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2004/10/29

不幸と幸と

ちょっと、昨日今日、バタバタ忙しい。もちろん酒も入っている。

とり急ぎ、消息。

「遠太」のおやじさん、亡くなられた。とのこと。黙祷。
店については、「営業している」「営業はどうなるかわからない」の2つの情報をいただいている。まだ確認してない。
ザ大衆食「遠太」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/yakimesi.htm

中野45番街の「松露」のオバサン。今年1月2日に倒れ入院していたが、無事に復帰。ばんざーい、よかった。右足に後遺症が残るが、元気。でも80歳だから、気をつけて。当面、火、木、土だけの営業。
ザ大衆食「松露」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/syoro.htm

ああ、困った。「六本木食堂」、今週で閉店。今週ということは明日土曜日29日まで。ふだんは土曜日は営業していないが、明日はやるのか? 昨日、寄ろうと思っていたが、時間がなくなって行けなかった。今日も、予定がガチガチでやばい。なんとか行きたい。
ザ大衆食「六本木食堂」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/roppongi.htm

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2004/10/27

野菜高値で、考えること、そしてBSE問題

あるプロジェクトの仲間のマリリンが書いている。

はなしはかわって、野菜が高い。 テレビで騒いでいるように、レタスは500円。絶対に買えない。 でも、不思議なのが、そんな中でも、インターネットで有機野菜などを見てみると、値段が以前と変わらない。今なら有機野菜のほうがはるかに安い!しかも、おいしいし、断然体にも良い。

最近、ジュースの材料として、にんじんとりんごを箱ごと取り寄せたのだけど、スーパーで買ってきたにんじんと、無農薬で育てたいびつで泥だらけなにんじんを、それぞれ生のままかじってみると、その味の違いに驚いてしまった。スーパーのものは、スカスカな口当たりで、甘みも少ない。形だけをみると大丈夫かなあと思ってしまう(多分、こちらが普通なんだろうけど)有機にんじんは、ぎゅっとにんじんさんが詰まっている。あまい。もう、スーパーでなんて買えない!って思ってしまう。りんごも、見た目はぼろぼろだけど、これが甘くておいしい。

オーガニックに凝りすぎてしまうのも、何かなあ、なんて思っていたけど、こうも違いがはっきりしていて、しかも、今ならオーガニックのほうがお買い得となると、使わないわけにはいかないですね。

1990年前後、おれは九州の熊本県宮崎県境の山奥で、無農薬有機栽培食品の生産と販売をつなぐシゴト、と自分では認識することをしていた。それだけではないのだが、そういうことをやっていた。

細かくは省略するが。無農薬有機栽培のキュウリを扱ってくれるスーパーが見つかった。自分が子供のころ食べた、アノしたたるうまさのキュウリを、ぜひ売りたい、見た目が悪いのは覚悟のうえだ、でも、あのうまさを店頭で売りたい、という、そこそこ有力なローカル・スーパーの、やる気のある若い仕入担当者と出会ったのだ。

しかし、そこへの出荷を可能にする生産体制がなかった。そこで、ある地区の、キュウリ栽培グループに相談をした。その地区は、そういうマットウな農業に熱心なリーダーがいた。彼と、そのグループの会議に参加した。そしておれは、無農薬有機栽培のキュウリの需要状況、必要としているスーパーの紹介などして、生産出荷体制の相談をした。

そのリーダーは、「一回ぐらい農薬散布してもいいや、ということじゃだめだよ、「無農薬有機栽培」という信用で出すのだから、一回も農薬を使ってはいけない」といった。

すると、ある農家の女性がいった、「話は、わかるけど、そんなこといっても、私らが県の呼びかけで行った朝市では(ここで彼女が言ったのは、その県の県庁所在地である)、自分たちが毎日食べている、農薬も化学肥料も使わないキュウリを出しても、見た目が悪いと言って誰も買わなかったよ、本当に売れるの、大丈夫なの」

また、この話の続きをするとして。まもなくミカンのシーズン。そのころ出会った、高岡さんのみかんのことは、「ザ大衆食」のコチラに紹介しています。このミカンも、そのスーパーで売ったことがあるのだが、最初は「見た目」が悪くて苦戦した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/takaoka.htm

無農薬有機栽培食品については、これは、大きな関心と話題にはなっていても、イマの日本のベーシックな体制つまり庶民の日常生活の体制ではないのだから、いろいろ難しい問題を抱えている。でも、マリリンのように、消費者が自分での舌とアタマで主体的に判断していくことが、これから、ますます必要になる。と、思う。

それは、生活を主体的に「つくる」ということではないだろうか。「無農薬有機栽培」かどうかより、マズ、自分の生活を主体的に判断する、ということが基本だろう。と、思う。

おれは、イマのアメリカ産牛肉輸入禁止措置も、解禁、この解禁がクセもので、高級牛だけの解禁という、いかにも政治取引な、そのために「日本国民」の「安全意識」が利用される、そういう事態を、じつに腹立たしく思っている。前から何度も書いているように、日本だけ特殊に過剰な「全頭検査」は、日本であのようにBSEが発生し、そしていまも発生している根本問題をはぐらかすものでしかない。

いま発見されている日本のBSE牛は、全頭検査でなくても、「国際基準の検査」で発見可能ではないか。それが、全頭検査のおかげ発見されているようにいい、そのことで日本の牛肉は安全が保たれているようなフリこそ、欺瞞である。そもそも、どのていど「危険」なものなのかの、科学的な根拠すら示されてない。これは、いったい、どういう「騒ぎ」なのだ。気休めなのか?

「高級牛」だけ「解禁」で、庶民生活に最も関係する牛丼用の「安物」は禁止のまま、とは、どういうことなのか。これは、政治取引以外のなにものでもない。そういうことに「安全意識」が利用されてよいものだろうか。

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2004/10/26

野菜高値と新潟地震に思ふバカバカしさ

まったく、この野菜のバカ高値は、どういうことだ。こういう事態は、今後、さらに増えるだろう。根本的な生産政策をとらずに、ゆきあたりばったり、おまけに「食育」だの「スローフード」だのという観念的な運動ばかり。

それになあ、消費者も、見かけばかりでなあ。野菜高値は、生産されたものから、規格にあったカタチのよいものを選んで出荷するから高くなっている面もあるのだ。それは、とくに大消費地の大都会の消費者が見た目で選ぶからだ。トウゼン、生産されたうちの何分の一しか流通しない。おまけに、その選別の手間が価格にのっている、そのため市場価格は高くなる。生産地じゃ、規格外のカタチの悪いものが、タダ同然で手に入るのに。

そういうことをしてきているのだ。なんとバカバカしいことだろう。おれは見た目など気にしないのに、見た目を気にする人たちのために高いものを買わなくてはならないと思うと腹立たしい。

もう生産も消費も、根本的に考え直すべきだよ、ほんとに。「食育」だの「スローフード」だの以前に、採れたものを見た目で捨てるようことをやめるべきじゃあ、ないのか。ホント。

それになあ、また地震の話だが、どうも腑に落ちないのは、神戸地震のときは、タレントたちが「ボランティア」だとかと現地にかけつけ、炊き出しをしたりした大騒ぎで「支えあっていた」が、こんどの新潟地震じゃ、そういうことないね。孤立感が強い。死亡者が少ないからか、あるいは神戸のようにイメージのよさのある地域じゃないからか、「新潟県中越」という田舎では、売名行為には不足と思っているのだろうか。そういうところにも、見た目、イメージで、事が片づけられている感じがするのは。ヒガミ?

