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2003/11/24

食文化4

いまでは正式になんというのだろうか、叙位叙勲制度というものがある。生まれながらに平等である人間に、位をあたえ勲章をあたえ序列をつけようというものだ。戦後一時なくなったのだが、復活している。

勲一等ナントカとかね。おれがガキのころは、列車の車両にまで、一等車、二等車、三等車なるものがあって、これはまあ戦前の名残りなのだろう、やがて普通車やグリーン車にかわったが、日本は最近でも、そういうことをしている国なのだ。

おれが直接知るかぎりでは1970年代の日本料理業界つまり板前料理職人は、イワシを「下魚(げざかな)」とよんで、そんなもの料理に使えるかという、思想というほど強固なものではなく、下魚をバカにして偉そうにしている根性をもっていた。その業界で育つと、そういうことでないとやっていけなかった。魚や野菜に序列があり、それを守ることが日本料理の伝統を守ることだったからである。

なぜそういうことになっちゃったのか根本をたどると、聖徳太子が定めた位階制度までさかのぼることになると思う。ただ、聖徳太子は、その時代の政治経済において必要なことをやっただけだと思うが、そしてこれは貴族たちの序列を定めたにすぎないものだった。が、後世の人間がそれを食べ物にまであてはめた。コイが一等で、その次はタイだの、あれは下賎の食べ物だ下魚だと、食べ物にまで貴賎をつけ、それをしかも近代の資本主義になっても「伝統」と称して続けたのは、どういうわけか。

そのへんに日本の戦前まで続いた支配階級、貴族制度や貴族文化の愚鈍愚劣があり、その残滓を依然としてありがたがって続けているのが、いまの日本である。ま、だから、ニセの皇族にだまされたりする事件があるのだが。だまされたのは、ほとんど中流以上のクラスということを考えれば、日本の上層には相当オカシナ文化が依然として漂っているのである。

そもそも、イワシやサンマやカツオなどの下魚、大衆魚を食べていれば、輸入魚や養殖魚の利用は減り少しは自給率も改善されるはずなのだ。しかし貴族文化を中心にすえる伝統主義は、序列により、それを排除してきた。伝統主義の日本料理自体に日本料理を崩壊させる根があったのだ。そのことを自覚しないで、叙位叙勲をありがたがり、食糧自給率の低下を嘆き、伝統回帰を主張するのは、おかしい。

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