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2004/12/22

貧しさのなかでも食の楽しみ

なんども書いているが、戦前の日本には食事や料理を楽しむ文化が育っていなかった。「食通」はいたが、食事や料理を楽しむことには、ほど遠かった。ようやっと、ここ半世紀ほどのあいだに、「解放」がすすんだのだ。

解放されたからといって、まだ自由も民主主義も満足にできないように、うまく楽しめない。日本は、その敗戦まで、実質制度的に身分社会だった、その文化が身体にこびりついている。個性や多様性の理解より、優劣や上下を競うことになる。自分を優れた人間、カシコイ人間として演出する道具立てとして、食べ歩きや食事や料理が利用される。そのことと、新聞の社説と名人気どりの板前と評論家気どりのグルメがエラソウにしていることは、関係あると思う。

ま、でも、事態は解放にむかって、すすんではいるのだ。12月19日のコメントに書いた、「Webマガジンen」に連載中の茂木健一郎さんの「食のクオリア」は、そういう意味で、今年イチバン刺激的な発言の多かった著作のように思う。
http://www.shiojigyo.com/en/column/index2.cfm

ちょいとこなれていない観念的なところもあるような気がするが。おもしろいので、『文學界』に連載の「脳のなかの文学」も読んでいる。文学としてはどうか知らないが、食にとっては示唆に富んでいる。来年は、このセンで食が楽しくなると、いいなあ。

この味は、どういう味だろう。
うーむ、これはね、魚野川の川霧のような、あわいしっとりとした甘味がよいのでは。
ふーむ、これは、どうだろうか。
うーむ、これはこれは、腐りかかけた女体といったところでしょうか。
腐りかけた女体とは、女性に対して失礼ではありませぬか。
いやいや、腐りかけた男の身体とはくらべようもなく、独特の味ですよ。

などと、味覚を楽しむことが、もっと盛んになると、いいかなあ。安物のメザシを食べるにせよ、コンビニの中華まんを食べるにせよ、そういう楽しみがあるはずだ。うまさの表現や言葉を獲得することで、また食はイチダンと楽しくなるのだ。食べ歩くカネはなくても、食事は楽しくやれる。

来年は増税路線で、生活は厳しくなるだろう。誰も騒がないのがフシギだ。みんなユトリなのかな。

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