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故郷の地震と、食堂の閉店

六日町役場の知人から、メールがあった。ずっと災害対策のため寝不足で、昨夜、意識もうろうで帰宅したとのこと。でも、今日から、町の災害対策本部は縮小され平常業務にもどるとか。六日町と隣の大和町は11月1日に合併して「南魚沼市」になるので、その仕事もあるようだ。

ということで、この日記も、「正常化」するか。

この間に、読者のメールと某新聞記者からの連絡で、都内の古い食堂が二ヵ所閉店することがわかった。どちらも店主がトシなので、いずれ遠からず閉店と思ってはいたのだが、やはりイザとなると残念だ。なんとか今週中に「最後」行ってみたい。

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2004/10/25

故郷の六日町の地震、その後

今朝掲載した、六日町で地域情報サイトを運営されているかたの、昼過ぎの掲示板への書き込みです。

今朝6時過ぎの余震の後は、小さい余震のみでした。 その後、地域内を見渡してみましたところ瓦屋根のお宅では 一番上の部分を中心に瓦が落ちるなどの被害が見受けられました。

電話については南魚沼郡内でも一部通じにくい場合があるようです。

道路については六日町-十日町の八箇峠が通行可能になった模様です。

JRは在来線、新幹線、ほくほく線とも不通のままです。

小中学校、高校は明日も休校になりました。

お昼前から空模様が怪しくなってきています。
降雨により、二次災害の発生するおそれがあり、また復旧作業にも
影響が出てしまいます。

被災地の皆さんにとっては、つらい雨となりそうです。
一刻も早い復旧作業が期待されます。

別の方の情報によれば、三国峠ごえの国道17号は問題ないそうです。八箇峠の通行が可能になったことで、被害の大きい十日町へは、六日町経由で入りやすくなったらしい。「一刻も早い復旧作業」どうすれば、いいのか? こういうときは、役立たずのワタシ。こうやって書いて、気休め。ああ、この日記を覗いているはずのTさん、あなたの十日町の実家は、大丈夫でしたか?

むこうの掲示板のURLを掲載しないのは、被災地のひとのことも考えないで、ツマラナイ質問や書き込みをするひとがいるからです。まったく、何を考えているんだか。

なんだか、死者がたくさん出てないと、対応がにぶいようにみえるのだが……。天気が悪くなると、ホント、大変だよ、山の中の地域だし、もうかなり寒くなっているし。

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故郷の六日町は地震の直接被害は少なかったが…

昨日に続き、六日町で地域情報サイトを運営している方が、今朝8時過ぎに掲示板に書き込んだ内容です。

昨晩もやや強い余震が数回あり、その都度飛び起きていました。 震度4程度と思われますが、地鳴りと共に揺れ出すので 結構怖いものがあります。 幸い、建物損壊にいたるほどではないと思われますが 山・崖等の崩落につながりそうで心配です。

南魚沼地域についてはライフラインも回復しており、
現在のところ平常生活に戻りつつあります。
地域外からの電話は繋がりにくい場合があるようですので
繰り返し電話せずに、171番を利用したり、時間を空けて
電話してみてください。

今朝も被災地の状況をテレビで見ましたが、
余震が続く中、復旧作業よりも食料・水や生活物資の不足が
訴えられていました。

幸い、私の故郷、六日町の地震による直接の被害は少ないようですが、じつは、いまこの時期は、紅葉観光客をアテにした商売のかきいれどきで、数ヵ月前から客誘致やイベントなど、いろいろ取り組んできた結果が無になってしまって、その痛手があとあとまで響くことになると思います。なにしろ自然は豊かでもビンボウで、せめてその自然をもとに稼がなくてはならない時期なのに。

それに食糧生産基地といわれながら、こういう地震があると、地産地消どころか、ジャスコなどのスーパーに頼らなくてはならないのですから。酒蔵などは、仕込みを始めたばかりなのに、どうなってしまうのかなあ。などと、まず酒のことを心配するバカなワタシ。

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2004/10/24

故郷の六日町は地震で……

おれの故郷は新潟県南魚沼郡六日町。震度5強から6弱らしい。

じつは、今日、六日町中学の同期生たちと、軽登山のち飲み会の予定だった。昨日、午前11時ごろ、それに参加するため、出かける前に洗濯をと思い、洗濯機に洗濯をやらせながら、なんとなくテーブルの上の焼酎を飲んでしまった(いつものことじゃねえか)。で、なんとなく焼酎は減り、なんとなく酔い、なんとなく出かけるのが面倒になってきた。ついでにベッドに横になった、寝てしまった。で、ああ、もう明日の朝出かけていくのでも登山には間に合うからと、出発を遅らせてしまった。そしたら、夕方に地震。

現地とは連絡がとれないが、一か所、知ってるサイトで掲示板を使えるところがあって、だいたいの様子が伝わってくる。昨夜はUPSで書き込んでいるとか。全域停電、電話は中からはかけられるが、外からは繋がらないということらしい。

昨夜はクルマのなかで過ごしたとのこと。

先ほど、今朝7時過ぎ、以下のような書き込みがあった。南魚沼では死者は出てないようだ。でも、古い家が多いから、家屋の被害は、どうなんだろうか。

以下、掲示板に書き込まれた、六日町のひと、管理人の報告です。

夕方の地震発生から一夜明けました。

地鳴りとともに震度3から4程度の余震が何回か発生し、
なかなか寝付けない状況でした。

情報源が限られており、詳細は不明ですが
南魚沼地域内に大きな被害は無かった模様です。
プロパンガスのボンベが倒れたなどはあったようです。

現在も停電が続いています。

テレビ送信局も電気が止まっているようで、
通常受信している周波数・チャンネルでのテレビ受信できません。

十日町・小千谷では複数の死者が出ていると報じられていましたが
南魚沼での報告はありません。

続報ありましたらまた書き込みたいと思います。

なおこの書き込みは車から100V電源をとってISDN経由で
インターネット接続を行いました。
電話回線は生きています。

以上

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2004/10/23

「エンテツ猥雑体」さえわたる川崎屋冷しみかん登場

『大衆食堂の研究』復刻HTML版は、いよいよ「放浪編」の第1話、東京は江東区亀戸の「川崎屋」の登場だ。http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_3_01.htm

