の一人だった。そこへ、ほかの船頭が寄っては、食事をするようになり、その世話をしているうちに食堂のような具合になった。上越線が開通すると、川の利用はなくなっていき、その食堂が本業化する。そして、いまの当主の父が、在のひとに蕎麦打ちを教えてもらったのが、蕎麦屋の始まりというわけだった。

ま、このことは、そのうち写真入りで詳しく紹介する。とにかく、大衆食堂の多くは、働く生活のなかで生まれ育ったものなのだなあ。

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