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2005/09/30

酒税撤廃の主張

きのうは成り行きで池袋の中華料理屋「永利」だった。ここはしばらくクセになりそうだ。ここで飲み食いしているとイロイロ食について考えることも多い。きのうは、ますます日本における酒税撤廃の必要を実感したのだった。

その酒税撤廃を真剣に考えている最中の様子は、こちら「駄目ブログ」に写真がある。もう一人、下町の印刷屋の社長で、ナントカというマイナーな格闘技をやっている「東信社・タコ社長日記」のタコ社長が一緒だった。二人とも、おれよりはるか彼方の年下だけど、バカさ加減においては、あまり大差ないようだ。それにしても、ここ永利で食べると、食べるのにクソ真剣になり、腹がイッパイになって、あまり酒が飲めない。それと酒税撤廃が、どういう関係にあるのか。といったって、あるはずないだろう。

いや、ただいま発売中の『酒とつまみ』7号だ。「酒飲み高額納税者番付発表」の記事では、一週間の酒量から納税額を換算し、高額納税者の番付をつくることをしている。そこにおれも参加しているのだが、そのアンケートに答えながらフト思ったのがはじまりだ。

まえに、このブログか、とにかくこのザ大衆食のどこかに、酒については嗜好品なので、このサイトではあまりふれない、というようなことを書いた。しかし、ホントウに嗜好品なのか、嗜好品と思わされて、だから酒税とられるのは仕方ないと、思わされてきたのではないか。いや、そうだ、これは長年の政府の陰謀で、嗜好品と思わされているのだ。嗜好品=贅沢品=課税対象仕方ない。そう思わされてきた。しかし自覚的自立的自主的に考えてみれば、酒は、嗜好品でなんかないぞ。これは生活必需品なのだ、酒税は不当である、ナニゴトか。と、おれは目覚めたのだった。

その目覚めは日に日に高まり、食事のときに酒を飲むたびに、これは必需品であると確信してきた。今朝だって、そのように確信した。きのうの永利だって、客は、みなお茶か酒を飲みながら、食事をしている。ようするに、どれを選ぶかは、それぞれの選択だが、酒は必需品であり、生きていく上で欠かせないものであり、酒税なんて大マチガイのこんこんちきであり、直ちに撤廃すべきだ。ま、全部を撤廃することはない、おれが日々必要な安酒だけでよい。酒税のない生活こそ文化的生活であり、酒税のない国こそ文化的な国なのである。

今日は、そのように主張して、オワリ。

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2005/09/29

まだまだやめられない「トレンド」

もういいかげんトレンドの話は、あきているのだが、矛盾的になんだかおもしろくなり、ほかの本もひっぱりだしては見ている。ま、自分のための覚書だが。

おれは蔵書があまりないから、すぐ本をみつけられる。『コンセプトノート』は、きのうまでに登場の「84」のほかに。バブル期の「90」「92」があった。いずれも、博報堂トレンド研究会の著で、PHP研究所から、手元にあるのは「84」だけが新書。博報堂トレンド研究会は、81年にできた博報堂生活研究所が母体の著者集団の名称。

博報堂生活研究所は、毎年「生活予報」というのを出していて、これが「ノート」のもとになっているのだが、非売品でクライアントやマスコミ関係に配布された。そのうちの「生活予報89-90 ほのじかけ 時代は艶へ」と「生活予報88-89 感動ホルモン 飽和社会の新活力」それに「90年代生活予報 社会性消費」も本箱からみつかった。おれんとこは「書棚」というほどシャレたものはなくホントウに本箱なのだ。

この非売品は、バブルの最中らしい豪華本であるが、とうじシゴトの関係があって、日本マーケティング協会で、生活研究所研究員が発表する内容も直接きいている。もうこれは、その聞いているときから「中身がないなあ」とあきれかえった、すばらしく豪華なわりにはすばらしく中身のうすいものである。また「ノート」で出版になった、「90」「92」もバブル期のもので中身はうすい。「92」は出版時にはバブル崩壊というデキゴトがあったから、そのさまも反映している。いずれも80年代からバブル期のビジネスリーダーたちの頭の中身の軽さうすさを物語る記念碑的ブツではないかと思う。印刷物は残るからコワイね。

やはり「84」が、もっともよく分析をし「世相」をとらえているようだ。そのあとは、みな消費にイカレた動物みたいなものだ。ま、日本全体が「買う」消費の流れのなかで、アイデンティティだのトレンドだのと「洋語」で自らをごまかし、それを客観視するがごとく評論しあってきた。この間に成長したのは、「買物力」と毒にもクスリにもならないオシャベリの「批評力」だけじゃないのか。そして、いまだに80年代の閉塞とアンビバレンツのなかにいるのだ。と、まさに評論家みたいなことを言ってみちゃったりして。

グルメという「外食」動向をみていると、その「買物力」とオシャベリな「批評力」が気になるのだな。

『コンセプトノート84』では「物質的豊かさについていけない精神的貧困、さらに世紀末ムードが盛り上げる不安の表面化」とかいう。90年代になってから「大人」コセンプトがはやりで、「大人」が強調される。ナント、10月1日から開催の早稲田青空古本祭記念目録「古本共和国」の表3には、おれは立ち読みで古書現世のセドローくんが書くコラムしか読まない雑誌『ウイル』の広告があって、「大人の常識「ウイル」はこんな雑誌です」と。笑った。わざわざ「大人の常識」といわなくてはならない現実は、あるのだろう。そういいながら、中国モンダイと朝日新聞の悪口でも書いていれば雑誌が売れる「大人の常識」が、あるのだろう。それはいかにも80年代バブルから続く「物質的豊かさについていけない精神的貧困」の景色のようだ。グルメという「外食」動向も、そういうものと無関係ではない。

しかし、もはや「世紀末ムード」が不安の原因ではない。いつまでたっても抜け出せない閉塞こそ不安の原因であり、ま、せいぜい日々の飲食で浮かれてまぎらわすとか。日々の小さな買物や安物グルメでウサをはらすとか。たくさんある商品や飲食店をアレコレ批評の対象にして、うさをはらすとか。ますます肩を寄せ合いたい同好同趣味。そこにまた、ダウンサイズイングのマーケットが生れるとか。

これまで最初のほうに書いたように「広告屋」に「マーケティング屋」を含めてきたが、広告屋とマーケティング屋は、やはりちがう。とくにその技能レベルでは、まったくちがうシゴトになる。で、80年代というと、パルコ出版のマーケティング専門誌「月刊アクロス」をはずすわけにはいかない。なかでも月刊アクロス編集部編・著の『「東京」の侵略』(パルコ出版、1987年)だ。こちらは、マーケティング屋がまとめたもので、コンセプトノートと同時代の東京をトコトン分析しているのだが、いかにもマーケティング屋のシゴトらしい。これが、よく雑誌などがやる「東京本」特集や紹介には、ほとんど登場しない。とてもオカシイ。編集者やライターの「精神的貧困」だろうか。と、憎まれ口をたたいて、今日はオワリ。

「巨大「東京」固有の生活文化とは何か」という視点を、アクロスは、もっていた。そういう視点を持ちながらバブル期をすごしたものと、持たずにトレンドだけを追いかけるイケイケの広告屋のようにすごした差は、大きいような気がする。そして、その広告屋と新聞屋テレビ屋は深い関係なのである。

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トレンド? 早稲田青空古本祭

10月1日から早稲田青空古本祭。6日まで。穴八幡宮。

早稲田や本郷は、あまり行きたい気分のところじゃないけど、この古本祭だけは、ちがうね。穴八幡宮の境内でやるってのが、いい。外で、この季節ってのも、いい。できたら、缶ビールも置いといてくれるといいのだが。おでん、とかも。

ま、近所で買って持参すればよいか。神社の境内で飲む缶ビールってのが、なかなかいいのだな。カップ酒も、気分だね。お神酒だもの。春は「花見」が青空の下で飲む口実になるが、秋はテキトウなのがないね。とりあえず、穴八幡宮の古本市を口実に、境内で酒盛をやるというのが、よいと思う。

これじゃ、古本祭の案内にならないか。

セドローくんの「古書現世店番日記」
http://d.hatena.ne.jp/sedoro/

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2005/09/28

トレンドな「外食」

広告屋とメディアは大の「仲良し」だ。大メディアも大広告屋には逆らえない、なんていうウワサも、ときどき耳にする。某大広告屋は大メディアに対し絶大な影響力を持っているとか。ウワサだけどね。きのうの『コンセプトノート84』の続き。きのうの分で、サブコンセプトが落ちていたのがあったから書き足しておいた。ま、自分のための覚書だけど。

