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2004/03/31

気になるマカロニサラダ

マカロニサラダが気になるので、広辞苑で、「サラダ(salad)を見たら、「生野菜を主材料として、場合によっては肉・魚介・卵などを加え、ドレッシングやマヨネーズなどであえた料理」とある。英英辞典でも、おなじような説明だ。

サラダというと生野菜をイメージするのが、普通の実態だろう。だからワザワザ「温サラダ」といわれるものもある。

しかし、いもサラダ=ポテトサラダや、マカロニサラダは、ちょっとちがうぞ。それに、フライなどの盛り合わせに、キャベツの千切りと一緒に「トマトケチャップからみスパゲティ」が少量のっていることがあるが、アレももしかしたらサラダのつもりではないのか。

うーむ、奇怪なサラダ現象である。いったい日本人のサラダ感覚とは、どういうものであろうか。ますます気になるマカロニサラダなのだ。

気になるが、しかし、いまそんなことを気にしている場合ではない。初校を仕上げ締め切りが刻々と近づいている。

しかしトシだ。文庫本の文字が小さくて、校正がつらいねえ、集中力が長続きしない。

マカロニサラダ、気になるなあ。

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2004/03/30

レトルトごはん

スーパーでレジに並んだら前は、70歳ぐらいのバアサンだった。カゴの中に、サトウの「玄関あけたら2分でごはん」(古いか?)のレトルトごはんが3個に低脂肪牛乳の大パック1個。

約30年前、相次いで発売になったレトルトごはんは、ほとんど市場から敗退する有様だった。品質に問題があったことはあったが。しかし、このバアサンは、あのころ40歳ぐらいで、そんなもの買う気もおこさなかったのではないか、と思う。

イマめしを炊くのには、そんなに手間がかかるわけではない。米を「研ぐ」にしても、30年前と乾燥精米過程がちがうから、「研ぐ」のではなくサッと「洗う」ていどでよいのだし。あとはスイッチを入れておけばよいのだ。

しかし、釜を洗わなくてはならない。一人暮らしだと、一度炊いためしをズッと保温しておくのも問題だから、冷や飯を食べなくてはならない。などの嫌気があるかも知れない。

そういう物理的な問題だけではなく、このバアサンは、ズッと「家族のため」にめしをつくってきたのであり、自分が生きるためにめしをつくるという意識というか習慣が学習されていなかったとも考えられる。

アレコレ想像するのだった。

近所のコンビニへ夕方行くと、ご老人たちが弁当を買っている。しかし、どうしても自分でめしを炊かなくてはいけない、という根拠も、どうも薄弱である。レトルトごはんはマズイわけじゃなし。

新潟県産コシヒカリ使用と魚沼産コシヒカリ使用では、魚沼産のほうが20円ばかり高い。スーパーとコンビニでは値段がちがうが、どのみち1個150円から200円以内だろう。量と値段の関係でいけば、大衆食堂のめしの方が、安い。

近くに、よい安い大衆食堂があると、いいね。

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2004/03/29

マカロニサラダ

どうも、このあいだからマカロニサラダが気になる。

いま初校をしている、今度ちくま文庫から発刊の予定の本は、ぶっかけめしの本である。「ぶっかけめしの悦楽」の構成もかえ、「書き下ろし」といっていいぐらいに、大幅に書き換えた。タイトルも変わる。

しかし、その本のつまるところは、「ぶっかけめしの悦楽」と同じように、カレーライス問題なのだ。それを汁かけめしの系譜で考えているわけだが、それだけでは、どうもハッキリしない点が残る。

もともと料理の誕生は、そんなにハッキリしたものではないのだが、やはり、カレーライスだけを考えていても、カレーライスのことはわからない。のではないか。

おなじ時代に、ほかのものがどう生まれ普及したかを検討しなくては、新しい料理を生む時代の料理文化が、いまひとつ見えてこないのだ。

……と考えたときに、マカロニサラダが気になるのである。アレは、いったいなんなのか、カレーライスのように得たいの知れないモノである。

カレーライスとマカロニサラダを一緒に考えることで、何かが見えてきそうな気がする。のだが。

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2004/03/28

考えなきゃね

昨日の「女の立ちション」だが、念のために言っておくけど、お尻を丸出しにして人に見られる心配なく、できる。洋服では無理だろうが、和服なら、可能なのだ。

それはともかく、有機栽培には、たい肥が必要だ。人糞をムダに捨てているイマ、たい肥はどうしているのか。手元にある雑誌に、魚沼産コシヒカリを有機栽培でつくっている農家の話が載っている。「有機といっても養豚や畜産をやっていないと、なかなかできるもんじゃありません。うちはたまたま養豚をやっているもんで、豚の糞とか、八海醸造から分けてもらうビールのカスだから、いい堆肥ができるようになりました」