冷しみかんがあった、豆腐いためがあった。
「下町」というより「場末」といったほうがよい地域に生きのびてきた「川崎屋」のジャンクぶりにトコトンせまる「エンテツ猥雑体」の文章は、もう芸術だね、アートだね。って、バカいってんじゃないよ、こんなシロウト文章を読めるか、って怒って送り返してきた人がいるってのにな。

だけどな、その一方で、この本を読んだ某出版社の社長が、「この人に純文学を書かせてみたい」と編集者にいって、その編集者がおれに会いに来て、「純文学書いてみませんか」といったのも事実なのだ。ウヘッ、おれは、純文学なんか知らねえよ、小説も詩も書けないよ、ってな話で終わったが。そういわずに、気が向いたら書いて。といわれて、あの話、どうなったかって、おれが書く気ないんだからしょうがないだろ。だいたい、その話忘れていて、イマ思い出したのだ。

ま、おれは、もしかすると、天才アラーキーの写真のような文章を書いてるのかも知れないな。天才は凡人には、なかなか理解されない。というほどの話ではなくて、ようするにファミレスなみのサービスを洗練だのなんだのと喜んでいる感覚で、エンテツ猥雑体を読んだら、そりゃオゲッというものだろう。大衆食堂はシロウトだからいいのだよ。シロウト芸を洗練させると、どうなるか。猥雑体なのだよな。洗練はファミレスじゃなくて猥雑な川崎屋にアリ。

その川崎屋は、いまどうなってるのかな。その後、建てかえになって、冷しみかんは消えたが、ほかのメニューはそのままでやっていた。豆腐いためもオムライスも健全に残っていた。しかし、昨年夏、その前を通ったら、どうも営業している感じではなかったのだが。はて?

とにかく、この『大衆食堂の研究』を書いた頃の川崎屋の店内の写真は撮ってあって、ザ大衆食のサイトに掲載してある。いやあ、いい猥雑空間!おれの文章みたいだ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/kawasakihiyasimikan.htm

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2004/10/22

いまのグルメは、将来に何を残すか

飲食には時間が必要だ。A店へ行ってBを食べているあいだは、A店以外のことはわからない、A店でもBを食べている時間には、B以外のものを食べていないことになる。外食ですませば自分でつくらないし、自分で料理して食べれば外食しない。こんなことは誰にもわかりそうなものだ。

ところが、通ぶりたい、知ったかぶりしたい人間は、そのことが、わからないらしい。だから自分があるものを飲食しているあいだに、ほかの人はあるものを飲食している、自分がイマやってない体験をしているということに思いをはせない。ま、それだから、自分のわずかな体験を中心にして、平気で自慢ができるわけだが。

たとえ、100歳まで健啖をふるっても、ひとりの人間が一生のあいだに飲食できるものなんて、たかだか知れている。

だから、どう生き、どう食べるかが問題だと、おれは思う。そして、酔って寝るのだ。いや、酔いながら、こんな話をしていたな。

男「いまの小学生が大人になったころには、ごはんにみそ汁なんてことは、なくなるでしょうかね」
おれ「ぬかづけの衰退ぐあいからすれば、食糧生産と供給の事情が変わらないかぎり、ま、いまの食生活やグルメ騒ぎは続くだろうから、そういうことになるだろうねえ」
男「さみしいねえ」
おれ「さみしいと思うのは、トシとったということさ」


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2004/10/21

「ゲロ定」かよ

ああ、おいこら、「ゲロ飯」が、エンテツのオススメだって、信濃路じゃ、「ゲロ定」になるんだって。
ああ、これじゃ、ますます、おれはクロい下品なイメージになってしまう。
ああ、でもそうか、ま、いいか。下町ってのは、そんなものですって。なあ、駄目さん。

駄目さん、鶯谷の信濃路で、「ゲロ飯」食べ激写。うへ~、ほんとにゲロに見える。気の弱い方は見ないように。でも、コレ、ほーーーーーん、とに、うまいんだよなあ。
http://www.bari4.com/id/dameningen/post/94241/

ザ大衆食「信濃路のスタミナ奴」……おれと駄目スーさんの、ほもほもツーショットも見られるよ。必見。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/sutaminayakko.htm

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納豆カレーの怪。日本人は目で食べる。か?

食エッセイに、「日本人は、蕎麦が好きだ」式の文をみかけることがある。「日本人は、××だ」式のものは、上っ面だけの話で、思考の浅いことがおおい。似た例で、「日本人は目で食べる」ということは、むかしからよく言われてきた。これは、ちょっとオカシイ。間違ってはいないかもしれないが、かなり正確を欠いている。

はやい話、ナニ人だって、目で食べるだろう。それぞれの盛り付けがあるし、色の好き嫌いもある。カタチの好みもあるようだ。美意識や美感覚、表現方法やこだわりなどが違うだけなのだ。

「日本人は、××だ」式の言い方をすれば、「日本人は、箱庭的な小細工が好きだ」ということである。小細工のきいたものを「美しい」と思う。できたら、そこに自然が盛り込まれていることである。そういうものを楽しむことを「日本人は目で食べる」と言っている。

思想や抽象が盛り込まれた料理は苦手、理解の範疇外である。つまり、見た目やイメージが具象的で「繊細」であるかどうか、大いに関係する。カタチの詳細が明快なほど、よろこばれる。でないと、近寄りがたい抽象と思われ敬遠される。自然が盛り込まれているとヨロコブのは、自然を愛しているからではなく、それが身近な具象であるからにすぎない。

ってことで、納豆カレーが気持ち悪いといわれたりするのかな。だけど、うまいものはうまい。ボールチェアから眺める世界「納豆カレー」を読んで思った。
http://style4.air-nifty.com/ballchair/2004/10/post_4.html

そういや政治も行政も見た目や小細工が多い。

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2004/10/20

ガリ版展とリニューアルなのだ

懐かしのガリ版。きのうは、おれが言い出しっぺで、「やどや ゲストハウス」の企画として、東京古書会館で開催中の「ガリ版展」へ行きました。アルゼンチン人2人、アメリカ人2人、日本人はおれを含めて3人でした。会場では、ガリ版ネットワーク代表・ライターの志村章子さんに丁寧な説明をいただきました。いきなり、エジソンが作った古い謄写版の道具を見せられたので、一気に皆の興味が高まりました。いまでもラオスやモンゴルなど、電気の使えない地域へ日本から普及しているとは。実用からアートの作品の数々の展示を見て、アレコレ質問などし、ガイジンどもはよろこんでいました。それから地下のアンダーグラウンドブックカフェも見物して、近くのジョナサンでお茶のんで解散。日本人やどや関係者は、近所で酒飲んで、午後7時からのトークショー「八木福次郎夜話」に参加の予定でしたが、中野の事務所に用ができたので、中野にもどって近くの「力」で、これからの企画など話し合いながら、ああ、タップリ飲んだのでした。オワリ。