広告屋がマスコミの第一線に踊り出た1980年代。『コンセプトノート84』の「はじめに」は、「コピーライター、デザイナー、アートディレクター、クリエィティブディレクターなどは、ほんの数年前までは、広告主のための広告作りの黒子としてもくもくと働いていました。いまや、こういった肩書きの人々が、マスコミの第一線で自ら華々しく大活躍しています。と同じように、広告会社の地位も、大学生の就職時の企業の人気番付でみられるように少しずつ高くなっているようです。」だって。

70年代までの広告屋の評判の悪さを考えたら、たいへんな様変わり。「マスコミの第一線で自ら華々しく大活躍」し、いったん名声を得てしまえばシメタものというふんいきがアリアリ。このころから、新聞屋テレビ屋は広告屋のようになり、腐敗が深くなっていったようでもある。

広告屋は、おとといの引用で談編集長が書いているように「消費者にたくさんモノを買ってもらいたいだけなんだ」そのためには、ありとあらゆることをする。新聞屋テレビ屋は、読者である消費者の立場を考えたら、そうは簡単に手を組めない相手のはずだが……。

『コンセプトノート84』の第一章「頂点」(いただき)コンセプトは、「社会との関係を積極的に見出していく。裾野から山頂へ脇目もふらずひた走るパワーがある。いつの日か頂きに立つために、手段は問わず、労力をいとわない」「時代の最先端をいく、エライ、ニクイ、スゴイヤツ」と説明がある。はあ、ホリエモンのことかな。

これは、まさに当の広告屋の願望であり、また新聞屋テレビ屋の願望だったのではないか。彼らは、そのように手を組んだのだ。そして、新聞屋テレビ屋は、広告屋のようにトレンドを追い、広告屋がマスコミの一線で華々しく大活躍するにしたがい、「ニュース」は「トレンド」に場をゆずり、広告屋のような煽りコトバを平気でやるようになった。広告屋と関係ないはずのNHKまで「いま渋谷の若者のあいだでは○○が流行っています」というようなことを「ニュース」するようになった。いまや、エリートの集まりになった広告屋新聞屋テレビ屋は、ともに手をたずさえ、「おいしい生活」の頂点をめざす。のだろうか。

オモシロイのは、これだ。コンセプトⅡ・「生一本」、第二章「いま、最も感動を呼ぶのは何か」の「「生一本」コンセプトの使い方」に、こうあるね。「アレモ、コレモ言うのではなく、一点をピチッとおさえ、そこをはずさない、はずれない商品、広告、生き方はわかりやすく、親しみやすい。そこに価値ある一点が、存在するかどうかが人気を決める時代である」

なーんと、最近の「郵政選挙」「小泉人気」のことじゃないか。民主党は、あの党首のポスターにしても、70年代の訴求法だしね。で、こんど小泉は、憲法改変論議を「靖国参拝イエスかノー」かの生一本に、「わかりやすく」すりかえた方法をとるにちがいない。

それはともかく、『コンセプトノート84』は、前年までのデータをもとにしている。「グルメ」については、そのコトバも登場することなく、ほとんどふれられてない。コンセプトⅥ・「知的」、第六章「経済的豊かさを得た大衆」で、「知的こだわりである「うんちく」もはやっている」という例として「男の料理」があがっているにすぎない。これは、まだ70年代の状態だ。

しかし、コンセプトレベルでは、ある分野で「頂点」に立つ、最先端をゆく、「エライ、ニクイ、スゴイヤツ」を気どる「センスエリート」や「知的な己にウットリ」とか、「おもしろさ、自慢、興奮度」や「回顧・懐古主義」などあって、コンニチの立ち飲み屋や大衆酒場や大衆食堂やラーメン屋あたりの様子を考えると、そのセンでグルメブームが煽られていったのだなあ、と思い起こすことができる。いずれにせよ、トレンドを語るとき「外食」の分野がはずせなくなるのは、このころから急速だった。

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2005/09/27

トレンドとスタンダード

主に広告屋(めんどうなのでマーケティング屋も含める)が使っていた「トレンド」ということばが、普通に使われるようになったのは80年代はじめぐらいだったと思う。それまで黒子の役だった広告屋がメディアの前面に躍り出て、「仕掛け人」「マルチプランナー」とかもてはやされ、企画の立て方などの本がブームに。

「ネアカ・ネクラ」「軽薄短小」なる、いかにも広告屋っぽいことばが流行り、明るく軽い浮ついたフンイキのなかで、グルメが勢いをつけた。85年ごろ「グルメ」が流行語。「第四次産業時代」を日経新聞は高らかに煽動し、情報産業を中心にベンチャー企業なるものが台頭する。外食産業と情報産業はなやかなりしころ。重厚長大の輸出産業を中心に伸びてきた日本経済は、「円高不況」という体験したことのない不況に直面し苦悩し、「発想の転換」が求められていた。ようするに日本船はフラフラ漂流し、その甲板でネアカがグルメや情報化をやりながら浮かれていた。なんだか、まだおなじ続きのようだな。

マーケティングは、トレンドを追いかけるものになり、「キーワード」と「トレンド」で世界を把握する、あるいは表現することが、大メディアでも主なトレンドになっていく。スタンダードなんかカネにならない。そもそも過去のスタンダードは崩壊したのだ。過去のスタンダードの上にのっていたものは、クライ、ダサイ、古い、いらない。

天下の広告屋、博報堂トレンド研究会の『コンセプトノート84』(PHP研究所、1984年)、新書版で広告屋以外のビジネスマンも読んだ、「トレンドが読める、明日が見える」の煽りコトバがついている。スタンダードの崩壊を、広告屋らしく、そういうコトバをつかわずに、「コントロールボード社会がやってきた」と特徴づけている。各章の見出しは、こんなぐあいだ。

コンセプトⅠ・「頂点」(いただき)
第一章 「ひとなみ」を超えようとする人たち(サブ・コンセプトに「フィジカルエリート」「豊かさのギャップ」「ソフトポジション」「センスエリート」)

コンセプトⅡ・「生一本」
第二章 いま、最も感動を呼ぶのは何か (サブ・コンセプトに「おもしろまじめ」「粋(イキ)まじめ」「ぶきようまじめ」)

コンセプトⅢ・「ローリング・マインド」
第三章 どこまで拡がるブランコ(浮遊)空間(サブ・コンセプトに「変身願望」「レンタルマインド」「へたうま感覚」)

コンセプトⅣ・「ハンドリング」
第四章 消費者はイスに座って待っている(サブ・コンセプトに「情報ハンドリング」「マネーハンドリング」「タイム・ハンドリング」「ファッションハンドリング」)

コンセプトⅤ・「居直り」
第五章 主役を演じるマイナー・パワー(サブ・コンセプトに「新復古主義」「我慢・忍耐主義」「本音暴露主義」「回顧・懐古主義」)

コンセプトⅥ・「知的」
第六章 経済的豊かさを得た大衆(サブ・コンセプトに「あたま世直し型」「おすき?型」「こころ型」「ブリッ子型」「友達の輪型」)

コンセプトⅦ・「胎内感覚」
第七章 「いごこちのよさ」がヒットする(サブ・コンセプトに「砂場マインド」「たんでき感覚」「おもしろ不安」)

コンセプトⅧ・「笑楽」
第八章 いま、何が不安を忘れさせるか(サブ・コンセプトに「自己露出症候群」「おもしろ探し」「ゲーム感覚」「フレッシュ・ジェネレーション」)

コンセプトⅨ・「たこつぼ」
第九章 さびしい世代にどうアプローチするか

終章 コントロールボード社会への対応戦略

これは広告屋が各分野の企画関係者にプレゼンテーションするような表現になっているので、わかりにくいところもあると思うが、落語ブームなど、ようするにコンニチ見られる現象がたくさんあるし、グルメの流行は、まさにこういう環境と「仕掛け」のなかで成長したものだった。

それはトレンドを追いかけるだけで、スタンダードに対する感覚も関心も思考も、すでに失われていた。そのトレンドは、やがてニッチといわれる、スキマ、つまりは、いままで情報化されていなかった小さな分野にまでおよぶ。そして、けっきょく、小さな分野にまで、お互いにマーケしあう「マーケ社会」ができた。名刺交換一つ、はがき一枚のことばが、乱交のような飲み会まで、ビジネスチャンの出会いをつくるマーケティングとして、経済活動に位置づけられた。ま、こういう私的な日記にもなるブログにしてもだが。生業者が小さな地域の客を相手に細々とやっていた酒場や飲食店まで、あまり生き場のなかったライターなどのシゴトで、マーケットになった。

