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2005/02/11

あの1960年ごろの冬山で何をたべたのだろう?

最近のコメント。2月4日の「レモン丸かじり」
pfaelzerweinさんからコメントをいただいている。

そのなかに、2月3日の「ドカ雪涙の冬山合宿の思い出」に関連して、「「冬山合宿の思い出」、失礼ながら 昔 の 山  雑 誌 の「バックナンバー」の雰囲気を味あわせて頂きました。飯盒の米と何が食料だったのでしょう。餅も使われていましたでしょうか?」とある。

これはオモシロイことなのだなあ。ついでに、ちょいと回想してみよう。

山の装備も食事も、1960年代の前半から大きく変わる。ようするに、まず「工業化」の影響を、つぎに「自由化」の影響を、そして「高度化」の影響を、受けるのだ。その間に交通手段の変化もある。それで、登山の考え方や方法まで、まったく変わってしまうのだが。

1960年前後おれが高校山岳部だったころは、田舎の高校だから高度経済成長や工業化の恩恵はあまりなく、まだ昔の農村地帯の生活環境そのまま。最新のものは手に入らないし、雪が降れば上越線だけが、「外部」との交通手段という状態だから、生ものほか物資が極端に不足し、各家庭は冬前に貯蔵しておいた食糧を食いつなぐ。ほんと、「越冬生活」なのですね。

まず、pfaelzerweinさんの質問だが。冬山合宿は正月前にやってしまうので、そのころは、ちょうど餅がない時期。当時は、餅つきをしなくては餅がなかったし、登山なんていう「道楽」のためにワザワザ餅つきなどできないし。正月あけると、正月、2月の小正月にも餅はついたし、3月4月5月6月と節句のたびに餅をつくのが普通だったから、餅は、よく山行に利用した。でも、秋のお彼岸以後、正月準備までは餅つきはない。

で、ほんとうは2泊3日ぐらいの冬の山行だと、家で飯盒でコメを炊いてしまい、そのまま携行するか、炊いたコメをニギリメシなどにしてたくさん持って行けば、かなり楽できる。しかし、イチオウ合宿の場合、雪中訓練という意味もあるから、それは控えめにして、アルファ米とパンと当時普及しはじめたばかりのインスタントラーメンを主食として準備していたと思う。

あと予備用にカンパン。記憶にあるものでは、煮干と干しぶどうとチーズやジャムやチョコレートあたりが、重要だったように思う。煮干はダシというよりポリポリ食べる感じだね。そうそう当然、魚肉ソーセージやクジラ缶詰や各種缶詰。クジラのベーコンや自製の豚肉の味噌漬けなども、利用したことがある。それから「工業化」の新商品では、スープの素やインスタントコーヒーやココアといったもの。

キューリのキューちゃんが記憶にあるが、あれは夏合宿だったかな、ふりかけの「のりたま」とか。タマゴを、ほろほろというの、スクランブルエッグを塩加減濃い目にグチャグチャに焼いたもの作って持って行って、雑炊に入れた冬もあったな。

こうやって思い出そうとして思い出せないのが、野菜は、なにを持って行ったのか。まず、生野菜は、町中でも手に入りにくい時代だったから。野沢菜漬けとか味噌漬とか持って行ったのかなあ。

雪中で飯盒を利用した記憶はない。ほとんどコッへルを使っていたように思う。コンロは、石油とガソリン。ガスは、フランス製が普及した、60年代後半からだったね。

高校1年のときは、ザイルは麻ザイルだけ、これにワセリンを塗る手入れは1年生のシゴト。50年代後半に丈夫で軽量と登場した「ナイロンザイル切断事件」は、井上靖の「氷壁」で広く話題になったが、そのナイロンザイルを部費で購入したのは、2年のときだったと思う。部室で、真っ赤なナイロンザイルを初めて見て触ったとき、すごく興奮した。きっと、おれの目は美しくキラキラ輝いていたぜ。

てな、ところで、今日はオシマイ。後日、夏合宿の思い出でも書きたい。おれは1年生の夏合宿のとき食糧計画を担当して、それで初めてカロリーだのなんだのを考えたり計算したりしたんだなあ。

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