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2004/10/17

信用ならない「料理エッセイ」

台所はもちろん買い物の話がない料理エッセイは、信用ならないし、食のカンジンなことを語ってないに同じだ。

そういうものは観念的なキレイゴトや、誰かの言ったことから受けのよさそうな、ウリになる言葉をひっぱってきてつなげたりで、とても「上品」な紋切り型になっている。

だけど、こういうのが、けっこう売れる本になるのだから、世の中、フシギ。ゴーストさんに料理をつくって書いてもらっている、タレントの料理エッセイなんか、そんなものが多いよなあ。で、またそういうものを真似て書いているような本もあるし。自分で買い物しない台所に立たないひとの料理エッセイは、そのことが書けないか、書いてあっても不自然だから、すぐわかるのさ。

ま、とにかくね、たとえば、なんとなく食べていると、やはり野菜は不足しがちになる。では、どうするか。まず買ってこなきゃいかんわけだよ。フツウは。とにかく買ってきて台所においておく。それをしないでヘルシーな生活なーんていっても始まらんわけだ。

外食で食べる野菜の量なんか、たかだか知れているし、コンビニの野菜サラダだけじゃ、とても少なすぎる。だから野菜を買うところから、野菜たっぷりのヘルシーの生活は始まる。

それで、とにかく買い物のときには、何に使うかわからないときでも、安い野菜を見たら買ってきておく。ところが家で1,2日でも作らない日が続くと、買ってきておいた野菜を、食べないでダメにすることがある。

それが続くと、ああもったいない不経済だなと思う。それで買うのを控えてしまうと、野菜不足の生活になってしまう。だから、ああもったいない不経済だなと思ったとき、ダメにしないようにする方法を考える。熱を通して冷蔵や冷凍にしておくことだ。と考える。

でも最初は、ま、たいがい、考えるがやらないで、やはり捨てることになるだろう。でも、そう考えておくと、必ずやるようになる。考えないと永遠にやらない。こんどはこうしようと考えておくことから、つぎが始まる。

まあ、野菜のこと一つとっても、そういうことじゃないかと思うのだが。

「自然の恵みを大切に」「シュンを楽しむ」なんてのは別に反対する理由はないが、フツウは、そういう観念的なことから野菜の料理が始まるわけじゃないと思うのだ。

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