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2004/09/09

大戸屋そして焼き魚

日常のめしの評価は難しい。そもそも、「大衆食堂」と呼ぼうが「定食屋」と呼ぼうが、日常食を食べるところであることにはちがいないのだな。

で、そうなると、そこに、もう一つ、日常食を食べるところや方法として、弁当と家庭がある。だから、もう二つか。つまり、外食店のめし、「中食」といわれたりする弁当店(惣菜店)のめし、そして家庭での「自作」あるいは「手づくり」のめしだ。

生活スタイルによってと、朝飯か昼飯か夕飯かによって、選択の基準は異なるだろう。それをいっぱひとからげにして、外食店のめしだけを論じるわけにはいかない。

たとえば、うまいサンマ焼きをおかずにメシを食べたいと思ったら、おれは自分で焼いて食べる。そのかわり外食店では、別のものを食べるという「気づかい」をする。そういうふうに、一日の「食べ方」が決まっていく。外食店でないと食べられない「高級」な素材と「高度」な技術を使った料理を食べる食事とは、選択の方法がちがうし、トウゼン評価の方法もちがわなくてはならないだろう。

しかし、大戸屋の焼き魚定食は、「安くて、うまい」と、あまりにウルサイので、ときたま機会があると食べてみる。まず、いえることは、店によってバラツキが激しいということだね。それは魚の質の問題ではなく、焼き加減なのだが。ま、ようするに、大戸屋の料理はチェーンオペレーションのなかで成り立っているわけだけど、焼き魚がイチバン人的能力の影響を直接受けやすいということなのだろうなあ。マニュアルでの徹底が難しいのだ。

どのみち、日常食はどんなに安くてうまくても、そのために、ワザワザ金と時間をかけて訪ねて食べるようなものではありえない。サンマの時期になると、どうしても、あそこのサンマを、あの焼き加減で食べてみたい、と、思い出すのは、ちょっと高め料金の店(炭火で焼くところがある)や、「女の子が1人で入れないような」大衆食堂をあげることはできるが(もちろん、ちゃんと1人で入って食べている女の子だっている、それに、炭火とはいかないが練炭で焼いている大衆食堂は都内にもある)、その場合でも、テーブルの上に焼かれたサンマがのってみるまで、実際の出来不出来は、わからない。

だから、うまい焼き魚でめしを食べたいとなったら、自分で魚を買ってきて焼くのが、まず間違いない。ということになる。焼き魚だけは、外食店には、あまり頼れない。だから、おれは、大戸屋の焼き魚定食ぐらいを「安くて、うまい」とよろこんでことさら言い立てる、しかも自ら魚好きを誇示しながらよろこんでいる、そういう食文化には疑問を感じるのだ。ようするに、それでレベルが高いだのなんだのの話ではなく、フツーのうまさであればよいのだ。

ついでにいえば、「ザ大衆食」のサイトで大戸屋を取り上げないのは、酒のことでも書いたと思うが「八海山」のように、有名になったところを取り上げる必要はないのとおなじ理由からだ。有名店や有名銘柄をほめちぎりながら、自分を誇示することは、虎の威を借りるようなものではないか。

世間の評価さだまらない生業店、イカガワシイ店や個性的なモノなどを、自分なりに楽しむことが、このサイトのとりえなのだ。「ザ大衆食」のトップには、こうあるね。「サイトの編集方針「スロー、スモール、ローカル、よしっ!」「自由闊達、痛快無比、平凡日常再発見」「つくる地獄に見る地獄」」あははははは、そういうこと。

大戸屋は、かなり前1996年に、日刊ゲンダイで大衆食堂を特集したときに編集協力したのだが、そのときに取り上げている。ときと場合によるのだ。だいたい80年代後半、90年前後だったかな? おれは池袋に事務所があって仕事をしていた時代に、池袋の大戸屋にはお世話になりましたわ。ふりかけのボトルキープなんかでな。その大戸屋が最近、上場で話題になったからといって、ハヤリものに飛びつくように話題にすることはないのさ。チェーンオペレーションのプラスマイナスを抱えながら、大戸屋は大戸屋でやっていくことだろう。

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