このひとの場合、その養豚のエサがなんであるかわからないが、抗生物質などを混ぜた人工飼料なら、たい肥といっても、むかしのたい肥とは大分ちがうだろう。いま養豚の80パーセントぐらいは、抗生物質をタップリ含んだエサを使用している。

あまり問題になっていないが、養鶏所から大量に出る鶏の糞は、肥料会社で有機栽培用の肥料になる。先日来鳥インフレンザで騒がれている鶏舎のように大規模経営のところは、ほぼ間違いなく人工飼料を使っているはずだ。となると、その糞を原料にしたたい肥は、はたして「安全」なのか、という問題が残る。

というぐあいに「安全」の問題は、なかなか難しい問題である。で、はてさて、近頃「有機栽培」が「安全」で「うまい」といわれるのだが、本当に、そうなのか考えてみる必要があると思うのだ。

おれのようなトシの人間が、むかしの野菜や果物はうまかった、という。たしかに、うまかった。いまのものは、うまくない。

そのうまくない一つの理由は、味が「均一化」しているということである。たとえば、ホウレンソウのおひたしなどは、まったくうまくないのだが、それはホウレンソウをゆでるときに、アクがでないほど、昔のものと違っていることに関係するだろう。そういうホウレンソウの問題は、必ずしも有機栽培かどうかではない。最近では有機栽培のホウレンソウも出回っているが、けっしてうまくない。つまり肥料の問題だけじゃないのだ。

いずれにせよ、有機栽培なら「安全」で「うまい」というアタマでは、考える力においてはなんら進化していないわけだから、いつまでたってもそのアタマにあったていどのものしか食べられない。

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2004/03/27

女の立ちション

どこのサイトの何の話だったか、たぶん便器のTOTOのサイトだったと思うが。女が立ったまま小用をたす便器の話があった。それは水洗式のものだが、アメリカで誕生し東京オリンピックのころ、外国人が使用する日本の施設に設置されたことがあるというような説明だった。写真も載っていた。

たしか、昔はストッキング弱かった、便座に座るとストッキングが切れてしまう対策から、それが生まれたということだった。

しかし、日本には、昔から女も立ちションできる便器あった。男女兼用である。俗に「朝顔」といった。女は、そこで立ったまま用を足したし、野良でも立ちションした。

おれは何度も目撃していて「大衆食堂の研究」にも書いた。田舎のことだけかと思ったら、上京した1962年春、現在調布市の金子町の畑で、女が立ちションしているのを目撃した。ま、もっとも、当時の金子町は田舎だったが。

女も立ちションの風習は、一つには、昔の農業は小便を大切にしたことに関係すると思う。戦後の農村を撮影した写真にも、女が立ったまま小用をたす「風景」があるが、家の外の汲み取り口の木のふたにあけた10数センチ四方の穴にむかって、ミゴト小便を放射するのだ。つまり「朝顔」は使用してない。母屋の便所の便壺を、外からも利用する仕組みのものだった。

農作業のあいだに小便のたびに、ワザワザ足を洗って家にあがるのは、めんどうである、かといって野良にしてしまうのは、当時は、いまでいう「有機栽培」が普通だったから、たい肥をつくるために必要なモノを捨てることになる。人間の糞尿もブタの糞尿も必要なものであり、貯めておいたのである。

で、おれの田舎の農家では、たいがい母屋の外に便所があるか、母屋につながって小便用は外から土足のまま利用できる仕組みになっている家が多かった。そういうところでは「朝顔」をつかっていて、女も立ったまま小便をしたのである。

女の立ちション、女も立ちションできる便器「朝顔」の関係は、そのように「有機栽培」と密接な風俗だった。いま、大小便を、みんな水で流して、女も男も立ちションはイケマセンといいながら、「有機栽培」なんていっているが、では、たい肥をどうしてつくるのか。有機栽培の米や野菜をまかなうだけの、たい肥をつくる糞尿は、どう調達するのか。……なんて考えたのだった。