ぼちぼち、ザ大衆食のサイトのリニューアルをやっている。「浮世のめし新聞」はタイトルも「快食ニッポン散歩録」に変え、かなり大幅にデザイン変更。見やすくなったつもりでいる。ま、自分でも、わけがわからんほどクリック地獄状態が進化したので、すこし整理したのだ。いかがでしょうか、ごらんください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/sinbun.htm


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2004/10/18

気分よく『汁かけめし快食學』

神田神保町の三省堂本店に寄ったら、ちくま文庫のところに、まだ、『汁かけめし快食學』がドーンと平積みになっている。おおっ、ありがたや! しかし、平積みだと目立つ表紙じゃなあ。

「地下室の古書展」で書肆アクセスの畠中さんにあったら、「本にサインお願いします」といわれた。店売りの分である。このあいだお会いしたときにサインしたのは売れてしまった。若い女のひとが買って行きますよ。おおっ、若い女が、か。じゃあ近々お店にうかがってサインします!

やはり、うれしいね。もっともっと、よろしく~

■トラックバックの「爆笑ニワトリ」って、ナニ? ときどき何も関係なさそうなものがあるけど、ま、それがブログというものかと、そのままに。それぞれの「自己責任」において交わってください。

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渡辺勝さん、おれの故郷でコシヒカリ

このブログにときどき登場の渡辺勝さんの日記をみたら、おれの故郷で、斉藤哲夫さんとライブをしている。うれしいねえ、行きたかったねえ。
http://ragrock.blog.ocn.ne.jp/refuge/2004/10/pages04101417.html

ナント、70年初頭からの付き合いの知人がいるとは。しっかりコシヒカリを食べてきている。うーむ、いまごろは、コシヒカリ、最高だよなあ。

おれも、今月、中学の同期生たちが軽く山に登る計画を立ているので、なんとか都合つけて参加しコシヒカリを食べてこよう。周囲の山の紅葉も見ごろになるし。それで温泉につかって、もちろん大酒くらって。と。

もうご覧になった方もいると思うが、前に紹介した、ザ大衆食のサイトの「稲刈り寸前 魚沼コシヒカリ風景 in 南魚沼」の風景。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/muikamachi_kosihikari.htm
稲刈りあとでは、この景色は、すっかり変わっているだろう。

最近の稲刈りは、ほとんどコンバインをつかい、機械乾燥がふつうだ。手刈りの天日干しと比べたら味が落ちるといわれ、農家のなかには、自分たちのぶんだけは手刈りの天日干しにするというウワサも聞くが、それは仕方ないだろう。機械化しなかったら、いまの農業人口では稲作は成立しない。経済的に成り立たない。ま、機械化するということは、農業が装置産業化するということで、そこに投資と借金の関係が発生するのだが、資本主義で生きる農業の必然なのさ。

コンバイン収穫、天日干しのコメは、むかしの感覚で「研ぐ」と水を吸いすぎてうまく炊けない。サッと手際よく「洗う」ぐらいがよい。コメの袋にも、その注意書きがしてある。ところがテレビなどで、「いまの若いひとたちは、コメを「研ぐ」といわないで「洗う」という」とか言って、したり顔する連中がいる。困ったものだ。こういう連中が、「日本人は堕落した」などと大層なことを言うんだよな。

■昨日は、東京古書会館で開催中の「地下室の古書展」とトークライブ「実況生中継 ラジオの学校」へ行った。
http://www.navi-bura.com/event/ugbookcafe3/event.html
南陀楼綾繁さんの司会で、河内紀さんが若い頃、1960~1970年前後TBSで制作したラジオ番組の録音を再生しながら語り、後半は鈴木清順さんも参加。鈴木清順さんは河内さんとラジオ番組をつくっていたことがあったのだ。「ツィゴイネルワイゼン」では、河内さんは音楽監督。鈴木さんの監督の「方法」など、めったに聞けない話が面白かったし。河内さんの話を聞くのは2回目だが、鈴木さんの生姿と生話は、もちろん初めて。いやあ、写真で見た感じのまま。トボケを入れた話しっぷりが面白い。温厚で、したたか、というか。なかなか楽しいよいひと時だったね。
詳しくは「ナンダロウアヤシゲの日記」に。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20041017

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2004/10/17

信用ならない「料理エッセイ」

台所はもちろん買い物の話がない料理エッセイは、信用ならないし、食のカンジンなことを語ってないに同じだ。

そういうものは観念的なキレイゴトや、誰かの言ったことから受けのよさそうな、ウリになる言葉をひっぱってきてつなげたりで、とても「上品」な紋切り型になっている。

だけど、こういうのが、けっこう売れる本になるのだから、世の中、フシギ。ゴーストさんに料理をつくって書いてもらっている、タレントの料理エッセイなんか、そんなものが多いよなあ。で、またそういうものを真似て書いているような本もあるし。自分で買い物しない台所に立たないひとの料理エッセイは、そのことが書けないか、書いてあっても不自然だから、すぐわかるのさ。

ま、とにかくね、たとえば、なんとなく食べていると、やはり野菜は不足しがちになる。では、どうするか。まず買ってこなきゃいかんわけだよ。フツウは。とにかく買ってきて台所においておく。それをしないでヘルシーな生活なーんていっても始まらんわけだ。

外食で食べる野菜の量なんか、たかだか知れているし、コンビニの野菜サラダだけじゃ、とても少なすぎる。だから野菜を買うところから、野菜たっぷりのヘルシーの生活は始まる。

それで、とにかく買い物のときには、何に使うかわからないときでも、安い野菜を見たら買ってきておく。ところが家で1,2日でも作らない日が続くと、買ってきておいた野菜を、食べないでダメにすることがある。

それが続くと、ああもったいない不経済だなと思う。それで買うのを控えてしまうと、野菜不足の生活になってしまう。だから、ああもったいない不経済だなと思ったとき、ダメにしないようにする方法を考える。熱を通して冷蔵や冷凍にしておくことだ。と考える。

でも最初は、ま、たいがい、考えるがやらないで、やはり捨てることになるだろう。でも、そう考えておくと、必ずやるようになる。考えないと永遠にやらない。こんどはこうしようと考えておくことから、つぎが始まる。

まあ、野菜のこと一つとっても、そういうことじゃないかと思うのだが。

「自然の恵みを大切に」「シュンを楽しむ」なんてのは別に反対する理由はないが、フツウは、そういう観念的なことから野菜の料理が始まるわけじゃないと思うのだ。

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2004/10/16

食べればしみじみ故郷

ザ大衆食「新潟日報連載」に最終回を掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm

02年1月7日から03年2月10日まで故郷の、朝日読売クソクラエの実力紙「新潟日報」に、毎週月曜日の夕刊、「食べればしみじみ故郷」という通しタイトルで書いたコラム、全部で47回。一年で終わる予定が、好評につき、年度いれかえの企画の時期までズレ込んだ。

