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2004/09/15

「夜霧のハウスマヌカン」と「ほか弁」

9月10日の「コンビニ激戦のあと」と関係するが、その翌日の飲み会は、おれのほかに、40歳前後1人、30歳前後3人、23歳1人という顔ぶれだった。ここで、「夜霧のハウスマヌカン」を話題にすると、40歳はすぐ、うたと「ほか弁」で反応した。30歳は、うたは知っていて、「やや」がうたったということも知っているものがいたが、「ほか弁」とはつながらない。23歳にとってはなんだかわけのわからない話でしかない。「ハウスマヌカン」は死語であり、すでに「ほっかほか亭」もアイマイな記憶のなかにしか存在しないのだなあ。

コンビニの弁当は、最初つまり1980年代前半は、ほっかほか亭などの弁当屋専門店に対して苦戦した。弁当屋は目の前でつくってくれるのに、コンビニ弁当は、よそから運んでくるからだ。

『昭和・平成家庭史年表』(河出書房新社)によれば、ほっかほか亭は、1976年に埼玉県草加市に1号店がオープンとあるが、おれの記憶では関西のほうから広がった印象があった。とにかく、大衆食堂でも弁当販売を始めるところがあって、最初のころは、いろいろな形態の営業で普及したのだが、80年代に入って「ほっかほか亭」が市場を席巻するほどになると、「ほか弁」は弁当の総称のようになった。そして、「ほか弁」といわれるものには、コンビニ弁当は含まれないほど、コンビニ弁当は苦戦していた。

「夜霧のハウスマヌカン」は1986年。「お金も無いのに 見栄を張る また 昼はシャケ弁当」の歌詞にある「シャケ弁」は、たしか290円というビミョウな値段の「ほか弁」をイメージするひとが多かったように思う。

で、コンビニ弁当は、主に夜中に起きている受験生をターゲットに、キャンペーンをはり販売の促進を図ったりしていたのだな。「トオル君弁当」なんていうのをつくったりして、けっこう必死だったね。

バブル前夜。「ハウスマヌカン」という言葉は、シャケ弁の現実を覆い隠すような、バブルな感覚にあふれていた。そういえば、あの黒っぽい、いかにも「ワタシはオシャレなプロよ」という感じの服装は、いまの「グルメのプロよ」という感じのラーメン屋の黒っぽい制服に似ているなあ。

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