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2005/04/06

カウボーイとラーメン

もう一ヵ月前になるが、ザ大衆食の「カウボーイめし物語」の主人公である、ケン・イトウさんから手紙があった。

開けてみると、3月4日の日記に書いた、週刊文春のラーメン問題の記事が、ページごと切って入っていた。このページは、太平洋を往復したことになるな。

そして手紙の文面は、「カウボーイめし物語」のように当サイトで引用してよいことになっているので、ここに紹介すると、こんなぐあいだ。

同封のラーメン特集、どう思いますか。 みそ汁/ゴハンより、大衆食の最も大衆食を思われる、ラーメンは、私も毎週食べて研究しているので、面白い特集だと思いますが。 遠藤さんは、ラーメンについては、そう興味なさそうですね。……… といいながら今日も荒野の大平原で私は日清の「麺の達人」をグツグツ煮込んでいます。

って、ことでありまして、彼への返事のつもりで書くのだが。

私はラーメンに興味がないわけじゃなく、ここでちゃーんと?文春の記事も取り上げているのでありますね。で、おもうに、ケンさんはアメリカはコロラドの大平原で、日常はインスタントラーメングルメをやっていて、それはまさにビンボーなカウボーイたちの常食の姿であり、大衆食の姿なのだけど、いまの日本のラーメングルメは、そういうものじゃないわけですよ。

時間やカネをかけて、どこまでも食べに行く。ラーメンの味を知るものは、味覚の天才、神様であるような言説を平気でふりまわす。そこには、ケンさんのような生活感もなければ、大衆食らしい生活感もない。ラーメンを語ることで、自分がスゴイ才能の持ち主であるかのような自己演出すらある。ラーメンを自己顕示の道具にしているのではないかとも思える。そういう調子なのですよ。

そもそも味覚の探究は、人間や森羅万象の探究であるはずなのに、彼らには、そういう自覚を感じられない。大発見をした科学者以上に、なにもかも知り尽くしているがごとく、ふるまう。もう「ラーメン料理人」の言説などは、ラーメングルメ以外のひとからすれば、大笑いになるようなことだし、あと10年ぐらいしたら、もの笑いのタネにしかならないでしょう。そこには何かを探究したことのある人なら誰でも持っている「洞察力」が欠けている。ま、そういう人たちの仲間には入りたくないので、あまり話題にしてないだけなのですね。私は、ホラ、謙虚な人間だから。

ようするに、いまの日本のラーメングルメは、食文化ではなく、プロスポーツ文化、プロレスとおなじなのですよ。そういう娯楽として、これはよいものだと思いますが、食を語るものじゃない。オーバーな表現も、プロレスを見るように楽しみ、プロレスのワザを楽しむように楽しみ、「ラーメン評論家」の話も「プロレス評論」を楽しむように楽しむものなのです。

こんど日本に来たときには、あのホテルの近くのラーメン屋でラーメン談義しましょう。

と、これをプリントして、ケンさんに送ろう。


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