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2005/05/06

もうろう酔態シマッタと思ったとき

世田谷区砧公園は遠い。ここ北浦和から京浜東北線に乗って赤羽、埼京線に乗り換えて渋谷、田園都市線に乗り換えて用賀、徒歩15分。2時間近くかかって着いたが公園は広いし人は沢山いるし、運動会のものどもはどこにいるかわからん。どうせ運動したいわけじゃない飲みにきたのだ。まっすぐ売店へ行って缶ビールを買う。暑くて歩いてノドがかわいていたから一気に飲み、「おばちゃん、もう一本」それをもってふらふら歩きながら飲み、太田尻家一行をさがす。いたいた、マジメに運動して汗かいているよ。ごくろうさん、秋田の純米酒の一升瓶があったので、これを飲む。一杯、二杯、三杯……。いい気分、薄暗くなって、みなは太田尻家へ行ったのかな? もうこのあたりよく覚えていない。祖師谷のタカハシ家、ここの亭主は神戸出身だから、『神戸ハレルヤ! グルめし屋』を一冊進呈しようと持っていたので電話。ちょうど家にいたので歩いてむかうが、けっこう遠い、おまけに途中で道がわからなくなる。コンビニに入って缶ビールを買って、道をたずねる。缶ビール飲みながら、教えられたように歩いているつもりだが、酔っているし、どこを歩いているかわからなくなる。電話かけて聞きたくても文化はつる街には公衆電話がない。文化人であるおれは携帯電話なんていう野蛮なものは持っていない。まあ、とにかくタカハシ家に着いたときには、さらに酔いは深く、ビールをだされたが、もうあまりの飲めない状態だったハズ。じつはよく覚えていない、ものすごく飲んだかも知れない。何時にウチに帰り着いたのか。目が覚めたら朝だった。

5月の連休というと、ときどき思い出す。山で一度だけ「シマッタ」と思った失策をやらかしたのが、1960年高校2年の5月の連休だった。巻機山。残雪の多い年で、しかも朝一番のバスで終点から登山口まで歩いて登ったから、昼近くには割引沢の雪崩の巣の中だった。一日これほど雪崩やブッロク崩壊に遭遇したのは、あとにも先にも、このときしかない。でも、うまく回避しながら、頂上に立った。

問題は、そのあとだった。天気はいいし、快調だった。通常の登山路がなく無雪期に入ったことのない沢を下山コースに選んだ。ほんとうは雪がないときに経験してからでないといけないのだが。その鉄則は簡単に無視した。もちろん初めての沢筋。1900メートルちょっとの割引山の頂上から一気にグリセードで沢底に下りる。下りてからわかったが、けっこう沢の様子がけわしい。いつ崩れてもおかしくない大きな二階建ての家ぐらいの雪のブロックがごろごろしている。気持わる~、不気味~。でも、もどることなんか考えない。慎重にコースを選び、下った。

沢筋の底に入ると危険だから高い位置を巻くように下る。すると岩壁に行く手をはばまれた。そこを横切って先にある雪渓に出る以外コースがない。この岩壁が、かなり悪い。メンバーは3年生のマチダさん、リーダー。2年のノザワにカイセ、おれ。ザイルは持っていなかった。難関中の難関にさしかかった、マチダさんとノザワは先に突破し、おれがシンガリ。カイセが進む、と、すぐ一足目というかんじのところで落下、その手を、運よくとしかいいようがない、まだしっかりとしたホールドと足場を確保していたおれの手がつかみ、カイセはおれの腕にぶらさがり。

もとの位置にカイセはもどったが、もう完全にびびって足がガタガタふるえている。下を見れば岩壁の下に雪渓が口をあけている。落ちたらそのなかに吸い込まれイノチはないね。おれはザックから細引を出して、片側をノザワに投げる。こちらの片側をカイセの胴に。どうせ落ちたら役に立たない気休め。それでそこを通り抜け、つぎが雪渓のトラバース、横切らなくてはならない。下が岩盤で、雪渓はあまり厚くなさそうだ。一度にのったら割れる危険が高い、一人づつ渡ろうということになり。マチダさんがルートをとり、まずわたる。そのルートをノザワ、つぎカイセ。おれの番になった。苦もないだろう。ピッケルを胸の前で、右手にアタマの部分、左手にシャフトを持ち、さっさと歩く。

と、なんとしたことか、スリップだ。しかも、スリップした瞬間に仰向けにでんぐりかえってバンザイのかっこう。左手のシャフトも、右手のアタマもはなしてしまった。仰向けになったまま加速度的に雪渓をすべり落ちていくおれの右手の先に、右手とバンドで結ばれたピッケルがカラカラ音を立てている。それを手元にひきよせ最初のようにアタマを右手に持ち、左手でシャフトを持ち、身体を回転させうつ伏せになり、ピッケルのとがった先ピックを雪に突き立てなくては、そのまま落ちてロクなことにならない。

すべり落ちながらピッケルを手元に引き寄せ持った。そしてくるっと身体を回転させうつ伏せになりながら、ピックを雪面に突き立てる。「シマッタ、マズイ」と思ったのは、そのときだ。速度がついている、おまけに北斜面だから、雪面が固く凍ったようなぐあいで、ピックが刺さらないのだ。ピックと反対側のブレードという部分を胸に当て、上半身でピッケルを打ち込むような動作をくりかえし。ようやっと滑落は止まる。見上げると、マチダさんとノザワとカイセが見えた。そんなに落ちた気はしなかったのだが、けっこう落ちていた。おれが立ち上がると、「そのまま下は見ないで上がってこい」と怒鳴るのが聞こえた。彼らの、そばにもどると、マチダさんが「ばかやろう」と一言、ノザワは満面の笑みで「よくとまったなあ~」と言った、カイセは唇をふるわせているだけで声が出ない。自分が落ちたほうを見下ろすと、あと数十メートルぐらいのところで、雪渓がポッカリ割れていた。すこし下って見たら、そこは大きな滝つぼだった。

そしておれたちが、その雪渓からつぎの岩壁にとりついたとき、おれたちが立っていた雪渓が、大きな爆発音のような音をたて崩れ落ちた。

高校一年生の山岳部夏山合宿というのは、これほどの苦しみは味わったことがないというぐらい、苦しく厳しい。おれもノザワも泣かなかったが、涙を流す男もいる。男といっても、まだ15か6だが。だから、そんなに苦しい厳しい思いをしたのだからと、一年生の夏山合宿が終わると退部する気にはならないと言われている。でも、カイセは、そのあと退部した。話したとき、たしか「イノチがいくつあっても足りない」「イノチが惜しい」というようなことを言ったように記憶している。「ちゃんとトレーニングしていれば大丈夫さ」とおれは言ったように思うが、それほど自信はなかった。でも、日常が、大事なのだ。

ザ大衆食「巻機山」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/makihata.htm

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