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2004/07/25

あなたも評論家!「ニッポンのめし」考

7月19日に「あなたも評論家!」を書いた。今日、あれから1つだけあった投稿を「ザ大衆食」に掲載した。こちらを、ごらんください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/meshi_kou1.htm

投稿してくださった、ハクブンさん、どうもありがとう。

「評論家」といえば、初めて「料理評論家」の肩書をつかった山本益博さんを思い出すひとが少なからずいるだろう。山本益博さんについては、というより、彼が「料理評論家」という肩書でやったことに対しての批判は、「ザ大衆食」に書いたこともある。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/nakag.htm
http://homepage2.nifty.com/entetsu/koramu/gokai_ryourihyouron.htm

おれが言いたかったのは、とくに以下のことだった。

(引用)・・・・・・・・・・・・・・・
とりわけ山本益博さんが「料理評論家」を名のって以来、料理は「味覚」のことにゆがんだ。その業績を否定するつもりはないが、かれは「料理評論家」を名のりながら、じつは「味覚評論家」をやっていた。

かくて、店を食べ歩き、店や料理を味覚で採点しランク付けすることが、あたかも料理を知ることであるかのような風潮が広がり、それが「B級グルメ」といわれる分野にまで拡大している。それも「味」と「味覚」のあいだを考えることもせずに、何軒食い倒したと自慢し、「本物」を知る「舌」の持ち主であるがごとき言動で、バカな大衆をたぶらかすのである。

つまり彼らは、何軒か食い倒した「舌」は持っているが、料理を理解しようというのではない。たくさんの音楽を聴き、微細な音のききわけができると耳自慢する「音楽評論家」みたいなものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・(引用おわり)

山本益博さん自身は、その後あらわれた、こうした「評論家」たちより、はるかに食文化や料理文化に関する素養と理解の持ち主であり、「料理評論家」という肩書はコマーシャル的な価値として用いたにすぎないと判断できる。あるいは、彼は当初たしかに「料理評論家」の肩書にふさわしいものを書いていたのだが、目先のきく人だから、そういうものにあまり関心を示さない市場を察知し、より売れ行きのよいほうへ的をしぼった、ともいえそうだ。

いま問題にしたいのは、そういうことではない。山本益博さんが登場した時代は(1980年代前半。その前山本さんは「落語評論家」だった)、まだ日本人が「食文化」を意識しはじめた時代であり、「グルメブーム」前夜であり、そして印刷物つまり印刷された活字が、いまとは比べものにならないほど、憧憬と権威だったということである。また、出版社や編集者は、大小の差はあっても権力であった。「評論家」というのは、そういう文化を土台にして成りたっていた。

いまは、どうか? もちろん、いまでも出版物に無条件で憧憬と権威あるいは権力を認めるひともいないではないが(とくにワレワレ「ライター」と称する人たちには、少なくないようだが)、一般的には、インターネットの出現で、だいぶ状況は変わった。

ああ、今日は、ここまで。

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