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2005/08/11

オラ! なぜ、そこで食べるのかの歴史

最近のコメント、ボン大塚さんのコメントを見て、なんだか「オラ!」が気に入って、なんでも「オラ!」をつけてみたくなった。

「外食史」という言葉は、あまり聞かないが、外食産業の歴史みたいなものはある。この外食産業の歴史というのは、文字通り「産業史」あるいは「業界史」であって、生活としての「外食史」の側面は、ほとんど無視されている。

いつごろ、どんな飲食店ができたか、それがどんなふうに成長したかだけでは、産業史業界史であって外食の歴史にはならない。外食史となると、飲食店が成立する生活や生活意識などの文化的な把握が必要になるだろう。

「大衆食堂」というのは風俗的な用語あるいは概念で、いちおう産業分類上の「一般食堂」に含まれる俗称であるが、風俗であることにはかわりなく、世につれ変わる。

その場合、「大衆食堂の歴史」というのは、どう成り立つか、というモンダイが残る。本来なら、外食文化の歴史のなかに位置づければ、風俗的な意味でも、「大衆食堂」があきらかになってくるハズだ。しかし、となると、「外食史」とか「外食文化史」というものが、必要になる。でも、そういうものは、食文化史ですらマットウなものがない日本においては、存在しない。じゃあ、大衆食堂の歴史のために、そこまでやるかというと、そんなことやっちゃあいられねえ。

そもそも「外食」という言葉も、戦中戦後の「外食券食堂」からの普及という説があるぐらいで、しかし、でも、外食という行為は、それ以前はるか昔からあったようにみえる。しかし、でも、それはコンニチの「外食」と同じ意識、つまり文化として同じものだったかどうか、じつはよくわからない。たとえば、はるか江戸期には、振り売り担ぎ売りという、店舗を持たないで茶飯などを売って歩く例がみられるが、あれは「外食」に位置づくのかどうか、利用するほうの意識はどうであったか、コンニチの「外食気分」だったのか「中食気分」だったのか、わからない。

どうやら屋台という形態になると、すでに「江戸のファーストフーズ」とかシャレた位置づけまでされ、外食の歴史になっているようだが、振り売り担ぎ売りの食べ物は、アイマイである。もしかすると、これは外食の文化というより、弁当の文化というようなものに位置づくのかもしれない。また、日露戦争のころからか、東京の「細民」のあいだでは、軍隊の残飯を買って食べるひとがいたし、それを肥桶のようなものに入れてかつぎ売って歩く商売もあったようだが、これなどは「外食史」に入るのだろうか、むずかしい。

ああ、ややこしい。というわけで、『大衆食堂の研究』では、大衆食堂の歴史などはまとめずに、「食堂誌史論」ということで、文字に記録されて残ったものから、テキトウに備忘録的に拾ってメモするていどですませている。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_6_01.htm

またザ大衆食のサイトでは、「食堂の歴史あれこれ」ということで、これも備忘録的なメモていどのもので、歴史ではない。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/rekisi.htm

ようするに、人びとが、なぜ、そこを利用するのか、なぜ、そこで食べるのかがなくては、外食の歴史にもならないし、大衆食堂の歴史にもならない。そこんとこが、まあ、むずかしいのだな。やれやれ。

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