« おれをアル中にする気か! | トップページ | ほめ合いは世間を明るくする!? »

2005/06/06

汁かけめしやカレーライスの「研究」だな

5月16日の「積み木の選び方」にも書いたように、『汁かけめし快食學』を教材に使っている大学の授業があって、学生さんから質問がある。最近またあったのだが、どうも内容からして同じ授業ではないようだ。しかも困るのは、この学生さん、メールに自分の名前もないし、学校名も学科名もないから、もしかしたら当方をからかうメールなのかも知れないが、文面はクソマジメだからそういうことはなさそうにしても、どういう枠組みや方向性の研究なのか見当がつかない。「「汁掛け飯」について大学でレポート作成」する、「今回私は汁掛け飯と関係させてカレーについて研究することにしました」ということしかわからない。ま、大学1年生なので、枠組みや方向性など、まだうまく考えられないのかも知れない。

そうなるとこちらはi自由だから、もうガンガン妄想がわく。汁かけめしやカレーライスを大学1年生で研究するナンテ、すばらしいことだもんね。ただし、これは枠組みや方向性を絞ってかからないと、はてしない荒野を冒険するようなもので大変なことになる。いろいろな可能性がアルコールの入ってない頭の中を去来する。それをここに書いてしまおう。

学生さん、そういうわけで、ここに思いつくままに書きますから、これを読んでなおかつ質問があったら、またメールをください。ただし、自分の名前ぐらいは、ちゃんと書くように。

それからついでに。これは学生だけじゃなく、ほかにもイロイロ質問があると、おれはていねいに返信を書いている。ところが、その半分以上も、おれの返信を見たかどうか、そのあとはナシのつぶてなのだ。おれは、そういうことにイチイチ「それはないだろう、この礼儀知らず!」と腹を立てるほどデリケートにできてないので、なんとも思ってはいないが、ふつうの世間、しかもこれから飲食店をやりたいという人がそういうことじゃイカンのじゃないかなあ、とは思っている。

さてそれで。思いつくままに。

1、カレーとは何か、カレーライスとは何か

この学生さんのメールからも察しがつく。カレーライスの歴史からすると、ごく近年のことだが、「カレー」と「カレーライス」の混乱があるということ。つまり「カレー」とは何か、「カレーライス」とは何か、そのものがすごくゴチャゴチャになってきた。

おそらく、調べてみると面白いと思うが。かつて、たぶん1960年代ぐらいまでは一般通念としては、あるいは習慣的には「カレー」といえば、いわゆる「国民食」といわれた「カレーライス」のことで、それはめしにカレー汁をかけて食べるもの以外ありえなかった。それが、たぶん1970年代ごろからだろう、「カレーライス」はもちろん「カレー的」(ご都合主義のワレワレ日本人は、この「的」で、どんどん認識をアイマイ混乱させていくのが得意だ)なものすべて、たとえばインド料理も含めて、「カレー」といわれるようになり「カレー」のイメージが成長していく。

この経過の実態がどうであったか、いつどのように「カレー」のイメージが変質していったか、人びとは何を「カレー」あるいは「カレーライス」と認識しているか、最近50年~30年ぐらいの歴史を調べ研究すると、なかなかおもしろいものがあると思う。

そしてその実態から、いろいろな方向へ、さらに考察を深めることができるだろう。

2、レトルトカレーの世界

レトルトカレーは、日本の食文化史上、かなり重要な位置を占めていると思うが、あまり研究されてない。それは、たぶん汁かけめしに対する認識不足が影響しているだろうと思われるが。

それはともかく、上記のような「カレー」のイメージのゴチャゴチャ成長があるなかで、レトルトカレーは、汁かけめしのカレーライス以外ありえないものとして生まれ成長した。もちろんこれをパンにつけて食べるということはあるが、開発も生産も販売も、そのコンセプトは「カレー」というが「カレーライス」の「カレー」としてだったし、消費者の受容もそのように広まって市場が確立した。

つまりレトルトカレーはインスタントラーメンやカップラーメンなどとちがって、めしにかけることで完成するカレー汁なのだ。それは「カレースープ」とよぼうが「カレーシチュー」とよぼうが、さらさらの汁か、とろみの汁かの違いであって、カレー汁にはちがいないカタチで提供される。つまり汁かけめしとしてのカレーライスの本質や実態を、もっとも普遍的に継承しているものとして見ることができる。

って、これじゃ、もう論文になっちゃうな。ま、いいか。このレトルトカレーが生まれ、成長した過程は、食文化的にすごい面白いものがある。いまでは種類も増えたし。

その場合「食文化」の意味を、よくとらえなくてはならないが、逆に、レトルトカレーを調べることで日本の「食文化とは」が、見えてくるはずだとも思う。

3、カレーライスと家庭料理の可能性

「カレーの具とは地方独特の汁掛け飯とは違いどこの地域もほとんど同じ」と学生さんは言っているが、平均的に見るとそうかも知れない。だけど、それは従来の「地域性」にしばられた「地方独特」という見方をするからで、コンニチの生産や流通あるいは生活の実態に即してみなくてはならない。

ジャガイモ、タマネギ、ニンジンの時代から、ひき肉や魚介類を多用するようになったり、リンゴやニンジンをすっていれたり、あるいは「インド風」にあるいは「タイ風」にあるいは「ヨーロッパ風」に味覚を楽しみ、最近はスーパーの売り場にさまざまなスパイスがあるようになったから、インスタントのルーを使わずに自前の「カレー粉」をつくったり、レトルトカレーを食べる場合でも好きなスパイスをちょいと入れたりなど、そういう変化がある。これはWebを見ただけでも、じつにさまざまで、その変化に着目することだろう。そこには、コンニチの生産や流通に即した「個人性」のカレーの楽しみ方があるのではないだろうか。

そもそも、コンニチ惰性的に使われている「地方」という用語には従来の農業社会型の、狭い完結型の「地域」が介在している。そういう「地域」は、もはや崩壊しているのであり幻想にすぎない。コンニチの生産や流通をぬきに生活が成り立つ地域など、一つもないだろう。コンニチの生産や流通に即した「個人性」、その「個人性」の発見こそ「自己発見」といわれるのだろうと思うが、そのうえに新しい地域を創造する視点が必要なのだ。

かつての「地域」は、そこに「個」を飲み込み統合するものとして存在した、それは人びとが地域に頼らなくては生きていけなかった関係があったからで、資本主義の発達は、市場との関係で人びとが生きることを可能にした。その現実では、地域は人びと「個」の必要性により存在する関係になった。

と、考えた場合、イマ台所で、たかだかレトルトカレーを食べるのに、好きなスパイスをひとふりかける行為は、じつにサマザマな可能性を含んでいる。その実態がどうであるかは、これからのカレーライスや家庭料理を考える上で興味がある。


……とりあえず、てな感じかな。1番目は、日本文化的な考察、2番目は、食文化的な考察、3番目は、より料理文化的な考察、が中心になる、というふうにわけられるかも知れない。

とりあえず、なので、また思いついたら書くかも知れない。はあ、よく書いた、やれやれ、酒のも。

|

« おれをアル中にする気か! | トップページ | ほめ合いは世間を明るくする!? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30930/4439063

この記事へのトラックバック一覧です: 汁かけめしやカレーライスの「研究」だな:

« おれをアル中にする気か! | トップページ | ほめ合いは世間を明るくする!? »