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2005/08/01

10年目の大衆食堂の研究

前から何度も書いている。この7月は、『大衆食堂の研究』発刊10周年だ。この10年というのは、おれ自身のことだが、イチバン変動が少なかったような気がする。そもそも「大衆食」という広大な分野であるにしても、同じことに10年もからんでいるなんて、あきっぽい変転きわまりないおれとしてはめずらしいことだ。そういえば、3回目の結婚も、『大衆食堂の研究』と同じ10周年で、これまたいままでになく落ち着いたものであるね。やれやれ、そろそろ年貢のおさめどきということなのだろうか。

大雑把にふりかえろう。小学校入るまでは、世間が落ち着かないように、おれ自身も落ち着かなかったね。母方の兄弟5人のうち、男2人が戦地で罹ったマラリアがもとで復員後しばらくしてから病死、女1人が離婚で出戻ってから肺病死、よく可愛がってもらい覚えている。母の実家は、当時、すでに母の父はなく、いまの調布市のつつじヶ丘にあったから、おれは田舎とココを行ったり来たりの生活だった。おかげで、水が貯まった庭の防空壕や、占領軍や、紙芝居や、配給のパンや、そうそう新宿の闇市も記憶にあるぞ。おれは、新宿の東口で迷子になって、国防色の服や外套を着たオジサンたちに親切にされたのかアブナイ目にあわされたのかしたのさ。そのころは、東口の前は、広場というより焼け野原で、伊勢丹が見えたよ。そこにあった公衆便所の前の激しい混雑の中で、おれは一緒にいた母方の祖母の姿を見失ってしまった。

そのあいだに弟が生まれ、おれが4歳のとき2歳で死んだ。まあ、小学校あがる前はバタバタ近親者が死に、葬式続きだったな。そうそう、その間に、母も結核になって、毎年一年のうち一か月は入院したり。で、にもかかわらず、おれが9歳か10歳かのとき、父の家業は倒産。まあ、茶箪笥はもちろん、大きなアルマイトの鍋にまで、差し押さえの赤札がベタベタ貼られた。けっきょく、もともと仲が悪く喧嘩の絶えなかった父と母は離婚、父は1人で出て行った。それが、最初の10年か。

母子家庭。しかし、母は結核で1人では家計成り立たず、一年後ぐらいに、母はおれを連れ、好きでもない父が1人で暮らしていた間借の四畳半に転がり込む。家は人手に。そこで、おれは生家と生家と共にあった、数々の写真やオモチャその他もろともオサラバ。これで、人生身一つを悟ったか。

つぎの10年。父は新たに家業再建、がんばって家まで建てちゃった。しかし、母の結核は悪化する一方。家族に結核患者1人いると家は破産するといわれた時代だ。イノチのためだ、おれが中学2年のとき、母は国立病院に一年間入院して大手術。このときの費用が、あとあとまで重かった。とにかく、それでもナントカと、おれは高校へ大学へ。上京して一年家業はもたなかった。二度目の倒産。こんどは決定的だった。家は競売。父は、田舎で再起をはかろうとしたようだが、とても無理。転がるように夫婦でふるさとを出奔。やって着ました流れ者の都、東京へ。荒川区熊野前にあった土建会社の飯場に。このころの話は、前に書いたような気がするな。

こんな話しは、くだらねえな。ま、でも、つぎの10年、簡単にいこう。結婚して子供3人できたあたりが、ちょうど10年目つまり30歳ぐらいか。この間に転職。で、つぎの10年に入ったあたりで、3人目の男子が2歳のとき病死。生き残っていた下の子つまり2番目の子が10歳のとき、1回目の離婚。40歳こえたぐらいかな。つぎの離婚は92年、49歳か。

ああ、もうメンドウだ。そういうわけで、ようするに、この10年は、おれにとっては、そういえば引っ越しは1回だけだったし。大切な友人が数人死んだりしたが、まあ、平穏なほうであった。

それで、ここんとこ、たかだかココ10年のモノを、「持ち物」っていうのは、それしかないからな、それを整理しているのだが、大衆食堂の写真や入ったときのメモが出てきた。まだ、サイトに掲載してないのも、けっこうある。それに、大衆食の会のときの写真もある。百円ショップで一冊に写真紙焼200枚が収まるアルバム4冊分あった。

そういうアレコレを、「10年目の大衆食堂の研究」として、まとめてみようかなと思ったわけだ。発表方法を、どうするかだが。10月の何日かは、『大衆食堂の研究』発行以後の大衆食の会の第1回の集まりがあった日で、あの時代、あの本を買っていただけただけでもエライのに、よく集まっていただいた。で、それを記念して、ここんところ、「ザ大衆食」のHPでイイカゲンにやってごまかしてきた「ザ大衆食」の紙版を復活する準備をしているので、それに掲載しようと思う。この10年は、あの、いまではリッパなビルになってしまった、ボロ家の「パオ」の中庭に集まった、1回目の「大衆食の会」は、イメージどおりの素晴しいものだった。もちろん、そのあとも。しかし、サボりすぎた。すまん。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/pao.htm

酔った。だははははは。

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