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2004/11/18

幻の奇書『大衆食堂の研究』HTML版を更新したぜ

東京ジャンクライフも、ますますジャンクに。「食堂世間咄」「たぬき食堂に田舎者の開き直り」を掲載。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

おれは、どうもやっぱ雑な人間であるから、「洗練」というのになじまないな。このころの文章を読むと、ほんとにプロらしい「洗練」がなくて、シロウト臭くて雑で、ああ、ええなあ、と自分で自分の文章に惚れてしまう。ナーンテこというと、じゃあ、いまはちっとはプロらしく「洗練」されたのか、というと、これがそうでもないんだなあ。でも、多少、そっちへ流されているかんじはある。

でも「洗練」というのもイロイロあって。普通は「上品」に「要領よく」「無駄なく」というぐあいに洗練されることを「洗練」というようだが、そうではなく「雑」に「洗練」される、というのがあってもよいと思うのだ。この「雑」さが、たまらなくいいね、とか。そうなるといいなあ。と思うのであった。

先日、経堂の居酒屋食堂「太田尻家」へ行ったときも。まだあそこはシロウトで開店して半年ぐらいのものだけど、ほんと、シロウトくさいんだなあ。でも、そこで一緒にカウンターにいた客も、言っていた。「この要領の悪さ、要領は悪いけど、クロウトぶらない誠実がよいですねえ、いつまでもこうであってほしい」

プロってのは、ほら、あんたはこういうモノがお望みなんでしょ、こういうサービスをすればあんたはうれしいんでしょ、とひとをなめたところがある。こういうものは、とどのつまり、あの駅員は少なくなって事故は多発している駅ホームの、自動アナウンスのようなものになってしまう。そこで、客にあきられないために、しょっちゅうさまざまなリニューアルをやって目先をかえ客をつなぎとめようとする。じつは、はなはだプロにしては、効率の悪いシステムなのだ。だけど社会の主な産業は、そういうシステムでまわっている状態になってしまった。ま、悪循環というか。いまのほとんどのプロは、そういうものでしかない。じつに不誠実という意味で程度は悪いし(食関係のプロの「評論家」にも、そういうのいますね)、こんな経済に「豊かさ」があるはずはないのだ。

大衆食堂のばあいは、産業化したチェーン店をのぞき、そういうプロではない。毎日お客が通ってもあきないメニュー、サービス。リニューアルとは、ときどきしか縁のない経営。ゆっくりとした変化。これは「シトウロ芸」の結果でもあるのだろう。「上品」にはやく走るものには、それなりの利があるだろうが、「下品」にゆっくりでも、それなりの存在価値があるのだ。

うへー、思わぬところへ話が転がってしまった。プロはね、こういうダラダラ要領の悪いことはしないのです。

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