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2004/09/26

サガンと朝吹登水子と醤油の匂い

サガンが死んだそうだけど、日本でサガンといえば、翻訳の朝吹登水子さんをはずすわけにはいかないだろう。その朝吹登水子の自伝的小説?『愛のむこう側』だが、おれにとっては忘れられない印象的な場面がある。

女学校卒業と同時ぐらい(16歳?)に結婚し破れた彼女は、パリですごしていたが、ヒトラーが台頭しヨーロッパが戦場になるころ帰国する。日米開戦前夜、日本は「日一日と軍国主義を強めていた。内では、米穀配給統制、金の国勢調査、国民徴用令等と戦時体制を固め、外では一歩一歩シナの奥地に攻め入っていた」

ある日、彼女は「家から外に出てみた。欧州に行くまでは、近所を歩いたことはほとんどなかった。二、三度出たかも知れなかったが、近所で買い物することは全くないといってよかった。」

つまり彼女は、真の上流階級、真の深窓の令嬢、華族の殿様の娘で、学校への送り迎えはクルマという「箱入り」で成長し、そのままパリに渡ったのだから、このとき、初めて一人で、日本の町、東京の町を自由に歩く。

「急に小さな低い木造の家々が並んでいた。路地を曲ると、おかみさんが干し物をしたり、赤ん坊をおぶって自宅前の溝板(どぶいた)の上を竹ぼうきで掃いたりしていた。下水の匂いと、樟脳(しょうのう)が混じった匂いがした。これはずっと以前に嗅(か)いだ匂いだった。祖母の家の薄暗く大きな側屋や、スキー地の宿屋の匂いだった。また、どこからともなく、醤油の匂いがした。発酵した大豆の匂い。これはパリの石造りの家々にしみついている匂いとはちがっていた。パリの古い家屋はチーズとぶどう酒と黴(かび)の匂いがした。

この太文字にした部分なのだなあ。パリとの比較だから、さらに鮮烈なのだが。かつては、たしかに醤油の匂いがした。おれは、その醤油の匂いのする家や町並みを、このように思い出すことすら難しくなった、イマを思うのだ。

彼女は、駄菓子屋で「これを少し…」と指差すが「百匁というのはどのくらいなのか見当つかなかった」その「粉っぽい菓子をゆっくり噛みしめながら、愉しい少女時代が二度と甦らないことを知ったのだった」

彼女の位置に、イマおれたちはいるのだろうか。かといって、おれたちは、フランス人になったわけでもないし、華族になったわけでもない。ただ醤油の匂いのする家や町が失われただけなのだ。ああ、感傷。懐かしがるだけではなく、二度と甦らないことを知らなくてはならない。

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