コンビニ激戦のあと
資料を探していたらオモシロイものが出てきた。1980年代の中ごろ、おれはフリーのプランナーで、某大手コンビニチェーン本部に出入して、主に関東地域の、ニギリメシや弁当や惣菜のマーケットを拡大するオシゴトをしている。そのときの企画書や資料だね。
忘れていたが、この時期にコンビニ各チューンは、ニギリメシや弁当や惣菜の市場をめぐって、市場獲得合戦で激しく争っている。もう激戦だったね。ついでにいえば、その前の時代は、まだ主力商品はパンや牛乳などで、スーパーの商品構成をコンビニのスペースにあわせて絞ってしまう、というようなやり方が主で、コンビニ独自のマーチャンダイズイングは弱かったけど、この時期から、ニギリメシや弁当や惣菜などを軸にガラッと変わっていくのだなあ。
で、ニギリメシも弁当も惣菜も、それまでと商品の構成や、製造流通の方法などがかわっている。つまり、納品している各メーカーが、それまでは既存の商品をコンビニ用に変えて(主に少量パックにつめるだけで)流通させていたのが、有望な将来性の高い市場との認識のもとに設備投資をし、本腰を入れた商品開発に乗り出した、ということなのだろうなあ。
たとえば、漬物のアイテムが減って、生野菜のサラダの、いまフツウになった、丸い透明のプラスチックの容器に入ったやつが増えている。あははははは、若い男が「ヘルシー」などといって、「女たちのように」そういうサラダをコンビニで買って食べるようになるのは、そのころだ。うーむ、カップケーキもふえているなあ。
が、なんといっても激戦は、ニギリメシだったね。まだ包装の方法が、いまのかたちに収斂していなくて、「おにぎり忍法帖」などという新しい包装の方法が、商品名になってウリだったぐらいだから。「おにぎり忍法帖」は、三角おにぎりの下部両隅をちぎってから、上部先端をちぎって、海苔と外部包装のあいだのフィルムをひきぬくという、当時としては画期的な方法だったが、やがて、いまのようにセンターを細い帯状にビリビリッと切り下げる方法になり姿を消した。
というふうに、昔の資料を見ていると、イロイロ忘れていたことを思い出してオモシロイけど、カンジンな探している資料がなかなか見つからない。やれやれ。
ところで、この時期、おれがよく行っていた大衆食堂というと、まさに昨日書いた、池袋の大戸屋や、東池袋四丁目のあたりの小さい食堂だったなあ。あの、ツケメンで有名になったラーメン屋も近くにあって、そのころから昼には行列ができる店だった。……と、書いて、おれが関わっていたコンビニの本部が、すぐわかるかたは、「業界通」ってことですね。
はあ、あれから、20年がすぎたか。
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