週一の連載は、これが初めて、そしてたぶん最後だろう。字数は千字だが、けっこう大変だったから、週刊誌などに連載を何本も持っているひとはよくやっているなあ、売れっ子になんかなりたくないね、と、売れっ子になる心配などないのに、思った。ま、それでも、無事一回も落とすことなく終わった。

「食べればしみじみ故郷」という通しタイトルは、新潟日報の担当記者からメールがあって、「何かのテーマで一年間書いて欲しい」ということで、「簡単な連載企画を出してください」といわれ、思いついたのが「望郷食」という言葉だった。なに、たまたま、旅行のパンフレットを見ていたら、「望郷の湯」とかいうのがあって、ヒラメイタだけだ。でも、「望郷食」という言葉は気に入っている。

連載に入る前に、ザ大衆食のサイトで「望郷食のアンケート」をした。計数的にまとめるようなアンケートではなく、ヒントをいただこうという虫のよいことだったが、短期間に20名ぐらいの方から回答をいただいた。じつにイロイロな望郷の食がある。なかでも40歳前後の方から、「これを食べると、あるいは見ると、故郷を思い出すという食べ物や料理」を答えてもらう質問に、「おばあちゃんがつくってくれたインスタントラーメン」という回答があって、目からウロコだった。大変に助かった。

自分には懐古の趣味はないし、ベタベタした懐古にしたくなかった。そもそも「望郷」は必ずしも懐古につながらない。故郷は古いものではなく、いまもあるのだ。そこに生きている人びとがいる。

故郷とは、よくもわるくも故郷で、そこにつながる食がある。それはたとえば、異文化と接するときに、まず食を通して接することがあるように、異郷の地にいながら異郷となってしまった故郷を望むとき、貴重な手がかりであるように思う。とくにおれの場合、実家が倒産して故郷の家がなくなったうえ、自分も転々とするうち、故郷とのつながり示すモノ、写真など一切なくしてしまった。そうなると、もはや食しかない。

というわけで、まだまだネタは残っているので、サイトに書いて行きたいと思う。できたら、もう一度アンケートしてみたい気もある。

あなたの「望郷食は?」

ああ、しかし、いま、「フリーライター」という肩書の仕事をはじめてから、約10年たとうとしているが、いちばんの難物の原稿をかかえている。いやはや。こうして難問を克服し、おれは成長していくのか。って、61歳の爺のセリフじゃねえか。まあいいや。

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2004/10/15

民酒党の「玉子かけご飯」とな

ややややや、このような「民酒党」といふ名の店に、このような「玉子かけご飯」が315円であるとな。
http://take.cocolog-nifty.com/teke/2004/10/post_7.html

うーむ、チマタには、まだまだイロイロなぶっかけメニューがありそうだ。

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2004/10/14

いかがわしいオトナになるための「大衆食堂の研究」

『本の雑誌』1999年1月号、「特集 1998年度ベスト10」のなかの「読者が選んだベスト1」に『大衆食堂の研究』が登場する。

そーいや、最近、食堂に行ってねーよな。殊に大衆食堂は。でもね皆さん、やっぱ行かにゃいかんですよ。私、この本読んでそう思いましたよ。著者によると、東京の食堂とは「いろいろな料理を提供する店」で、たたずまいがいかがわしく、開き直っている所だ、というんですよ。そうだよな。そうだよ、いかがわしいんだよ。食堂って。どこへ行っても女子高生の声ばかりする食い物屋だらけの中で、このいかがわしさが大事なのよ。

また、この著者の自信たっぷりの強気の文体もいいなぁ。なんか”男の文章”て感じで。丼飯のように腹にドシンとくる。この本は題名だけ読むと、B級グルメガイドみたいだが、そんなチープな本ではない。街の中でオトナが正しく生きる為の書だ。私も食堂へと勇気を持って足を運び、正しくいかがわしいオトナになることを心に誓うのであった。完。


末尾に(大方直哉・日本一の男の中の社員32歳・仙台)とある。この方が、選んでくださったのだ。

いやあ、これは、うれしかった。しかし、「強気の文体」も「男の文章」も、けっこう嫌われるのですね。「いかがわしいオトナ」も、嫌われるのですね。そして、無難にコギレイで個性も独自性もない、女性や隠居老人に受けるヤサシイ、チープなB級グルメガイドが売れるのですね。

いいじゃ、ありませんか。嫌われてもいいね。「いかがわしいオトナ」

ということで、売れない買えないタダで読める『大衆食堂の研究』復刻HTML版、「自立編 オトナの道」の一部を、またちょっとだけアップしましたよ。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

仙台の大方さん、その後、「いかがわしいオトナ」になったであろうか。

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2004/10/13

下品といふものは、悪くない

大衆食の会の三大運営方針というのがあって、「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」 である。

ま、おれも大衆食堂も「下品」といわれることがある。知らなかったが、浪曲も「下品」といわれるらしい。

人間も、人間がつくりだすものも、みな何かに偏っている偏向しているのが普通である。いまの学校教育制度などは、東大という何百人だか何千人だか何万人だかに一人の何かに偏った「秀才」を探すために、他の99パーセントの人間をダメにするシステムだしな。

さらに、頑固者にいたっては偏執である。

そこに「上下」のモノサシをあて、片方を「上」として片方を「下」にするなんざ、それこそ人間の道にはずれた「下品」なことだ。つまり、「下品」とは人間に上下をつけ人間の道にはずれることであって、大衆食堂や浪曲のように、そしてモチロンおれのように、人生を謳歌しようという大衆的なものを「下品」というのなら、それは、ま、それでもよいか、下品のどこが悪い、ようするに……と書いて、なにを書きたいのかというと、コレだ。

みよ! この芸! こういう組み合わせは、本邦初ではないのか? 偏ったもの同士が軽蔑しあうことなく、こうして一緒にやることこそ人間の道である。浪曲をきけよ。大衆食堂のめしくえよ。ぶっかけめしもやれよ。下品なんて、誰かのデッチあげさ。

11/12(金)ヨル8時より、阿佐ヶ谷ギャラリー倉庫というところで、浪曲とジャズ(なのかなあ)のセッションをすることになりました。組むのは元・渋さ知らズのアルトサックス・泉邦宏さん。入場無料、持ち込み自由(お酒食べ物大歓迎)投げ銭制。芸人が怪我をしますから投げるのは札にしてください。2時間ほどのイベント。
浪曲師 玉川美穂子、曲師 沢村さくら(浪曲1席+しゃみしゃみいず・ちび)
泉邦宏(sax,guitar,etc.)おのあき(bass)デュオ、ゲストに辰巳光英(trumpet)

詳しくは「たまみほ」さんのサイトで。
http://tamamiho55.seesaa.net/article/780752.html

この「阿佐ヶ谷ギャラリー倉庫」は「よるのひるね」の近くじゃないのかな。「よるのひるね」のメニューには「ねこまんま」があるのだよな。

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2004/10/12

幻の「大衆食堂の研究」HTML版2回目アップ

うへーやっと2回目。根気がいる、こういう作業は苦手だが、「自立編 オトナの道」の一部を掲載。ナントカやりとげますぜ。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

しかし、イマ、「大人の休日」など「大人」という言葉がつく雑誌が、たくさん出ていて、見ると中高年や定年退職ぐらいの人を読者層にしている感じだけど、それってオカシイなあ。「大人」をやってこなかったのかよ。

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食堂のゴキブリかよ

トツジョ登場し話にわりこんできた、アナドレ氏は言った。知ってますか? これどう思います?

