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2005/06/26

「毒」がなきゃあ、おもしろくないよ

浪曲、二代目玉川福太郎オヤジの「徹底「天保水滸伝」」がキングレコードからCDになっている。三味線の曲師は、美人な奥さんの玉川みね子さん。
http://www.kingrecords.co.jp/junhougaku/tamagawa/

そのチラシには、小沢昭一さんの「こんなオモシロイ浪花節を、なぜ、今時の若い者は聴かないのかなァ。いいよ。俺たちだけのタカラにしよう」というオコトバのほかに、平岡正明さんのオコトバがある。

「一声、二節、三啖呵。浪曲師の声量。三味線のアタックの強さ。話の筋の面白さ。それにもまして、浪曲の風景の美しさ・・・。江戸前の粋とはちがう、田舎くさい、赤い熟柿が一つ落ちずに眼にやきつくような、おれはこんなにまで日本人だったのだと気づかせてくれる枯れ枯れの美が。」

ま、感じ方はそれぞれなんだろうが、なんだかなあ。「江戸前の粋とはちがう、田舎くさい」は、そうだと思うのだが、「枯れ枯れ」かなあ。それに、「おれはこんなにまで日本人だったのだ」とは、いかにも平岡さんらしいセリフだとは思うのだが、そう言われちゃうと、おれなんかひいちゃうね。

田舎くさい泥くさい力強さ、枯れようにも枯れられない「毒」が、浪花節のオモシロイところで、それは大衆食堂や大衆酒場などにもある「毒」じゃないかと思うのだが。

「毒」というのは、ようするに、あくせく働かなくては生きていけない庶民のサガから発するもので、ドロドロしていて、それをかきまぜて謳いあげる。つまりある種のしがない庶民の「人生讃歌」でもあり、ま、これを聴いて飲み込んで、つまらんおれの人生だが、明日も一丁やってやるか、と思うもので、「おれはこんなにまで日本人だった」と思うようなものじゃないと思うんだよなあ。

インテリと下層文筆労働者の感覚のちがいなのかも知れないが。しかし、なんでもかんでも、ちかごろの文章の世界だってそうだが、小ざかしい受けネライの「軽妙」?「洒脱」?「いけてる」?とかな表現に流れ、身体のうちから噴出するような「何か」がありゃしない。「何か」がなければ、自分じゃかっこよくやっているつもりだろうが、表現の小ワザが浮いてみえるだけだよ。

そういえば、以前、ザ大衆食の「深川丼に関する宇宙開発より大きな夢」で落語について、同じような感想というか不満、つまり最近の「毒」を失った落語への不満を述べているな。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/kou/hukagawadon.htm

ま、とにかく、玉川福太郎を聴いてみてくらはい。とくに、この「天保水滸伝」は。なかでも、飲兵衛は、平手酒造だね。

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コメント

ああ、スーさんは、たしかにリアルに毒だけど。おれは、ほんとうは、毒じゃないんだよな。枯れ枯れて好好爺がリアルな姿で、このバーチャルな空間で、毒のフリをしている。

ってぐあいに、ひとを裏切るのが好きなんだよな、おれ。

大利根、ばんざーーーい。あのオヤジも、あそこの客も、まちがいなく毒だった。

投稿: エンテツ | 2005/06/28 22:38

さすがはエンテツ大先生様。
そうそう、世の中毒がなきゃ面白くない。
酒も旨くねえ。
おいらがブログで、毒の無い酒場は居心地悪いと書いたのは
つい最近のこと。

んで、ある日、今は無き酒場「大利根」を検索してて偶然に
辿り着いたのが、リンク先の「深川丼に関する宇宙開発より
大きな夢」。
それ以来、「ザ大衆食」を覗くようになり、今じゃエンテツ
先生様と一緒に酒を呷る仲。

毒が取り持つ縁。

投稿: 吸う | 2005/06/28 20:46

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