とりあえず、今日は、ここまで。酒飲まなくちゃ。忘れなかったら、明日に続く。

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2005/09/26

トレンドとスタンダード 「うまい」話はうまいか

ザ大衆食は、「気どるな、力強くめしをくえ」をスローガンに「快食」を追求している。たぶん感じてもらえると思うが、これは、「うまいもの」追求とは、ちょいとスタンスがちがう。単なる貧乏食安物グルメの探求でもない。

「男子厨房に入ろう会」が70年代後半にできて話題になるぐらい、70年代ぐらいまでは、「男子厨房に入らず」が常識で、おれぐらいの年代だと、男は食べ物のうまいマズイの話しは人前でやらないものだという常識があった。しかし、わずかのあいだに、なぜこうも男がヘラヘラうまいものやうまい店の話を、「得意そう」にやるようになったのか。その「得意そう」にやる軽さが、気になる。そこにどのような真実が転がっているのだろうか。今朝は昨夜買っておいたエビスの黒の缶ビールを飲みセブンイレブンの厚切りハムカツパンを食べ、瞑想と屁をしながら、冷静に考えてみた。

うまいもの好きのおれは、エビスの黒にこだわっている。あなたは知らないだろうが、エビスの黒は世界三大ビールの一つだ。その色、その輝き、そのコク、そのうまみ、どれをとっても一流。エビスの黒は、やっぱり黒の味がする。これを最高の状態で飲むには、やはり恵比寿の名店ウンコベンラーベンがおすすめだ。ここは、グラスの洗い方がちがう。マスターの小便の、しかも最初の1ccで洗うのである。その芳醇な味と香りが黒の味と香りを引き立てる、それは注意深く繊細な者にだけしかわからない。恵比寿はエビスビール発祥の地であり元祖であり、黒生の聖地である。どうだ、まいったか。しかし、生ビールを飲むのに、2千円3千円払う気はしない。やはり5百円以下でないと、生ビールとはいえない。京浜東北線の西川口のラブホ街がとぎれたあたり、ここは、あなたは知らないだろうが、安くてうまいエビスの黒生が飲める聖地なのである。安くてうまい店がウジャウジャある。なかでも三大名店をあげれば、右欲ゲローデン、左馬ヨヨイ、中樽ダメーサだ。そして、ツマミは、なんといてもセブンヤレブンのハムカツサンドが絶品である。セブンヤレブンのハムカツサンドは、本物の本当の味がする。黒生に負けない、ハムのほどよい厚さ。これはセブンヤレブンの仕様発注で、皮無県の黒豚の殺したてを産地でハムにしたものである。そして、そのコロモの揚げ方、どれをとっても本格で元祖の気品にあふれ、そしてそしてそして、世界中探してもこれが最高だろうと思われるブドウ糖や大豆ペプチドやアミノ酸もちろん、カゼインNa、リン酸塩、増粘多糖類、酢酸Na、グリシン、クチナシ色素など、厳選された20数種類の原材料を絶妙に配合した味、これはもう一つ一つが芸術に愛情と人情をまぶせた匠の味である。それが178円で腹いっぱいの量だ。オヤジの顔もナイスだ。すばらしいものは食べ終わったあとの余韻がちがう。わーい、わーい、ばんざーい。おれは知っているぜ、うまいもの安いうまい店を。あんたは、知らんだろう。ああ、おれって、なんていういい趣味をしているんだろう。いい趣味をしているとね、外から見ただけで、よい店かどうかわかっちゃうんだな。

……テナことをね、やってきているのですよ。なぜ、こうなってしまったのかなあと考えると、そもそも食べ物や外食などの話というと、まず戦後は有名な文士や文化人とかの本が多く売れ、そのほとんどは「うまい」話なのである。それはトウゼンのように「フツウのうまさ」ではなく、特別に激しくうまいのだ。人びとは、そういう本の影響を受けている。教師にしろ反面教師にしろ、お手本にしている。

食べる話をしながら、そういう「うまい」話に批判をくわえるようなものは、あるにはあるのだが、一冊の本になっていないのだよ。ま、おれの『大衆食堂の研究』のように、「うまい」話をほとんどしないで一冊を仕上げている例でも、少数派だ。うふふふ、『大衆食堂の研究』では、おれは特別にうまい店だから掲載したわけじゃないし、だいたい「いかがわし度」が基準なのであって、うまいなんてどこにも書いてないのに、その一軒に行って、あんなヒドイおかずを出すところを掲載するなんて非常識だ、ナーンテおっしゃるひともいたね。

ま、そういうわけで、ちょいと著名人が書いたものから、「グルメ」や「うまい」話に批判的なアレコレを取り上げてみようと思った。で、タイトルをつけ、今回の一回目は、田中小実昌さんと野坂昭如さんの対談からのつもりだったが、今日は長くなったので、これでオワリ。忘れなかったら、明日に続く。

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2005/09/25

マーケな社会

「雑誌『談』編集長によるBlog」9月21日「マーケッターは社会学者ではありません」は、とてもイマ的な話でおもしろく、かつ最近おれも感じていたことに関係がある。

引用……「マーケティングを生業にしているひとのご意見をうかがうともっともらしく、その場ではいつも納得させられてしまう。しかし、あとから冷静に考えてみると「? 」となることがある。『****』を読んでいて、最初はふかくうなずいていたのだが、しだいに疑問がわいてきて、いつしか疑念にかわっていた。マーケの人の考えていることは、結局、消費者にたくさんモノを買ってもらいたいだけなんだ。そんなのあったりまえか。なのになまじっか社会学者のようなたたずまいでいるから、人はごまかされてしまうのだな。」……引用オワリ。

この話が、だれのどの本を指しているか、あまり新しい本に興味のないおれは知らないが、おれも数十年間「マーケティングを生業」にしてきた一人だ。そして、これほどマーケティングな世の中になったことに、違和感と異常をかんじている。ただ、この編集長佐藤真さんの発言の最後の、「一番やばいのは、彼らは消費者を愛していないこと。消費者を愛さずして、どうして消費社会など語れましょう」は、ちょいとロジカルな彼にしては、ヘンである。うふふふ、それともトシをとってロジカルも老化し、「愛」なんていうウケのよい言葉でモノゴトを説明するようになったか。とにかく、アチラのコメントに書くには長すぎることを書こう。

「マーケティング」は、時代により約3~4回ぐらいは概念を変えてきて、だからといって最初の概念がまったく通用しなくなったというわけではなく、みなゴチャゴチャに通用している。ま、大まかな「主流」の概念の変化にすぎない。だから、なにをもってマーケティングとするかムズカシイのだが、とにかくいまじゃ、みながマーケッターになってしまった。といえる。

マーケティングする側とされる側にわかれながら、かつお互いがマーケティングしあっている関係。しかもその関心は、全体的なマーケティングの構造より、ウリとかウケのあたりに集中している。つまりほとんどのオトナは、シゴトにせよアソビにせよ、ウリやウケを考えない日はないような日常を送っている。

せっかく大自然の山へ行っても、この山はイイ山だけど、もうちょっと人を呼べるようにしなくてはね、よそに客をとられちゃうよ、そのためにアソコはこうして、ココはこうして、この料理の出し方などもねもっとこうして、とか、民宿あたりで能書きたれるような景色は、日常でもめずらしいことではない。大衆食堂や大衆酒場へ行っても、自らの快楽をそこへ沈没させるのではなく、人気店繁盛店を評価する経営コンサルタントの目で、飲食し店を評価する。また、モテるモテないモンダイなど。先日の衆議院選挙などは「小泉劇場」なる言葉がマーケされ、政策の勝負より、こうしたマーケティングごっこの勝負だった面もある。みながいつでもウリやウケについて、メシをたべたらクソをするように、軽くオシャベリする。

「マーケの人の考えていることは、結局、消費者にたくさんモノを買ってもらいたい」お互いが、そういう関係になった。モノを売らないひとでも、自分をウリたいウケたい。そして誰もが気軽にウリやウケについてオシャベリし、お互いになにかのウケやウリを中心に「仕掛け」あった関係がフツウになった世の中を、いま「マーケな社会」とよべば、詐欺師ペテン師と紙一重のマーケティング専門家でも社会学者の顔をできる時代になったといえるのではないか。専門家は、そういうみなが考えそうなことは簡単に察知できる。それを、いいタイミングで気のきいた言葉で表現すればよい。それは「世俗的」な学者もやってきたことだ。ベストセラー作家もやっているね。そういう「コメント力」がモンダイなのであって、おかげで「コメント力」なんていう本がマーケされ売れる。

