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2005/01/05

人生山あり谷ありのなかでの「大衆食堂の研究」

きのうのつづき。拙著、『大衆食堂の研究』は三一書房から1995年の発行、『ぶっかけめしの悦楽』は四谷ラウンドから1999年の発行だが、じつは企画としては、『ぶっかけめしの悦楽』のプランのほうが先に進行していた。それは原案の段階では、「汁かけめしとカレーライス」というかんじだったが、その話の発端は、たしか1991年だろう。

そもそもは江原恵さんが三一新書から刊行していた『カレーライスの話』(1983年)を大幅に書きなおす話で、江原さんは監修で、おれが書くという編集者のプランから始まったのだ。

なぜ、その話がおれのところにきたのかというと、『カレーライスの話』発刊の企画にからんでいたからだ。つまり江原生活料理研究所が発足した1980年ごろ、おれが発行人になって、ミニコミ小冊子「ポリセント」(季刊)をだしていた。そこに、江原恵さんに「カレーライスの可能性」という短いエッセイを書いてもらったのだが、それが三一書房の編集者の目にとまり、カレーライスの本の企画になった。

その最初の企画から、取材の段取りや費用のてあてなど、おれは江原生活料理研究所のプロデューサーというかんじの役回りでからんでいた。そして当初は、おれも共著者として書いてほしいという話もあったが、おれはモノヲカクということにあまり関心はなかったし、周辺にライター稼業のひとをたくさんみて、ああいうショーバイはしたくないなあという印象があったり、それに本業のプランナー稼業のほうが忙しくかつおもしろく、まったく書く気はなかった。

しかし、内容については、江原さんと毎日のように夜な夜な飲み、議論していた。『カレーライスの話』の「第一章 カレー談義」は、冒頭「本書の執筆をすすめた友人が、かれの社の近くの大衆酒場で、話にひとくぎりついた後で、私に言った」で始まる。その「友人」がおれで、「カレー談義」として書かれているのが、その議論のナカミである。ま、書かれたナカミは、議論と必ずしも正確に合致しない「創作」もあるが。

「かれの社の近くの大衆酒場」とは、当時おれが契約在籍していた、千代田区麹町、五番町交差点近くの企画会社の前にあった、居酒屋チェーンの駒忠である。そこは午後2時に開店したのだが、おれは開店同時に入り、酒を飲みながらモロモロの打ち合わせをして過ごすということをよくやっていた。ヒドイときは、午後2時から閉店の午前2時まで、いつづけることもあった。

つまり最初は1991年ごろ、『カレーライスの話』を書きなおす話から始まったのだ。そのプランを検討しているうちに、おれが東京に落ち着いていなかったこともあったし、まだそのころでもモノヲカクということに気がすすまず、デレデレと案を相談しているうちに2回目の離婚や、その後の蒸発放浪ブラブラという事態が重なって、のびのびになっていた。

思い出したが、『カレーライスの話』の発刊のころも1回目の離婚でイソガシカッタのだから、この企画は、よくよくおれの人生の破天荒イチダイジに関係がある。いやはや、人生山あり谷あり……。

ま、そういうわけで、蒸発放浪ブラブラのあいだに、フト気になった大衆食堂で、大衆食堂の本のアイデアが浮かんだのだ。そして、当時は、おれは家なき住所不定蒸発オヤジであったから、ときどきおれから三一書房の編集者に連絡しては、都内の大衆食堂で会っていた。

その連絡のとき、ハガキで連絡するときは、「大衆食堂で会おうかい」の「かい」を「会」と書いたりしてアソンデいた。それやこれやで、『大衆食堂の研究』と「大衆食の会」の誕生になるのだ。

そうそうそれから、『カレーライスの話』のときは、おれはまったく原稿作成に関わる気はなかったのだが、Sさんという若い女性の、ライターとしてもエディターとしても有能なスタッフをくわえた。『カレーライスの話』には「S嬢」なるひとが登場するが、それが彼女で、「第3章 ごった煮カレー汁と本物のカレー」の、北海道での調査や聞き書きは、彼女のシゴトなのだ。

そして、『カレーライスの話』の書きなおしプランのときも彼女は最初から参加していて、そのまま「大衆食堂で会おうかい」にも参加し、『大衆食堂の研究』の最後に登場する嶋岡尚子さんである。大衆食堂の本を先に出すことが決まってからは、われわれは、何度かそうして都内の大衆食堂で会っていた。

ああ、長くなった、今日は、ここまで。
大衆食堂の本のアイデアが浮かんだ食堂は、ザ大衆食のサイトに紹介してある。こちら、かめさん食堂。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/kamesan.htm

ついでに、「はてなダイアリー 江原恵」には、江原さんが「カレーライスもまた立派な日本料理だ、と、まじめな挑発をおこなった」という書き方をしている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%BE%B8%B6%B7%C3?kid=44225
江原さんは「過激」な言動が多かったが、「挑発」というのは、この「はてな」を書かれたかたの主観だろう。そのことは、いずれ詳しくふれたいが、『カレーライスの話』は最初は「カレーライスの可能性」として企画されていたのであり、それはまた日本料理の可能性でもあるというのが、そのころのおれと江原さんの共通した考えだった。それは第一章のなかに、「カレーライスを生んだ文化の可能性」というぐあいに表現されている。これは、決して「挑発」などではない。とはいえ、本は出版されたら一人歩きするし、書かれたものはすべて著者の主観によるものであるし、また読むひとも主観を持って読むのだから、江原さんの言動を「挑発」と読むのも、またオモシロイと思う。

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コメント

ボン大塚さん、「大衆食堂の研究」が本棚にあるとは、光栄です。どうもありがとうございます。

「明るくないタイトル」といえば、「研究」のサブタイトルは「東京ジャンクライフ」ですからね。内容だって、アノ本の装丁の太田さんは、最初の原稿を読んで、「東京ジャンクライフ」がタイトルで「大衆食堂の研究」のほうがサブとかんちがいしてデザインしたほどです。

しかし、トシとると、ホント、歳月がはやくすぎてゆく。ああ。本年もよろしくお願い致します。

投稿: エンテツ | 2005/01/07 11:27

もう10年かと、本棚から取り出してみると、
あらら奥付7月31日第1版第1刷発行で、
メモ書きで大阪京橋まついで中みそとあるので、
環状線京橋駅のガード下の本屋で買ったようで
懐かしい感じがしてきました。おまけに本棚での
順番が大衆食堂の研究から底ぬけビンボー暮らし
(故松下竜一氏)泥沼ウォ-カー(笹野みちる)
とできすぎみたいになってますねえ。本屋さん
では大体、本の方から手招きしてくれる錯覚が
あって思わず買う形ですが、こうしてみると
明るくないタイトルが異彩をはなって呼んでる
のかもしれないです。

投稿: ボン 大塚 | 2005/01/06 11:25

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