« 吉田健一『私の食物誌』 | トップページ | 東京人といふものは »

2005/06/04

家庭にあるコト

5月29日の「家庭にあるべきコト」の続きだ。でも、「あるべき」という言い方は、「こうあるべきだ」と言っているようでイヤだね、好きじゃない。それに食事は家庭に「あるべきコト」じゃなくて、「あるコト」なのだ。「自分の生活」は「家庭にあるべきコト」じゃなくて「あるコト」だもんな。ただ、「あるコト」にしてこなかった生活もあるようだ。

一日の仕事が終わって、オトコとオンナが食卓に向かって食事をしている。おかずにコンガリ焼けた塩シャケの切れ身がある。その皮だけをかじって、茶碗のめしを一口、箸で口に入れかみしめたオンナの表情がゆるみ、満面に笑みを浮かべ、「幸せって、これよね」と言う。オトコが「えっ」と聞き返すと、オンナが言う。「シャケの皮、いい焼き加減で、おいしいわ。これで幸せなんてツマシイかもしれないけど、これなのよね」。「うん」と言いながらオトコは思う。シャケの皮じゃなくても、幸せを感じることはあるよな、でも今夜はシャケの皮で幸せだということか、いいじゃないのシアワセならば。

一日の朝が始まって、一人暮らしのオンナは一人で食卓に向かって、一杯のお茶を飲む。コーヒーではない、緑茶である。緑茶でなくてはいけない理由はないのだが、緑茶を飲む習慣なのだ。オンナは一杯の緑茶を飲むと身体も気分も生き返った感じがする。いや「ヨシッ」と生き返った自分を取り戻す儀式としてオンナは、まず起きると一杯のお茶を飲む。そしてそのまま会社へ行くこともあれば、昨夜の残りごはんを釜から一口食べることもあれば、納豆に味噌汁の食事をして出かけることもある。だけど、オンナの一日の生活の一歩は一杯のお茶から始まる。オンナは、それが自分の生活で、そこに自分の幸せの最初の一歩があると思っている。

自己発見型価値観というが、だいたい「自己」なんて漠としたものだ。「自分の生活」というが、「自分」なんて漠としたものだ。だから「自己発見」のために旅行したり、「自分の生活」のためにアレコレ買ってみたりする。ようするに自分とは漠とした存在なのだ。

だから、ブームがおきる。ダイエット・ブーム。本当にダイエットが必要な自分なのかどうかわからない。でも、ブームのなかにいる自分に自分をみて安心する。そして必要ないダイエットをやって病気になったり死んだりする。立ち飲みブームだ。立ち飲みは確かにいいものだ。でも本当に自分の生活に必要なのか、自分はそれが好きで望んでいるのか。考えたことはない。とにかくブームのなかにいることで自分は安心し気分よくいられる。しかし、それでは自己発見からは、ほど遠い。

日々、自分や自分の幸せを失わないようするには、自分の食卓の幸せを見つけることだろう。いや自分の食卓から自分の生活と幸せを創造することだ。

……と、誰かさんのコラム風に書いてみたのだが。こういう文章は、どうも苦手だな。とにかく、家庭の食卓を生活の基本にするということは、そこで必ず食べなくてはいけないということじゃなくて、そこで発見した自分の幸せを「自分の生活」の考え方の基本にするということかな。それがどうあるかで、外食の考え方も外食店や外食店の飲食に対する評価もちがってくるような気がする。ということを、このあいだは書きたかったのだな。

「成功型の人生か、幸福型の人生か」という二者択一のような議論があるが、そのよしあしはともかく、「成功型の人生か、幸福型の人生か」によっても食事に対する考え方や評価はちがってきそうだ。


|

« 吉田健一『私の食物誌』 | トップページ | 東京人といふものは »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30930/4403677

この記事へのトラックバック一覧です: 家庭にあるコト:

« 吉田健一『私の食物誌』 | トップページ | 東京人といふものは »