この真底にあるあぶなさは、彼ら社会学者のフリをしたマーケッターが消費者を愛していないことではなくて、人びとがウリやウケに興じかつ狂じ、自らの生活を愛さなくなったことだろう。いやはや、「愛」だなんて、そんな。「愛」のモンダイではない、ウリとウケと、その反対のカイとステ(捨て)が生活になって、もとにあったツクるやイカす(生かす)は大幅に縮小されたことにモンダイがある。

いまや、人びとは、「消費動向が景気を左右する、消費が上向けば景気も上向く」という言葉に疑問すらかんじない。そりゃ、タコが自分の足をたべて太るという話じゃないか、とは思わない。そこに、大消費都市東京へ極端な一極集中した日本と、極端に消費化した日本の、ほんとうの危うさがあるように思う。社会学者のフリをしたマーケッターは、その浮き草か、あるいはその動向を鋭く捉えマーケ化した存在にすぎないのではないだろうか。

こういう流れは、80年代に顕著になり、バブルからバブル崩壊期に「全社員営業マン」という使い古された言葉が、「全社員マーケッター」に置き換えられたあたりから、「マーケな社会」へ移行する。おかしいのは、おれが70年代にマーケティングのシゴトを始めてしばらくして、「マーケティング理論は破綻した」という時代があった。非常にショウバイがやりにくい時代が一時あった。では、いまのマーケって、いったいなんなのだ。

ま、忘れなかったら、明日に続く。お互いにマーケしあう関係からの脱却は、どうなるか。酒くらって、ぶっかけめしくっていればよいのか。いいのだ。

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2005/09/24

中華鍋とフライパンと「酒飯論」

きのう「支那ナベ」と書いた中華鍋とフライパンについて、『台所道具の歴史』(栄久庵憲司+GK研究所、柴田書店1976年)に書いてあること。

「中華鍋がかなり一般化したのは炒めものの普及に応じている。昭和の初め頃、フライパン運動というものが提唱された。フライパンの利用を通じて農村に油脂の摂取を広めようというものである。フライパンが中華鍋ほど一般化しなかったのは西洋料理が中華料理ほど定着しなかったからである。中華鍋(とフライパン)の普及は炒めるという調理法と油脂の摂取を日本人に教えたという点で画期的なものがあり、中世に伝来して粉食とあえものを教えた擂鉢に匹敵する」 ちょいとオカシイ部分もあるが、ま、そういうことかな。

でも、必ずしも、中華鍋を使えば中華料理で、フライパンを使えば西洋料理ってわけじゃないんだな。以前、いまはさいたま市になった与野に住んでいたときの近所の居酒屋、「風っ子」という名前。ここの「キャベツステーキ」。いまでもあるかもしれない。キャベツ一個、ヘタのほう4分の1ぐらいを切り落とし、中華鍋にバターをひいて、キャベツの外側をまんべんなく炒め、それからへた側を上にして切り口にバターをおき、ふたをして蒸し焼きにする。どの段階で塩コショウしたか忘れたが、約、そういうつくりだった。ようするに、中華風の味にはならない。これがなかなかうまい。キャベツは生で一個たべるのは大変だが、こうするとビールをグビグビやりながら、ペロリと食べられる。

『有元葉子の料理の基本』(幻冬舎)に「キャベツのにんにく炒め」も、うまいねえ。材料4人分で、キャベツの葉5~6枚、にんにく2~3片、サラダ油大さじ3、塩適宜。キャベツは4~5cm角ぐらいの大切りにし、冷水につけパリッとさせる。にんにくはスライス。中華鍋にサラダ油とにんにくを入れ、弱火できつね色になるまで炒め、火を強め水を切ったキャベツを入れて炒める。少ししんなりしたら塩。こしょうは好みで。というぐあいで、これも中華鍋を使うが、中華風の味にはならない。

こういうのは何料理になるのだ、日本料理ではないのか、ということが、近代日本食には、たえずつきまとう。いいじゃないか「日本料理」で、ということが簡単に通らない。「日本料理」には近代以前の渡来の料理が含まれているのにだ。「日本料理」というのは、イデオロギー性が異常に強い料理なのだ。ある意味、感情的といってよいほど、イデオロギー性が強い。いいじゃないか、うまければ。

ところで、『台所道具の歴史』の口絵に、室町期の「酒飯論絵詞」が載っている。これには、武士が座敷で盛装に近い服装で食事をしている絵があるのだが、汁をめしにかけて食べている。拙著『汁かけめし快食學』にも書いた、この時代は、汁かけめしが武家の正式の作法だったのだな。そういう汁かけめしの絵は、めずらしい。

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2005/09/23

酒のない朝は野菜イタメの思索

なにも欲しいものがない、「なにか欲しいものがない?」ときかれても、なにも欲しいものがない。本もCDも、なにも欲しいものがない。だけど、ひとついえるのは、朝の酒がないということは、とてもサミシイことである。朝の酒を飲みながら、思索にふける。こういう言い方をすると、そこはかとなく哲学的な生活のフンイキがただよう。

そうでもないか、書いているやつによるな。おれの場合、ただの自堕落なアル中のフンイキである。ああ、今朝は酒がなかったので、とてもさみしく、そして、きのうの流れでか、脳にふらふら浮上した野菜イタメについて、思索したのだった。

野菜イタメを田舎にいるころに食べた記憶がない。1962年の春上京してまもなく、調布市京王線つつじヶ丘駅近くの下宿とのあいだにある商店街の中華屋に初めて入って、野菜イタメライスがいちばん安かったので注文してみた。それ以前の記憶はない。それに、テーブルの上におかれたそれを見たとき、もうちょっとなんかあるかと思ったのに、ただ野菜をイタメただけじゃないか、こんなものでカネとるなんて、と舌打の気分だったはずだ。それから、野菜イタメライスをたびたび食べたが、いちばん安いからという以外の積極的な理由はなかった。

気になって、野菜イタメは、いつごろから普及はじめたのか、手元の資料をパラパラ見ていたら、野菜イタメについてはまだはっきりしないが、意外なことがあった。

フライパンの普及より「支那ナベ」の普及のほうが早いのだ。支那ナベが普及したあと、それを駆逐し上まわるフライパンの普及があった。どうもそういうことらしい。イメージとしては、西洋料理いわゆる「洋食」のひろがりの方が先だから、フライパンの普及のほうが早いような気がしていたが。ふーむ。

もう一つの発見。昭和6年刊行の『児童のお弁当百種』(小林完著、近代庶民生活誌6に収録)を見ると、チャーハン、ヤキメシに類するものは「炒り飯」という表現になっている。これは、一般的だったのだろうか。

この『児童のお弁当百種』の「二 子供の好き嫌ひを矯正する方法」に、「同じ材料を用ひても、形を変へることは勿論、料理法を変化させること」とある。きのうの話に関連するが、やはりおなじ料理を続けて食べれば、味覚は慣れて飽きて「うまさ」は低下し、さらに続けば嫌いにまでなるのだな。

おなじ、「近代庶民生活誌6」に『百姓地獄』がある。昭和6年は、「豊年飢饉」「豊作地獄」といわれ、コメがたくさんとれすぎて不況になるという、おかしな現象が生れた。平民は不況で苦しみ、とくに農村の不況は深刻だった。コメの豊作がナゼそんな結果になったかというと、「米が今の株式と同じ投機の対象であったことによる」 またおなじ道をすすんでますなあ。

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2005/09/22

悩ましい味覚

この夏は、年寄りの病気もあって続けて何度か田舎へ。なんでかキュウリがたくさんとれるとかで、ドカドカ食べるハメになった。滞在中食べ続けのうえに、もらってくる。これが、やはりウマイ。味が、濃い。で、最初はウマイうまいと食べていたが、とにかく毎日毎食ドカドカだから、やはり飽きがくる。もう見たくない気分になる。見ると不機嫌度が、ちょっとだけアップする。

ということで、思ったのである。まずは、こういうキュウリを食べたことがないひとは、「うまさ」をどのように判断しているのだろうか。つぎに、毎日ちがうものを食べて、とくに外食だと選べるから毎食でもちがうものが食べられるわけだが、その状態で「うまい」と思ったものはホントウにうまいものなのだろうか。おなじものを食べ続けて「うまい」ときこそホントウにうまいのではないか。しかし、そんなことありうるだろうか、やはり飽きるのではないか。コメのめしを食べ続けるから、うどんやそばがうまいということがあるのではないか。

とかとか、アレコレ思ったのだが、けっきょく日々の暮らしにおいては、やはり快食であるということが大事なのだな。そして快食であるためには、美食ではなくても、イロイロなものが食べられる、おなじものでもイロイロな風に食べられるっていう、「料理=食べ方」がモンダイなのであるな、としみじみ思ったのだ。これが家庭で自炊ということになると、経済的制限があるなかでは、意外に簡単ではない。