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2004/03/26

問題は~

コピーも含めて、よく利用する近くのコンビニが、最近、ダイコンやキャベツなど野菜を大々的に置きだした。他のチェーンでは前からおいてあったから、需要があるのだろう。夜の11時ごろでも、そういうものを買っていくカップルを見かける。

「食育基本法」は、「社会経済情勢がめまぐるしく変化し、日々忙しい生活を送る中で、人々は、毎日の「食」の大切さを忘れがちであり」といっているが、とくに働いている人間は、けっしてそんなことはないのだ。

「コンビ二フードをヨシとするわけではないが、私は80年代のコンビニのオニギリ・弁当戦争の渦中にあって、それは大変な努力をしている関係者の姿を見ている。そして、コンビニフードがないと困る生活がある。もし伝統食が、その生活に応える努力をすれば支持されるだろう。しかし、いま『地産地消』や『伝統食』を唱える関係者の努力たるや、どうであろうか」と、おれは朝日新聞社の『一冊の本』の「食育ナンダロアヤシゲ」に書いた。

問題は、コンビニを利用する消費者にあるのではない。コンビニを利用する消費者を「日々忙しい生活を送る中で、人々は、毎日の「食」の大切さを忘れがちであり」と決めつける連中に、問題があるのだ。

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2004/03/24

急ぎ

パソコンクラッシュから、平常にもどりつつある。やれやれ一段落と思っていたら、次の本の初校が出た。来月かと思っていたのに。

いままでわりとノンビリ進んでいたが、急に日程をまかれだし、短時日で仕上げなくてはならない。できたら夏までに刊行にこぎつけようという日程らしい。

ちくま文庫から。夏までに出版なるか。まずは、せっせと初校をやります。

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2004/03/22

いやはや

しかし初期化すると大変だなあ。ウインドウズのアップデイトだけでも大変だし。まだ、ホームページビルダーのインストールもしてない。やれやれ。

メールアドレスがわからなくなったひとがたくさんいます。すみません、またメールをください。おねがい、おねがい。

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2004/03/21

なんとか

パソコンの調子がおかしかった。なんだかんだあって、けっきょくシステムリカバリで、もとの状態、めんどくせ~。やっとネットにつながるとこまで、こぎつけた。

わからなくなったメールアドレスもあるので、すみませんが、みなさま、「バカ」とか、メールをください。

ああ、疲れた。まだまだ、ソフトやバックアップデータのインストールが残っている。あとは、ボチボチやるだね。

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2004/03/19

おかしい

パソコンの調子がおかしい。

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2004/03/18

文春問題

週刊文春なんか好きじゃないが、報道の自由や表現の自由は最大限認められなくてはならんと思うね。世の中、あるていどプライバシーを取り引きしながら成り立っているんだしさ。

他人のプライバシーなんか興味ないよ、クダラナイと思うひとは買わなきゃいいし、興味あるバカは買えばよい。おれはテレビなんかクダラナイからナイ、新聞もクダラナイからとってナイ。

ようするに、なんでも読むほう、見るほうの判断と選択にまかせることだよ。そうしないと、日本人はオトナにならんね。駅に「悪書追放」なんていう箱があるとウンザリだよ。

しかし、なんだか最近は頭を押さえつけられるようなキナクサイことが多いな。読売新聞だけが、仮処分を支持しているというのも、なんだかね、キナクサイね。

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2004/03/17

田舎の糖尿病

きのうは葬式に参列した。群馬県藤岡市。「市」ではあるが、田舎である。故人は74歳で、林業つまり炭焼と山仕事を生涯の仕事にしてきた。もう何十年か前に、炭の品評会で賞をもらったことを誇りに生きてきた。

しかし、子供たちは、みな林業とは関係ない「勤め人」になっている。自分たちは「山に生きる」ことを誇りにしていても、子供たちには「学問」をさせ「立身出世」することを夢見る例はめずらしいことではない。そして子供たちは当然のように山を離れていく。なんだか矛盾しているようだが、そういう例は少なくないのだ。とくに林業の労働は厳しい。平地の農業とは、まるで違う。

しかし、おれの知り合いに2人、都会の有名な大学の大学院まで出て、大学院を修了するとすぐ故郷に戻り林業をやっているひとがいる。どちらも標高600メートルぐらいの山地で林業を営み、地域の人たちが民宿や観光に手を出しても、助けることはするが自らは手を出さず、林業一筋である。ちょっとやはり「山に生きる」ということについては、こちらは親子とも筋金入りだなあ、と思う。

