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2004/06/05

いいかげんにせえよ

食べたり飲んだり、そのことについて語り合ったり、料理をつくったり料理について語り合ったりすることで、とにかく無条件に、楽しくココロ豊かになる。ハズだと思っていたが、どうもそうとばかりいえないようだ、最近とくにその傾向が強い、と気になっている。

なぜなのかな、と思うのだが、これといって、まだ理由はしぼれない。

とりあえず一つハッキリしていることは、かつての「食談義」や「食通談義」といわれるものが、楽しくココロ豊かになるものではなかった、かなり大きく間違った傾向にあったし、その影響が克服されずに強く残っているということだ。

そして、それが、最近とくになにごとにつけても「優劣」を競い合う社会的風潮のなかで、庶民的分野にまで広がっている。

「どうだ、どうだ」と、他者を見下したり非難したりイジメたりコケにしたりする手段、つまりは人間的な優劣をつける手段として、飲食や料理に関する「通」知識が利用されるのだね。

たしかに、上層の文化として、かなり古くから、そういう傾向はあったし、上下の格式が秩序を形成していた上層文化においては、トウゼンといえばトウゼンだった。

そもそも飲食や料理が、上下関係服従関係優劣関係などを示すものとして利用されてきた歴史は古い。古事記の最初のほう、神武が東征に出発して最初に大分あたりで豪族を支配下におくが、そのときすでに飲食は、そのように利用されている。

しかし、庶民文化レベルで、そのように「通」知識が「活躍」するのは、ごく新しいことだろう。B級グルメが跋扈する近年のことのように思う。そして飲食や料理の「通」知識は、もっとも安直に、隣人たちとの優劣関係を競う手段として使われるようになった。

なにごとにつけても「優劣」を競い合う社会的風潮が、B級グルメの「興隆」をもたらした、ともいえそうである。

そんなわけで、どうもね、最近は、ラーメンやカレーライスどころか、「下町」や「大衆酒場」というものまで、そういうエサになっているようで、どうもね、しゃくぜんとしないし、自分もその一端を担いでいるようで、憂鬱な気分になる。

こうなるとアレだね、自分の家で、ヒッソリ好きなもの作ってヒッソリ飲んでいるのがイチバンいいかもね。かくて、「ひきこもり」になるのか、と思うのだが、どうもおれの性格からしてひきこもりは難しそうだ。デハ、どうするか? だから、とりあえず、こういっておこう、「いいかげんにせえよ、庶民文化はただ楽しめばいいのだ、通ぶった知識を競うものじゃない」

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