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2004/07/26

山本益博さんについて、メモ

昨日、山本益博さんの名前を出したついでに、備忘録的にメモをしておきたい。

「雑誌『談』編集長によるBlog」の先月6月29日、編集長が山本益博さんに会ってきた話を書いている。
http://dan21.livedoor.biz/archives/3087876.html

「山本さん曰く、日本は、作り手の側には食文化があるのに、肝心の食べ手の側に食文化がないと。美味しくつくる技術は発達したのに、美味しく食べようとする技術が育っていない。この非対称性が、結果的に食文化全体を貧しくしているというのです。な~るほど、卓見です」

これを見て、山本さんの「過去」を思い出した。

山本益博さんが「料理評論家」として食べていけるぐらい有名になった本は、1982年の『東京・味のグランプリ200』(1982年、講談社)だ。この本で、「“毎日、外で食べていれば食っていける不思議な職業”を確立」した。
http://masuhirojapan.hp.infoseek.co.jp/

しかし、その前、1980年に厚生出版から『料理人を食べる』を出している。ここで、すでに彼は、食べる側にも食べる「技」が必要だということを主張していたのだ。が、そういうキマジメな発言は、当時「男の料理」だのなんだのと台頭しつつあった「グルメ」には、あまり支持されなかったはずだ。「食べ手の側に食文化」なんか興味がない多数の読者、グルメたちは、ちがう情報を求めていた。

山本益博さんは、オリコウな人なのである。その気配を察知したであろう、1982年の『東京・味のグランプリ200』になった、とみることができる。そして、みごとに支持されたのだ。

「オリコウな人なのである」というのは、皮肉ではない。おれはかつて、彼のガイドブックにあったいくつかの店、高級店から大衆食堂まで食べたりしたのだが、そして思った。山本さんには、こういう店をとりあげることが、こういうガイドブックを利用する多くの人たちによろこばれるだろう、というある種のマーケティング的なヨミがあるのではないか。とくに味覚の傾向の選択に、それを感じた。

それは、なかなか難しい「技」なのだなあ。彼の選んだ店を、マズイと非難した人たちもいたが、それは当然なのだ。選択の基準がちがうのである。山本さんの選んだ店を、マズイと非難できても、山本さんのようにやるのは、難しい。と、何度か思ったのだ。

それはともかく、山本さんが「料理評論家」という「職業」で確立していた1988年、『現代思想』9月号「特集 料理のエステティーク」で、玉村豊男さんと四方田犬彦さんが対談している。「味の記憶、あるいは絶頂の瞬間」

文中「料理批評の可能性」の小見出しで。司会者は「料理批評ということで言えば、よく職人芸ということが問題にされますが、職人仕事の批評などは成り立つんでしょうか」という。

玉村さんは、すぐさま「日本で職人芸とか何とか言った場合、基本的に言葉で説明できない部分が評価されるってところがあるんじゃない?」という。つまり、フランスとはちがう、と。

アレコレあって四方田さんがいう。「ぼくだけが食った「あの時のあれがうまかった」ということで人間はけっこうやってきたわけだし(略)ものを比較して共通の水準を仮定して論じていくということに、非常に当惑するときがぼくにはあるんです。それ自体が非常にイデオロギー的だと思います」

「たとえば山本益博さんの立っていらっしゃる立場そのものが極端にイデオロギー的だけれども、彼はそれにはけっして言及しない。と言ってもぼくは批判するつもりではないんです。ガイドブックとしてはある程度までは便利なものだと思っていますが、どこまでも相対的な味覚な領域に留まっていて、この人はこれ以上は何もできないだろうと思います」

ま、最後の「この人は……」以後は、余計なお世話というものだろうが。

そして玉村さんが続ける。「彼の仕事を最初にみていて、フランスの『ミシュラン』みたいな批評が日本にも出れば、その密室性が多少なりとも打破されるのではないか、あまりにも勝手なことをやっている料理人が多いから、そういう批評はいいなと思って、応援していたんです。でも結局は、日本の料理空間の密室性みたいなものに、彼自身がとりこまれていってしまったという気がする。開放しようという意図がどこまであったか知らないけれど」

「それと、確かに同じ店へ行っても全く同じものを誰もが食えるかというと当然そうではないわけだし、同じものが出てきても、そもそもそれを味わう力も素養も違うわけだから、たとえ同じものを食べてもウマイと感じる人とそうでない人といるわけでしょう」

この最後、玉村さんの発言は、山本さんのいう「食べ手の側に食文化」の問題だと思うのだが。

なんかね、ま、長くなったから、今日はここまで。
とにかくね、その後、職業的に山本益博さんを目指したひとは、少なくないとおもうのだが、「食べ手側の食文化」を、どのていど意識しているのだろうか。

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