関係なさそうでありそうな話。たまたま萩原葉子さんの『木馬館』(中公文庫)を読んでいたら。以下引用……

 私は小麦粉に半分以上も糠と玉蜀黍(トウモロコシ)の粉を混ぜ、サッカリンで甘味をつけたものをフライパンで焼き、夫や千夏とは別に食べた。
 しまいには小麦粉を見ても気持が悪くなり、力がなくて寝ていたいほどになった。

……引用オワリ。

糠を混ぜるってのが、ウゲッというかんじだ。「夫の学資を作るための内職は、焼け石に水で毎月、月謝に追われていた。不眠不休で働いても、やりくりが下手だからと夫は私を責める」心通わぬ夫のワガママもあって、葉子さんは「結局私の分をけずって家計を浮かすことを考えるよりほかなかった」という状態だった。これって、いまの日本のエリートと平民の関係みたいじゃないか。「不眠不休で働いても、やりくりが下手だからと」自分の行為は棚上げにして他人の非をほじくっては責めるやつがいる。

ほっておけば、人間の社会は、このようになる。だれかに、ヒドイしわ寄せがいく。それが「自然」なのだ。それが「自然」だからと、政治が放置していたら、ニューオリンズになる。それをヨシとしているのが、小泉改革であり竹中リロンだ。小泉改革支持で一貫している大マスコミは、ニューオリンズ報道については、あまり大騒ぎしない。あそこでイッタイ何人死んでいるのかすら、正確に伝える意思がなさそうだ。

日本人の平民は、かりに日本のコメが食べられなくなっても、アメリカの小麦は食べられるだろう。その格差が、株価になって、大マスコミのエリートたちが持っている株に還元される。大雑把な仕組みは、そういうことなのだな。

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2005/09/21

70年代新宿「五十鈴」ほか、ふがふが

椎名誠さんの『かつをぶしの時代なのだ』(集英社文庫)を読んでいたら、「国電中央線における異常接近アベックを阻止する会設立準備会のおしらせ」に新宿の「五十鈴」が出てきた。こんなアンバイ。以下引用……

 新宿東口の「五十鈴(いすず)」というおでん屋さんに行ったのである。ここは、わりと昔からよくいく店で、店内はウナギの待合室みたいにやたらタテに細長くなっており、客は調理場をはさんでズウッと向かいあって座るようになっているのだ。
 頭に手ぬぐいを姉さんかぶりに被(かぶ)って、まっ白なカッポーギを着た小学校の給食係みたいなおばさんが五、六人、なぜかいつもすこし悲しそうな顔をしてオデンを煮ているのである。

……引用おわり

なつかし~い。椎名さんも、よく行っていたようだが、おれもここは1970年代によく行った。ワレワレのあいだでは、店の名前をよばず、「うなぎの寝床」で通用していた。ばあさんたちは、2,3人名前を覚えたひとがいるが、基本的には、まとめて「戦争未亡人」とよんでいた。もしかすると、ホントウに戦争未亡人ではないかと思われるフシもあった。

オデンとタタミイワシ、タマゴ焼は塩か砂糖で注文、あとオニギリ。そんなていどで気持よく飲める、とくにどうってことない飲み屋だが、いつも混んでいた。だいたい、あのころは、みんなとくにどうってことない街の飲み屋にフラッと入って飲んでいたのだ。たまたま入って気に入ったらまた行くという。あるいは飲み屋で聞き込んだ店へ行ってみるとか。いまどきのように、たかだが安酒場で飲むのに、ガイドブックみたり、テレビみたり、あげくのはて自己陶酔じゃないかと思われるヘドが出そうな「ブンガク的」なウンチクを聞かされたり、なーんていうワズラワシイこうるさい手続は一切なかった。そういう意味では、いい時代だった。

ま、みんな街で、好きなように生きていた、といえるか。けっきょく、たかだか街の安酒場に入るのにガイドが必要になったというのは、業界や会社といった「企業社会」の法則に生きるのが精一杯で、街で自由に生きる感覚を失った人たちが増えたのだろう。人びとにとって、街の安酒場は、異文化圏になったのか。街は自由だからこそいい、街では自由にやりたい。

「五十鈴(いすず)」は、正確には、新宿東口というより、中央口のイチバン南口寄りの出口を出て、そのまま南口へ向かう通りの左側、2、3軒目のビルの一階だった。たしか中途半端な、午前0時か2時ぐらいまでのあいだの閉店で、ここで飲んでいるといつも終電をはずしてしまうという難点というか利点というか、そういうことだったような記憶がある。

古いころの話しはしらないが、70年代のおれが行っていたころは、恰幅のよい女性経営者が、ときどき店にあらわれた。もしかしたら、この人は戦争未亡人ではないかと、とにかく五十鈴にいると、中年すぎの女性は、みな戦争未亡人におもえた。が、この女性経営者は、イチオウ、新宿の「文化人」仲間というウワサであった。そういえば、紀伊国屋書店の亡くなった社長、田辺茂さん?名前忘れたが、その社長とお知り合いという関係性において、新宿では飲み屋の経営者も「文化人」になり、そういう評判で流行る店もある、といった法則があったようなかんじがする。

いまでも息子さんが継いで営業している歌舞伎町のバー「フロイデ」の女性経営者も、先年亡くなったが、新宿の「文化人」というウワサであった。そういえば、このママと五十鈴の女性経営者、体格というか雰囲気が似ていたな。やはり戦争未亡人系か? どことなく苦労人というかんじが漂うのだ。フロイデのママは、彼女が亡くなった年の、新年早々に行って、飲んで店の外へ出た、そのあとをママが追いかけてきて、年賀のタオルを渡し忘れたからともらったのが最後になった。

ま、とにかく、その五十鈴がある通りの先、いまではJR新宿駅南口に上がる広場でつぶされてしまったあたりに、「日本晴」というバカ安の、だけど水のような、そしてスゴイ頭痛の残る「日本晴」という酒を飲ませる飲み屋があった。たしか新宿の喫茶店に勤めていた男とブラッと入ったのが最初で、あまりの安さにうれしくて一時入り浸った。ツマミは煮込みが格段に安くて、それ以外とった記憶がない。一合瓶に入った日本晴を、そのままもらって常温で飲むか、燗をしてもらう。少ないカネで、スゴイ飲んだという気がした。つまり頭痛が残るということが、飲んだ気がする清酒の「価値」だったのだな。ほんの数十メートルはなれた五十鈴と、まったく客層がちがい、そもそも、場外馬券売場や旭町のドヤ街には、こちらが近いわけで、新宿低層労働者的フンイキの濃度が増すのだった。

そこから、甲州街道を新宿御苑のほうへ向かうと、すぐ角にいまでも大衆食堂の長野屋、その先に最近まであったナントカという名前の焼酎を一升瓶でキープできた大衆酒場、そしてまだ木造二階家だった「石の家」があって、明治通りとの交差点の右に旭町ドヤ街が見えた。高島屋新宿南口店の前のあたりということになるのだが、いまと違って夜は暗闇にわびしく灯りがともり、入口周辺からドヤドヤとしたかんじだった。

そちらへ渡らないで左側の路地に入ると、そこはもう、いまの思い出横丁のイチバン小さい一間間口ぐらいの店が、上下に重なり横にならぶかんじの、かなりデンジャラスな、歌舞伎町よりコワイ一帯だった。それはコンニチでは想像をするのが難しいのだが、ようするに排気ガスまみれのような薄汚いバラック状の、木造の二階建てが密集し、街灯は少なく、店からもれるあかりを拾いながら歩くかんじなのだ。

その一角、新宿中央通りから来ると、明治通りに出る手前右側になるが、「伝六」があった。そうだ、屋台の店を横にすきまなく並べ、さらにその上に屋台を重ねた、そういうかんじを想像してもらえばよいだろう。その一軒の2階に伝六はあった。一階の店の入口を入って、すぐ階段をのぼる、階段の板あいだから下の店が見える、そして伝六は5、6人も座ればいっぱいのオデン屋だった。床板のすきまから下の店が見えた。ここは、戦争未亡人というには若い女将が、もう眠いから帰ってよというまで飲んでいられた。ときどき夜更けに近所から、楽しそうな女と男のアエギが聞こえてくるというウワサがあったが、おれは聞いたことがない。

そのころは、そういう安酒場だけではなく、オールド一本キープすると2万円なんていう、歌舞伎町にあった、新宿では最高級な部類に属するクラブでも、よく飲んだ。ああ、ママのユミさんには、たいへんお世話になりました。そこでは、いつも会社のツケで飲み、会社に請求書が届くと破り捨てるってことをやって、それでもユミさんは飲ませてくれたのです。