なんの話かというと、きのうも感じたのだが、田舎のひとに糖尿病が多いのだ。意外である。なぜだろうか、いろいろ思い当たることがある。一つは、前者のタイプの家庭に糖尿病が多いような気がする。山仕事をやらなくなっても、山仕事をしていたときと同じような食事をしている。それに「都会的な生活」や「都会的権威」に無警戒だ。食は、労働と、労働に対する思想と、密接であるようだ。

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2004/03/13

というわけで

田舎(故郷の六日町)へ行ってきた。山菜のたぐいをたらふく食べてきた。もちろん八海山や高千代の酒をたらふくのみ、温泉にも入ってきた。しかし、いつものことながら、田舎の大衆食は「草」なのだなあ、おれは「草」を食べながら育ったのだなあ、としみじみ思うのだった。

今回は1泊目は、親の代からつきあいのある民宿に泊まった。沖縄から来た10数名のグループがいて、スキー場やそば屋や酒屋へ案内したり、雪だるまの作り方を教えたり一緒に雪遊びをして「現地ガイド」役までしたので、クタビレた。ああ、足腰がいたい。

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2004/03/09

山里の味

きのう、ああ、そろそろ田舎へ行って、山菜や地野菜を食べながらイッパイやりたいなあ、と思っているところへ、故郷の友クボシュンさんから電話があって、「おい、○○へ行って山菜食べよう」の誘いがあった。

○○とは山菜料理で有名な民宿の名前。ここの酒は、八海山が有名になる前から八海山なのだ。

うーむ、たまらん……ってことで「浮世のめし新聞」に発作的に「ふるさとの味考」を書いてしまった。

まだ経験のないかたは、この春は、ぜひ六日町で山菜食べながらイッパイやってみてはどうでしょうか。ドーンという温泉旅館旅ではなくて、大衆食的マンゾク旅をご案内いたします。

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2004/03/05

食育問題

男…「食育ナンダロ」の続きを書かないうちに、現実の方が進行しているけど、ようするに「食」の問題は、「食育」などで解決することではない、もっと個別の政策で取り組まなくてはならないことだということが、ますますハッキリしているね。

女…けっきょく、個別の政策でちゃんとやってこなかったツケが出ている。

男…鶏インフレエンザの問題は、またもや、前のカイワレ、そしてBSEのように、特定の業者をスケープゴートにしてオワリということになるだろう。たぶん本質的な問題はあきらかにされないだろうね。エイズ問題も、そうなんだけど。政策的な不手際を、「食育」なんていう消費者を悪者あつかいした国民的運動でごまかそうという根性なのだなあ。食の安全の問題、生産者の問題をつきつめていくと、必ず国の政策の問題になるから、問題のすりかえ作業だね。

女…でも国民のがわも、鶏インフレエンザを政策の問題としてはとらえていないようですね。

男…グルメのバカ騒ぎをやっているだけで、食に関する意識は低いからね。

女…では、やはり「食育」が必要ということになりますね。

男…でも、いまの「食育基本法」は、そういうことがテーマじゃないんだよ。だって、実態認識が「社会経済情勢がめまぐるしく変化し、日々忙しい生活を送る中で、人々は、毎日の「食」の大切さを忘れがちであり、栄養の摂取その他の食習慣の面からも、安全性の確保の面からも、自ら「食」のあり方を学ぶことが求められている。また、恵み豊かな自然の下で先人からはぐくまれてきた地域の多様性と文化の香りあふれる豊かな日本の「食」が失われる危機にある。」というぐあいなんだよ。

女…みんな国民の責任です。

男…国民の食に関する意識以上に、「食の安全性確保」や「地域の多様性と文化の香りあふれる豊かな日本の「食」」、に関する政府の政策意識が低いことが問題なのさ。国民を労働力の対象としてしか考えていない、いまでもそうだけど、そこに問題の根源があるんだなあ。

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2004/03/01

はればれ

ああ、昨年秋からエイコラエイコラやってきた本の原稿は、今日が最終の締め切りで、無事にできた。はあ、これで、少しは日々が正常化されるのだろうか。はあ、でもほったらかしておいたことをかたさなくてはならないし。はあ、ま、でもトンネルをぬけた気分。

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