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2005/01/10

『大衆食堂の研究』とライターへの道、前夜

「文脈」だの「脈絡」だのは、「知的生活」には必要なことがあるかも知れないが、「知的生活」は世の中のわずかな部分で成り立っているにすぎない、コリクツをいじりまわしてエラソウにしている狭い世間のこと。そんなものを信じていたら、ヒラメキの出る幕がなくなる。とくに広い世間に可能性は満ち満ちているし、カネは天下のまわりもの、人生はギャンブルとなれば、真底のところは「文脈」だの「脈絡」だのは関係ない、フトしたヒラメキこそが頼りだ。

ということで、バブル最中の1990年ごろ、おれはスリリングな賭けに出ていた。職業「プランナー」つまり「企画屋」、共同出資のプランニング会社1個を持って、いくつかのプロジェクトを請け負っていたが放り出して、ある一つの20数億円のプロジェクトにしぼった。それがコケたら、フリーの生活は窮地に陥る。

「バブル」は「超好景気」とかいわれたりしたが、ゴマカシの表現だろう。本業の利益以上に、あるいは本業は赤字でも、本業以外で何もしていないのに、カネだけは膨らんでまわる。そういう異常なカネの動きをしていたのが「バブル」だ。そんな「景気」ができたのは、日本のエリート大蔵省と銀行サマのおかげ。

バブルのころは「仕掛け人」だのといわれ「企画屋」はモテモテ、企画の本がゾロゾロ出た。『企画の王道』なーんていう本もあったなあ。おかしなおかしなバブルを象徴するような本。

企画本ブームには二つの背景があったと思う。一つは、カネまわりがよくなったので新規企画に投資しようというネツが異常にあったこと。もう一つは、欧米のコンサルティング会社の日本進出で、各種の手法がドッと流れこんだことによる、「企画技術」の「流行」だ。

とにかく、「企画」のシゴトはイロイロあるが、イチバン多いのはフツウの企業からの発注で、これには予算というものがつきまとう。企画屋の儲けは、その予算のなかでハジキださなくてはならない。それが、ま、フツウの状態だ。

しかし、バブルのころは、カネが異常な動き方をしていた。そのもとになっていた銀行からカネを引き出すチャンスがふえた。カネの流れは心臓部で豊富、先に行くほど細くなり、企画屋の儲けが少なくなるのは道理だ。心臓部の銀行からカネを引き出すプランニングをすると、フツウの企業の予算のなかでやるプロジェクトより企画屋の儲けは、はるかに大きいし、そういうチャンスは、ごくマレである。

で、ま、そういうチャンスに遭遇したおれは、チョイト賭けに出てみることにしたのだ。賭けに出るというのは、世間ではまだバブルに浮かれていた1989年後半には、実際にはカネの動きに変化が出ていたからだ。それは、バブルのオワリを意味していて、おれの周囲のコンサルティングやプランニングの関係者のあいだでは警戒感があったし、オリコウな経営者は、とくに不動産への投資をひかえ本業をかためた。「バブルの崩壊」への動きは、1991年ごろから加速し顕著になるが、実際あとになってみると、その前の89年ごろから一年間ぐらいの手のうち方で、バブル後の明暗が分かれたともいえる。

で、おれは、そのチャンスに遭遇したとき、もしかすると、その異常なカネの動き方がおわるまでのあいだに、そのカネを銀行から引き出せるかもしれないと思ったのだ。20数億円のプロジェクトは当時としては大きい方ではなかったが、1人で仕切ることができるから、うまくいったら、ま、数千万円を手にできるかな、というプランニングだった。

これがおれの賭けで、カネは引き出せないうちにコケてしまった。さいわい、自分の借金はなかったが、トツゼン収入は途絶え、家賃すら稼げない状態になった。それが、1992年の、おれの「蒸発前夜」のありさまだった。おかげで、ライターでもやってみようかという気分になれた。こうしておれの『大衆食堂の研究』とロクデモないライターへの道がひらかれたのだなあ。

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