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2004/06/13

味覚表現の底流

なんとなく、とか、気分がよいからとか、いろいろな理由で、味覚表現の言葉が選ばれている、と、思うが。なぜ、そういう言葉が選ばれるのか?

えーと、5月25日の「センチは、問題だぜ」からの、カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」に書いていることは、なんか味覚表現にからんで、ちょっと気になるというか、ひっかかっていることがあって、それにからんで書いているのだな。やはり気になるのだな。(「センチ」とは「センチメンタリズム」のつもり)

ま、「観念的味覚」といわれたりすることがあるが、おれはもっと、その観念の底にある観念が気になっていたのだが。それは「センチな味覚」ではないかなとヒクッヒクッと思ったのだが、まだ思いつきだから、うだうだ気のつくままに「つぶやき」にしていたわけだが。

このあいだ、ある「食関係で食べている人たち」つまり「食の専門家」だろうか、そういう人たちと話をしていて、おれが「味覚にも歴史があるから」といったら、驚かれたのだが、その味覚の歴史に関わることなのだな。だけど、正直、「味覚にも歴史があるから」といったら驚かれたのに、おれは驚いた。ま、納得してもらえたようだが。

それはともかく、その「センチな味覚」には、保田與重郎(やすだよじゅうろう)の影響が、かなり根深くあるなあ、と思うのだ。もちろん、おそらく保田與重郎の「正しい継承者」たちからみたら、その通俗的な邪道な解釈による影響だと思うし、自分の味覚表現の言葉が、どのような歴史を持っているか考えないで使っている連中に責任はあると思うが。

ま、やはり、とりわけ日本料理のことになると、とりわけ寿司や刺身のことになると、とりわけ山菜や旬の野菜のことになると、とりわけ「清酒」のことになると、保田與重郎の影がチラチラするわけだ。それが、やはり、気になって、ここのところ、「センチは、問題だぜ」から始まって、ついに「堕落」にいたった、ということなのだ。という自分の整理。

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