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2004/07/28

「食べる技術」としての料理

昨日、ザ大衆食のサイトで掲載中の「あなたも評論家!「ニッポンのめし」考」に、楽しい投稿をいただいた。近々、紹介させていただく。これはオアソビだから、おもしろがって参加していただけばよいのだが、おもしろいだけではなく、「ニッポンのめし」や「評論」について、役にたつ得するナニカが得られるのではないかと思っている。

ついでのメモである。

料理は「食べる技術」であると、表現のニュアンスは若干ちがうが、山本益博さんと江原恵さんも、1980年代初頭に主張していた。26日の日記に引用した「美味しく食べようとする技術が育っていない」という山本さんの指摘は、1980年代初頭の江原さんと山本さんに共通してみられた問題意識だったと思う。しかし、その意味するところは違っていたように思うのだ。

ともあれ、25日と26日に山本益博さんについてふれたら、さらに気になったので、とりあえず手元にある『東京・味のグランプリ1986』をパラパラめくってみた。講談社から1986年4月の発行だ。こんなことを書いている。

(以下引用)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素材の質が料理の質を決定します。どんなに料理人がその腕を振るおうと、素材の質以上の料理をつくることは不可能ではないでしょうか。

素材の質に関して言えば、現在は、まことに憂うべき状態で、いま日本でつくられる米や野菜には、まったく力がありません。「一億総グルメ時代」などと揶揄される背景には、かつてないほどの質のよくない素材がこの世の中にあふれていることがあげられましょう。それだからこそ、『東京・味のグランプリ』は、まがいものを排除し、質の高い素材、じゅうぶんに考えつくされた料理を求めます。

おいしいものを食べて不健康になるというのは、理にかないません。人間は、身体にとってよいものをおいしいと感覚するよう〈味覚〉というものを発達させてきたのではないでしょうか。つまり、〈味覚〉は、人間の身体のためにこそあり、その感覚を研ぎ澄ますことこそが、なにより健康になることでもあると信じます。わたしたちは、〈味覚〉が鈍化してしまった分、体裁や観念や他人の価値観〈『味のグランプリ』などのガイドブックも含めて〉に頼ってはいないでしょうか。

自分で判断できないゆえに、一日何カロリーとか、塩は何グラムと栄養学のお世語になり、これを食べると血圧が上がる、あれを食べると痛風が出るといっては予防医学に振りまわされるのも、まことに不思議な現象です。本当においしいものを必要なだけ選ぶ能力があるなら、栄養学も、予防医学も不必要なはずです。

美食こそが真の健康につながるよう、『東京・味のグランプリ』は、素材の質と、それにほどこす料理人の仕事を、つねに最優先の問題として考えてゆきたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・(引用終わり)

当時の「グルメ」をめぐる状況がわからないと、ナゼこういう話になったのかわかりにくいと思うが、山本さん独特の商売上手のハッタリもあるし、26日に引用した玉村豊男さんの山本さんに対する批判「でも結局は、日本の料理空間の密室性みたいなものに、彼自身がとりこまれていってしまったという気がする」という指摘もアタリだろうが、山本さんが「食べる技術」「食べる側の食文化」を意識していたこともたしかだろう。

一方、1982年2月発行の『生活のなかの料理学』で、江原恵さんは「食べる技術」について、こう書いている。

(以下引用)・・・・・・・・・・・・・・・・
「そう、そう、あのくらい漬けてあれば、ハウスキュウリだって捨てたもんじゃない。ほんとうの料理文化とは、ガイドブック片手に高級料亭を食べ歩くことではなくて、美味しいものを食べたいという欲求を、自分の生活の中で血肉化し、思想化することだという議論が、あれを食べた後では単なる議論ではなくなるんだよな。だから、料理屋というのは、魚屋・八百屋のレベルで営むなりわいだということ、よくわかります」・・・・・・・・(引用終わり)

これは、当時、おれと江原さんや生活料理研究所に関わっていたひとたちの間で議論になっていたことを、会話風にまとめたものなのだが。つまり、「魚屋・八百屋」いまでいえばスーパーで売っているようなハウスキュウリだって料理しだいで、うまく食べられる。そこに「つくる技術」ではなく「食べる技術」としての料理の本質があると江原さんは説いていた。もちろん、「食べる技術」には、食べるスタイルやマナーなど諸々も含まれる。

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