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2004/06/25

ブログの真ん中で「好きだ」ってか

なんだか、ブログの真ん中で「遠藤哲夫が好きだ」と叫んでいるひとがいる。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040623
どうやら、「遠藤哲夫」とはオレのことらしい。困った。相手はオトコなのだ、こういうときは、ケツを洗って待っているべきだろうか。

しかし、ふんとに、「ココロがこもっていておいしい」とかいうやつがいると、ちゃんとそのココロを見たのか、確かめたのか、どこにあるのだ、と言いたくなるね。それに、では、ココロがこもっていないと、どのようにうまくないのか、それは、ホントウに、ココロのせいなのか、聞きたくなるね。

「旬」にしたってさ、「これは旬だからうまい」とか「自然の味で、おいしい」とかいうの、ほんとうかい、と思っちゃうね。ホントウに、旬の味なの、旬の味をどう確かめたの、自然の味ってどういう味なの、知ってるの、確かめたの、と聞きたくなることがたくさんあるね。

「毎日、河岸から仕入れている」といったって、河岸のモノなんか、ピンキリじゃないか。料理屋が自分たちのコストを安く上げるために河岸へ行く、そういう「経営努力」を、そんなにありがたがる必要があるのかね。

もう、近代資本主義の時代を経過して、どれくらいになるのだろうか。すでに、ほとんどの生活は、その巨大な機構のなかで成りたっている。なのに、味覚表現の感覚や言葉は、まるで、その時代がなかったかのように、料理が地場の農漁業風土と一体だった昔のまま、なーんも変わっていない、むしろ、その変わっていない表現のほうがメディアなどではメジャーで、オレのように、そういうオカシイことにイチャモンつけるのはマイナーなのだなあ。「ノスタルジー」だかなんだか知らないけど、どうかしてるんじゃないの。「ノスタルジー」ではなく、「惰性」なんだと思うなあ。思考の停滞。

そんな感覚で、うまい料理なんかつくれるのかい。うまいものが、わかるのかい。とか、言ってみたりして。

何回も言ってきたことだが、イイカゲンな栄養学や観念的な味覚のグルメに矮小化された料理を、フツウの生活のなかに、とりもださなくてはならない。

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