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2005/06/23

『大衆食堂の研究』のころ

先日20日にザ大衆食のサイトに掲載した「大衆食堂の逆襲」では、こう書いた。

「『大衆食堂の研究』発刊の1995年頃をふりかえり、「当時は、いくつかのテレビ番組に大衆食堂が登場することはあったが、いわゆる古きよき人情の「レトロブーム」の流れにのった、趣味的嗜好的なものであり、「生活」ではなかった。大勢がそういう傾向であり、ようするにバブルは崩壊したとはいえ、まだ余韻は十分残っていたし、またすぐに景気は回復するだろうといった期待が気分として充満していた。コンニチのように不況下の生活を背景にして、「安酒場」や「安食堂」が話題になる雰囲気とは、かなり違っていた」

さらに、1997年の「『散歩の達人』は、いまとくらべたらかなりマイナーな雑誌であり、「大衆食堂の逆襲」がどれほど影響をおよぼしたかは心もとないが、このころから古い地味な存在だった「大衆食堂」や「大衆酒場」あるいは「立ち飲み屋」など、チマタの「大衆店」が話題になり、不況になじむハヤリものになったといえるだろう」と書いている。

95年から97年のあいだに、不況はますます出口の見えないものになっていた。そのなかで「むかしはよかった」の嘆き節、説教節が、とくに「下町」の「大衆店」を舞台にニギヤカになる。「下町」が舞台になったのは、1980年代後半からの江戸・東京論ブームやレトロブームの流れがあったのだが。そこに、必ずむかしながらの「人情」と人情に生きる人びとがいる、という物語の「定番」ができあがる。

つまり大衆店を語る、著者や制作者は、むかしながらの「人情」と人情に生きる人びとを描きながら、世の中がおかしくなったと嘆き、むかしながらの下町・人情な暮らしにもどれば、世の中は清く正しく美しくなる、というような主張なのか気分なのかを、大衆店の話にこめる。それが、「むかしはよかった」は嘆き節であったり、下町・人情礼賛節であったり、そのへんは、マアわからなくはないが、そこに「私は正しい」の自慢節「おめえら間違っているぞ」の説教節が加わる。気がつくと、飲み食いの大衆店の話は、そういうものにすりかわっているのだ。

そういう物語のキザシは、『大衆食堂の研究』発刊前に、いくつかのテレビ局が、大衆食堂をとりあげたときにすでに見られた。しかしキザシていどだった。

手元のメモでは、1993年12月16日に日本テレビの「追跡」、94年1月14日にTBS「ニュースの森」で大衆食堂をとりあげている。前者には、勝どきの「月よし」、新宿の「千草」、芝浦の「松月」、後者は「月よし」「千草」に品川の「品食」が登場する。これらの番組は、まだ「安い・うまい」が基調だった。続いて94年2月27日、テレビ東京が夜の7時から8時54分の「日曜ビッグスペシャル」の全枠で、「これが日本の大衆食堂だ! 有名人・思い出の定食屋」をやった。これは関西も含めていたが、タイトルからして「むかしはよかった」の人情臭さを盛り込んでいる。しかし、有名人が若いころ利用していた大衆食堂へ行ってヒタスラ懐かしがるだけで、のちの大衆店モノの番組や著作にくらべたら、独善的な自慢や説教は気にならなかった。

「大衆食堂の逆襲」の場合は、どうか? 見出しに一か所「人情」という言葉が登場するが、それがらみの内容は、おれの記事も含めてまったくない。根津の「かめや食堂」の書き出しに「最近人気が高い下町エリア」という表現をしているぐらいで、下町礼賛もない。

「大衆食堂の逆襲」の『散歩の達人』4月号は3月発売だったが、そのあと8月からおれはフジTV『ザ・ノンフィクション』の制作の手伝いをした。ロケハンから付き合って、10月5日に放映になったのだが、そのタイトルはモロ「東京下町人情食堂物語」である。これはフリーの演出家の松村克弥さんの演出で、ご存知の方もいると思うが、この人はあまり手を加える演出をしない。そのせいもあるかも知れないが、タイトルはそうであっても、独善的で押し付けがましい説教節は、まったくなかった。そこにあるのは、「人情」というより、東京の「下積み人生のシガラミ」というものだった。しかし、下町・人情礼賛の自慢節や説教節がニギヤカになるのは、このころからという印象がある。

長くなったから、とりあえず結論。エコロジーやスローフードや下町・人情を礼賛のエッセイには、ある種の共通性があるように思う。つまり、自分は一段高いところにいるという気負いあるいはカンチガイ。

近代物質文明こそ諸悪の根源とテレビは見るのに電子レンジは否定するような高邁な精神たるや、そういうことは政府や財界や大企業や芸能界やNHKにむかって言ってほしいと思うし、大衆酒場や大衆食堂や立ち飲みでくだまいたり気分よくしているのが、そんなにエライことなのかといいたくなるほどだが。

清水義範さんの『日本文学全集 第一集』の「徒然草」によれば、そういうのは「お叱りエッセイ」であり「世の中の者どもめ、けしからんぞ、正しくて知的で品格のあるおれを見ならえ、というのがエッセイの本音である」「エッセイというものに書かれているのは、どんなエッセイであろうと、結局、おれは偉い、だ、という井上ひさし氏が言ったということを、人の噂できいたことがある」って、ことになる。どうやら徒然草以来のエッセイが内包する悪癖らしいのだ。

イヤラシイねえ、おれもそういうものに染まっているかもねえ。でも、大衆食堂や大衆酒場を、下町・人情礼賛の自慢節説教節のネタに使うなんて、最低だと思う。でもおれは、アル中で最低の人間だから、しかたないからね、ちったあ偉そうにさせて。

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コメント

おけいさん、ありがとうございます。創刊からリニューアルする前の「散歩の達人」は、よい味わいがありました。東京の消費的な「ライフスタイル」ではなく、暮らしをうたいあげる「生き方」雑誌のようなところがあって。

ま、これからも、よろしくお願い致します。

投稿: エンテツ | 2008/02/14 08:08

懐かしいですね、当時の散歩の達人。確かに、昨今の下町や大衆食堂に対する過剰な人情劇場的演出はちょっと違うというか、もちろんその雰囲気はホッとする(これも勘違いなのかもしれませんね)というのはわかりますが、実際はもっと汚らしい部分や風俗が混在しているのが下町や大衆食堂の空間であって、生活し生きるというリアルな一面だってあるわけですから。事実情緒的な反面反骨精神があるのが下町や大衆食堂、自分はそう思います。すみません、まとまりの悪い文になってしまいましたが、エンテツさんの視点は自分大ファンなのです。これからも読み続けます。

投稿: おけい | 2008/02/13 18:13

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