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2005/03/14

悩ましい料理における現代の習性の不幸

新・読前読後3月11日「気まぐれ度の大きさ」は、洲之内徹さんであり、『気まぐれ美術館』シリーズであり、『人魚を見た人』だ。
http://d.hatena.ne.jp/kanetaku/20050311

そこで洲之内徹さんのオコトバを引用している。おれはそこに用があるので、そこだけまた引用させていただく。

ゴッホで私の感じる優しさを、私はどう書けばよいか分らない。だが、何も無理して書くこともないだろう。批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。誰も彼も、猫も杓子もいっぱしの批評家気取りで、何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。(「男が階段を下るとき」)
この「誰も彼も、猫も杓子もいっぱしの批評家気取りで、何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。」というところだが、「絵を見る」を「料理を食べる」とでもしたら、近年のグルメな状況にピッタリのような気がする。

では、なぜ、そのような「不幸」なことになってしまったのだろうか。ということを書いていると、長くなるので、忙しい本日は、書いていられない。

先日旅先で見た11日付の中日新聞だが。自費出版で大躍進らしい「表現する人の出版社 新風舎」の全5段の広告があった。「あなたの本を出版します」である。おどろいたことに、そのキャッチコピーが、「表現する人が一番偉い」 なのだ。なんというクスグリだろう。

そして、おもうのだ、「批評する人が一番偉い」という空気もあるね。「何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて」文章を書いているひとも、けっこういるね。「気の利いたひと言」に酔うひとも、けっこういるね。カンジンなことを忘れて。

なぜ、そのような「不幸」に……忙しい本日は、書いていられない。今日もまた、力強くめしをくい、力強く生きねばならない。のだ。

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