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2005/04/21

スーパーが閉店して

生活の基礎は、家庭でめしを食べることである。家庭というと「複数」というイメージがあるが、一人からでも、家庭は家庭だ。

家庭でめしを食べるについては、なるべく家庭でつくる。というのを基本にしたい。ということで、つくるについては買い物が必要になる。

モンダイは、ここからだ。

わが家の冷凍冷蔵庫は、いちおう2ドアだが、高さ80数センチ横40数センチの、20年ぐらい前の古い小型のものである。この大きさだと、毎日のように買い物をしないと、毎日のようにウチでめしをつくって食べることができない。つまりウチでめしをつくって食べるためには、毎日のように買い物をしなくてはならないのだ。

住んでいる北浦和の駅の反対側には商店街があるが、住んでいる側は、そういう買い物のための商店街がない。八百屋と肉屋はあるが、魚屋がないのが、かなり致命的であり、スーパーの利用が基本になる。

モンダイは、ここからだ。

利用していたスーパーの一店、元ナカウチさん系が、一月ほど前だったかな? 閉店してしまったのだ。いちおう、ウチが日常的に買い物するこの地域には、おれがAクラスとする一店、Bクラスとする閉店の一店、Cクラスとする二店、Dクラスとする一店という状態だった。

このクラスわけは、Bクラスが平均客単価つまり客が一回に買い物する平均の金額が2000円とすると、Aクラスのデパート系のスーパーは2500円、Cクラスのスーパーは1500円、Dクラスは1300円というぐあいだ。この数字は、おれの経験値なので正確ではないし、実際に500円のひらきはないかも知れないが、そういう「階級差」がある。

Dクラスの一店は、ボックスストアでスーパーと業態が少しちがうから一緒に比較できない点もある。実際に利用客は、経済的Dクラスとは限らない。酒類など、加工品のまとめ買い客は少なくない。ウチからは、この店が一番近いのだが、ボックスストアというのは、そもそも生鮮モノの品揃えを極端にしぼり、スーパーで最も経費のかかる生鮮モノ管理を省力して成り立つのだから、ここで毎日買い物してめしをつくっていたら、オカズが偏ってしまう。とにかく、ウチにとっては、毎日のためにならない。

Aクラスは、とうぜん品揃えの平均単価が安くない、安くない上に野菜の管理はBクラスと同じレベルであったので、避けていた。ついでに書くと、ウチの場合、日々の買い物の最大の理由は、新鮮な野菜と新鮮な魚だ。

ってことで、BクラスとCクラスをテキトウに回遊しながら買うのが歩き回る都合からもベストだったのだ。そのBクラスが、なくなった。

モンダイは、ここからだ。

じつはCクラスの二店は、「スーパー」というが、むかしの八百屋食料品店と肉屋と魚屋が一緒のフロアーで営業するマーケットのレジが統一されたようなもので、あきらかに、統一的統合的なマネジメントやマーチャンダイジングは行われていない。結果、買いにくい売り場はガマンするにしても、野菜肉魚の生鮮三品以外の品揃えにモンダイがある。

しかし、Bクラスの一店が閉店したので、この二店が頼りの状態になったのだ。アレはここで買って、コレはここで買ってと、売り場の細部まで記憶にあって、日々やってきたことが崩れてしまった。崩れてわかったのだが、「今日の料理」も、その状態にあわせて変えなくてはならなくなる。それに慣れるのに、約一か月かかった。

で、まあ、そのアレコレは、またの話にして。街と生活の関係、生活と自分の行動の関係などについて、いろいろ考えることが多かったのだが、本日は、ここまで。

結論を一ついえば、先日も路地横丁をまわって感じたのだが、元気な魚屋が、街と生活のカナメのような気がする。これからはわからないが、これまでは、そうであったような。そして、ウチでめしをつくらない生活では、地域だのコミュニティだのは、観念的なものになってしまう、ということ。

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