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2005/01/14

カネモチと「求道」のジジイのいうことは正しい。か?

先日11日の「食は三代のれれれれれ?」の「美味しんぼ第19巻」からの引用は「食は三代、という言葉を知らんのかね。成り上がり者には本当の美味しさがわからんということだ。富を重ねて三代、それで初めて美味しいものがわかるのだ。究極のメニューなんて云々できるのは、多山家くらいの人間だけだよ。君たちのような貧乏サラリーマンが究極のメニュー?笑わせるな」だ。

このような「言説」はよくみられるし、であるから、木下謙次郎さんの『美味求真』や北大路魯山人さんの著作のアレコレや村井弦斎さんの『食道楽』などを無批判に利用し、自分の言説に「箔」をつけることが横行する。カネモチと年季の入った「求道」のジジイのいうことは正しい、ということになってしまうのだなあ。

カネタクさんの「読まずにほめる」とは反対に、昨日は『サライ』の見出しだけで「読まずにけなす」ことをしたが、「グルメ」記事には、そのようなものが多い。

ある種の権威主義なのだろうが、つい半世紀ばかり前まで続いていた封建身分制を背景にした「序列文化」「年季制度」の反映で、戦後の「民主主義」の時代になっても、なかなか抜け出せないようだ。ま、日本は、まだまだ民主主義に遠いということか。あるいは民主主義そのものを捨てようとしているのだから、その反映かもしれない。

そこには、5年の者はそれなりのたのしみ、20年の者はそれなりのたのしみ、ビンボーはビンボーなりカネモチはカネモチなりのたのしみがある、という考えがない。それが日本人の食のたのしみ、食の快楽、ひいては「たのしく生きる」という生活のたのしみを狭いものにしているのじゃないかという気がする。

とくに味覚は年齢によって、たとえば20歳ごろと、いまのおれの60歳ぐらいでは、個体差や地域差もあるが、かなりちがうし嗜好も変化する。20歳は20歳の味覚でたのしみ、60歳は60歳の味覚でたのしみ、そこに「上下」などはないはずだ。料理をつくるのだって、経験の浅いものは、それなりのたのしみ、長いものはそれなりのたのしみがある。

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