ユミさんは、おれより一歳上だったと思うが、プロのモデルをやっていた美人で、おれも一度広告のモデルをやってもらったことがあるけど、新宿要町いまの新宿三丁目の池林房の近くにあった酒屋の娘だった。そして、そのクラブをやめ、自分の酒屋の入口へんを改造して、鳥料理の店を始めたのだった。板前が競馬が好きで、競馬の話以外じゃ口を聞きたくないといった、ちっとも美男じゃないのだが、ユミさんはその男に惚れていたようだった。おれは、その板前も、その鳥料理も好きで、よく通い、朝まで2畳ばかりの客室ですごすことがたびたびだった。勘定は、現金でちゃんと払った。バブルのころ、その店は酒屋ごと解体され空き地になった。ユミさんの行方はわからなくなり、しかもその空き地は、いつまでたっても空き地のままだった。そのあたりの事情に詳しいものに聞いたら、イロイロめんどうな出入があったようだ。

書いているとキリがないからやめる。伝六の一角は、いつのまにかビル街に姿を変え、そして五十鈴もなくなり、日本晴もなくなった。

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2005/09/20

池袋で激食痛飲よいよい

鈴木隆祐『名門高校人脈』5万部突破、M男宝クジ100万円当り、T女とくに何もナシ、おれもとくに何もなし、ということで、池袋集合。おれが北口改札口に着いて、まずは、と売店で缶ビールを買って飲んでると、T女あらわれ「あいかわらずですね」。いつもどおり悪びれることなく遅れる鈴木、香港から帰ったばかりで、土産をもらう。さらに遅れてM男「電車の乗り方わすれたもので」

M男おすすめの平和通り「永利」。ドアをあけた瞬間、すごい喧騒。それも日本語は聞こえてこない。ここはどこか、日本じゃねえのか。100名ぐらい入りそうな店内は、ほとんど中国人。みな豪快に食べている。ワレワレも負けじと、どのテーブルにもあって、これを食べなくてはとT男がいう、東北醤大骨(背骨のタレ煮つけ)、糖醋肉(ゴロゴロげんこつ豚肉のすぶた)。あと野菜料理とチャーハンとか。どれも量がすごい。

とにかく、背骨のタレ煮つけ、豚の背骨のまわりに肉がこびりついているの、丸ごとタレ煮にしたの。大皿に山盛り。背骨をバリッと折りながら、かぶりつく。肉がやわらかくなるまで煮込んであって、タレの味がしみこんでいて、うまい! ゴロゴロげんこつ豚肉のすぶたは、これまた、すばらしい! コラーゲンの塊のような、まさにげんこつ状の豚肉ごろごろに、黒酢ベースのタレがたっぷりかかって、うめえっ。ビールガブガブやりながら食べまくる。ドーン、どーん、と、豪快大陸的。気分が解放される。飲食は、こうでなくてはな。通ぶったチマチマした細かいことなんか、どうでもいいの。

値段、やすーい。そういや、店内はメニューが貼ってあるだけで、飾りっけなし、中国大衆食堂だね、ここは。メニューも豊富、200種以上あるぞ。特に肉料理と点心が人気のようだ。また来よう。

そして夜の池袋へ。池袋北口のアヤシイ雰囲気は、変わってないなあ。けっこうけっこう、まだ健全な日本があるというかんじだ。T女は近くの店へ。ワレワレ男だけで、日本酒。もう腹は一杯だから、どんどんがんがん飲む。しゃべる。あ~、なんの話をしていたかなあ、はて、シゴトの話もあったはずだが……忘れた。ま、酒と食べ物から世界情勢まで。右翼から左翼まで。タイでのシゴトとか。めずらしく、やや頭痛が残った朝ですね、とさ。

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2005/09/19

悩ましい「情報」と「表現」と「姿勢」のあいだ

あとでフト気がついたのだが。きのうの荻昌弘さんの引用に「魯文というジャーナリスティックな風俗戯作者、そしてこの本の姿勢そのものなのだ」という一文だ。

ちかごろの権威ある大メディアのたぐいで、そのジャーナリズムで、作家や作品の「姿勢」が話題になることは、あまりないような気がする。ま、新聞テレビと縁のない生活だから、目に触れる範囲のことでだが。いちばん手っ取り早くは、Webの世界のことである。

そして、そういえば、むかしは、やたら「姿勢」がモンダイになったなあと思った。この現象のナゼは、おいといて。

ようするに近頃は、「情報」や「表現」が、それなりに豊富で細かく、美しく、お上品、とかね、あるいはブンガク的権威による常識がよろこぶ表現であれば、とかね、そういうことであれば、作者や作品の「姿勢」は問われないのだな。手っ取り早くは、情報や表現が、ジャーナリスティックであるほど、よろしいというかんじで流れ流されていく。ああ、そして、今年の夏も過ぎていった。

いま、上の文章で、「「情報」や「表現」が、それなりに豊富で細かく」と書いて、「正確」とか「正しく」という表現を、わざとはぶいた。というのも、豊富で細かいことが、正確で正しいと評価される傾向もあるからだ。「実態」や「真実」かどうかなんて、まったく価値をもたない。あくまでも時流を追いかけての、興味本位のバカ騒ぎ、その満足なのだ。安物グルメから国政選挙まで。

たまたまスーパーに生わかめがなかったとき、乾燥のカットわかめを買って来ておいた。リケンの、そのまま味噌汁に投げ込めるやつじゃなくて、5分ほど水でもどすやつだ。それを使おうと思って、初めてなので、どれくらいの分量を用いたらよいのか、袋の印刷を見た。

するとそこに、「使用量の目安(1人分)」という項目があって、味噌汁のばあい、「1g」とあるのだ。おれは、それを見て、はて「1g」って、どのぐらいの量か、そのために計量しろというのか、細かければよいってものじゃないぜ、大雑把に「一つまみ」「一掴み」という単位もあるのだぜ、と思った。

とにかく細かい単位で表示しておけば無難である。あとは客側の「自己責任」だ、「一つまみ」「一掴み」の表示じゃ問い合わせがきて対応コストがかかることになるかも知れんしな。といった、なんでも消費者に責任を押し付けていこうという、会社の責任逃れの「姿勢」をかんじ、ま、いまの世の中、こんなもんだな、と思ったのだった。

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2005/09/18

悩ましい「毒婦高橋お伝」とカレーライス 2

きのうのつづき。

悩ましい事態を生んだ男、仮名垣魯文。広辞苑の解説では、こうだ。「幕末・明治初期の戯作者・新聞記者。本名、野崎文蔵。江戸京橋生れ。諧謔風刺に長じ、戯文を以て鳴る。「仮名読新聞」「魯文珍報」を創刊。作「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋(あぐらなべ)」「胡瓜遣」など。1829-1894)

荻昌弘さん著の『歴史はグルメ』中公文庫版(1986年)に「通のハシリ」という話がある。「『歴史と人物』(中央公論社発行の月刊誌)に連載しつづけた「人物食物誌」を、昭和五十一年新年号から昭和五十七年十二月まで、七年分とりあげ補足・加筆」、1983(昭和58)年に中央公論社から単行本。

「通のハシリ」は、魯文と魯文の『西洋料理通』について2ページ半ばかり。『西洋料理通』は1872(明治5)年の刊行で、カレーライス伝来説では、おなじ年の『西洋料理指南』と並んで、初めて日本に「カレー」を紹介した本ということになっている。そして、とりわけ仮名垣魯文は著名であるがゆえに、彼が書いているから正しく西洋料理を伝えているし、そこに「カレー」が出てくるのだよ、どうだマイッタカ、だからカレーライスはイギリスからの伝来なんだゾ、というフンイキであるようだ。カレーライス伝来説で、『西洋料理通』にふれているほとんどの著者は、その内容や魯文について、なんの検討も加えることなく、そのまま鵜呑みの垂れ流し。

しかし、荻昌弘さんは、こう指摘する。「明治五年刊行だけに、編中の挿絵「西洋人 肉を製して日本人を饗応の図」などにみる日本人は、ちょんまげのままテーブルに向かってフォークを握っている。当時の世相、というだけではない。まさにこういった図柄こそ、魯文というジャーナリスティックな風俗戯作者、そしてこの本の姿勢そのものなのだ、といえたろう。」

さらに、こうも言う。「全文を熟読すると、魯文は、じつは料理の実物を目撃も体験することなく、文献か聞き書きだけで、この紹介をおこなっていること、歴然たるものがある。つまり、どのような料理が完成するか、彼自身にもわからないまま、これら西洋料理の解説をやってのけたにちがいない、と想像させる。これを真に受けて西洋料理に挑戦した”割烹家”も難儀なら、それを食べさせられた客どもえらい災難だったろう。」