おおっ、『東陽片岡哀愁劇場』(青林工芸社)ではないか。

知っているとも! エンテツは叫んだ。のち猪口の酒をあおった。

いえいえ、この本のことではなく、このなかのココですよ、ホラ。アナドレは、指さした。

「テメーらちゃんと食えよなコノヤロ」で、食堂のオヤジと客と、一年中さるまた一丁の愚痴聞き屋のオヤジが、カウンターをはさんで話をしている。

食堂の客が、「大手チェーン店の厨房に比べりゃかわいいもんよ、ここは。」といっているコマ。ゴキブリのことである。大手チェーン店の厨房に比べれば、町の食堂の厨房のゴキブリなんか「かわいいもんよ」という。つぎのコマでは、「チェーン店の、ゴキブリホイホイを見たら、料理に入んない方が不思議なくらいだぜ」

コレ、本当ですよね。アルバイトしていたことあるから、ワタシよく知っています。アナドレが言う。本当のことなのに、どうして、こういう漫画の話にはなって、カンジンなグルメや評論家は知らん顔しているのですかよ。

エンテツは黙ったまま、例の日本人のアイマイな笑いで応えた。そして猪口の酒をあおった。

ほら、そのあとのコマにあるでしょ。「知らないってのは、幸せなんですなあ」「そう、それが一番いいの」
日本人は、イマ一番幸せなのだ。

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2004/10/11

ああ、上野駅地下食堂街の消滅から2年

連夜の飲酒に耐えているのだが。先日の飲み会で2年ぶりに会ったモトさんは言った。「チェーン店の場合は、味が悪ければ行かない、行く必要も感じない。だけど個人営業の場合は、どうも味はイマイチだけど、と思いながら何度も足を運ぶ食堂ってのがあるんだよな。いったいなんなんだろうね。やはり店主夫婦の魅力とか、食事をするというのは、食べ物の味だけじゃないよなあ、店が、汚れているわけじゃないけど、古くて粗末なつくりでコキタイというのも「味」だしよ」

上野駅地下の食堂「グラミ」の閉店から、まもなく2年。その間、店主家族と常連たちは上野の飲み屋で、ときどきグラミ会をやってきた。お互い、都合で出たり出られなかったりだが、毎回10人以上集まる盛況。モトさんは言った。「閉店して2年たっても、こんなに集まるんだからなあ」

ああ、上野駅地下食堂街の消滅。あれから2年。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/syoumetsu4.htm

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2004/10/10

魚を食べると、アタマがよくなる? 悪くなる!

日本人が魚を食べずに肉を食べるようになったから、日本はオカシクなった。という説が、まことしやかに横行している。そういうことをいう人たちは、じつに汚い言葉で、肉を食べる日本人に悪態をつく。とても同胞とは思えない。あなたたちは、そんなに近代以前の魚食の日本が好きなのなら、さっさとそっちへ行きなさい、といいたくなる。

こういう人たちは、きっと魚しか食べないのだろうが、それでそういう見方や言い方をする頭になるのならば、おれは欧米人に比べたらほんのわずかしか肉を食べてこなかったし、魚が好きではるかに魚を多く食べていると思うが、この人たちと一緒に魚食のススメをする気はしない。魚のDNAというのは、そんなバカなことをいう人間しかつくらないのかと思うと、慙愧にたえない。もっと肉を食べてくればよかったと思う。

そもそも明治維新をやって、日本に肉食導入の「近代化」をもたらした連中は、魚で育った連中ではないのか。それとも彼らは、ガキのころから日本人離れした「肉食人間」だったというのか。その近代化の恩恵に関係なく自分は生きてきた、と、キッパリ言い切れるのか。

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2004/10/09

「魚食の伝統」ってなんなのさ

このあいだの飲み会で、「山の手」新宿区育ちのセドローくんと「下町」葛飾区育ちのイチローくんの話にはナルホドと思った。二人は30歳前後である。

子供の頃、イチローくんは親に連れられていく飲食店というと近所の寿司屋だった。ファミレスやファーストフードは行ったことがない。ところが、セドローくんの場合は逆で、ファミレスやファーストフードしか行ったことがない。

日本人は「魚」ということになっているが、実態は、地域によって、かなりバラツキがある。全国一律に日常的に生魚つまり刺身や生魚の焼き魚が食べられるようになるのは、1970年代以後のことで、それ以後でも、なおこのような違いがある。

東京の魚食の伝統は、海に近い下町地方に圧倒的に色濃く残っている。古い大衆食堂にそれを感じるが、魚屋のたたずまいにも、それを感じる。
http://entetsutana.gozaru.jp/syatana/sakanaya.htm

それから、俺は高校卒業して上京するまで、にぎり寿司を食べた記憶が、うっすらとはあるが、確たるほどではない。刺身でも、ほんのときどきメデタイときに魚屋につくってもらうのであって、家でつくるなんてことはなかった。フツウは塩干物の魚が主力だった。なかでも棒ダラは、いつでも家にあった一つだ。ほんと、棒ダラはよく食わされた。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm

「魚食の伝統」は、単純ではない。日本人は四方を海に囲まれ自然の恵みを受け、昔からオイシイ魚食をしてきたけど最近は「洋風化」のおかげで魚食が減った、と嘆くのは、チトおかしい。日常レベルで見れば、生魚の全国的な浸透は、魚食の減少がいわれる近年30年ぐらいのことだし、そもそも魚は「洋風」素材にもなるのだし。なんでも「洋風化」の責任にしていたのでは、問題の所在すらはっきりしない。それで近代以前の生活をすれば「日本の乱れ」があらたまるようなことをいって、魚を食べなくなった日本人を呪ってもしょうがないね。

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2004/10/08

「書評のメルマガ」に「有元葉子の料理の基本」

「食の本つまみぐい」を掲載した書評のメルマガvol.183が配信された。今回は、有元葉子さんの「有元葉子の料理の基本」である。

だいぶ前、1970年代に、とくに台所と台所道具の歴史について書きまくった、栄久庵憲司さんが指摘しているが。むかしから、台所は道具も含めて、より現実的に、より合理的に、ようするに簡単便利にと、進化あるいは変化してきている。それにしたがい料理術も変わっている。

