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2005/05/04

「御飯」のもと

かつて、おれは「プランナー」だから自分の人生もしっかりプランしている、と、思われることがあった。でも、「プランナー」というのは職業だから、カネをいただけるときはプランニングするけど、自分のためになんかプランニングしない。一銭にもならないもの。だから自分は「転がる石のように」ごろごろときたし、いまもそうだ。でも、ひとのことはプランできる。職業とは、そういうものさ。「カネをいただける」っても、酒代からで、酒代払ってもらえれば、よろこんで職業する。安あがり~。もしかすると酒のために「不正」もするかも。あはっ、やってきたか。馬にニンジン、志なんかない。

おほさざきのみこと(=仁徳天皇)の皇后は「嫉妬することがとても多かった。それで天皇が使っていた妃たちは、宮の中に近づくことができなかった。妃たちが何か特別なことを言ったりすると、皇后は足をばたばたさせるほど嫉妬した。」

日本古典文学全集『古事記』 山口佳紀、神野志隆光――校注訳 小学館

「妃たち」なんて気どっているが、「側室」「妾」「二号」「三号」「四号」……だ。皇后が「足をばたばたさせるほど嫉妬した」ってのが、いいね。原文では、「足母阿賀迦邇嫉妬」で、なんだかわらんが。昭和天皇の敗戦まで、正妻と妾が同じ屋根の下という妻妾同居があって、上流階級じゃとくにお盛んだったようだけど、ま、いまの憲法になってからもあったね。日本は、そういう国さ。この皇后がいま生きていたら、護憲論者で、女性解放の闘士になったかも知れないな。

その亭主の仁徳天皇の愛妾に黒日売(くろひめ)がいた。これが皇后の嫉妬を恐れて、故郷の吉備国へ逃げ帰る。ところが、その黒日売(くろひめ)がよほどよかったのか、天皇は追いかけていくのだ。

で、ここからカンジンな話。

天皇を迎えた黒日売(くろひめ)も、よほどうれしかったのだろうか、「その国の山の方面の地に天皇をお連れして、お食事をさしあげた」と、これは現代語訳なのだが、原文では「お食事」のことを「大御飯」と書いている。「大」は天皇に対するものだから、これで天皇の食事ということになる。

この「大御飯」の「御飯」は、「みけ」と読む。

3月26日の日記「悩ましい「めし」と「ごはん」」で、「「御食」と書いて「みけ」そして「御飯」と書いても「みけ」とふりがなのある例がある。これは天皇周辺の話だ」と書いたのだが、はて、それが何に書いてあったか思い出せない。なにせもうボケているもので。それがなんと、古事記にあったのだ。古い話だね~。「みけ」が「御食」と「御飯」の二通りあるが、なぜそうなのかは、わからない。こういう例は、ほかにも、たとえば「おほみたから」が「百姓」と「人民」であったりする。

その「御飯」の「みけ」が、いつからナゼ「ごはん」になったのか、はて。とにかく「御飯」は、天皇の歴史の言葉、ってことだ。

こんにちマスコミなどが「めし」とよばずに「ごはん」とよばせるのは、単に上品ぶるためだけではなく、妻妾同居のシンボルでもあった天皇の治世への回帰をめざすインボウが蠢いているからである。なーんていう小説、おもしろいかも。

どーでもいいことだけど。

しかし、このあと仁徳天皇は、皇后が紀伊国へ酒飲みにいっているあいだに、別の女「八田若郎女」と「婚」しちゃうんだよな。とにかく好きなのね~。


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