もっとも、魯文は、原書は英文和解の二つで一冊の、英人某が横浜居留のあいだに日本人の雇人に命じて食糧調理させるための手控えであり、それをもとにして書いたという趣旨を述べている。「実物を目撃も体験することなく」というのは、当時の魯文にとってはアタリマエのことだったろう。しかし、料理の歴史では、そこがまさにモンダイで、荻昌弘さんの気がかりは、トウゼンなのだ。実際につくられたかどうか、そのままつくって食べられるものであったかどうか、そこに疑問がのこり判断がつかない本のなかの料理は、出版風俗の歴史でありえても、料理の歴史にはならない。

ともあれ、先の指摘とあわせると、魯文は、料理の実態や事実に関心があったわけではなく、当時のめずらしい西洋の風俗を、ジャーナリスティックに、つまり興味本位に騒ぎ立て、一儲けしようとしただけだ。また、読者も、興味本位に騒ぐだけでよかった。それが、近年、まことしやかにカレーライス伝来説の根拠になったのだな。

ついでに。「ジャーナリズム」というのは、メディア側の「ジャーナリスト」のものという考えは、マチガイだろう。発信する側と受け取る側の相互関係だと思う。一人一人がジャーナリストであり、ジャーナリズムの担い手なのだ。その近代日本の「ジャーナリズム」は、「実態や事実ヌキに、興味本位で騒ぐ」ことが特徴であり、煽ったり煽られたり、まだ続いている。カレーライス伝来説の根拠に、魯文の『西洋料理通』が居座り続けるには、そういう背景があるようだ。

荻昌弘さんの文は、このようにおわる。「しかし、料理にかぎらない。文明開化とは、ほとんどがこのような、あてずっぽうに近いほど果敢な、見当はずれかもしれない挑戦、そしてその上に咲いた日本の新種の花だったのではないか。今日のカレーやコロッケも、まさにこんな調子の紹介が生んだ成果かもしれない。」

カレーやコロッケは、「あてずっぽうに近いほど果敢な、見当はずれかもしれない挑戦、そしてその上に咲いた日本の新種の花だった」と言い切ってよいように思う。「あてずっぽうに近いほど果敢な、見当はずれかもしれない挑戦」、もっとやろうじゃないか。

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2005/09/17

悩ましい「毒婦高橋お伝」とカレーライス

「高橋お伝」という名前を記憶にのこしたときから、名前のアタマに「毒婦」が脱げない帽子のようについていた。高橋お伝は毒婦であり、毒婦でない高橋お伝は知らなかった。いつだったか、ほかにも毒婦がいるようだが、どんな悪行をした男でも「毒夫」とか「毒」がつくことはないようだ、女を「毒」とするのは品行方正を偽装する男の考えそうなことだなあ、と思ったことはあるが、毒婦高橋お伝は毒婦のままだった。

なぜ毒婦なのかというと、ようするに生まれつきスゴイ性器をもっていて、自分も男とヤルのが好きでやりまくり、一度お伝とやった男はお伝に狂ってしまう、お伝は男に狂って悪行を重ね、男もお伝に狂って悪行を重ね、ついに、と、ここからどうも愛人のチンポ切り殺人の阿部定の話とダブってしまい、どっちがどっちかわからなくなった末に、とにかくお伝は、男を殺し金を奪って逃げ捕まり小塚原で斬首、モンダイはそのあとで、お伝を毒婦にしたスゴイ性器を東大の解剖の先生が切りとってホルマリン漬で保管してあるということで、この毒婦の話しは、一挙に「一度はそれを見てみたいなあ」という性的興味、猟奇的興奮に導かれ、かつ「科学的」な真実味をもつのだが、よく考えると、そのていどのことしか知らないのだった。

あまり興味のある話じゃないから、記憶の底に沈殿し、たまに「お伝」の名と共に、その記憶が浮上し、東大のホルマリン漬を思い出してオワリというありさまだった。

で、『イケイケ・どんどん 小沢昭一的こころ』(小沢昭一/宮腰太郎、新潮文庫)の「高橋お伝鎮魂旅」である。「とにかく、高橋お伝は、スケベで狡猾な古着屋の後藤吉蔵を、色仕掛けで殺害したということになっております。おりますが、これは状況証拠だけで、今でも多くの謎、疑いが残っているんですね」と。ようするにこれは、「毒婦高橋お伝」から「毒婦」をとり、高橋お伝を「高橋お伝」として鎮魂する話なのだ。

殺意のある殺人行為があったかどうかもはっきりしないのだが、高橋お伝を「毒婦」にしたてたのは、当時のジャーナリズムで、と、ここでこの話がカレーライスの歴史につながる。

「お伝さんが御用になった時も「いや、彼女は稀に見る貞女だ」という声もあったそうです。しかし、当時の売れっ子戯作者・仮名垣魯文が『高橋阿伝夜叉譚』を出版するに及んで講談になり芝居になり、ドドッと毒婦説が決定付けられたのですね」と小沢さん。この魯文の『高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでんやしゃものがたり)』ですでにお伝さんは「夜叉」にされているのだが、1879(明治12)年、高橋お伝が処刑された年というタイミングで刊行された。

魯文について、小沢さんは、「明治初期の戯作者であり、また、ジャーナリストでもあったようですが……。」と冷やかに、そして、お伝の三回忌に建てられた墓石の裏にある建立世話人に仮名垣魯文の名前を見つけ、「魯文センセイとしても気がとがめたから世話人になったに違いありません」。さらに新聞社などの名前があるが「いずれも高橋お伝毒婦説をネタにしてもうけたというか、いい目に会った面々ですネ」

この仮名垣魯文こそ、既成のカレーライスの歴史で必ず、カレーライスを日本に初めて紹介した本として登場する『西洋料理通』の著者だ。『西洋料理通』は、1872(明治5)年刊行。高橋お伝の事件の発生は、明治9年。翌明治10年に、魯文は『鳥追お松の伝』を書いている。お松も「明治の毒婦」といわれた女の一人。小沢さんは、「なんども力説しますが、彼女たちは当時のマスコミのアワレナ犠牲者であります。カワイソーなんだ……はっきり言おう、毒婦は毒ガスの百分の一も悪くない!」

そういえば、正式な事件名は知らないが、和歌山のカレーライス毒殺事件についても、裁判中の被告に対して「毒婦」という言い方をする「ジャーナリズム」があると記憶する。これは「毒」を使った事件だからということかも知れないが、それだけじゃない印象もある。明治から「ジャーナリズム」の本質は、そんなにかわっていないのかも知れない。いや変わっていないから、魯文の『西洋料理通』が、あいかわらずカレーライス伝来説の根拠になっているのかも知れない。

その『西洋料理通』についても、小沢さんのように魯文に疑問を持ったひとはいる。それは荻昌弘さん。この話、つづく。

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2005/09/16

トリスキから「愚民」といふこと

昨夜は、トリ(鶏)のスキヤキをしたね。ほんとうは皮をつかいたかったが、なかったので皮のついたモモ肉をつかった。それにきざみキャベツをタップリ。というのが好きなのだ。もちろん豆腐やコンニャクもつかう。モヤシもだね。トリのばあいは、ちょいと濃い目の味付がよいように思う。

その残りを今朝、同居ツマがめしにかけて食べ、「うまい」といって出かけた。そのあと、一仕事片付けてから、おなじように食べた。ちょいと違うのは、ぐふふふ、清酒を飲みながらというところだな。

『汁かけめし快食學』にも書いたが、日本でぶっかけめしが「下品」とされ「いけない」とされたのには、単なる神秘的信仰的な「タブー」とは異にする思想的支配的歴史的ウンコ的背景があった。と、トリスキぶっかけめしを食べ、盃をかたむけながら、また考えた。

「読売新聞 1999年11月21日 記者が選ぶ」では、『ぶっかけめしの悦楽』について、こう書いていた。……「海苔(のり)をモンゴルで食べて「黒い紙なんか食うな。山羊(やぎ)じゃないんだ」と諭された。ドミニカでカップラーメンを食ったら「スプーンを使わないのは下品」と、たしなめられた。"カルチャー食(ショック)"は、しかし国内でも体験する。新婚時代、みそ汁を飯にかけたら蔑(さげす)みの視線に遭い、深く傷ついたものだ。<ニッポン人なら、忘れるな! 深く食べろ!>という帯の惹句(じゃっく)に、積年の恨みを晴らせそうだと直感した。<熱く、かけめしを思いおこそう>で始まる奇書のテーマは、<インドを御本家とする疑惑にみちたカレーライス伝来説>を根底から覆すことにある。成否は読者の評価に俟(ま)つとして「うまいものは、うまい」という、今どきのグルメが持たないまっとうな「思想」がある。飯に汁をかけて食う行為が、異なる者に対する「排除」や「差別」と対極にあることにまで思い至った。留飲が下がったので今回はチト褒めすぎたか。(酊)……引用オワリ

