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2005/02/24

天津漁港で感じたこと

amatsuやはり東京は、虚飾情報発信基地なのだなあ。おれのような不安定文筆労働者も、その一端のカスを担っているわけだが。

芸能チックな華やかな話にあふれ、文化ポイ仕事にかかわっているひとや、労働者的ではないテキトウに怠け心のあるアソビニン的人間が、なにやらイキなよい人生を送っているように語られる。そういうことに慣れきった日常。

そして、地味な生産を支える労働者や、その地味な生活を支える文化も、影がうすい。きのうの天津漁港あたりで生きているひとたちも、うだつのあがらない人生として注目されることはない。

ま、日本の農林水産業の没落の根本は、政治的な問題が大きいが、そういう政治がスンナリ続いてしまう「文化的土壌」もあるようだ。「貴賎」という思想の存在。生産を支える労働から離れるほど「貴」に近づき尊いとする。その「広告塔」として、マスコミで活躍する芸能人や文化人がいるわけだが。かつてバブルのころ、生産の労働は「3K」といわれ、トコトン貶められた。そのまま、状況は続いている。

ところで天津漁港のある天津は、特急停車駅の鴨川と小湊に挟まれて各駅停車しか停まらない、まとまった商店街もない漁村の姿だ。天津漁港の案内には、「観光の町として知られている」とあるが、とんでもない。

漁港地域は、みわたすかぎりホテルらしい建物はない。3階建ての建物が一軒あるのに気がつくが、それ以外は高い建物は見えない。フツウの民家が並び、民宿が数軒あるだけ。バブルの残骸も目立つ、「観光化」した鴨川や小湊とは、かなり違う。

この漁港の、すぐ気がついたフシギをあげると。ネコがあまりいない(一匹目撃しただけ)。魚のナマグサイ臭いが、ほとんど気にならない。棄てられたままの老廃物が少ない。漁船数やトン数からすれば、それなりの水揚げがあると思われる漁港なのに。

つまり、漁業労働の環境が、たぶんそこで働く人たちの手で、よく整理されているのだ。じつに清々しい漁港なのだ。この姿こそ、いまや希少な、よい観光資源のような気がするのだが。でも、虚飾になれきった「東京人」は、虚飾な観光を求めるからなあ、難しいのかなあ、残念だなあ、惜しいなあ、また行きたいなあ。

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