その関係は、まだ整理されていないのだが。料理術の変化が道具の変化を促すこともあると考えられるが、わかりやすいのは、台所や道具が変わることによって料理術は必ず変わるということだ。

そして台所や道具が変わっても料理術はすぐ変わるわけではなく、ちょっと時間がずれて、つまりしばらくは従来の料理術でやりながら、新しい台所や道具を受け入れ料理術が変わっていく、という流れがあるようだ。台所や道具のハードが変わる時期と、それを使った料理術のソフトが変わる時期が、そう明確な区分があるわけじゃないが、交互にあるようである。

そういう流れを見ると、ここ半世紀に日本の台所で起きた、座ってやる台所作業から立ってやる台所作業、井戸や汲み水や薪でやる作業から水道ガス電気をつかう作業への変化は、日本の有史以来といってよい大変化である。ま、現代日本人は、台所の歴史から見たら、めったにない大変化のなかにいるのだ。その自覚が、ちょっと足りないような気もするが、ま、それはいいだろう。

で、そのハードの大変化は、戦後に始まり、ほぼ1970年ごろに完了するのだが、料理術のほうは従来のままであった。だいたい1980年代ぐらいまでは従来のままであったとみてよいだろう。そして1990年代ぐらいから目立った変化がみられる。

ということで、有元葉子さんの「有元葉子の料理の基本」を取り上げてみた。

書評のメルマガ
http://www.aguni.com/hon/review/index.html

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2004/10/07

野菜イタメ「定食」と「ライス」のわからん

昨日、ボクは東陽片岡さんの漫画『お三十路の町 巻の2』(小学館)を読みました。なんどもなんども読んでいます。そこに「野菜イタメ定食」が出ています。ボクは前から不思議に思っていたのですが、世間には「野菜イタメ定食」というのと「野菜イタメライス」というのがあります。

ボクが初めて野菜イタメを食べたのは、上京した年の1962年、街の中華屋でした。そこでは、まちがいなく「野菜イタメライス」でした。そのころ野菜イタメを食べるのは、決まって中華屋でした。大衆食堂にあったのかどうか、食べた記憶がありません。

その中華屋の野菜イタメライスには、みそ汁ではなくスープがついていました。しかし東陽さんの漫画の「野菜イタメ定食」は、裏町の大衆食堂でみそ汁がついているのです。そこでボクは思いました。もしかすると、みそ汁つきが「野菜イタメ定食」で、スープつきが「野菜イタメライス」なのか。でも、たしかなことは、わかりません。「ザ大衆食」の「定食定義研究の研究」というのを見ましたが、それでもわかりません。ボクはどうしたらよいのでしょうか。

ボクが初めて日記を強制されて書いたのは、小学校一年生の夏休みです。そのとき、男子は「ボク」女子は「ワタシ」で書くように先生にいわれました。ふだんは男も女も「オレ」でしたが。オワリ。

■『大衆食堂の研究』復刻HTML版を更新。第一章にあたる、「煽動編 空前絶後、深い正しい東京暮らし」を一挙掲載完了。
http://entetsutana.gozaru.jp/index.html

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2004/10/06

主な大衆食堂チェーン メモ

㈱フジオフードシステム 「まいどおおきに」 大阪から始まり全国展開、地元の店とまぎらわしい土地の名前をとって「西新宿食堂」とかいうやり方で展開している。長野へ行ったら「長野駅前食堂」なんてのがあった。看板の文字が、アノ相田偽善流だから、すぐわかる。フランチャイズシステム採用。
http://www.fujio-food.com/

㈱半田屋 「大衆食堂半田屋」「めしのはんだや」 チェーン店のなかで唯一、店名に堂々と「大衆食堂」を名のる。「めしのはんだや」は北海道地区。仙台の大衆食堂から始まり、東北北海道で有名。ついに今年、東京池袋に出店。東京という日本一バカ気どった都会で「大衆食堂」が通用するかタノシミ。直営店で伸びてきたが、フランチャイズシステムでの展開も始めた。
http://www.handaya.jp/

㈱大戸屋  「大戸屋ごはん処」 池袋駅東口三越裏の大衆食堂から始まったのだが、「大衆食堂」を名のらない。しかもアノ相田偽善流の文字と文言を多用する。直営店で伸びてきたが、1割ぐらいがフランチャイズ店になっている。
http://www.ootoya.com/

㈱ライフフーズ 「ザめしや」「ザめしや24」 大阪・京都で展開していたがエリアフランチャイズ方式で他地域へも。千葉にテスト店を出したハズだが、どうなったのだろうか?
http://www.meshiya.co.jp/

はってん食堂
JR山手線西日暮里駅の近くにあって、オペレーションがチェーン店の感じなのだが、本部会社らしいのがわからない。単独店なのだろうか? 気になる。

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日記の文章と東陽片岡とコロッケそば

きのうボクは、ボクの大好きな東陽片岡さんの漫画『されどワタシの人生』を読みました。ボクは同じ本をなんどもなんども読む癖があって、というかボクはバカだから何度も読まないとわからないのです。この本も何度も読んでいるのですが、漫画のばあい、「読む」ではなく「見る」というのでしょうか。チキショウ、そんなことはどっちでもいいじゃないか。そして、きのうは、その漫画を読んでいたら、日記というのは日記の文章のように書かなくてはいけない、ということに気がついたので、そのように書くことにしました。

立ち食いに、コロッケそばとかコロッケうどんというのがありますが、『されどワタシの人生』にある「手鼻そば」の話は、こうです。オヤジが東京の立ち食いで、誰がコロッケそばなんか考えたのだ、あんなものは生涯ゼッタイ食べない、食文化の差だと思うんだよ関西と比べてみたときに、というようなウンチクをたれる。すると店員の男が、外をゆびさして、名前忘れたけど女のタレント、「アッ、○○さんが通る」とか言う。そこでオヤジがふりむいた瞬間に、例の「手鼻ミサイル」を飛ばして、オヤジが食べているそばに鼻汁をぶちこみます。気がつかないオヤジは、関東の汁はショッパイんだよな、とかいいながら、それを食べます。

それを読んでボクは、そういえばコロッケそばというのは不思議なモノだと思ったのでした。なぜか食べたくなって、ときどき食べるのだけど、うまいのかうまくないのか、よくわからない。よく考えると、うまいともまずいとも思ったことはなくて、とにかくなぜか心地よく満足する。ま、美人じゃないけど、なぜか安らぐひと、という感じなのだろうか。それでまた食べたくなってしまうのです。そういうのって「うまい」ということ以上に、日常では大事なのではないのだろうか。ところで、あれは、関西にはないのだろうか。と思いました。オワリ。

■幻の『大衆食堂の研究』HTML版、好評掲載中
http://entetsutana.gozaru.jp/index.html

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2004/10/05

「大衆食堂の研究」掲載開始!