そうなのだ、そうなのだね。と、盃をかたむける。昼から何杯のむんじゃ。あるだけ。先日のタモリ倶楽部でも、ねこまんまのタブーが話題になって、「出演者のひとりが、こどものころに母親から、みそ汁をぶっかけると「結婚式に雨が降るよ」と言われた」と言っていたそうだが(http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/08/post_7788.html)。

ちかごろかどうか? よく「愚民」という言葉をきく。そういうものを見ると、おれはアタマにくるから、おれは愚民である。そして、「愚民」と言って蔑んでいるのはトウゼン、選民賢民ということらしい。しかし、愚民というのは、そもそも支配者や、その御用をつとめる選民賢民がつくったもので、天然のものではない。「だまされた方が悪い」「だまされる方も悪い」というリクツは、おかしい。すくなくとも、支配者と、その御用をつとめるものたちの責任を免除している。しかし、やはり、ちかごろの日本人は世界でもマレな高学歴らしいのに、そういう感じがないのも事実だな。これがイイ大学を出たレンチュウかあ、とかね、思うことあるね。

あっ、と、それとぶっかけめしの話が、どう関係するのだ。どこかで関係するように思って書き出したのだが、忘れた。酔ったのかな? もっと飲んでみるか。ま、とにかく、食は、政治や思想と深い関係にあるのだな。自分では政治や思想なんか語っているつもりはなくても、食べ物や食べ歩きの話には、それがあらわれるのだな。もっともよくあらわれるといってもいいかもしれない。

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酒とつまみがタモリ倶楽部に

9月23日が放送予定日らしい。ウチはテレビがないから見られないが、みなさま、見ましょうね。
http://www.saketsuma.com/EasyBBS/index-0.html

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2005/09/15

入谷コピー文庫と谷よしのと女中のウダウダ

入谷コピー文庫、聞いたことないだろう。編集発行、堀内家内工業、知らんだろう。

テーマは筆者の自由で、A4サイズ10枚以上30枚以下で原稿を仕上げ、堀内家内工業に渡すと、それを15部だったか17部だったかコピー製本して配布するという仕組みだ。「30枚以下」と決めてあるのは、それ以上だと「ホッチキスの針が通りませんので」ということなのだな。

この酔狂としか言いようのないマジメな「出版社」に、執筆を頼まれた。こういうのは好きだから、もちろん引き受けた。原稿料なんてタダと思っていたら、原稿を渡さないうちに、図書券が送られてきた。堀内家内工業は、ビンボーなのに、律儀度がちがうなあ。

書きたいテーマは決まっているので、そろそろ書こうかと、このまえ見本でもらった5月発行の『谷よしの映画人生』をパラパラ見ていた。著者は、阿部清司さんだ。現在88歳の谷よしのさんからの聞き書きだ。読んでいて、「女中」のことが気になってしまった。谷さんは、男はつらいよシリーズで、女中役をたくさんやっている。堀内さんも編集後記で、こう書いている。

例えば「男はつらいよ寅次郎夢枕」の中では、谷さんは女中役で次のように登場する。
●旅館の一室
手酌で飲んでいる寅。女中たちは隣室の騒ぎに加わっているらしい。
空っぽの銚子に手を叩く寅。女中ようやく一人やってくる。
女中「何か御用?」
寅 「酒だよ、酒ねえよ」
女中「はいはい、ただいま」
たったワンシーンの台詞ながら、谷よしのさんは印象的なのである。

……引用オワリ。
谷さんは、1917年生まれ。おれは自分の母親の生れ年を、もう正確に覚えていないのだが、たしか同じ年の生れである。この年代の女は、女学校へあがれないようなフツーの貧乏大衆の家庭の育ちならば、女中経験のある人が少なくない。おれの母親も、短いが女中を経験している。それは、旅館や飲食店のこともあれば、個人の富裕な家庭のこともあるが、ま、そうか、近年は「家政婦」とかいう呼び方もあるが。女が、外で働くとなると、工員か女中が圧倒的に多かったのだ。それから、おれの母親などは、「女は一生女中働きよ」と言っていたものだ。で、その女中たちは、食に深く関わっていたのだが、しかし、その、なんてのかな、女中の歴史もないし、女中と食の歴史もないのだな。と、まあ、ふと、そんなことを思ったのだが。

そんな女の時代があったから、谷さんの女中役も、大切だったのかもなあ。女中の時代を生きた名女中役、なんていう見方もできそうだ。ほとんどの女中は、無名のまま歴史に足跡を残さないが。

ってことで、この入谷コピー文庫に書こうと思っていたテーマを変えて、昭和の食と女中について書いてみようかとも思ったが、女中に関する資料が簡単に集まりそうないなあ、とかウダウダ考えているうちに、ああっ。

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2005/09/14

暑いなあ。ビールにニラタマ、レバカツ…

またもや連日30度をこす暑さ。ビール、ビール、ビール。

ビールに、ニラタマ! いいね。ときどきやっているよ。コレ、イメージ通りに仕上げるの、けっこうムズカシイ。
須田泰成さんのブログ見たら、経堂ドットコムの更新をしていて、「経堂のニラ玉」だ。
http://www.kyodo-kei.com/nira01.html
でっけ~。こういうの作ったこともくったこともないなあ。

ビールに、レバカツ! すっかり忘れていた「つるかめ」のレバカツ!
TOKYO BREAKDOWNじゃ、「つるかめ」のレバカツ!
http://downhome.blog19.fc2.com/blog-entry-49.html
くいたいよ~

雅楽多blogじゃ、秋葉屋市場食堂ポータル
http://gutti.livedoor.biz/archives/15159681.html
がんばっているね~。全メニュー完食までは、まだだいぶあるが、力強く食べてほしい。
しかし、このハムカツは、ユニークだね、食べてみたいな。

魚沼コシヒカリの稲刈りが始まった。おなじみ、六日町万盛庵本店のマンチャンのブログ。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/38673?YEAR=2005&MONTH=9&DAY=14
おっ、13日には、マンチャンのおかーも登場だ。中学の同級生だよ~

と、とにかく暑いから、ブログ食べ歩きで、オシマイ。

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2005/09/13

旅とぶっかけめしと大衆食堂

 この一節を読んで、ぼくもこのような旅をしたいと痛切に思ったものだ。どんな旅であるかというと、ある日突然、何の目的もなく家を出て、そうしてたいしてあてのない旅に行き、そこで唐突にいろんな人と出会い、必然的にそれらの人人とのからみにおける予期しない出来事と直面していく。そしてわらわらどうしようもなく流されていくような人生の危うさを感じていくという話である。
 流されていくのは旅人そのものに金がないからだ、つまりは貧乏だからである。どんな旅でも金を持っていると、その人の金によって旅はその人のものになる。考えてみるとそれはそれで快適なものであるけれど、精神的にはちっとも面白くないものになる。旅は、自分の居場所でないのだから、そこで出会ったさまざまな予期しないいくつもの人生に、さらにまた予期しない恰好で翻弄されていくことが魅力なのである。
 さながら双六旅のように出る目や運で、今日は右へ、明日は左へ、あるときは進み、あるときは戻り、ひょっとしたら百万長者、ひょっとしたら明日をも知れぬのたれ死になどというのが旅の醍醐味なのだ。貧困だからそれが出来る。貧困だから相手によってキャッチボールのボールのようにあっちこっち好きなように撥ね飛ばされる。そのぜいたくさをこの本で味わえるのである。

……と、書いているのは、椎名誠さん。『日焼け読書の旅カバン』本の雑誌社、2001年。「この一節を読んで」という一節とは、「若いころにどこか地方に行って、そこで出会ったおんなの人と結婚するとかなんとかいって、そうはならなかったという話である」。これは、つげ義春さんの『貧困旅行記』にある「蒸発旅日記」のこと。

これは旅の話だが、金のない人生ってのも、こういうものさ。金によって人生は、その人のものになる。しかし、それが、快適でしあわせであるかどうかはわからないし、「精神的にはちっとも面白くないもの」であることも少なくないだろう。それに、「貧困だから相手によってキャッチボールのボールのようにあっちこっち好きなように撥ね飛ばされる」明日をも知れぬ人生の醍醐味を感じながら生きるってえのも、こ