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2003/11/18

料理の歴史

人間の歴史は、ふた通りの見方があるという。一つは、アダムとイブ式で、一組の男女から始まって、増えていったという見方。しかし、それでは矛盾がある。なぜなら、自分には父と母がいて、そのまた父と母がいてというぐあいに、さかのぼるほどドンドン増えてしまう。だけど、これもまたおかしくて、それじゃあ、昔のほうがイマより人口が多いのでなければ計算があわない。というと、いや昔は実際は多かった、早死にだったから溜らなかっただけなのだ、というやつもいる。そいつがいうには、最初の人間もドバッと一度にたくさん生まれドバドバドバドバとガキをつくって、ドバドバドバと死んでいった、そういう繰り返しだったというのだ。

それはともかく日本では、料理の歴史は、この前者のような見方で述べるひとが圧倒的に多い。そこに、いつも「元祖」だの「本家」だのが登場するのである。しかし現実の料理では、そういうことはありえない。ほとんどの料理が、川の流れのように、いく筋もの料理の流れが集まりながら成り立っている。それを解明するのが料理の歴史のはずだと思うが、それにもかかわらず、元祖だの本家だのというのは、料理の歴史を書く人間のアタマの問題なのだ。

一つには、戦前まで長い間支配的だった、イエの歴史の方法から脱け出せないでいるアタマがある。これは、まさに、アダムとイブ式であり、日本的にいえばイザナギとイザナミ式であり、イエの歴史つまり系図の歴史であり、その頂点には、ふつうは男が一人いるのである。そういう方法で、天皇家の長の系図や徳川将軍の系図をつくり、そこに由緒由来をつける、それが歴史だった。その方法で料理の歴史をつくる。

もう一つには、それとも関連するかも知れないが、料理の技術の実態ではなく、名前の系列を追う方法である。これは、単に怠慢から出ているのだろうと思う。例えば、おでんの「ルーツ」は田楽豆腐ということに通説ではなっている。しかし、これは、あきらかにおかしい。豆腐田楽は焼き物であり、現在のおでんは、「関東煮(かんとうだき)」という名前もあるように、料理の実態としては、煮物であり炊物である。にもかかわらず、田楽豆腐が「先祖」になってしまうのは、料理の実態を調べずに言葉だけを追いかけた結果だろう。

カレーライスの歴史ほか、そういう歴史が多いね。

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