拙著『大衆食堂の研究』を、ごらんになりたいという方が、あまり多くはないと思うが、いらっしゃる。そこで、テキスト化して、サイトに掲載することにした。やってみたら、作業は、けっこうタイヘン。一度に掲載しようと思ったけど、想像していた以上にタイヘン。そこで、コツコツ掲載していくことにした。テキスト化の最初の作業は終わっているので、原本とつけあわせしながら校正する作業を、これがメンドウクセエのだが、片づけながら順次掲載する。

ごらんになりたいという方は、どんな想像をしているか知らないけど、これはおそらく想像以上にガツン、毒気があって怪快だと思う。なにしろ怒って本を送り返してきた方もいるのだから。「下品」アタリマエ。ハテ、みなさまは、ごらんになって、どんな感想を持つのでしょうかねえ。いま掲載している最初だけ見て、もうけっこう、といことになったら、おれの苦労は、どうなるのだろうか。ま、それも、ヨシッ。もし、お気に召したら、アチコチで宣伝してください。

ついでに新しいサイトを開設して、そこに載せることにした。こちら。
「ザ大衆食エンテツ資料棚」、『大衆食堂の研究』復刻版掲載中
http://entetsutana.gozaru.jp/index.html

しかし、やってみて、まだ途中だけど、青空文庫の偉大さがわかりました。青空文庫は、偉大だ、エライ!
http://www.aozora.gr.jp/

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2004/10/04

「農協」は信用できない、といったヒトがいる

「農協牛乳」 というものがある。
表示には、こうある。
商品名は 農協牛乳 である。
製造者は 日本ミルクコミュニティ㈱ である。
製造所所在地は 千葉県富里市にある。
販売者は 日本ミルクコミュニティ株式会社 である。住所は 東京都新宿区にある。

「農協牛乳」を飲みながら、「農協は信用できない」といったヒトがいる。
ゆりかごから墓場まで、そのあとの法事まで、農協の「お世話になる」土地のイエで育ったヒトである。

水増し牛乳、あれは、農協は関係なかったの?

ああ、そういえば。ウチの農協……。

ああ、そういえば。あの、BSE問題は、どうなったのでせうか。

アメリカより最初に、もちろんそのころは日本も全頭検査ではなかったのに、発見された、そのために、アメリカに輸入禁止をくらってしまった、その真相究明もしないまま、全頭検査だから安全ということにして、もともと発見される可能性のない病源は断てない意味のない検査とトレーサビィリティに○○億のカネをつぎこんで、なんだかコワそうだけど危険度は不明のまま、そしてカンジンなコトを避けて、だけど、アメリカとの交渉過程で、それは安全の保障ではないことを認めざるを得なくなってしまった、でもナゼか、全頭検査だから安全ということになっている、あのBSE問題は、どうなったのでしょうか。

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2004/10/02

暮らしの手帖20号、おいしいみそ汁がのみたい

■早稲田青空古本市初日。8時からの飲み会目的だが、探している古本もあって、穴八幡の会場へ。現世セドローくん、立石イチローくん、ごあいさつ。目当ての系統はなかったが、「暮らしの手帖」がイロイロあったので区切りのよい20号を手に。72年発行というのは、いいセンだ。

「おいしいみそ汁がのみたい」の記事、リード文。「昔、まい朝うまいみそ汁をのみたくて、それで結婚した男がいました、その男はいま、行きつけの飲み屋で、毎晩一杯のみそ汁を、複雑な表情で、すすっています、どうやら男というものは、女のひとより、ずっとみそ汁が好きなようですね、毎朝おいしいみそ汁を、どうすれば作れるか、書いてみます、読んでいただけますか」

イマドキの女なら怒って、そんなの読んでやらねえよ、という感じ。しかし、その内容は、悪くない。「ダシは、なにを作るときも、カツブシがいちばん、とおもいこんでいる人が、ずいぶんいる、小さいときから、わけもわからず、そうおもいこんでいるのか、ねだんが高いから、カツブシが上等だときめているのか、でなければ、料理の先生がそういうのを、うのみにして信じているのか、そのへんのことは、わからない。」

■ま、それで、予定通り高田馬場駅前の「紫蘇の実」で飲み会となった。先に魚雷さんと飲み始めていると、セドローくん、イチローくんが、イマ注目話題の逸材とか、「株式会社 古書ことば」のシャチョーをつれてあらわれる。28歳。入る会社どこも続かず転々のち現職に。うーむ、これは、ななななんと……いまどきの若者はエライ! フリーターが問題になっているが、ようするにイマの財界指導者にはアホしか残っていないから、うまく若者の能力を生かせないだけじゃないの。ま、とにかく、結婚式帰りの、アヤシゲさんとハマケンさんもあらわれ、わーっと、でした。そうそう、南千住の「パワーブレンドたこやき」に行かねば。

■「書評のメルマガ」の原稿締め切りが5日と迫ってきたが、予定していた長尾智子さんの『長尾食堂』が、どこに入ってしまったのか見つからない。狭い部屋なのに。有元葉子さんの『有元葉子の料理の基本』でいくことにする。はやく書くべ。

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2004/10/01

有元葉子さんのオコトバ

『有元葉子の料理の基本』幻冬社

「料理は答えがひとつの計算問題ではなく、いくつもの答えが出てくるゲームです。」

「味つけにしろテクニックにしろ、私や私の家族にとってのベストが、べつの誰かとまったく同じということはありえませんから。」

「あなたらしい料理を作ることを楽しんでください。」


……料理は私小説、のようなもの、か?


「料理はハプニングずくめ。同じものでも作るたびに仕上がりも違えば、焦げたり辛すぎたり――すんなりトラブルもなくできるなんてことは、まずないといっていいでしょう。ただし、はじめからそう肝に銘じてかかれば、これほど楽しいゲームはありません。いうなれば、先まわりして待ち構えている状態。何が起きても、そのハプニングを楽しんじゃおうという気持ちでいると、土壇場でいいアイディアが浮かんできたりするものです。」


……「料理」を「人生」や「仕事」におきかえても、よいような。


「一年の半分近くをイタリアで暮らすようになって数年。イタリア人というのはつくづく、レッテルを貼ることも貼られることも嫌う人達です。」

「レストランにしても、誰が食べても最高のリストランテがトラッテリア(大衆食堂)の看板を平然と掲げていて、」


……おおっ、すばらしい! 日本人は、決め付けてレッテル貼るの好きだし、勝手にレッテルを貼っていて、そこからはみ出すと非難する。かつレッテル貼られてアンシンするし、イメージのよいレッテルを欲しがる。近年は「大衆食堂」というレッテルを嫌い「定食屋」というレッテルを選ぶ連中もいるね。

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